元軍人の日常?

日暮 雪夜

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第一話 修正版

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第一話

 (大正15年)1926年2月11日の木曜日に私は日暮家の三男として産まれた、この頃は加藤 高明(かとう たかあき)首相が帝国議会中に肺炎を拗らせて倒れその6日後に死去し加藤内閣が総辞職すると言う事があった直後だったがまぁそんな事は置いといて私の家は他と比べると相当に裕福な家庭だった何故かと言うと私の父方の曽祖父の代から私に至るまで陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校を私の代まで卒業し大将や中将へと上り詰めたエリート一族であり。
 曽祖は父軍人とし順調に出世し陸軍大将陸にまでなった豪傑で、そんな曽祖父の血を受け継いだ私の生まれた私の父も当然祖父と同じ様に、陸軍大学校を卒業後陸軍技術大将となった、そんな父は友人(海軍機関中将)の妹と結婚しそうして産まれたのが私だ。
 更に言うと私の家系は大日本帝国の貴族や皇族の方々そして他国の王族の血がなどを率先して取り込んでいた為に、血筋だけで言えば下手な他国の王族よりも上と言うふざけた家系なのだが何故そんな事になって居るかと言うと私の家に嫁いで来た人も含めて全員何かしらの他国の王族や貴族の血が入って居る名家の血筋を率先して取り込み続ていけたからだ、そしてその理由と言うのが私の家系は裏家業で暗部も抱えており人脈がとても重要であったのと他国の王族や貴族の亡命を手伝う事も多々あり、その亡命を手伝った王族や貴族と結婚する事になる事もしばしばあった。名家の血を一つに纏めた様な一族なのだが一部では雑種と言う蔑称でも呼ばれたりしているが、そんな一族家と言うか我が家であるが他国の王族や貴族の亡命を手伝うなんてましてや結婚なんて事がたかが一貴族がする事が許されるのかって?それが出来るのが私の家系なのである何せ私の家系は皇室の血を引いて居る上に暗部にも深く関わって居るからこそ許されているのだ。
 勿論私の家系が名家の血筋を取り入れる事が出来た理由がある、まず一つ目に上げるのは財力だろう、何せ我が家は分家や表に出せない金を含めれば総資産が200兆円を超える下手な王族より金を持って居るからだ、そして次に血筋と人脈これはまぁ裏家業の下地の上に亡命を手伝ったりして居た結果出来上がった物だ。
 そして我が家の家訓の中にはこう言う物もある『来る者拒まず』これの意味は助けを求めて来る者は例え敵国の人間であっても助けると言う意味だ、だが助けを求められても助けられない事は当たり前だがあるなのでその精神を忘れるなと言う意味だ。
 とまぁそんな家系に生まれたせいかは分からないが私が物心付いたのが生後半年と少しした頃だったそしてそんな私に曽祖父達は何かを感じたのかその日から曽祖父から父までが寄って集ってそれぞれが培って来た技術から何から何まで全て叩き込まれたそのお陰で陸軍大学校までを飛び級で卒業する事が出来たがその代わりに現役の軍人(曽祖父~父)に寄って集ってとにかくシゴかれるのだから堪らない。そんなこんなで私は4歳になった、少し前に世界恐慌が起こったが私の家は資産を金と言う形で所有していた事で何を逃れたがこの時に私の家族での話し合いの結果数年間は米国の株をとにかく大量に空売りする事になったそれと同時に東京やその周辺の土地を買い込むと言う事になった。
 それとこれは余談だがはっきり言って私の家と言うか家系は世間一般から言えば上流階級にあたる、だが私の家系は資産の運用を行う事はあっても不要な浪費や贅沢を嫌い更に我が家の家訓が質素倹約と言う少し変わった家系だった、因みに私は男だ紛らわしい一人称で見た目もで少女の様な容姿だが誰がなんと言おうと今の私は男だ。
 
 私は富国強兵について考えて居た…そして富国強兵を成すには安定して得られる豊富な資源が必須であると思われる、そこでまずは農業の機械化を進める事によって食料の安定供給を目指す事、その為にはどうすれば良いかを考えて調べて居ると、アメリカの自動車メーカーのフォートファクトリーと言う会社が『フォーソンS型トラクター』と言う農機具がある事が分かった、そこで『フォートソンS型トラクター』の特許を買収し日本の自動車メーカーのタイハル重工に依頼して『フォートソンS型トラクター』の改良とこれを元にして効率的に稲の収穫まだ脱穀を行う農機具の開発を依頼し、次に石油などの燃料の安定した供給ラインの確保について、どうするかだが油田開発に力を入れる事、その為に先ずは九州に絞って堆積岩などの岩を精密分析し、その中に石油や天然ガスが含まれないか調べようと思う。
 これに関しては私個人でも出来るので軍人になるまでまだ少し時間があるので関東の海岸を中心に調べる事とする、それとダム建設について少し気になった事がありアーチ式ダムは急激に負荷が掛かると崩壊する危険性がありそこでアーチ式ダムの岩盤に接する部分を重力式にする事で耐久性を上げる事が出来ると私は考えるこの建築方式をアーチ重力式のダムと言う事にしよう、このダム建設でのダムの形式はダム式と水路式の良いとこ取りのアーチ重力式のダムを建設しようと思うがその上で、周辺に住む方々への詳しい説明は当たり前としてだ、基礎工事をしっかりと行った上でダムの建設を行う事とし。
 信用できる業者に依頼しようと思う、今後の戦争では航空戦力が脅威になる事が予想出来るその為戦艦などに連射性に優れた対空火器の増設を行う事。
 そして対空戦を見据えた軍事技術の向上を図る事が必要であると私は考える、そしてそれとは別に私が思う軍人教育についての疑問がありその事について曽祖父の日暮 健二郎(ひぐらしけんじろう)陸軍大将と、その友人の長野 長吉(ながのちょうきち)陸軍技術大将や岩田 秀吉(いわだしゅうきち)海軍機関中将に相談する事にした、その結果と祖父の友人の田村 裕一郎(ゆういちろう)を交えての討論を行ったその際に私の考えを一部をのぞいて提案した所曽祖父達に許可された。
 そして私の軍人教育についての疑問だが捕虜になるくらいならば自刃するべしと習うが実際問題、捕虜に誰も成ら無いとは言えずそして捕虜になった場合のマニュアルがない事についての疑問と私自身で考えた捕虜になった場合の対処法を言って見た
《一.捕虜になった場合は敵には嘘の情報を述べる事。
 ニ.敵軍に作戦内容を話してはならない
 三.作戦内容に敵に態と部隊の位置又は作戦内容
漏らす作戦の場合に限り情報漏らす事を許可するこれには将官の許可を必要とする
 四.戦況が不利な場合敵軍に最大限の損害を与える様に行動するべし》
 
