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「うひゃ~、きっもちぃ~」
市内を南北に縦断する幹線道路の真ん中でクロスバイクを軽快に走らせながら、七海さんが大きな声を上げる。
「君が自転車に乗るのが好きだった理由がわかるよ。楽しいね、サイクリング!」
その斜め後ろを追走する僕の方を軽く振り返りながら、彼女は満面の笑顔を咲かせる。
「これってサイクリングとは少し違うと思うけど」
現実では車が常時行き交っている道路だ。
その真ん中を走るなんてことは到底できない。
昨日、初めてのサイクリングに出てから彼女はすっかり自転車、もといクロスバイクにはまってしまった。
移動のための足を探していたのに、いつの間にか移動自体が目的になっている。
手段と目的が逆転していた。
この日も一頻り走り続け、彼女が満足したタイミングで近くのコンビニの前に止める。
クロスバイクを降りた七海さんはその場で「んぅ~」と猫みたいに大きく伸びをした。
「本当、クロスバイク? っていいものだね~。軽いしちょっとの力でグィ~ンって動くし、もっと早くに乗っていればよかったよ」
「七海さんは普通の自転車しか乗ったことがないの?」
「うん。中学も高校も徒歩通学だったし、前にも話したけど基本インドアだったからさぁ。自転車に乗ること自体少なかったなぁ~」
「そっか」
「……あ! そうやって探りを入れて私の家の場所を特定しようとしてるでしょ! 変態!」
胸を抱き寄せるようにして罵倒してくる彼女を半眼で睨む。
「僕はもう二度と口を開かないよ」
「うそうそ、冗談だって!」
あははと笑いながらコンビニの店内に入り、炭酸飲料を二本両手に戻ってくる。
手慣れたものだ。
ん、と差し出された一本を受け取ってキャップを開けると、プシュッと爽快な音が鳴った。
七海さんもキャップを開けてごくごくと、CMさながらの飲みっぷりを披露。半分ほど飲んだところでぷはぁと息を吐き出す。
……こういう姿を見ていると、僕の想像が単なる妄想のように感じられてしまう。
少なくとも僕の目に映る彼女はいつも元気で、何事にも前向きで、挑戦的で、自分勝手で、どうしようもないほどにこの世界を生きている。
だから、安心したい。
僕の考えが間違っているのだと、証明したい。
ごくりと乾く喉。それを今貰った炭酸飲料で潤してから、口を開いた。
「そんなにクロスバイクが気に入ったなら、現実でも買って乗ればいいよ。ここでのサイクリングみたいに道路を我が物顔で走るわけにはいかないけど、ここよりもずっと広い世界があるんだから」
なんなら、一緒に――という言葉は、喉の奥で突っかかった。
僕はまだ、現実で移動手段以外でクロスバイクに乗ることに抵抗感がある。
あの灰色の世界を走っても、楽しいと思えそうになかった。
――果たして。七海さんは僕の言葉にいつも湛えている微笑を消して、しかしすぐに取り繕うような笑顔を張り付けて。
「……うん、そうだね」
どこか沈んだ声音でそう応えた。
それから僕は彼女にどう返したのか覚えていない。
ただ、右手に持つペットボトルを強く握った感覚だけは残っていた。
◆ ◆ ◆
週末にゴールデンウィークを控えた月曜日。この日は月に一度の全校集会が朝から行われていた。
全校生徒が体育館に一堂に会するものだから、その雑踏は普段の授業の比ではない。
女性の先生の必死の声が響き渡る中、それでも静まらない生徒たちに、いよいよ強面の体育教師の一喝で館内は嘘のように静寂に包まれる。
それから数分の間、体育教師の説教が執り行われる。キーワードは「高校生」「自主性」「もう大人」の三つ。
そうしてようやく校長先生の話が始まり、次いで生徒会長。部活動などの表彰が行われ、最後に生徒指導の先生が出てくる。
この時間になってくると引き締まっていた空気がまた緩み始め、入れ替わりのタイミングでざわつき始める。
が、生徒指導の先生がマイクを握ってからしばらくの間無言で佇み続け、先ほどとは違う雰囲気で静かになっていく。
