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第3話 アイネ・クライネ・ナハトムジーク
#2
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「お忙しい中ご足労いただき、ありがとうございます」
「いいえ、とんでもないです」
夕方、急いで晶の中学に向かった陽介は、晶の担任教師に出迎えられ、生徒指導室に案内された。
そこには、簡素な机を挟んで、憮然とした表情の晶と、年配の男性教師が待っていた。確か、学年主任の先生だ。
晶の担任は、困ったような曖昧な笑顔を浮かべた若い女性だった。優しそうだが、気が弱そうでもある。名前は、古谷志穂。
学年主任の方は、陽介と同年代くらいの、厳しそうな目つきの男性教師だ。確か、竹内明夫という名だったはずだ。二人とも、晶の転校手続きの際に一度会っている。
陽介は晶の隣に腰を下ろし、古谷教諭も竹内教諭の横に座る。
「それで、一体何があったんです?」
「それがですね……」
竹内教諭は、ちらと晶に目をやって、話し始める。
放課後、彼は校内を見回っていた。その際に、ゴミ捨て場で争う晶たちを発見したのだという。
放課後の清掃時間も終わり、生徒たちは部活に行ったり下校したりして、その周囲に人気はなかった。目撃したのは、晶に胸倉を掴まれた成瀬里香という生徒と、その側に倒れて手をすりむいていた、二葉雪乃という生徒。
「相手の生徒の主張では、和泉さんが突然殴りかかってきたと言うのですが……」
「ちょっと脅かそうとしただけです。実際には殴ってません。向こうが勝手に転んだだけです」
晶が口を挟む。
「つまり、殴ろうとしたのは事実、ということだね?」
教頭はじろりと晶を一瞥するが、晶はその視線を受け止め、
「先に手を出してきたのは向こうです。わたしは謝りません。謝るなら向こうが先です」
毅然と言い放つ。
教頭はやれやれという風に溜息を吐き、
「相手の成瀬里香の話では、友人たちと遊んでいたところに和泉さんがやってきて殴られ、二葉雪乃が怪我をしたと言うんですよ」
その場には成瀬里香の友人数人も一緒にいて、全員が同じ証言をしているという。
「このように、双方の主張が食い違っていましてね。まあ、二葉雪乃の怪我も大したことありませんし、大事にはしたくないと言っているので、あちらの保護者には連絡していません。大事な時期ですし、内申にも響きますから。だから、和泉さんが相手方の生徒にきちんと謝罪をすれば、この件は不問にする、というのが我々の意志です。
しかし、彼女がこんな態度ですので、保護者の方からも厳しく言っていただきたいと思い、こうしてお呼びした次第です」
「大事にしたくないのは、向こうにもやましいことがあるからでしょう」
晶が吐き捨てるように言うが、黙殺される。
なるほど、呼ばれた経緯はわかった。陽介は表情を変えずに、話を聞いている。
竹内教諭は晶に視線を移し、
「聞いた話だが、君はこれまでも学校で喧嘩をしたことが度々あったとか?」
じっと机の一点を見つめていた晶の肩が、ぴくりと動く。
「ご家庭が色々大変なのはわかります。ですが、保護者の方からもきちんと指導していただかないと。その髪も、校則違反です。そのままでは他の生徒に示しがつかない」
晶の髪は、明るい栗色だった。しかし、これが染めたものでないことは、陽介も承知している。だが、今はそのことは直接関係ないだろう。
つまり、数の多い相手方の生徒の言い分を一方的に受け入れ、一見問題児である晶の言うことには取り合わないということか。
晶は膝の上で握った拳に、じっと視線を注いでいる。
陽介は、静かに口を開いた。
「――わかりました」
晶がちらと顔を上げて陽介を見る。その目には、年齢に似合わない、静かな諦念が浮かんでいた。
「彼女からは、僕がきちんと話を聞いておきます。対応を決めるのは、それからでも遅くはないでしょう」
その答えが予想外だったのか、二人の教師は、やや面食らったような顔をする。晶も翡翠色の目を丸くしていた。
「彼女と暮らしてまだ日が浅いですが、僕は晶さんの判断力や人柄を、信頼に足るものだと思っていますよ」
だから、もし本当に晶が暴力を振るおうとしたのなら、それ相応の理由があるはずだ。暴力そのものは肯定できないにしても。
「ですから、この件は一旦保留にしていただけませんか。もちろん、こちらに非があると判断した場合は、改めて謝罪に伺います」
大人たちはしばし視線を交わし、
「……わかりました。そう仰るのでしたら、和泉さんのことはお任せします。ただし、くれぐれもお早い対応をお願いしますよ」
とりあえず、それでその場は解散となった。
晶と陽介は一礼して生徒指導室を出ようとするが、晶が一度立ち止まって、振り返る。
「古谷先生」
ほとんど口を開かなかった担任教師の名を呼ぶ。
「あの子たちのこと、何も気付かないんですか? それとも、見ないふりをしているんですか?」
挑むような晶の視線を向けられ、古谷教諭の瞳が揺れる。
「大人がそんなだから、あたしたちは……!」
感情のままに言葉を発しかけたようだが、それをぐっと飲み込み、
