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86.生みの親

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「お母様、クリスタルというお名前に覚えはありませんか?」
「あ、それ私が魔法使い時代に使っていた偽名」

 数日後、お母様に詳しく話を聞くべく、その名を出すとあっさり肯定された。
 何となくそんな気はしていたので、さほど驚きはしない。
 
「何だ、てっきりオブシディア様に昔の私のことを聞いているものだと思ったけれど」
「……本人の了承もなしに、そういった話を聞くのは失礼に当たるかと」
「そう? 私はなーにも気にしないのに」

 けらけら笑ってからお母様は「さあ、どうぞ飲んで食べて」と、私に紅茶と焼き菓子を薦めた。
 その視線は窓の外に向けられている。
 庭園を散策するオブシディアさんを観察しているのだ。
 私が何も言わなくても彼の存在を認識できている。それだけの実力を持つ魔法使いである証拠である。

「ただ令嬢としてお茶会や舞踏会に参加するより、魔法使いとして魔物をやっつける仕事の方が楽しいと思っていたのよ。でも本名で大暴れすると、まずいだろうってアンデシン様に言われて、クリスタルって名乗っていたってわけ」
「……そのことはお父様はご存知なのですか?」
「もちろん。むしろ魔物に食べられそうになっていたあの人を助けたのがきっかけで、猛アタックされて無事に嫁入りを果たしたの」

 そういえばお父様がお母様に一目惚れしたのがきっかけで、彼らは結婚したのだとお兄様が話していたと思い出す。
 想像していたよりもスケールの大きい話だった。

「オブシディア様に出会ったのは、ドラゴンの大群がうちの国に襲来してきた時。でも私たち魔法使いにとっては、ドラゴンよりあの御方の方が怖かったわね。最初は変なガキがちょこまか動いてドラゴンを仕留めてるな~って思ってたけれど、正体に何となく気づいた時は血の気が引いた」
「……やっぱりオブシディアさんは人間ではないのですね?」
「さっき本人の了承もなしに云々って言っていたわね。だから今から私が喋るのは単なる独り言だと思って、耳を傾けてちょうだい。……どういうわけか、あの御方はあなたに執着しているから」

 お母様の顔つきが真面目なものとなる。
 話の流れが変わり、私も姿勢を正していた。

「あの御方は生物ではないわ。かといって魔物でも、妖精でも、神様でもないの」
「……?」

 だったら何だと言うのか。
 私が次の言葉を待っていると、

「あれは世界そのもの・・・・・・
「世界の……そのもの?」
「そう。この世界は光、闇、水、火、風、土……と色々なもので構築されているのだけれど、それらの一部は極稀に自我を持つことがあるわ。普通であれば、そういった自我はすぐに消滅してしまう。だけど十数年前、イレギュラーな事態が起こったの。ほんの小さな心を持った夜のに気づいた誰かが、自分の魔力を与えたことで魂と命という概念が生まれてしまった」

 自我だけの存在に魔力を与えた結果、生命が生まれた。
 にわかには信じがたい話だけれど、今までのオブシディアさんの言動を思い返すと、充分に考えられることでもある。

それ・・は最初から人の姿をしているわけではなかった。その辺にうろついていた野良猫の形を模すのが精一杯。しかも歪な見た目をしていたみたいだけど……それでも、その生みの親とも言える人間は、とても可愛がったそうよ。──でも、生みの親はある日急にいなくなっていまった。残されたそれ・・は、次第に精神的にも肉体的にも成長していき、あらゆる魔法を使えるようになって……現在のオブシディア様になったの」

 そこまで語ってから、お母様は「まあ」と笑みを浮かべて、

「本人はよく分かっていないみたいで、生まれた頃の記憶はあやふやだったみたい。だからオブシディア様の要領の得ない話を聞いて、アンデシン様が立てた仮設なのだけれどね。オブシディアって名前も名づけたのはアンデシン様だし」
「……人間ではないから、オブシディア様はあのように強力な魔法を使えるのですね」

 感心したように私が言葉を漏らすと、お母様の首が横に振られた。

「オブシディア様の場合、与えられた魔力が最上質だったおかげもあるの。そうじゃなかったら、あそこまで成長していなかったと思う。……問題は全ての魔力を注いだっぽくて、その元の持ち主は魔法を使えなくなってしまった可能性が高いってことね」
「その方を見つけ出すことはできないのですか?」

 オブシディアさんは生みの親の顔を覚えていないという。
 本人もその方には嫌な感情を持っていないようなので、会わせてあげたいと思う。

「……別にいいんじゃない?」

 しかしお母様は、私の質問に軽い口調で答えてから紅茶を啜った。

「今の彼にとって唯一の存在はリザリア、あなたなの」
「で、ですが……」
「あなただけのオブシディア様。それをあなたも、彼も望んでいると思うし」

 あなただけの。 
 心の中でお母様の言葉を復唱して、頬が熱くなった。




 血の繋がらない、けれど可愛い娘が帰った後、残った焼き菓子を黙々と食べ進めていた。
 その合間にぽつりと独り言を呟く。

「あの子……気づいていないのねぇ」

 何故娘だけが彼をすぐに認識できるのか。
 それは彼を構築する魔力が本人のものだからに他ならない。
 彼がそのことを娘に教えるつもりがないのなら、自分も言わないでおこう。
 後は二人の問題だ。

(だけどこれも運命かしら)

 魔力がなくとも魔導工芸品に関わる仕事に就いていた娘の前に、工芸品職人なれず途方に暮れていた彼が現れた。
 それが単なる偶然とは、とても思えなかった。


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