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「……あ」

 二年二組の教室の入り口。意表を突かれたような声に顔を上げれば、その先に見知った人物が立っていた。
 髪を控えめな茶色に染めた、背の高い男子生徒。

 ――越智おち広大こうだい

 小学校でできた一番古い友人で、中二の夏頃までは休日によくつるんでいた。
 それからはクラスがずっと別だったり、色々あって挨拶を交わすことすらなくなった。

 かつては親友と呼べるような間柄。今は、旧友という表現が似つかわしい。

 正直、気まずい相手だ。
 仲違いをしたわけではないけど、僕の方から一方的に関係を打ち切ったと言える。
 そんな相手にどういう顔で接するべきなのか、僕はその答えを持ち合わせていない。

 それは広大も同じなのか、戸惑いながらも一緒に連れ立っていた男子たちに断りつつ、僕に声を掛けてくる。

「よ、よぉ。比呂も二組なんだな。俺たちが同じクラスになるの、中二以来だよな?」
「……うん。よろしく」

 軽く挨拶をして、僕はそそくさと教室へ入る。
 後ろから「お、おい」と戸惑う広大の声と、「なんだ、あいつ。かんじわりー」と聞こえるような声量で不平を鳴らしている。

 黒板に指示されていた自席へ座り、僕はまた突っ伏す。

(……最悪だ)

 鬱々とした面持ちで、ぐりぐりと両腕に額を押しつける。

 別のクラスでいる間は、何も考えないでいられた。
 だけど同じクラスになった以上は、クラスメートとして否が応でも会話する機会があるだろう。
 教室で顔を合わせるたびに、奇妙な罪悪感のようなものを覚えて過ごすことを余儀なくされる。

 ……夢を、見たい。あの淡いの世界に逃げ込みたい。

 僕の願いに反して一向に眠気は訪れず、安息の地は遠のいていく。
 そんな中、広大たちが教室へ入ってくる気配を感じた。

 方々で色んな会話が繰り広げられる、新学期独特の雑踏。
 にも関わらず、広大たちの声だけはいやに鮮明に鼓膜を揺らした。

「こうちゃんってあの根暗と知り合いだったんだな」
「根暗って、比呂のことか?」
「他に誰がいるんだよ。あいつ、学校だと授業中以外ずっとああして机に突っ伏してんだぜ。誰かと話しているところなんか見たことねえよ」
「……比呂にも色々あったんだ。あんまり悪く言わないでくれ」
「わ、わりぃ。友だちだったんだな」

 その問いに、広大は一瞬の間を置いていた。
 答えに窮している、そんな反応だ。

「昔、よく一緒に自転車で色んな場所を回っていたんだ。……それだけだよ」

 広大は、「そうだ」とは言わなかった。
 友だちなのかという問いに、否定も肯定もできない関係値。
 それが、今の僕と広大の距離感だった。



 この日は始業式を終えるとクラスでロングホームルームが始まった。
 それぞれが自己紹介を行い、次いで二年生としての自覚を促す担任の先生のありがたいお説教が始まり、最後に配布物が配られる。
 それらが滞りなく行われると、この日は解散になる。

 前列の生徒が暫定的に日直に指名され、「起立、礼」の号令が響く。
 そうしてこの日の行程を終え、教室から解放されていく。

 ある者は部活に、ある者は教室内で友人と駄弁る。
 そんな中、僕はそそくさと教室を後にする。

 部活に入っていない僕は、学校が終わるとすぐに家へ帰る。
 高校二年生初日といえどそれは変わらない。いつもと違うのは、校内の購買で昼食を買えないということ。

 通学路沿いにあるコンビニによって、適当におにぎりを買う。
 家に帰ってそれを一人で食べてから、僕は自室で本を読むことにした。

 眠気がない時、僕は大抵本を読んで過ごしている。というよりも、それ以外にすることがない。
 昔、趣味で乗っていたクロスバイクも、今はもう通学以外に乗らなくなった。
 現実への興味が消え失せてから、世界は色を失ったみたいに空虚で退屈で、だからクロスバイクで走り回ることに意義を見いだせなくなったんだ。

 ふと、手元が薄暗くなったことに気付いて顔を上げると、外はすっかり薄暗くなっていた。

「……広大」

 ぼんやりと外を眺めながら、今日三年ぶりに話をした旧友の名を口にする。

 僕の持っているクロスバイクは、中学への進学祝いに父さんに買って貰ったものだ。
 広大も似たような経緯で同種のクロスバイクを手に入れた。
 ……もちろん、二人で乗るために。

 以来、中学二年生の夏までのおよそ一年間、僕たちは休日になると色々なところに足を運んだ。
 夜景の綺麗な場所、海の見える場所、川の近く、山の麓。
 遠出をするときは広大の父親の車にクロスバイクもろとも乗せてもらって。
 そうして一緒に様々な景色を見てきた。

 ……父さんが亡くなってから、僕はクロスバイクに乗らなくなった。
 広大とも自然と距離ができて、クラスが別れてからは交流もなくなった。

 意図的に、避けてもいた。
 一方的に関係を打ち切った後ろめたさもあったし、何より、現実と関わりたくなかったから。

 不意に、ぶるりとポケットの中が震えた。
 スマホを取り出すと、母さんからメッセージが届いている。

『ごめん、今日も遅くなるから戸棚から適当に食べておいて』

 母さんの帰りが遅くなることには慣れている。
 言われたとおり、戸棚に入っていた袋麺を食べて、シャワーを浴びる。
 そして、ようやく眠気が襲ってきて、僕はベッドに横になった。

 今日はどっと疲れた。色んなことが起きた。
 僕と夢の中で意思疎通できる女の子に出会って、その子の夢に連続で入って、現実では三年ぶりに旧友と話した。
 今夜の夢の中では、ゆっくりしたい。

 そんな僕の願いは、元気な女の子の声で裏切られるのだった。
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