ゾンビ発生が台風並みの扱いで報道される中、ニートの俺は普通にゾンビ倒して普通に生活する

四章 災難

三十話 落ちてくる③

　すべて片付け終わったころには夕方になっていた。ケーブル類は表面的に汚れていたものの、接触不良を起こすこともなく無事。拭いて消毒して……見た目はまあ綺麗になった。交換するかどうかは検討することにしよう。

　ハードディスクに録画してあった俺のアニメは……消えた。かろうじてハードディスクの電源は入る。ケーブルも代えてみた。しかし、接続ポートに腐液が浸入したハードディスクは二度と認識されなかった。

　くっそー！！　俺の命より大切な録画がぁあああ！！！

　当分、深夜の美少女アニメの実況動画配信は無期限休止するしかあるまい。どうしてこんな目に……

　昨晩、死体を片付けたばかりなのに、今日もやるとは呪われているとしか思えない……てか、最近毎日のようにゾンビと遭遇してないか？

　俺がお祓いを真剣に検討し始めた時、ようやくゾンビ専門救急隊が到着した。事情を説明して上階の様子を確認してもらう。
　
　

　気の毒な話だが、一家全滅していた。家族の誰かが噛まれた状態で帰宅後、ゾンビ化してしまったため、悲劇が起こったと思われる。

　避難梯子はゾンビ化するまえに、逃げようと出したのだろうと救急隊員は言っていた。結局逃げられずゾンビ化し、うろついている時に落ちてしまったのだと。　
　
　我が家のリビングからベランダの様子は見られるが、ヘッドホン装着のうえ、トゥインクルハニーを観ていたため、俺は気づかなかったのだ。
　
　上階にはゾンビ化した旦那がうろついていたという。梯子を上って蓋を閉めなかったのは正解だった。旦那ゾンビが避難梯子の所から落ちてこなかったのは、不幸中の幸いといえよう。俺は背筋の寒くなる思いで救急隊員の話を聞いた。

　二人の幼い子供は本当に可哀想だった。あまり小さな子は肉体が耐えきれないのか、ゾンビ化しないそうだ。

　うるさい、うるさい言ってごめんなさい……どうか、成仏してくれますように──

　俺は心の中で拝んだ。
　
　
　旦那ゾンビの退治と死体の搬送を終え、一通り話したあと、ゾンビ救急隊員は背を向けた。
　鮮やかな空色のジャケットが目に沁みる。心から「今日はお疲れさまでした」と労いたい。仕事とはいえ、つらいだろう。人助けをする仕事って素晴らしいな。俺には真似できないや……

　──あれ？　なんか忘れてないか？？


「あの、清掃とか消毒って、してもらえないんですかね？」

「へ！？」


　俺が問いかけると、去ろうとしていた隊員はキョトンとした。


「一応、自分でやって見た目は綺麗になってますけど、専門的に消毒とかってしないのかなぁって思って……まだ、においも残っているし」

「……あっ、ああ、消毒は通常のやり方で問題ないと思いますよ。アルコール消毒、心配なら漂白剤使っても……」


　ちげぇよ。俺が言ってるのはそんなことじゃない。こいつら、ゾンビ倒して死体運ぶだけなのか。


「ゾンビ救急隊の方って清掃はしていかれないんですか？」

「……ちょっと清掃までは……我々、清掃員ではないんで。各々、やっていただいております。でも、田守さんの所はほとんど汚れてませんよね？」

　汚れてたんだよ！　さっきまで。ものすごく……
　

「上階の清掃に関しても、持ち主様ご自身でやっていただくことになります。ニオイとか気になるようであれば、管理組合に相談されてみては？」


　ええー！？　死体はなくなっても、血とか飛び散った体液はそのまんまだよね？　持ち主が放置したらどうなるんだよ？　持ち主、死んでるし！！　虫が湧くじゃねぇか！


「ニオイに関しては、高性能のスプレーがホームセンターなどで売られておりますよ。では、お疲れ様でした」


　ガスの点検に来た作業員じゃねぇんだぞ？　俺は死にかかったうえに、大掃除しなきゃいけなかったんだ。
　あまりにさっぱりした対応の救急隊員に憤りながらも、俺は作った笑顔で彼らを見送るしかなかった。


「お疲れ様でした、ありがとうございました！」


　
　ゾンビ救急隊員と入れ替わりに母ちゃんが帰ってきた。ああ、もう六時だ。


「何かあったの！？　どうしたの？　くさっ！！」


　母ちゃんは玄関に入るなり顔をしかめた。俺は手短に事情を説明する。


「こんなんじゃ、夕飯作れないわ。ちょっと消臭スプレー買ってくる！」
　

　母ちゃんはろくに話も聞かず、回れ右をした。鼻をつまみ鼻梁から眉間にかけて細かい皺を刻んでいる様子は、相当クサいのだと思わせる。とにかく臭においをなんとかしたいのだろう。

