上 下
26 / 48

26、ノエル、ありがとう

しおりを挟む
 あれ? ノエルの目つきが変わった!?

 木剣を構えて向かい合った直後、ノエルの目つきというか、面構えが変わった。いつものボヤッとした感じじゃない。ピリッと引き締まった。命のやり取りをする肉食獣の顔だ。
 野生のエドガーを彷彿とさせる鋭さに、僕は身震いした。

 剣術のことはさっぱりわからない。でも、相手の本気は、顔つきや全身からほとばしる精気で測れるものだよ。たぶん、ノエルにとっての剣は僕にとってのチェスなのだと思った。

 唯一、矜持きょうじを持って向かい合えるもの。ときに投げ出したくもなるけれど、絶対にやめられない。夢中になれるもの。

 生半可な気持ちで相対しては失礼だと思った。僕が以前、チェスを馬鹿にしたのは最低な行為だったと自覚している。ピヴォワン卿とルイーザの前で言ったことを思い出すと、恥ずかしくて、今でも穴があったら入りたくなる。

 だから、気圧けおされながらも、必死に剣を受けた。
 腕に振動を感じるたび、僕はじりじり下がっていった。受けるのがやっとなんだ。手加減されていても、そう。

 塔の屋上は広くない。使用人が使う部屋ぐらい? ベッドを二台、横向きに並べた長さが直径。
 胸壁へ追い詰められるまでに、時間はかからなかった。

 壁の硬さを背中で感じて、ヒヤッとする。僕の身長があと、もう二十センチ高かったら、胸壁の凹凸部分が胸の辺りにくる。強い力で押し出されたら? 地上へ真っ逆さまに落ちる。

 恐れが判断力を鈍らせたのだろう。僕は剣で受けるのではなく、身をかわそうと考えた。
 冷静であれば、そんなことは考えなかった。武術の心得のない僕が、身を翻して避けるなんてことは不可能だ。剣で受けるより数百倍、難易度が高い。だって、ノエルは剣で受けられることを想定して、打ち込んでいるからね。

 剣で受けずヒラリ、よけたつもりが、ガンッ!! 鈍い音がして、肩をやられてしまった。今回は骨が砕けたかと思ったよ。

 ノエルは剣を放りだし、くずおれる僕を助けようとする。あまりに痛くて、僕は嘔吐した。

「大変だ! 大人を呼んでこないと!!」

 ノエルはうろたえ、階段を下りた。その間、僕はさんさんと輝く太陽に焼かれつつ、朦朧もうろうとする意識をなんとかつなぎ止めていた。

 ……で、連れてきた大人というのが、ルイーザ。

 ルイーザは僕を見るなり、目の周りを濡らしたよ。なんてことをしてくれたのだと、ノエルをなじり、震える手を僕に伸ばした。

 そうして、吐瀉物としゃぶつで自分の服が汚れるのもいとわず、僕の口を拭いたんだ。こんなふうに優しくされたのは、生まれて初めてだよ。母だったら、絶対に人の吐いたものを触らないからね。悲しみをたたえる聖女の瞳に見とれて、僕は痛みを忘れた。

「痛かったわね……よく、がんばったわ……」

 ナイフを握り、ルイーザは僕のチュニックを切り裂いた。脱がすのが困難だからだ。下からそっと刃を差し入れ、縫製部分に当て、たちまち肩から袖を外してしまった。取り乱しているように見えて、手際がいい。冷静にケガを診て、テキパキ手当てしてくれた。

「骨は大丈夫かしら? とりあえず、冷やして固定しましょうね」

 応急手当のあと、従僕たちが僕を担架に乗せた。お抱えの医師は足が悪いため、階段を上れない。部屋で寝かせられてから、診察された。

 内出血の度合いを確認した医師は、大きな血管は傷ついておらず、骨折もしていない、安静にしていれば良くなるでしょうと診断した。
 安堵したよ。まあ、妥当な結果だよね。ケガをした直後はパニックになりかけたけど、まったく動かせないほどでもなかったから。
 しかしながら、骨にヒビが入っている可能性も否定できず、僕は数日間、強制療養させられることになった。