「……失礼します」
礼をすると踵を返す。
陽介は、慌ててその後を追った。
「いいえ、とんでもないです」
夕方、急いで晶の中学に向かった陽介は、晶の担任教師に出迎えられ、生徒指導室に案内された。
そこには、簡素な机を挟んで、憮然とした表情の晶と、年配の男性教師が待っていた。確か、学年主任の先生だ。
晶の担任は、困ったような曖昧な笑顔を浮かべた若い女性だった。優しそうだが、気が弱そうでもある。名前は、古谷志穂。
学年主任の方は、陽介と同年代くらいの、厳しそうな目つきの男性教師だ。確か、竹内明夫という名だったはずだ。二人とも、晶の転校手続きの際に一度会っている。
陽介は晶の隣に腰を下ろし、古谷教諭も竹内教諭の横に座る。
「それで、一体何があったんです?」
「それがですね……」
竹内教諭は、ちらと晶に目をやって、話し始める。
放課後、彼は校内を見回っていた。その際に、ゴミ捨て場で争う晶たちを発見したのだという。
放課後の清掃時間も終わり、生徒たちは部活に行ったり下校したりして、その周囲に人気はなかった。目撃したのは、晶に胸倉を掴まれた成瀬里香という生徒と、その側に倒れて手をすりむいていた、二葉雪乃という生徒。
「相手の生徒の主張では、和泉さんが突然殴りかかってきたと言うのですが……」
「ちょっと脅かそうとしただけです。実際には殴ってません。向こうが勝手に転んだだけです」
晶が口を挟む。
「つまり、殴ろうとしたのは事実、ということだね?」
教頭はじろりと晶を一瞥するが、晶はその視線を受け止め、
「先に手を出してきたのは向こうです。わたしは謝りません。謝るなら向こうが先です」
毅然と言い放つ。
教頭はやれやれという風に溜息を吐き、
「相手の成瀬里香の話では、友人たちと遊んでいたところに和泉さんがやってきて殴られ、二葉雪乃が怪我をしたと言うんですよ」
その場には成瀬里香の友人数人も一緒にいて、全員が同じ証言をしているという。
「このように、双方の主張が食い違っていましてね。まあ、二葉雪乃の怪我も大したことありませんし、大事にはしたくないと言っているので、あちらの保護者には連絡していません。大事な時期ですし、内申にも響きますから。だから、和泉さんが相手方の生徒にきちんと謝罪をすれば、この件は不問にする、というのが我々の意志です。
しかし、彼女がこんな態度ですので、保護者の方からも厳しく言っていただきたいと思い、こうしてお呼びした次第です」
「大事にしたくないのは、向こうにもやましいことがあるからでしょう」
晶が吐き捨てるように言うが、黙殺される。
なるほど、呼ばれた経緯はわかった。陽介は表情を変えずに、話を聞いている。
竹内教諭は晶に視線を移し、
「聞いた話だが、君はこれまでも学校で喧嘩をしたことが度々あったとか?」
じっと机の一点を見つめていた晶の肩が、ぴくりと動く。
「ご家庭が色々大変なのはわかります。ですが、保護者の方からもきちんと指導していただかないと。その髪も、校則違反です。そのままでは他の生徒に示しがつかない」
晶の髪は、明るい栗色だった。しかし、これが染めたものでないことは、陽介も承知している。だが、今はそのことは直接関係ないだろう。
つまり、数の多い相手方の生徒の言い分を一方的に受け入れ、一見問題児である晶の言うことには取り合わないということか。
晶は膝の上で握った拳に、じっと視線を注いでいる。
陽介は、静かに口を開いた。
「――わかりました」
晶がちらと顔を上げて陽介を見る。その目には、年齢に似合わない、静かな諦念が浮かんでいた。
「彼女からは、僕がきちんと話を聞いておきます。対応を決めるのは、それからでも遅くはないでしょう」
その答えが予想外だったのか、二人の教師は、やや面食らったような顔をする。晶も翡翠色の目を丸くしていた。
「彼女と暮らしてまだ日が浅いですが、僕は晶さんの判断力や人柄を、信頼に足るものだと思っていますよ」
だから、もし本当に晶が暴力を振るおうとしたのなら、それ相応の理由があるはずだ。暴力そのものは肯定できないにしても。
「ですから、この件は一旦保留にしていただけませんか。もちろん、こちらに非があると判断した場合は、改めて謝罪に伺います」
大人たちはしばし視線を交わし、
「……わかりました。そう仰るのでしたら、和泉さんのことはお任せします。ただし、くれぐれもお早い対応をお願いしますよ」
とりあえず、それでその場は解散となった。
晶と陽介は一礼して生徒指導室を出ようとするが、晶が一度立ち止まって、振り返る。
「古谷先生」
ほとんど口を開かなかった担任教師の名を呼ぶ。
「あの子たちのこと、何も気付かないんですか? それとも、見ないふりをしているんですか?」
挑むような晶の視線を向けられ、古谷教諭の瞳が揺れる。
「大人がそんなだから、あたしたちは……!」
感情のままに言葉を発しかけたようだが、それをぐっと飲み込み、
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陽介は、慌ててその後を追った。
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