　まったく、俺は数時間この悪臭の中、掃除していたというに……唖然としている俺を置いて、母ちゃんはドアを開けて外へ出ようとした。


「あら？　久実ちゃんじゃないの」
　

　閉まるまえに声が聞こえた。閉じられようとしていたドアがふたたび開かれる。


「田守君！」


　心配そうな顔で室内をのぞき込む久実ちゃんの姿があった。


「おばさん、どうしたんですか？　今、管理人さんに聞いたら田守君ちでゾンビが出たって、私、心配して見に来たんです……」

「ありがとう、久実ちゃん。家に入り込まれただけで全然無事よ。上の階の人がね……気の毒だけど……」
　

　全然無事じゃねぇよ！　死にかけたし。ハードディスクは完全に逝ったし！

　母ちゃんはさっき俺から聞いた内容を久実ちゃんに説明した。


「えー！　そうだったんですか？　大変だったんですね！」

　いや、大変だったのは俺で……


「田守君、携帯に連絡しても返信してくれないし、もしかしたらと心配してたんですよ」

「ああ、この子馬鹿だからね、スマホなくしちゃったのよ。それにしても、最近怖いわよねー。私、まだ一度もゾンビ見たことないんだけど、この間の大山さんに続き、家の上の人まで……」

「母ちゃん、消臭スプレーは？」


　そこから、とりとめのないおしゃべりが始まりそうだったので俺は遮った。母ちゃん、ゾンビ見たことないのか……俺はほぼ毎日遭遇しているというのに。


「ああ、そうだった。もう部屋の中が臭くて……ちょっと買ってくるわね」

　

　母ちゃんが去ったあと、久実ちゃんは俺に「話がある」と言ってきた。
　外で話すのもなんだから、とりあえず中に上がってもらう。リビングが臭かったので、一番におわない俺の部屋へと案内した。漫画やらアニメ雑誌やらが散乱した部屋に入れるのは若干抵抗あったが。中には多少エロいのも混じってるし。


「そういや、まえに言ってた軍パン、履いてみる？」
　

　俺は部屋の汚さをごまかそうと、適当な話題をふった。この間、ミリタリーイベントに行った時、久実ちゃんが軍パンに興味を示していたのを思い出したのだ。この軍パン、俺が中学生の時に履いていた物だからサイズは小さめなのである。あれから相当太ったからな。ドイツ軍の物だと言ったら、久実ちゃんは興味深々だった。

　俺はクローゼットの奥から軍パンを引きずり出した。


「ありがとう」
　

　久実ちゃんは曖昧な笑みを浮かべ、それを受け取った。一応受け取ってはくれたものの、イメージとちがっていたのか、そんなに嬉しそうでもない。


「田守君、バイト、今忙しいの？」

「コンビニは深夜勤務だから、週三で入ってるかな。あと週二くらい日雇いバイトもしてる」

「今週末って空いてる？」


　んん！？　なぜ、空いてる日を聞くのだ？　これはもしや……

　思いがけない質問に俺は動揺しながら、シフト表を確認した。


「金、土だったら空いてるよ」

「ほんとに！？　よかった」


　この間のミリタリーイベントが好評だったのか、久実ちゃんのほうからデートのお誘いとは……俺も捨てたもんじゃないな。
　唐突の出来事に顔が熱くなるのを感じる。だが、俺の思いとは裏腹に久実ちゃんは本題へと入った。


「ニュースとかでＡ県の被害のことは知ってるよね？」

「……？」

　ん？　なんでＡ県の話が出てくる？


「二日前、ゾンビが大量発生して一部区域では、いまだに屋内から出れず孤立している人たちもいる。ゾンビの駆除はまだ七割も終わっていないんだって。こんな時こそ、私たちもできることをやるべきだと思うの」

　んんん？？　何か雲行きが怪しくなってきた。


「私、明日金曜日からＡ県へボランティアに行こうと思ってたんだけど、田守君も一緒に来てくれたら心強いなって……」

　……ちょっと待て。ボランティアだと！？


「でも、ちょうどバイト入ってなくて、よかった。行政の救助活動は全然間に合ってないみたいなの。困った時はお互い様だし、こんな時こそ私たちみたいに時間のある人間が手助けするべきだよね」

　一緒にするなぁああ！　俺は時間ないの。いろいろ忙しいの！


「ごめん、せっかくだけどその日、日雇いバイト入ってるかも……」

　とっさに吐いた嘘のせいで、俺は苦しむことになる。


「ええ！？　そうなの？　じゃあ、田守君に合わせるよ。いつならいい？」

　合わせようとするなよ！　なんなんだよ、いったい……


「あ、あと、ボランティア終わったあと、ご褒美と言ってはなんだけど、映画の試写会当たったの。一緒に行かない？」


　久実ちゃんは上着のポケットから試写会のチケットを出してヒラヒラさせた。俺はそのアニメ映画のチケットに目を奪われた。
　

「そ、それは……」

「私、そこまで興味ないんだけど当たっちゃったし、もったいないから行こうかなーって。一緒に行く人いないし、もしよかったらって……」

「ちょっと見せて」


　俺は久実ちゃんからチケットを受け取った。

　間違いない。アニメ界のエースと言われる監督の最新作で美少女アニメを得意とする会社が製作している。

　どうしよう……すげー、観たい──

　だが、これを観るにはボランティアへ行かねばなるまい。