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冬 一歌

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 【講義室 二人並んで聞く恋歌】

 十一月、大学内は色々と忙しい。なにせ、一大イベントである、学園祭があるからだ。大学全体が浮足立っている感じがする。
 その中で俺は平静を保って、日夜、学生の本分である学業にいそしんでいるのだが……。
「ヒマだな……」
 午後の講義も早々と休講が決まり、行くところもなく、いつもの実験棟のロビーで飲むコーヒーを選んでいた。
「ピロロン……」
 さっき送ったラインの返事だ。コーヒーを飲みながら、俺は高子のラインを確認する。
「行ってみるか……」
 スマホをズボンのポケットにしまって、立ち上がる。高子からのお誘いだった。
 次の講義がどうやら前回聴講生として受けた、立花先生の古典文学の講義らしい。
 俺は先生の楽しい講義が割と気に入っていたのだ。

 前回と同じ、それほど大きくない講義室で高子を見つけ隣に座る。
 立花先生は教壇に上る前に、目ざとく俺を見つけにこやかに笑った。
「お、久しぶりだな聴講生。そうか、やっぱり高子くんの彼氏だったか……」
 勝手に納得してから教壇に上がる。
(勝手に自己完結しないでください、先生)
 俺は一人、心の中で突っ込みを入れた。

「今日の話はちょっと変更して、こっちの話にしよう」
 立花先生は楽し気にパソコンを操作して、前面のスクリーンに百人一首の一句が映し出される。
「今日のテーマは、藤原定家だ」
 そう来たか……俺はここで先生の笑顔の意味をようやく理解した。
  
 【来ぬ人を まつ帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ】

「定家は、百人一首の選者として有名だけど、恋の歌を作らせても超一流だったんだね。特に『恋』や『愛』を直接的な表現を入れずに情熱的な愛情表現をした。これぞ『定家』だね!」
 そう言い切った先生と目が合った。俺も話に引き込まれていく。
「来てはくれない恋人を待つ夕暮れ時、どんな気持ちだったんだろうね。きっと、焼き焦がれるような思いなんだろうね……僕もしてみたいよ。こんな恋がね!」
 うっとりと自己陶酔の世界に入っていきそうだったが、その後、言葉を付け足す。
「でもね、歌になる恋は、実らないものがほとんどなんだよ……」
 俺は立花先生と目が合ってしまうことを恐れ、先生に視線を向けられなかった。

「定家は和歌の家庭教師のようなことをやっていて、高貴な方に和歌の指導をしていたんだ。その中にこの人もいたんだね」
 スクリーンに次の句が映る。

 【玉の緒よ 絶えなば絶えぬ ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする】

「今日のもう一人のテーマ、式子内親王しょくしないしんのうだ」
 俺の知っている一句だった。

「彼女は斎院となった後も一生結婚はしなかったんだ。定家との仲、疑っちゃうよね。二人が恋仲だったて言うのは一説、あくまでも伝承なんだけど、この句を読むと想像しちゃうね。誰をのかって!」
 高子が急に俺の手を握る。驚いて俺は高子を見るが、彼女は前を見つめたままだ。机の下で握られた手を俺はどうしてよいのかしばらく動かせないでいた。

 講義が終わって寡黙だった高子が近くの喫茶店に入ってようやく話し出す。俺は黙って聞き役にまわった。
「ごめんなさい……」
 高子のごめんなさいが何に対してなのか、分からず。俺も曖昧にうなずく。
「どうした?」
「……うん、ちょっと忍のこと思い出しちゃって……」
「忍か……」
 俺は高子の次の言葉を根気よく待った。
「わたし、あの子に悪いことしちゃったんだ……。定くん、忍が留学に行く少し前、夕飯にお餅出したよね?」
「ああ、米切らしちゃったんだろう? あったな」
「あれ、嘘なの……」
 俺にはそれが何だか全く分からなかった。

「平安時代では、好きな女性のところに男性が通っていたの。それで、結婚は三日続けて通うと成立するの。それから、三日目の夜に三日夜餅みかよのもちって言う、お餅を二人で食べることで正式に婚姻が成立したんだ……」
 だから、高子が……俺はその時、ようやく餅の意味を理解した。
「わたし、さだくんを誰にも取られたくなかったんだ……そう、忍にも」
「その事は、忍にも……」
「ええ、何であの時、あんな事言っちゃったんだろう……」

 うつむいた高子からは、もうそれに続く言葉が出ることはなかった。

 【講義室 二人並んで聞く恋歌 通いし思い 神無月の頃】
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