そんな生徒たちを睥睨するように、生徒指導の先生が話を始めた。
話題は当然、週末に控えるゴールデンウィークについて。
どの学校でも長期休暇の前には生徒たちに犯罪への注意喚起やインターネットでのトラブル、海や川での事故などへの警戒などが呼びかけられる。
しかし、ここ夢実高校では、それらよりも群を抜いて交通事故への警戒が喚起される。
他でもないこの高校の生徒が以前、交通事故に巻き込まれたからだ。
「え~いつも話していることですが、皆さん、くれぐれも車の往来には気をつけるように。特にゴールデンウィークの間は帰省等で交通量が――」
先生の話題がそこへ入った途端、生徒たちの間で「またこの話か」という空気が流れ始める。
僕もそれを、他人事のように聞いていた。……いつもなら。
だけど今日は、なぜか先生の話に真剣に耳を傾けていた。
「今からもう三年前の夏休み。我が校の生徒が早朝、居眠り運転をした車に轢かれました。自分が気をつけていても、ルールを守っていても、そうした事故が起きないとは限らないのです」
「事故にあった生徒さんは、今はずっと眠り続けています。夏休み前は元気に学校に来ていたのにもかかわらず、です。皆さんもどうか、事故に巻き込まれないよう重々注意して過ごしてください」
先生の言葉に、「今気をつけてもしょうがないって話してたのにな」と茶化すひそひそ声が近くから聞こえてくる。
そしてどうやらその声の主が体育教師に見つかって体育館から引っ張り出されていた。
そうした周囲の喧噪が、どこか遠くのことのように感じられる。
僕の意識は今の話に向けられていて、何故だか身が固くなっていた。
それは、七海さんが夢の中で寝ている姿を見たときと同じ感覚。
(……いや、本当はもうわかっている)
なぜ僕が今回に限って先生の話に引き込まれているのか。
そしてなぜその理由がわからないでいようとしているのか。
七海さんの時と同じ。自分の中によぎった予感ともとれる想像が正しかったときのことを考えて、頭がそれを認めることを拒否している。
喉がカラカラに乾く。長距離を走った後のような倦怠感が全身に襲ってきた。
市内を南北に縦断する幹線道路の真ん中でクロスバイクを軽快に走らせながら、七海さんが大きな声を上げる。
「君が自転車に乗るのが好きだった理由がわかるよ。楽しいね、サイクリング!」
その斜め後ろを追走する僕の方を軽く振り返りながら、彼女は満面の笑顔を咲かせる。
「これってサイクリングとは少し違うと思うけど」
現実では車が常時行き交っている道路だ。
その真ん中を走るなんてことは到底できない。
昨日、初めてのサイクリングに出てから彼女はすっかり自転車、もといクロスバイクにはまってしまった。
移動のための足を探していたのに、いつの間にか移動自体が目的になっている。
手段と目的が逆転していた。
この日も一頻り走り続け、彼女が満足したタイミングで近くのコンビニの前に止める。
クロスバイクを降りた七海さんはその場で「んぅ~」と猫みたいに大きく伸びをした。
「本当、クロスバイク? っていいものだね~。軽いしちょっとの力でグィ~ンって動くし、もっと早くに乗っていればよかったよ」
「七海さんは普通の自転車しか乗ったことがないの?」
「うん。中学も高校も徒歩通学だったし、前にも話したけど基本インドアだったからさぁ。自転車に乗ること自体少なかったなぁ~」
「そっか」
「……あ! そうやって探りを入れて私の家の場所を特定しようとしてるでしょ! 変態!」
胸を抱き寄せるようにして罵倒してくる彼女を半眼で睨む。
「僕はもう二度と口を開かないよ」
「うそうそ、冗談だって!」
あははと笑いながらコンビニの店内に入り、炭酸飲料を二本両手に戻ってくる。
手慣れたものだ。
ん、と差し出された一本を受け取ってキャップを開けると、プシュッと爽快な音が鳴った。
七海さんもキャップを開けてごくごくと、CMさながらの飲みっぷりを披露。半分ほど飲んだところでぷはぁと息を吐き出す。
……こういう姿を見ていると、僕の想像が単なる妄想のように感じられてしまう。
