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「――っ」

 目を覚ますと、そこは淡いの世界ではなかった。
 目の前には、燦々と咲き誇るひまわり。見渡すと、僕を取り囲むように円形に整えられている花壇。
 つい先ほど、通学の道すがらに立ち寄った場所。そして、今朝の夢が終わった場所だ。

(どうして、またここに……?)

 僕は眠ると、必ず淡いの世界で目を覚ます。
 そうして星として空に輝く多くの夢の中から、その日飛び込む世界を決めるのだ。
 この法則が崩れたことは今まで一度たりともなかった。

 狐につままれた気分でいると、また、あの声が背後から聞こえてきた。

「あ~っ、また来た!」

 振り返ると、そこには予想通りの人物が立っている。
 今朝会った時と同じ白のワンピースに、長い黒髪。
 幼さと綺麗さを兼ね備えた相貌は、不満げにむくれている。

 彼女はつかつかと僕へ距離を詰めてくると、鈴の音のような声を甲高く響かせながら叫んだ。

「急に現れたと思ったらいなくなって! 君、私が質問したらいなくなるんだもん」
「……君は、何者なの?」
「それ、私のせ~、り~、ふっ! 私が最初に君に訊いたんだよ。誰? ……って」

 そう言いながら、彼女は形のいい眉を寄せて小首をこてんと傾げてみせる。

 この短時間のやり取りの間、彼女の身振り手振りはどれも大袈裟で、その一挙手一投足に全力を注いでいるという感じがする。

 そしてどうやら、彼女は僕が見ている幻ではなくて、実在するらしい。
 彼女からふわりと漂う甘い香りも、微かな息遣いも、どれをとっても現実感がある。

 それこそが、淡いの世界で見る夢の特徴。
 夢の主が見るものは現実と寸分の違いも無く再現される。

(受け入れるしかない。僕は今、彼女の夢の中にいる。どういうわけか僕のことを認識できていて、これもまたどういうわけか同じ人の夢に連続で入っていることを)

 二度目とはいえ、衝撃が弱まっているわけではない。
 傍観者として世界を眺めていられるこの場所は、僕にとっての聖域だった。
 それが揺らいでいる現状から目を逸らしたら、いけないような気がする。

「……僕は、日比谷ひびや比呂ひろ。端的に言うと、他人の夢の中に入ることのできる力を持っているんだ」
「他人の夢の中に入る、力……?」

 目を丸くして「何を言ってるんだろうこの人」みたいな反応を見せる彼女に、僕はさらに細かく事情を説明する。
「ほ~ん」「う~ん」「はえ~」と、多種多様な声を上げながら、最後に彼女はこめかみに指を当てて「なるほどなるほど」と思案しだした。

「つまり君は、いつものように他人の夢に入る要領で私の夢に入ってきたってこと?」
「そういうことになるかな」
「信じられないなぁ、そんなこと」
「そう言われても、今話したことがすべてだよ。信じてもらうしかない」

 強く言い切ると、彼女はじぃーっと僕の目を見つめ始めた。
 綺麗な瞳が僕を射貫く。まるで心の奥底を見透かされているような錯覚を覚えていると、彼女は力強く頷いた。

「うん、信じるよ、君の話」
「それはありがたいけど、どうしてまた急に?」
「なんというか、君、少し私に似ている気がするの」
「君に?」

 困惑すると、彼女は薄く微笑んだ。

「現実をどこか他人事みたいに思っているところ」
「――――」

 心臓がキュッと締め付けられた。
 出会って間もない彼女に、そう断じられたのが恥ずかしいし、何よりそれを否定できない自分に気付いて言葉に詰まる。

 なんとか絞り出した言葉は、話題を自分から逸らすためのものだった。

「……君も、そうだって言うのか?」
「そうかも。そうかな?」
「どっちなんだ……」

 呆れ混じりに苦笑すると、彼女はあははと愉快そうに笑う。

「自分のことをきちんとわかっている人の方が少ないんじゃない?」
「なんだかはぐらかされたような気もするけど……それで? 君は一体何者なの?」
「おっと、まだ名前言ってなかったね。私は七海ななみ希美のぞみ。よろしくね」