 秘密基地の場所も大人たちに知られてしまったし、踏んだり蹴ったりだった。
 ノエルは気の毒に、こっぴどく叱られたのだろう。しょげ返って僕のベッドに付き添った。

 ピヴォワン侯爵まで見舞いに来て、秘密基地の話になり、

「私も昔、よく遊んだよ。危険だからという理由で、錠をかけられてしまったなぁ」

 などと、懐かしんだ。自分たちだけのモノかと思っていた秘密の場所が、すでに使い古されていて、がっかりする。

 くわえて、重病人扱いの僕は部屋から一歩も出られず、食事から何から何まで介護される。高価な骨董品みたく丁重に扱われて、うんざりした。
 プルーニャ邸にいたころ高熱を出し、ベッドで一人、死の恐怖におののいていたことが思い出される。あの時は誰も看病してくれなかった。

 流行り病かもしれないと、使用人すら近寄らなかったんだ。
 面倒を起こすなら死んでほしいと、母は思っていたのかもしれない。父は僕が病気のことすら、知らなかっただろう。

 部屋は片付けられない排便の匂いで満ちていた。水分さえ届けられず、僕は花瓶の水や自分の尿を飲んだ。よく生きていたなと思う。

 ルイーザは使用人任せにせず、つきっきりで看病してくれたよ。ノエルが捻挫したとき、毎日包帯を替えてあげたと聞いて嫉妬したが、今は僕が同じことをされている。

 大事にされ、複雑な心境だった。

 なんで僕なんかに……っていう自己嫌悪もあり、子供扱いされたくない自尊心もある。いちいち大げさにされるのも、気恥ずかしかった。
 そして、マイナスの感情を多幸感が呑み込む。だが、ルイーザから注がれる愛情は求めているものと違っていて、胸がチクチク痛んだ。

 無理やり寝かせられて、やることのない僕はノエルにチェスを教えた。
 ノエルが僕に付き添うのは、罪悪感からだろう。完全な事故でノエルは悪くないのに、こちらが申し訳ない気持ちになった。
 剣を教えてくれと言ったのは、僕だよ。ケガをしたのも、ちゃんと防具を着ていなかった僕の責任。ノエルが悪者になって、僕がいたわられるのはおかしいと思うんだ。

 ちょっとまえまでは、大切にされるノエルが憎くて、その居場所を僕が奪ってしまいたいと思っていた。初日にケガをさせるよう仕向けたのも、そうさ。あいにく、ルイーザは僕を信じず、溺愛されるノエルを見て歯噛みすることになったが。
 神様は意地悪だね。希望どおりになっても、まったく嬉しくない。

 それにしても、笑っちゃうぐらいチェスが下手だなぁ。
 ベッドの脇机に置かれたチェスボードを見て、僕は苦笑する。剣を持つとあんなに凛とするのに、盤の前だとただのお馬鹿さんだ。

 けど、気づいたことがある。

 ボロ負けして、チェスから逃げていた僕が普通に指しているじゃないか!
 自分には才能がないとわかって、悔しかった。みじめだった。苦しい思いをするぐらいなら、忘れようと思っていたんだよ?

 それなのにさ、ノエル相手でも、すっごく楽しいんだよね。心底、チェスこいつのことが好きなんだなぁ、僕は。
 なんだ、負けてもいいんだよ、こいつといられるんなら――僕は達観したんだ。

 ノエルが茶目っ気たっぷりのグリーンアイを向ける。
 あのさぁ、わかってる? 僕は療養中で君は反省中。

 ……そうか、はめやがったな? じゃあ、僕もお返しするよ。僕をこっち側に戻したんなら、責任を取ってもらわなくちゃな? 道連れだ。君もチェス大会の予選に出ろよ!

 ――ノエル、ありがとう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【第二部】薬師令嬢と仮面侯爵〜家族に虐げられ醜怪な容姿と噂の侯爵様に嫁いだ私は、幸せで自由で愛される日々を過ごしています

黄舞
恋愛
 幼い頃に実母を亡くした男爵家の令嬢ビオラは、家族から虐げられて育てられていた。  まるで自分がこの家の長女だとばかりに横柄に振る舞う、継母の連れ子でビオラの妹フルート。  フルートを甘やかし、ビオラには些細なことでも暴力を振るう実父、デミヌエ男爵。  貴族の令嬢として適齢期になっても社交界に一度も出ることなく、屋敷の中で時間を過ごすビオラには、亡き母の手記で知った薬作りだけが唯一の心の拠り所だった。  そんな中、ビオラは突然【仮面侯爵】と悪名高いグラーベ侯爵の元へ嫁ぐことのなったのだが…… 「ビオラ? 仮面侯爵にお会い出来たら、ぜひ仮面の中がどうだったのか教えてちょうだいね。うふふ。とても恐ろしいという噂ですもの。私も一度は見てみたいわぁ。あ、でも、触れてしまったら移るんでしょう? おお、怖い。あははははは」  フルートの嘲りの言葉を受けながら、向かったグラーベ侯爵の領地で、ビオラは幸せを手にしていく。 第1話〜第24話までの一区切りで一度完結したものの続きになります。 もし未読の方はそちらから読んでいただけると分かりやすいかと思いますm(__)m

余りモノ異世界人の自由生活~勇者じゃないので勝手にやらせてもらいます~

藤森フクロウ
ファンタジー
 相良真一(サガラシンイチ)は社畜ブラックの企業戦士だった。  悪夢のような連勤を乗り越え、漸く帰れるとバスに乗り込んだらまさかの異世界転移。  そこには土下座する幼女女神がいた。 『ごめんなさあああい!!!』  最初っからギャン泣きクライマックス。  社畜が呼び出した国からサクッと逃げ出し、自由を求めて旅立ちます。  真一からシンに名前を改め、別の国に移り住みスローライフ……と思ったら馬鹿王子の世話をする羽目になったり、狩りや採取に精を出したり、馬鹿王子に暴言を吐いたり、冒険者ランクを上げたり、女神の愚痴を聞いたり、馬鹿王子を躾けたり、社会貢献したり……  そんなまったり異世界生活がはじまる――かも?    ブックマーク30000件突破ありがとうございます!!   第13回ファンタジー小説大賞にて、特別賞を頂き書籍化しております。  ♦お知らせ♦  余りモノ異世界人の自由生活、コミックス3巻が発売しました!  漫画は村松麻由先生が担当してくださっています。  よかったらお手に取っていただければ幸いです。    書籍のイラストは万冬しま先生が担当してくださっています。  7巻は6月17日に発送です。地域によって異なりますが、早ければ当日夕方、遅くても2~3日後に書店にお届けになるかと思います。  今回は夏休み帰郷編、ちょっとバトル入りです。  コミカライズの連載は毎月第二水曜に更新となります。  漫画は村松麻由先生が担当してくださいます。  ※基本予約投稿が多いです。  たまに失敗してトチ狂ったことになっています。  原稿作業中は、不規則になったり更新が遅れる可能性があります。  現在原稿作業と、私生活のいろいろで感想にはお返事しておりません。  

幼馴染みの二人

朏猫(ミカヅキネコ)
BL
三人兄弟の末っ子・三春は、小さい頃から幼馴染みでもある二番目の兄の親友に恋をしていた。ある日、片思いのその人が美容師として地元に戻って来たと兄から聞かされた三春。しかもその人に髪を切ってもらうことになって……。幼馴染みたちの日常と恋の物語。※他サイトにも掲載 [兄の親友×末っ子 / BL]

神様と呼ばれた精霊使い ~個性豊かな精霊達と共に~

川原源明
ファンタジー
ルマーン帝国ハーヴァー地方の小さな村に一人の少女がいた。 彼女の名はラミナ、小さな村で祖母と両親と4人で平和な生活を送っていた。 そんなある日のこと、狩りに行った父が倒れ、仲間の狩人に担がれて帰宅。 祖母の必死な看病もむなしく数時間後には亡くなり、同日母親も謎の病で息を引き取った。 両親が立て続けに亡くなった事で絶望で埋め尽くされているなか、 『ラミナ元気出しぃ、ウチが側におるから! と言うても聞こえてへんか……』 活発そうな女の子の声が頭の中に響いた。 祖母にそのことを話すと、代々側に居る精霊様では無いかという そして、週末にあるスキル継承の儀で『精霊使い』を授かるかもしれないねと言われ、 絶望の中に居る少女に小さな明かりが灯った気がした。 そして、週末、スキル継承の儀で念願の『精霊使い』を授かり、少女の物語はここから始まった。 先祖の甥に学園に行ってみてはといわれ、ルマーン帝国国立アカデミーに入学、そこで知り合った友人や先輩や先生等と織りなす物語 各地に散る精霊達と契約しながら 外科医療の存在しない世の中で、友人の肺に巣くう病魔を取り除いたり 探偵のまねごとをしている精霊とアカデミー7不思議の謎を解いたり ラミナ自身は学内武道会には参加しないけれど、400年ぶりに公衆の面前に姿を現す精霊達 夏休みには,思ってもみなかったことに巻き込まれ 収穫祭&学園祭では、○○役になったりと様々なことに巻き込まれていく。 そして、数年後には、先祖の軌跡をなぞるように、ラミナも世界に羽ばたく。 何事にも捕らわれない発想と、様々な経験をしていくことで、周囲から神様と呼ばれるようになった一人の精霊使いの物語のはじまりはじまり

さようなら旦那様

杉本凪咲
恋愛
公爵令息のダークとの結婚は地獄への入り口だった。 結婚して二年が経ち、彼は隠すこともせず堂々と不倫をした。 嘆き悲しんだ私は、森の湖で自殺を図るが……

【完結】第4皇女シシリーの悲劇~デブ専王弟の愛はお断りですが?~

鏑木 うりこ
恋愛
 私は乙女ゲーム「太陽の王子と星の騎士~」の世界の黒豚皇女シシリーに転生したようだ。シシリーは既に100キロを超えようという超大型豚。このままではデブ専の隣国王弟へ出荷されてしまう。 「絶対嫌だわ」  そして記憶が戻った時点でもうゲームで言う所の召喚聖女による逆ハールートに乗っている! 「そっちがその気ならこっちだって生き残らせてもらうわよ」  私は必死でダイエットを始めるのだった。  またやってしまった……あまり恋愛しない恋愛ジャンル……(´;ω;`)ウワアン 油断するとすぐこれだよ~……次こそはラブいの書くんだ……。 ⇒2022/06/28 開始 ⇒2022/10月03日(ちょっと強引ですが)完結です!お読みいただき誠にありがとうございます!

【完結】あなたは知らなくていいのです

楽歩
恋愛
無知は不幸なのか、全てを知っていたら幸せなのか  セレナ・ホフマン伯爵令嬢は3人いた王太子の婚約者候補の一人だった。しかし王太子が選んだのは、ミレーナ・アヴリル伯爵令嬢。婚約者候補ではなくなったセレナは、王太子の従弟である公爵令息の婚約者になる。誰にも関心を持たないこの令息はある日階段から落ち… え?転生者?私を非難している者たちに『ざまぁ』をする?この目がキラキラの人はいったい… でも、婚約者様。ふふ、少し『ざまぁ』とやらが、甘いのではなくて?きっと私の方が上手ですわ。 知らないからー幸せか、不幸かーそれは、セレナ・ホフマン伯爵令嬢のみぞ知る ※誤字脱字、勉強不足、名前間違いなどなど、どうか温かい目でm(_ _"m)

初恋の人と結ばれたいんだと言った婚約者の末路

京佳
恋愛
婚約者は政略結婚がどういうものなのか理解して無かった。貴方のワガママが通るとでも? ゆるゆる設定

処理中です...