49 / 74
第八章 拠るべき場所
#7
しおりを挟む
アーネストとグレイス夫人は相当やきもきしていたようで、戻ってきた二人を見て、やや安堵したような顔をした。
二人の間にどんな話が交わされたのかはわからないし、知る権利もない。でも、アーネストは彼女の安全を守りたかった。互いの思想や信念の違いからぶつかることもあるだろうが、できることならば歩み寄っていきたいと願うのだった。
「……先程は、ご無礼をいたしました」
屋敷に戻ってきたエディリーンは、夫人に頭を下げる。
晴れやかな顔とはいかない。全て納得したわけではない。苦渋の決断ではあるが、今は飲み込む。一旦は受け入れて、戦おう。
「いいえ。わたしの方こそ、無理を言ってごめんなさいね」
首を横に振るグレイス夫人を、エディリーン一瞥し、次いでアーネストに挑むような視線を投げた。
「養女のお話、謹んでお受けします。……ですが、わたしはご覧の通り、礼儀作法も知りませんし、貴族のご令嬢なんて務まりません。わたしなどを養女に迎えて、家の名前に傷が付きませんか?」
目下の懸念事項はそれだったが、グレイス夫人は少しの間何か考える仕草をして、口を開く。
「少し彼女と二人で話をさせてもらえるかしら」
グレイス夫人はアーネストとジルに退出を願うと、椅子に腰かけてエディリーンにも座るよう促す。
向かい合った夫人は一つ息を吐くと、顔を上げてエディリーンの目を真っ直ぐ見つめる。エディリーンは外の気配を探ったが、男二人は立ち聞きなどはしていないようだ。
「これを言わないでいるのは不公平だと思うから、話しておくわ」
一体なんだと、エディリーンは眉を潜める。
「エディリーン。あなたにお願いがあるの。もしかしたら、わたしの杞憂に終わるかもしれない。だから、老いぼれの戯言と聞き流してくれても構わないのだけれど」
夫人は一旦言葉を切って、ためらうように目を伏せるが、再び顔を上げる。
「あなたに、息子の死の真相を探ってほしいの」
「……どういうことです?」
訝るエディリーンに、夫人はどこか遠くを見るようにしながら語る。
「もう二十年になるかしら……。聞いているかもしれないけれど、息子は宮廷魔術師だったの。うちと王宮を行ったり来たりして生活していたのだけど……ある日、遺体で帰って来たわ。野盗に襲われたという話だったけれど、息子は用心深かったし、わたしにはそうは思えなかった。
何かの思惑が働いたのではないかと思って、何度か王宮にも行ってみたわ。でも、ほとんど領地に籠っていたわたしが急に社交界に顔を出しても、探れる情報はなかった。そのうち夫も亡くなって……。でも、またグレイス家から宮廷魔術師が出るとなれば、当時の何かがまた動き出すかもしれない」
エディリーンは夫人の話を黙って聞いていた。
「王宮も決して安全ではないわ。あなたを危険な目に遭わせてしまうかもしれない。これはあなたにうちの家名を使ってもらう利点ばかりあることではないのよ。
でも、死ぬ前に本当のことを知りたいの。だから、わたしと取り引きをしましょう。あなたを雇わせてちょうだい。報酬は言い値で構わないわ」
夫人は一息に話すと、エディリーンの瞳をじっと見つめる。静かながら、強い意志の宿る目だった。穏やかなだけの老婦人ではないらしい。
「……わかりました。そういうことなら引き受けます」
わずかな逡巡の後、エディリーンはそう答えた。
一方的に利点を提供されるのでは、エディリーンは完全には納得しない。夫人がそこまで気を回したのかは定かではないが、これで双方に対等な取り引きになる。退路を断たれたと言えるかもしれないが、ただ貴族の養子となる利点を享受するより、エディリーンにとっては気が楽になることではあった。
「ありがとう。でも、決して無理はしないでね。……それで、報酬はどうしましょうか?」
夫人はようやく表情を緩めたが、エディリーンは首を横に振る。
「これを対等な取り引きと言って下さるなら、わたしもお話しておきます。わたしが王宮に行く話は、ほとぼりが冷めるまでの期間限定の約束です。だから、婿を取ってこの家を継いだりはできません。それで構わないなら」
エディリーンが真顔で言うと、夫人はくすりと笑う。
「それは贅沢というものだわ。では、よろしくお願いするわね。くれぐれも、気を付けて」
この人が悪い人ではないのはわかる。貴族社会など、陰謀が渦巻く面倒なものだろうし、人の本心など計り知れない。けれど、その気遣いだけは本物だろう。それでいいと思った。
二人の間にどんな話が交わされたのかはわからないし、知る権利もない。でも、アーネストは彼女の安全を守りたかった。互いの思想や信念の違いからぶつかることもあるだろうが、できることならば歩み寄っていきたいと願うのだった。
「……先程は、ご無礼をいたしました」
屋敷に戻ってきたエディリーンは、夫人に頭を下げる。
晴れやかな顔とはいかない。全て納得したわけではない。苦渋の決断ではあるが、今は飲み込む。一旦は受け入れて、戦おう。
「いいえ。わたしの方こそ、無理を言ってごめんなさいね」
首を横に振るグレイス夫人を、エディリーン一瞥し、次いでアーネストに挑むような視線を投げた。
「養女のお話、謹んでお受けします。……ですが、わたしはご覧の通り、礼儀作法も知りませんし、貴族のご令嬢なんて務まりません。わたしなどを養女に迎えて、家の名前に傷が付きませんか?」
目下の懸念事項はそれだったが、グレイス夫人は少しの間何か考える仕草をして、口を開く。
「少し彼女と二人で話をさせてもらえるかしら」
グレイス夫人はアーネストとジルに退出を願うと、椅子に腰かけてエディリーンにも座るよう促す。
向かい合った夫人は一つ息を吐くと、顔を上げてエディリーンの目を真っ直ぐ見つめる。エディリーンは外の気配を探ったが、男二人は立ち聞きなどはしていないようだ。
「これを言わないでいるのは不公平だと思うから、話しておくわ」
一体なんだと、エディリーンは眉を潜める。