 溌剌とした笑顔を浮かべて手を差し出してくる。
 僕はその手をそっと握り返した。

 細くて柔らかい、女の子の手だ。
 こうして握手を交わしたことで、彼女の存在をより確かに感じられる。

「日比谷比呂君、だっけ。君、今何歳なの? 見たところ私より年上みたいだけど」
「今年で十七、高校二年生だよ」
「えぇ?! 君の方が年下なんだ」

 やっぱり大袈裟に仰け反って、彼女は驚きを全身で表現する。
 とはいえ、驚いたのは僕も同じだ。

「君は何歳なの?」
「私は……ええと、十六、十七……今年で十九歳、かな?」
「なんで疑問系……ていうか、十九歳?」

 ということは、今年大学生ってことになる。
 面と向かって言えないけど、彼女の容姿はやはりどこかあどけなさの抜けきらない、ともすれば僕よりも年下に見える。
 とても、年上の女性には見えない。

「あ~、私のこと、子どもっぽいって思ってるでしょ?」
「……思ってない、よ」

 顔を逸らしながら固くなった声音で応じる。
 どうして彼女は僕の考えていることがわかるんだろう。

「とーにーかーく! 私の方がお姉さんなんだから、敬うように! あーでも、特別に私のことは呼び捨てでいいから。敬語も大丈夫。ね、比呂」
「凄いな、距離の詰め方が……」

 気圧されつつ、僕はそれでも彼女を正面から見据える。
 ずっと気になっている疑問に、彼女は――七海希美は答えていない。

「夢に入った僕のことを認識できたのは、七海さんが初めてなんだ。それ以外の人は、ただそのとき見ている夢の中のキャラクターを演じているだけ。……君は、どうして僕のことが見えるの?」

 真剣に訊ねると、彼女は「苗字……しかもさん付けかぁ~」などと不満そうにしている。
 そうしてからくるりとその場で一回りすると、「う~ん」と顎に指を添えて空を見上げた。

「比呂風に言うなら、私にもそういう力があるってことになるのかな? こそ泥さんに気付ける力が」
「こそ泥って僕のこと?」
「それとも不法侵入者さんって言って欲しい?」

 悪戯っぽく、七海さんはくすくすと笑う。

 否定できなくて微妙な表情を浮かべていると、彼女はより一層笑みを深くする。
 かと思えば、突然大人っぽくてどこか儚げな色をその笑みに宿す。

「……たぶん、ここが夢じゃないから……かな」

 この瞬間に風が吹いたなら、きっと吹き飛ばされて消えてしまうほどに小さな呟きだった。

「それって、どういう――、っ」

 追求しようとしたそのとき、急に眠気が襲ってきた。意識がぶれて、ふらりと体勢が崩れそうになる。

「だ、大丈夫?! どうかした?」
「もうすぐホームルームが始まるんだと思う。今、教室で眠っているから、予鈴とかそういうので体が起きようとしてるみたいだ。七海さんもそうなんじゃないのか? ……って、君は大学生だったか」

 見た目と年齢が上手く結びつかない。どうしても彼女のことを同年代か、もしくは年下のように扱ってしまう。
 大学生なら一限目がなくてゆっくり寝てるとか、そういうところだろうか。

 大学生活なんて聞きかじった知識ぐらいしかない単なる想像だったけど、存外的外れでもなかったらしい。
 七海さんは小さく頷いた。

「あ~、うん、そうだね。……そっかぁ、でも起きちゃうのか~。ね、また来てね」
「約束はできないかな。夢っていうのは断続的なものだから、次の日になるとまた違う夢を見ている。そうなると、無数の夢の中から君がいる夢を選ぶのは難しい。今、連続で入れたことだって初めてなんだよ」

 そう考えると、彼女の夢はイレギュラーだらけだ。
 最初は話半分に聞いていたけど、もしかしたら本当に彼女にはそういう力があるのかもしれない。
 いよいよ意識が明滅し始めて、現実と夢が変わろうとしている。

 その間際、ぼやける視界の先で七海さんは言った。

「なら大丈夫。きっと比呂はまた、私の夢で目覚めてくれるよ。だから、約束ね」

 それは、不思議なほどに自信に満ちた言葉だった。
 その自信がどこから来ているのか気にはなったけど、それを訊ねる時間は残っていなかった。

 そして、世界が裏返る。

 体の奥にずっしりとのし掛かるような本鈴のチャイムが学校全体に響き渡っていた。
 顔を起こすのとほとんど同じタイミングで、教室の前の扉から一年の時の担任が入ってくる。

 簡単な挨拶と共に、二年生のクラスが順々に発表される中、僕はぼんやりと夢の中でのことを振り返っていた。
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