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 あれから数分とも数時間ともとれる時間が流れ、ようやく目を覚ました七海さんとローテーブルに並べたお菓子やらジュースを片手に部屋に置いてある小説や漫画、服や写真なんかについて質問攻めを受けた。
 そうしてひとしきり話し終えたところで満足したのか、家を出ることになった。

 外はすっかり暗くなっている。体感では、現実はもう少しで朝になりそうだ。
 玄関で靴を履きながら、七海さんは「おっじゃましました~」と陽気な声を上げる。

 軽い足取りで家の外に出た七海さんの後に続き、玄関の鍵をかけようとした僕に七海さんは「ちょっとちょっと」と服の袖を摘まんできた。

「鍵、かけなくていいよ。君がいない間、入れなくなるでしょ? 心配しなくてもこの世界に不法侵入する人なんていないんだからさ」
「いや、君がいるじゃないか。いくら夢とは言え、自分の家に好き勝手入られたくはないな」
「え~、友だちじゃん、私たち」
「親しき仲にもなんとやら、だよ」

 ぶーぶーと唇を尖らせる七海さんを無視して、僕は冷徹にガチャリと鍵をかけた。

(君がいない間、か……)

 彼女が何気なく口にした言葉。いや、もしかしたら似たようなことはこれまで幾度となく声に出していた気がする。
 その違和感を、今日までは無視することができた。

 だけど僕はついさっき、目にしてしまった。
 この夢の主が、夢の中で寝ている姿を。

「――ねぇ」

 僕が他者の夢の中に入るとき、大抵の夢はその夢の主が現実で目覚めることで消失し、異物である僕は淡いの世界に戻される。
 あるいは現実での僕が目覚めることで、夢から脱していた。

「もしも~し?」

 そして七海希美の夢の場合、後者の方法で僕はいつも現実で目を覚ましていた。
 たまたま僕が現実で目を覚ますまで彼女も眠り続けていて、たまたま僕が眠りにつく前に彼女も眠っている。
 そんな偶然のサイクルの果てに、現状が成り立っているものだと考えていた。

「ねぇ、ねぇってば、もしも~し」

 だけどもし、僕が現実にいる間も彼女は眠り続けているのだとしたら?

 もし彼女はずっと、この夢で生き続けているのだとしたら?

 僕があの淡いの世界に戻らない理由も、彼女がこの夢の中で眠りについてもなお、夢の世界が維持されている理由も納得がいく。

(でもそんな状況って、あり得るのか?)

 さきほどの瞬間、あのとき七海さんは現実でも夢でも眠っていたことになる。

 そんなの、あり得ないはずだ。
 ……いや、もしあり得るとしたら、それは――。

「ああもう! ねぇってば!」
「――っ」

 強く両肩を揺すられて、僕はようやく七海さんに呼ばれていたことに気付いた。
 どうやら僕は鍵を差したまま、思考の海に没頭してしまっていたらしい。

「ご、ごめん。それでなに?」

 頭の中でグルグルと回り続ける考えを一度端に避けて、僕の疑念を悟られないように努めて明るく聞き返す。
 そんな僕の顔を、七海さんは不服そうにジッと睨んできた。

「前にも言ったでしょ。君って自分で思っているよりもずっと、考えていることが顔に出るんだよ」
「え?」
「さっきも、部屋にいるときも君はずっと心ここにあらずだった。せっかくのお部屋パーティーなのに。そりゃあ私だってさ、寝ちゃったよ? だからってそんなに怒んなくてもいいじゃない」

 鋭いのか鈍感なのか。
 ともかくいい方向に勘違いしてくれているのなら利用しない手はない。

 僕は深くため息を零す。

「わかっているのなら、僕の態度を追求する前にすることがあると思うけど?」
「……ごめんなさい」

 途端にしおらしくなる七海さん。
 誤魔化すためとはいえ、悪いことをしてしまったなと罪悪感が膨らんでいく。
 だが、そんなのは僕の取り越し苦労だった。

 彼女はすぐにいつもの笑顔を浮かべると、視線を庭先へ向けた。

「ねねっ、この間乗り物に乗って移動しないかって言ってたじゃない?」

 持ち前の切り替えの良さでころっと明るくなった彼女は、庭先に止めてある僕のクロスバイクを指さした。

「あれに乗って移動しようよ! ほら、私がサドルに座って比呂が立ちこぎする感じで」
「……七海さん、前に夢の中でも法律違反はよくないって言っていたじゃないか」

 その割には嬉々としてコンビニから商品を持ち帰ったりしているのだから、彼女の線引きがよくわからない。
 そもそも本当に心から思っていることなのかさえも怪しいのだ。

「それに、自転車を足にするなら、もう一台生み出すかどこかの自転車ショップで見繕えばいいよ」
「じゃあそうしよ~」
「……君はなんというか、反射で物事を考えるよね」