「エディリーン。あなたにお願いがあるの。もしかしたら、わたしの杞憂に終わるかもしれない。だから、老いぼれの戯言と聞き流してくれても構わないのだけれど」
夫人は一旦言葉を切って、ためらうように目を伏せるが、再び顔を上げる。
「あなたに、息子の死の真相を探ってほしいの」
「……どういうことです?」
訝るエディリーンに、夫人はどこか遠くを見るようにしながら語る。
「もう二十年になるかしら……。聞いているかもしれないけれど、息子は宮廷魔術師だったの。うちと王宮を行ったり来たりして生活していたのだけど……ある日、遺体で帰って来たわ。野盗に襲われたという話だったけれど、息子は用心深かったし、わたしにはそうは思えなかった。
何かの思惑が働いたのではないかと思って、何度か王宮にも行ってみたわ。でも、ほとんど領地に籠っていたわたしが急に社交界に顔を出しても、探れる情報はなかった。そのうち夫も亡くなって……。でも、またグレイス家から宮廷魔術師が出るとなれば、当時の何かがまた動き出すかもしれない」
エディリーンは夫人の話を黙って聞いていた。
「王宮も決して安全ではないわ。あなたを危険な目に遭わせてしまうかもしれない。これはあなたにうちの家名を使ってもらう利点ばかりあることではないのよ。
でも、死ぬ前に本当のことを知りたいの。だから、わたしと取り引きをしましょう。あなたを雇わせてちょうだい。報酬は言い値で構わないわ」
夫人は一息に話すと、エディリーンの瞳をじっと見つめる。静かながら、強い意志の宿る目だった。穏やかなだけの老婦人ではないらしい。
「……わかりました。そういうことなら引き受けます」
わずかな逡巡の後、エディリーンはそう答えた。
一方的に利点を提供されるのでは、エディリーンは完全には納得しない。夫人がそこまで気を回したのかは定かではないが、これで双方に対等な取り引きになる。退路を断たれたと言えるかもしれないが、ただ貴族の養子となる利点を享受するより、エディリーンにとっては気が楽になることではあった。
「ありがとう。でも、決して無理はしないでね。……それで、報酬はどうしましょうか?」
夫人はようやく表情を緩めたが、エディリーンは首を横に振る。
「これを対等な取り引きと言って下さるなら、わたしもお話しておきます。わたしが王宮に行く話は、ほとぼりが冷めるまでの期間限定の約束です。だから、婿を取ってこの家を継いだりはできません。それで構わないなら」
エディリーンが真顔で言うと、夫人はくすりと笑う。
「それは贅沢というものだわ。では、よろしくお願いするわね。くれぐれも、気を付けて」
この人が悪い人ではないのはわかる。貴族社会など、陰謀が渦巻く面倒なものだろうし、人の本心など計り知れない。けれど、その気遣いだけは本物だろう。それでいいと思った。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
異世界日本軍と手を組んでアメリカ相手に奇跡の勝利❕
naosi
歴史・時代
大日本帝国海軍のほぼすべての戦力を出撃させ、挑んだレイテ沖海戦、それは日本最後の空母機動部隊を囮にアメリカ軍の輸送部隊を攻撃するというものだった。この海戦で主力艦艇のほぼすべてを失った。これにより、日本軍首脳部は本土決戦へと移っていく。日本艦隊を敗北させたアメリカ軍は本土攻撃の中継地点の為に硫黄島を攻略を開始した。しかし、アメリカ海兵隊が上陸を始めた時、支援と輸送船を護衛していたアメリカ第五艦隊が攻撃を受けった。それをしたのは、アメリカ軍が沈めたはずの艦艇ばかりの日本の連合艦隊だった。
この作品は個人的に日本がアメリカ軍に負けなかったらどうなっていたか、はたまた、別の世界から来た日本が敗北寸前の日本を救うと言う架空の戦記です。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜
雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。
そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。
これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。
主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美
※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。
※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。
※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。
無職ニートの俺は気が付くと聯合艦隊司令長官になっていた
中七七三
ファンタジー
■■アルファポリス 第1回歴史・時代小説大賞 読者賞受賞■■
無職ニートで軍ヲタの俺が太平洋戦争時の聯合艦隊司令長官となっていた。
これは、別次元から来た女神のせいだった。
その次元では日本が勝利していたのだった。
女神は、神国日本が負けた歴史の世界が許せない。
なぜか、俺を真珠湾攻撃直前の時代に転移させ、聯合艦隊司令長官にした。
軍ヲタ知識で、歴史をどーにかできるのか?
日本勝たせるなんて、無理ゲーじゃねと思いつつ、このままでは自分が死ぬ。
ブーゲンビルで機上戦死か、戦争終わって、戦犯で死刑だ。
この運命を回避するため、必死の戦いが始まった。
参考文献は、各話の最後に掲載しています。完結後に纏めようかと思います。
使用している地図・画像は自作か、ライセンスで再利用可のものを検索し使用しています。
表紙イラストは、ヤングマガジンで賞をとった方が画いたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる