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17.開店
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店内に漂う甘くて香ばしい香り。
焼き菓子だけじゃなくて飴玉やフルーツや木の実の蜜漬けとか、色んなお菓子を揃えてみた。
それから野菜嫌いな子供にも食べてもらえるように、野菜入りのお菓子もある。人参のすりおろしを加えたフィナンシェとか、ほうれん草入りのクッキーとか。
近所の子供たちに試食してもらい、全員から合格点も貰っているので自信があった。
「本日はご来店ありがとうございます。こちら開店記念のクッキーです」
来てくれたお客様には、無料でプレーンタイプとチョコレートタイプのクッキーをプレゼント。
そのためか、開店前から長蛇の列が出来てしまったけれど、巡回中だった兵士たちが列の整備を手伝ってくれた。
その人たちにもお礼としてクッキーをあげると、照れ臭そうにしながらも「妻と子供にあげようと思います」と嬉しそうだった。
「お菓子姫がうちの国に来てくれるなんて夢みたいね!」
「あれがお菓子姫か……すごい可愛い女の子だったんだな」
「こら、鼻の下伸ばすなよ。カスタネアさんって、ファリス公といい仲だって話だぜ」
「シリル様がカスタネアちゃんと!? ショック……でも、カスタネアちゃんってリスター国で酷い目に遭ってたんでしょ? 幸せになって欲しいわ~」
お客様たちの声が聞こえてくる。
舞踏会に出席した時に色々言われた時のことを思い出してしまった。あの時と違って私を悪く言う人は誰もいないけれど。
「…………」
「カスタネア、大丈夫?」
初日だからと見に来てくれたシリル様に声をかけられる。大丈夫ですと返事をしようとすると、その前に手を握られた。
驚く私にシリル様が優しく微笑む。
「大丈夫。僕がいるんだから」
「……はい」
先程とは違う声音で告げられる『大丈夫』。体の強張りが緩んで、暗い思い出が遠ざかっていく。
情けない話だけれど、今でも私は時々『あの頃』を思い出すと駄目になってしまいそうになる。体が動かなくなって、心の奥が真冬の湖のように凍り付く。
その度にシリル様は私を灰色の過去から守ってくれる。嬉しい。だけど情けなさもある。ここにはもうライネック様なんていないのに──。
「カスタネア……か?」
その声が聞こえた途端、頭の中が真っ白に染まった。
呼吸止まりそうになる。口から大きく息を吸って、強引に肺に空気を送り込みながら、声がした方向へ視線を向けようとする。
「カスタネア。君は見なくていいよ」
同じように声に気付いたらしいシリル様が、私の両目を手で覆おうとする。
私は「いいえ、見ます」と言って、それをやんわりと断った。
いつまでも逃げてばかりじゃ駄目。ちゃんと向き合わないと。
私は深呼吸してから、声の持ち主へと視線を向けた。
「……いらっしゃいませ、ルビス卿」
よかった。声を震わせずに挨拶出来た。安堵のおかげで自然に笑みを作ることも出来た。
だけど接客の仕方を間違えたと、私はすぐに悟る。
「いい笑顔だな、カスタネア。ずっと俺に会いたかったんじゃないのか?」
ルビス卿は完全に勘違いをしているようだった。
高圧的な態度は以前と全く変わらないけれど、こんなに単純な人だっただろうか。
いや、以前からこういう性格だった。かつての私が、そのことをおかしいと感じていなかっただけで。
そんな様子を見てしまったせいか、ルビス卿に対して未だに残っていた恐怖や緊張も霧散していく。
こんな人に怯えていた自分が恥ずかしくて馬鹿馬鹿しいと思えて、私は溜め息をついた。
するとルビス卿は片眉を上げて、
「んん? 来るのが遅いと拗ねるなんて、いつからお前はそんなに偉くなったんだ?」
