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63話 夜が明けるまで

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 ドアの向こうで兵士は声を張り上げた。

「王妃殿下にお伝え申し上げます! ただいま、国境にて戦端が開かれました! 激しい武力衝突が始まったとのことです!」

 馬車で三日以上かかる距離であっても、鳥は数時間で知らせを持ってくる。膠着こうちゃく状態にあった戦いが動き始めてしまった。
 ソフィアは転びそうになりながらドアを開け、兵士から手紙を受け取った。手紙に記された時間は三時間前だ。ソフィアが楽しくお菓子作りをしている間にリヒャルトは……

 崩れ落ちるソフィアをルツが支える。

「まだ始まったばかりですじゃ。勝負の行方はわかりませぬ」
「どうしましょう……わたくしはどうすれば……」
「祈りましょう」

 しばらくベッドに突っ伏し、ソフィアは死人のように何もできなかった。無意識下の生命維持行動がなければ、呼吸すら止まっていたかもしれない。放心状態である。だが、体はガタガタ震えていた。彼が死んでしまうかもしれない──

 一人より、二人。二人より大勢のほうがいいというのは戯言ざれごとか。ソフィアはルツの存在すら、わずらわしく感じたりもした。テーブルの上を片付け終わったルツは分厚い聖典を開き、スツールの上でずっとブツブツ唱えている。
 やがて、夕食もとらず、ソフィアが向かったのは城内の教会だった。

 時間によってはガラガラの教会も、ソフィアの存在など埋まってしまいそうなぐらいたくさんの女性で溢れかえっていた。知らせを受けて、着の身着のままで来たのだろう。泣いて取り乱している人もいた。ベンチからあぶれた人は冷たい床に膝をつき、両手を組む。祭壇の前で祈祷を上げる司祭の言葉を復唱していた。この大人数は城内のみならず、城外からも来ているだろう。
 
 胸をえぐる喧噪のなか、ソフィアはフラフラと進み、空いている場所を探した。ソフィアの存在に気づいても会釈する程度で、彼女たちの関心は夫や恋人の生死に向いている。声をかける気力もなく、ソフィアはぼんやりと嘆きの海を漂った。自分はここにいる資格があるのか、彼女たちに責められているような気もした。

 感情のタガが外れたのは、ネイリーズ伯爵夫妻を見つけたからである。夫妻は夏の間は王都の別邸に住んでいる。戦報はすでに多方面へ広がっているようだった。ソフィアと目が合ったステラは、泣き笑いの顔になった。

「ソフィアちゃん! どうしたの!? その頭は!?」
「うう……おばさまっ……ぐすんぐすん……」

 ステラたちと会うのはひと月ぶりだ。最後に会ったのは戴冠式の時か。あえて忙しくしていたため、時間を作られなかった。伯爵夫妻はソフィアの短い髪に驚いている。

「ソフィア様は陛下がご出立される際、髪を切ってお渡ししましたのじゃ」

 嗚咽を押さえられないソフィアに代わり、うしろで控えていたルツが説明した。ステラは目をうるませ、そのふくよかな胸にソフィアを抱きしめた。

「まあまあ! 今までずっと一人で耐えていたのね……ごめんなさいね。あたくしのほうから会いに行けばよかったわ。つらかったでしょう? でも、もう大丈夫よ。さあ、一緒に祈りましょう」
「ソフィアちゃん、おじさんが甘いものをあげよう。ほら、泣きやむんだよ」

 伯爵が従者から小箱を受け取り、ソフィアの口元に持っていった。香りでわかる。チョコレートだ。
 箱の中には四角い生チョコが整然と並んでいた。ココアがまぶされたそれを伯爵は有無を言わさず、ソフィアの口に押し込んだ。

「むぐ……」
「どうだい? おいしいだろう?」
「ん……もぐもぐ……おいしい……です」

 チョコの中に酸っぱくてジューシーなアレが入っている。あまりの意外性にソフィアの涙は止まってしまった。

「い、いちご!? 夏なのになぜ?」
「寒冷地で、この季節でも栽培している農家がいてね。届けてもらったのさ。夏には贅沢だろう?」

 得意げな伯爵の真ん丸な顔をソフィアは凝視する。ステラが笑い声を立てた。抱きしめられているから、振動はソフィアに直接伝わってくる。

「んもう! あなたってば、ソフィアちゃんが困っているでしょう? 箱をしまって」

 ステラはその身からソフィアを離すと、さりげなくハンカチでソフィアの涙と口元をぬぐった。

「ソフィアちゃん、いい? あたくしたちは祈ることしかできないけど、信じていれば悪いほうへは行かないわ。どんなことがあったって、あなたは強く生きていける。だって、荒れ地を緑豊かな牧草地に変え、一年も経たないうちに牛乳文化を定着させた人だもの。あなたはなんだってできる力を持っているのよ?」

 ソフィアはショールを留めるブローチをギュッと握りしめた。

(今、自分にできることをしよう)

 ソフィアは泣くのをやめた。ここにいる女性たちは皆、ソフィアと同じ気持ちで集まったいわば同志だ。戦地で戦う夫のためにできるのが祈ることだけなら、自分は残された彼女たちのために何かしようと思った。

「ルツ、使用人たちに冷たい飲み物を用意させてちょうだい。窓も開けて、扉も開け放ったほうがいいわ。熱気でどうにかなってしまいそう……私、今から菓子工房へ行くわね!」
「なにをするつもりなの?」

 ステラの問いにソフィアは笑顔で答える。

「簡単に口へ入れられるものを作るの。彼女たち、きっと戦いが一段落するまで、ここに居続けるつもりでしょう? 祈って待つにも、体力勝負です」
「ふふ……いつものソフィアちゃんに戻ったようね。じゃあ、行ってらっしゃい。どんなものが出てくるか、期待して待ってるわね」

 ソフィアは教会を出て、主殿の菓子工房へ向かった。
 ビスコッティは一瓶残しておいたが、足りないだろう。焼き時間が短くて済む堅焼きクッキーとバタークッキーを作ることにした。戦時中にバターとは贅沢? いや、あるものは使ってしまおう──ソフィアはそう思った。舞踏会や晩餐会を開催しないのだから、教会で祈る女たちにバターたっぷりのクッキーを振る舞ったところで、罰は当たるまい。
 クッキーの作り方は非常にシンプルだ。具材をよく混ぜて伸ばし、あるいは棒状にし、型を抜くか切る。バタークッキーのほうは三十分ほど氷室で冷やす。あとは焼くだけである。一時間ほどで焼き上がり、ソフィアはそれをビスコッティと銀のお盆に載せた。大きいお盆四枚。使用人を三人呼んだだけで、ソフィアは自ら運んだ。

 教会に着くと、飲み物はご婦人方に行き渡ったあとだった。換気してくれたおかげで、熱さは和らいでいる。ソフィアはお盆を持って、順番に声をかけていった。
 出立前の騎士たちに声がけした時と同じく、内容は他愛のないものだ。「信じて待ちましょう」とか「祈りが届きますように」とか「なにもできないのが、もどかしいですね」とか……。なかには、夫たちが戦っているのに贅沢はできないと、クッキーを断る人もいた。
 そういう時は、

「自分が倒れてしまっては元も子もないでしょう? ご主人は国のためだけでなく、あなたのためにも戦っているのですよ?」

 と、釘を刺した。それ以上は勧めず、本人の意志に任せたが、だいたいは口に入れてくれた。
 全部配り終えると、ソフィアもひざまずき祈った。ここでは身分の差はない。誰もが夫や恋人、息子のことを案じている。健気な女たち。皆が同じ気持ちだから、余計な言葉は不要だった。

 ソフィアは朝までひたすら祈った。
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