少なくとも僕の目に映る彼女はいつも元気で、何事にも前向きで、挑戦的で、自分勝手で、どうしようもないほどにこの世界を生きている。
だから、安心したい。
僕の考えが間違っているのだと、証明したい。
ごくりと乾く喉。それを今貰った炭酸飲料で潤してから、口を開いた。
「そんなにクロスバイクが気に入ったなら、現実でも買って乗ればいいよ。ここでのサイクリングみたいに道路を我が物顔で走るわけにはいかないけど、ここよりもずっと広い世界があるんだから」
なんなら、一緒に――という言葉は、喉の奥で突っかかった。
僕はまだ、現実で移動手段以外でクロスバイクに乗ることに抵抗感がある。
あの灰色の世界を走っても、楽しいと思えそうになかった。
――果たして。七海さんは僕の言葉にいつも湛えている微笑を消して、しかしすぐに取り繕うような笑顔を張り付けて。
「……うん、そうだね」
どこか沈んだ声音でそう応えた。
それから僕は彼女にどう返したのか覚えていない。
ただ、右手に持つペットボトルを強く握った感覚だけは残っていた。
◆ ◆ ◆
週末にゴールデンウィークを控えた月曜日。この日は月に一度の全校集会が朝から行われていた。
全校生徒が体育館に一堂に会するものだから、その雑踏は普段の授業の比ではない。
女性の先生の必死の声が響き渡る中、それでも静まらない生徒たちに、いよいよ強面の体育教師の一喝で館内は嘘のように静寂に包まれる。
それから数分の間、体育教師の説教が執り行われる。キーワードは「高校生」「自主性」「もう大人」の三つ。
そうしてようやく校長先生の話が始まり、次いで生徒会長。部活動などの表彰が行われ、最後に生徒指導の先生が出てくる。
この時間になってくると引き締まっていた空気がまた緩み始め、入れ替わりのタイミングでざわつき始める。
が、生徒指導の先生がマイクを握ってからしばらくの間無言で佇み続け、先ほどとは違う雰囲気で静かになっていく。
そんな生徒たちを睥睨するように、生徒指導の先生が話を始めた。
話題は当然、週末に控えるゴールデンウィークについて。
どの学校でも長期休暇の前には生徒たちに犯罪への注意喚起やインターネットでのトラブル、海や川での事故などへの警戒などが呼びかけられる。
しかし、ここ夢実高校では、それらよりも群を抜いて交通事故への警戒が喚起される。
他でもないこの高校の生徒が以前、交通事故に巻き込まれたからだ。
「え~いつも話していることですが、皆さん、くれぐれも車の往来には気をつけるように。特にゴールデンウィークの間は帰省等で交通量が――」
先生の話題がそこへ入った途端、生徒たちの間で「またこの話か」という空気が流れ始める。
僕もそれを、他人事のように聞いていた。……いつもなら。
だけど今日は、なぜか先生の話に真剣に耳を傾けていた。
「今からもう三年前の夏休み。我が校の生徒が早朝、居眠り運転をした車に轢かれました。自分が気をつけていても、ルールを守っていても、そうした事故が起きないとは限らないのです」
「事故にあった生徒さんは、今はずっと眠り続けています。夏休み前は元気に学校に来ていたのにもかかわらず、です。皆さんもどうか、事故に巻き込まれないよう重々注意して過ごしてください」
先生の言葉に、「今気をつけてもしょうがないって話してたのにな」と茶化すひそひそ声が近くから聞こえてくる。
そしてどうやらその声の主が体育教師に見つかって体育館から引っ張り出されていた。
そうした周囲の喧噪が、どこか遠くのことのように感じられる。
僕の意識は今の話に向けられていて、何故だか身が固くなっていた。
それは、七海さんが夢の中で寝ている姿を見たときと同じ感覚。
(……いや、本当はもうわかっている)
なぜ僕が今回に限って先生の話に引き込まれているのか。
そしてなぜその理由がわからないでいようとしているのか。
七海さんの時と同じ。自分の中によぎった予感ともとれる想像が正しかったときのことを考えて、頭がそれを認めることを拒否している。
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