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甘言

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 契約書に署名さえしておけば、ミリアが廃妃されることはない。娘がどこまでも愚鈍な人間であると理解した上で、王宮に留めさせたのだ。
 王宮の人々は、ミリアの振る舞いに辟易しながらも世話をしていた。しかしそれも、やがて限界が訪れる。
 ミリアになら何をしても許される。そんな軽率な考えが生まれ、実行に移してしまったのがサディアスだった。

(今にして思えば、あの者は公爵の息のかかった人間だったのかもしれない……)

 サディアスは他国に書状を送る恩賞として、侍従たちにミリアの装飾品を与えた。
 だが、初めは褒美など渡すつもりなどなかった。そんなサディアスに、侍従の一人が提案したのだ。




『殿下。人は誉れや忠義だけで動ける生き物ではございません。何らかの見返りを必要とします』
『見返り……? 金でも渡せとでも言うのか』
『どのように解釈なさるかは、殿下にお任せいたします。ですが、そうですね……それでは、少々品がないかと思われます』
『何だと?』
『私でしたら……装飾品にします。それも価値の高い女性用を』
『装飾品か……』

 考え込むサディアスに、笑みを深くした侍従が言葉を続ける。

『見目がよく、そのまま伴侶や婚約者への贈り物にしてもよし、換金してもよしですからね』
『しかし、私にどうやって用意しろと言うのだ?』

 ミリアへのプレゼントという名目で購入しても、ミリアが身に着けていなかったら怪しまれるだろう。
 それにこの時のサディアスは、謹慎中の身だった。自由に街を出歩くことはおろか、私用で王宮を出ることすら許されていなかった。

『まさかお前が調達して来てくれるのか?』
『殿下のお力になりたいのはやまやまですが、私もなにぶん立て込んでおりまして』
『それは私に対する嫌みのつもりか』
『……ご気分を害されたのなら失礼しました。それよりも、もっと確実な方法がございます』

 侍従はサディアスに顔を近付けながら声を潜めた。

『ミリア様にお願いすればいいのですよ』
『ミリアに……?』
『事情をお話して、何点か譲っていただくのです。ミリア様がお持ちの装飾品は、どれも一級品でございますからね。報酬としては申し分ないかと』
『いや……書状を送る程度で、それはやり過ぎじゃないのか?』

 装飾品と言っても、庶民がギリギリ買えるような安価なものを想定していたサディアスは、侍従に懐疑的な眼差しを向ける。
 だが彼は「だからこそです」と、自らの考えを述べた。

『気前のよい主だと、より一層殿下に忠誠を誓うようになると思いますよ。どんな命令にも従う優秀な駒を手に入れることが出来るのなら、安いものでしょう。いえ、元はミリア様の物ですから、実質タダでございます』
『…………』
『これはあくまで一つの考えです。どうかじっくりご検討してみてくださいね』

 侍従はにっこりと微笑み、「では失礼します」と部屋を後にした。
 この時、サディアスの中では検討の段階を終えていた。
 優秀な駒。タダ。それらの甘い言葉が、若き王太子から判断力を奪い取った。

 そして、現在に至る。

 サディアスを唆した男は、いつの間にか姿を消していた。
 辞職したのか、逮捕されたのか。それすらも分からない。
 彼が公爵の配下だとは思いたくなかった。数年来の友人だった。杯を交わしたことはなかったが、誠実な男で頭の切れる男だった。
 だからこそ、サディアスも彼の言葉を信用しきってしまった。

(ひょっとすると、初めから私を陥れるつもりで……いや、そんなはずはない!)

 しかし、どうしても疑念が拭い切れない。

 ミリアは今まで王宮の人間を振り回してきた。
 妃教育もろくに受けようとしなかったが、「国王や王太子が彼女を放任していたせい」という声が多かった。
 レディーナ王国の件も同様だ。妻のエスコートを放棄して、会場の外に出ていたサディアスに責任があると指摘する者が少なからずいた。

『ミリア妃が問題のある人物なのは、王太子が一番よくご理解されていたはずです。なのに目を離すなんて……』

 今となっては、反論しようがない。
 そして装飾品を盗み出したことに関しては、ミリアに一切非がなかった。
 本来であれば、サディアスは罪人として幽閉されていてもおかしくはない。
 だが、ノーフォース公爵の温情で見逃された。

 その交換条件として、公爵は『大掃除』と称して王宮の人間を入れ替えた。
 そのことに不満を持つ者はごく一部のみだ。


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