 先ほどとは違って演技ではないため息を吐くが、七海さんはきょとんとしていた。

「そういえばそろそろだと思うけど、まだ眠くはない?」
「……うん」
「じゃあさ、もう少し歩こうよ」

 僕の返答を待たずに、彼女は門を鳴らして道路に出た。
 慌ててその後を追いかける。

 この辺りは近所だから、一層見慣れた景色が広がっている。
 こうしてぶらぶらと歩いていると、異常なぐらい静かなことを除けば、本当にここは現実なんじゃないかと錯覚してしまう。

「そうだ。七海さんはどの辺りに住んでるの?」

 ゆっくりと歩きながら、ふとわき出た疑問をぶつける。
 すると七海さんは「えぇ~」とどこか小悪魔的な笑みで僕を覗き込んできた。

「なになに、私に興味が出てきたの? きゃ~、えっち~」
「ただの思いつき、流れってやつだよ。僕の家の場所を教えたんだから知りたくなるのもおかしくないでしょ」
「え~そんな理由~? じゃあ教えてあげな~い」

 くるくるとその場で回りながら、七海さんはおどけて誤魔化す。

「不公平だ」
「女の子の家を興味本位で特定しようとするなんていけないんだよ、不法侵入者さん」
「……もういいよ」

 パチッとウィンクをされて悪戯っぽく言われては、もうそれ以上何も言えない。
 他人の夢の中に勝手に入るということにある程度の罪悪感があることを、どうやら彼女には見抜かれてしまっているらしい。

 ドッと疲れが押し寄せてくるのに合わせて、睡魔も襲ってきた。
 僕が目を瞬くと、七海さんが気遣わしげに覗き込んでくる。

「そろそろ?」
「……うん」
「あ、ちょっと。道路に寝そべろうとしないで。ほら、あそこにバス停のベンチがあるじゃん」
「え~……」

 現実での睡魔はある程度抗えるかもしれないけど、夢の中での睡魔は抗いようがない。
 気を失う、という表現が近い。
 そんな中で少しでも何か行動するというのが億劫だ。

 だが、道路で寝るなという至極まっとうな彼女の言葉に負け、ベンチまでふらふらと進む。
 そうして横になると、その隣に七海さんがそっと座った。

 掠れていく意識と視界。
 いつもよりなんだか優しい声で、七海さんが話す。

「じゃあ、明日は一緒にサイクリングしようね」
「……うん、明日」

 その言葉を最後に、いよいよ夢と現実が裏返る。
 完全に意識を失う間際、七海さんの表情がとても寂しげに見えた。


 ◆ ◆ ◆


 目を覚ますと、近くの電線に止まっている鳥の鳴き声が聞こえてきた。
 土曜日の朝。いつもより随分と遅い時間だ。
 ベッドで上体を起こし、なんとなく部屋を見回す。

 夢の中よりも随分と散らかった室内。いつもなら全く気にしないのに、今はとても煩わしく感じられた。

「……片付けようかな」

 今日は休みで予定もいつものようになし。
 適当に朝食を済ませてから、早速掃除に取りかかる。

 カーテンと窓を開け、空気を入れ換える。
 プリントを必要なものと不要なものとで分けて、ファイルに収納。本は本棚へ、教科書やノートは勉強机の上へ。掃除機をかけて、消臭スプレーを部屋全体に吹きかける。

 いざ取りかかると、思いの外すぐに片付いてしまった。
 綺麗になった部屋を見ていると、すぐにでもここに七海さんが現れそうな錯覚に襲われる。

『――明日は一緒にサイクリングしようね』

 ふと、彼女との約束が脳裏をよぎる。
 明日、つまり今日の夜。あれだけ通学以外でクロスバイクに乗ることに抵抗感があったのに、僕は素直に肯定してしまった。
 それはたぶん、あの世界が夢だからだろう。

 そうだ、あの世界も夢なんだ。これまで見てきた多くの世界と同じように。

「――夢、か」

 ベッドに腰を下ろす。
 思い出すのは、このベッドで無防備に寝ていた七海さんの姿。
 彼女は、夢でも現実でも眠り続けているという奇妙な状態にあった。
 そんなことを可能にする状態を、僕は一つしか思いつかない。

「昏睡、なんて。……僕の考えすぎなのかな」

 現実での彼女に深く立ち入る気はない。
 なのに、その可能性に思い至ってからは胸がざわついている。

 僕の考えが杞憂なのだと、確かめたくもなった。
 だから現実での彼女の家の場所を訊ねてしまったけど、答えは濁されて、結局何の手がかりもない。

「そもそも知ってどうするんだ。……どうしたいんだ」

 口に出して自問する。その答えを僕はまだ持ち合わせていない。
 朝から掃除をした疲労からか、僕はそのままベッドに倒れ伏す。
 開かれた窓から吹き込んでくる風と陽光が眠りにつこうとする僕を遮る。

 忌々しげに顔を顰めながら、なんとなく、クロスバイクのタイヤに空気を入れることを思いついて起き上がった。
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