……手の施しようがない。私の元婚約者は私が思っている以上に酷い人間だった。色んな意味で。
焼き菓子だけじゃなくて飴玉やフルーツや木の実の蜜漬けとか、色んなお菓子を揃えてみた。
それから野菜嫌いな子供にも食べてもらえるように、野菜入りのお菓子もある。人参のすりおろしを加えたフィナンシェとか、ほうれん草入りのクッキーとか。
近所の子供たちに試食してもらい、全員から合格点も貰っているので自信があった。
「本日はご来店ありがとうございます。こちら開店記念のクッキーです」
来てくれたお客様には、無料でプレーンタイプとチョコレートタイプのクッキーをプレゼント。
そのためか、開店前から長蛇の列が出来てしまったけれど、巡回中だった兵士たちが列の整備を手伝ってくれた。
その人たちにもお礼としてクッキーをあげると、照れ臭そうにしながらも「妻と子供にあげようと思います」と嬉しそうだった。
「お菓子姫がうちの国に来てくれるなんて夢みたいね!」
「あれがお菓子姫か……すごい可愛い女の子だったんだな」
「こら、鼻の下伸ばすなよ。カスタネアさんって、ファリス公といい仲だって話だぜ」
「シリル様がカスタネアちゃんと!? ショック……でも、カスタネアちゃんってリスター国で酷い目に遭ってたんでしょ? 幸せになって欲しいわ~」
お客様たちの声が聞こえてくる。
舞踏会に出席した時に色々言われた時のことを思い出してしまった。あの時と違って私を悪く言う人は誰もいないけれど。
「…………」
「カスタネア、大丈夫?」
初日だからと見に来てくれたシリル様に声をかけられる。大丈夫ですと返事をしようとすると、その前に手を握られた。
驚く私にシリル様が優しく微笑む。
「大丈夫。僕がいるんだから」
「……はい」
先程とは違う声音で告げられる『大丈夫』。体の強張りが緩んで、暗い思い出が遠ざかっていく。
情けない話だけれど、今でも私は時々『あの頃』を思い出すと駄目になってしまいそうになる。体が動かなくなって、心の奥が真冬の湖のように凍り付く。
その度にシリル様は私を灰色の過去から守ってくれる。嬉しい。だけど情けなさもある。ここにはもうライネック様なんていないのに──。
「カスタネア……か?」
その声が聞こえた途端、頭の中が真っ白に染まった。
呼吸止まりそうになる。口から大きく息を吸って、強引に肺に空気を送り込みながら、声がした方向へ視線を向けようとする。
「カスタネア。君は見なくていいよ」
同じように声に気付いたらしいシリル様が、私の両目を手で覆おうとする。
私は「いいえ、見ます」と言って、それをやんわりと断った。
いつまでも逃げてばかりじゃ駄目。ちゃんと向き合わないと。
私は深呼吸してから、声の持ち主へと視線を向けた。
「……いらっしゃいませ、ルビス卿」
よかった。声を震わせずに挨拶出来た。安堵のおかげで自然に笑みを作ることも出来た。
だけど接客の仕方を間違えたと、私はすぐに悟る。
「いい笑顔だな、カスタネア。ずっと俺に会いたかったんじゃないのか?」
ルビス卿は完全に勘違いをしているようだった。
高圧的な態度は以前と全く変わらないけれど、こんなに単純な人だっただろうか。
いや、以前からこういう性格だった。かつての私が、そのことをおかしいと感じていなかっただけで。
そんな様子を見てしまったせいか、ルビス卿に対して未だに残っていた恐怖や緊張も霧散していく。
こんな人に怯えていた自分が恥ずかしくて馬鹿馬鹿しいと思えて、私は溜め息をついた。
するとルビス卿は片眉を上げて、
「んん? 来るのが遅いと拗ねるなんて、いつからお前はそんなに偉くなったんだ?」
……手の施しようがない。私の元婚約者は私が思っている以上に酷い人間だった。色んな意味で。
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