 と言う物を提案した所 曽祖父達は皆最初こそ嫌悪と怒りの眼差しを向けて来ていたが、私がそれに動じず最後まで説明すると曽祖父達は虚をつかれた様な顔をした後真剣な表情になって考え始めたそれから少しして対空防衛に関する事と捕虜になった、場合に関する事を次の軍事会議で捕虜の情報漏れの可能とその対策の為のマニュアル作成、対空防衛、航空戦力、対空設備など、また航空機機の研究開発についてを連名で議題に挙げる事にするとの事で……
それから1年後(1931年)
 油田を調べて居ると茨城県の五浦海岸に巨大な油田と天然ガスがある事が分かったこの事を曽祖父(陸軍中将)に報告すると表にこの情報は出さずに軍を上げて秘密裏に調査、油田開発を行う事となった私には今回の功績を持って陸軍少佐の地位を与えられ油田の所有権のを与えられたこの油田は基本的に国家に帰属する物としその上で私に油田の準所有権を与えるとの事これを要約すると基本的にこの油田は国家の物ではあるがこの油田の採掘する権利と油田から得た利益の一部を得られる権利である。
更に1年後(1932年)
 対空防衛と航空戦力の強化案と捕虜に関するマニュアル案が採用されてからこの2年間の間に軍部は秘密裏に20mm対空ガトリングガン《BG 320式対空ガトリング砲》を開発、性能は発射速度が毎分1,000-2,500発、最高発射速度2,000-3,500発 であり射程が1.3km 現時点での対空火器としての最高峰であるこの開発には私も携わった。
 そして《BG 320式対空ガトリング砲》を作る過程での副産物としてG 650式機関銃と770式機関銃が生まれた。
 まず最初は650式静音型軽機関銃その性能、口径は6.5mm弾を使用、発射速度が分間1000発静音性能と命中性に優れサープレッサーの装着も可能であり銃本体は1人でも持ち運びが可能である。

 G3 650式散発型軽機関銃、性能、口径が6.5mm弾を使用発射速度は分間1300発でこの銃の特徴があえて命中精度を下げる事によって発射される弾が広範囲にバラやすい様になっており多数の敵軍との戦闘に特化して居る照準を多少合わせ引金を引くだけで広範囲に大量にばら撒く事によって多数の敵を殲滅する事が出来る、そしてこの銃は2人で持ち運びが可能である。

 770式静音型軽機関銃その性能、口径は7.7mm弾を使用、発射速度が分間1000発静音性能と命中性に優れサープレッサーの装着も可能であり銃は2人で持ち運びが可能である。

 G3 770式散発型軽機関銃、性能、口径が7.7mm弾を使用発射速度は分間1300発でこの銃の特徴があえて命中精度を下げる事によって発射される弾が広範囲にバラやすい様になっており多数の敵軍との戦闘に特化して居る照準を多少合わせ引金を引くだけで広範囲に大量にばら撒く事によって多数の敵を殲滅する事が出来る、そして銃本体は2人で持ち運びが可能である。

G  M450式小機関銃この銃の性能、この銃は口径が4.5mmと小口径で反動も少なく命中精度、静音性共に優れており発射速度は分間900発でボックスマガジンとの互換性がありさらに重量が5.5kgと軽く1人でも持ち運びが可能である。

 大日本帝国陸海軍はこれらの兵器の開発に当たり徹底的な情報統制を行い増産体制も整っておりリスク分散の為に製造所を複数箇所用意する事に成功して居るそして現存する全ての戦艦、軍艦に《BG 320式対空ガトリング砲》を搭載する為に分割して秘密裏に装備の入れ替えを行った……その後私は1931年の9月18日に起きた『満州事変』が起こった、その結果私は1932年(昭和7年)3月1日に満州国が建国されたその後の1933年2月頃に米国の全銀行の業務が停止されたこの時に私の家族が考える事は同じ様で空売りをするのはやめて次は米国のIMB社やモルトゥーラ社の株を大量に買い込むのと日本企業はダイハツと富士電気系列の株を買い込む事になった、因み余談だが何と私の家族達ははどうやら口座の名義を私の名義で使って居るそうだ、何でも誰かが死ぬ度に名義を変えるのが面倒で口座の名義を1つにまとめようという話になった時に何だかんだで1番長生きしそうな奴の名義にしようとなったそうで、そこで白羽の矢が立ったのが私だったそうだ、何故そうなったのか理解に苦しむ聞いて見ても軍人の感だとしか言わない…はぁ……。
 
 1934年にはワシントン海軍軍縮条約が破棄され軍拡競争が始まったそして数年後……

      
 
 
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