Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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9月

3.

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「あー、図書館寄ってくればよかった」
「どうしたの?」
「うーん、ちょっと引用が…タゴール…なくても書けるか。5年前も…」

 千晶はダイニングで明日までのレポートをまとめている最中。独り言のようなつぶやきは慎一郎に解決を求めたつもりではなかった。

「何? こっちにあるかな」
「書斎? 入っていいの?」
「どうぞ、PCも使って」

 慎一郎が寝室脇の扉を開ける。元はストレージなのか他の部屋より狭く、縦に長い6畳程で、中央にデスクとカウチソファ、両壁面に本棚がしつらえていた。

「すごいね」
「紙のほうが見やすいでしょ」

 一般教養と経済分野が一通り揃っているようだった。大学出版の本もあって、例のドッキリのために今まで開かずにしてあったと言った、しようもないな。 
 もう隠す必要がないとなると、慎一郎も饒舌になる。千晶が尋ねれば、茶化したりせず疑問点やアプローチへのヒントを出し、ある程度千晶の考えが出るとまた対峙する意見も掘り下げてその先も示す。
 経済なんて一番無駄な学問だから解はないほうがいいと、照れ隠しのように呟く。

「じゃ、ちょっと借りるね」

 モデルルームみたいな他の部屋と違ってここだけは生活感があると千晶は微笑ましく思った。
 デスクの上には金平糖。本棚に青いプルバックカー。


 そうして千晶が書斎でレポートの続きを書いていると、インターフォンが鳴った、ようだ。話し声が聞こえてきて、気配に振り返ると慎一郎より少し背の高いもやし――もとい細身の男の子が立っていた。
 
 千晶より年下だろうか。あどけなくもある顔には不愉快そうな表情が浮かんでいた。慎一郎より全体的に掘りの浅い顔立ち、ああ、輪郭が似てる。

「こんにちは」
「……おばさん誰?」

 年より上に見られるのは慣れているのでどうということはないけれど、おばさん呼びは心中穏やかではいられない。幼稚園児ならともかく自分より図体の大きい相手に言われ、千晶のこめかみがピクリとする。
 弟の友人や友人の弟妹が、千晶(の外面)に抱く印象は『優しそうなお姉さん』だ。こうして千晶が微笑んでみせれば、ちょっとはにかんだ反応がかえってくるくらいに(第一印象だけ)は素敵なおねえさん。いつもなら。

「はじめまして、高遠です。弟さん?」
「…ここで何してんの?」

「見ての通りお勉強よ、心配? お兄さんが大好きなんだね」

 ぷいと横を向く。図星か。不機嫌さを隠さない青さが微笑ましくもある。

「なーお、弟の直嗣なおつぐ

 遅れてやってきた慎一郎が紹介するが、弟は横を向いたまま。
 よくみると左目の下に小さな泣黒子、慎一郎より背が高いのにひょろっとしているせいかどこか頼りない。

「なおつぐさんにしんいちろうさん、で兄弟ね」

「そういうことは思っても口にしなくない?」
「おばちゃんは図々しいものよ」

(おばちゃん…)礼儀正しいはずの二人のぞんざいなやりとり、どうやら先に仕掛けたのは弟だと慎一郎は理解し成り行きを見守る。兄の交友関係には遠慮がちな弟が、初対面でひねた態度を見せている、どういうことなのかと驚きつつ興味津々だ。一方千晶のほうは相手をしていないようでしている、年上の余裕か。

「僕は庶子だから」
「しょし?」
「婚外子」
「ああ非嫡出子ってことね、じゃぁ上にもう一人いるの」
 弟が小さく頷く。
「いた、たっとぶほうの尚、オレは直角のなお」
「そう」
「それだけ? なんか言うことないのおばさん」

 過去形で性別も濁された意味を汲み取ったのかはわからない。いたずらに微笑んだ千晶が、そっと一言。

「慎ましいに素直かー、兄弟そろって名前負けっ」
「ざけんな」
「直嗣、落ち着いて、ちゃんと通じてるから」
 
 慎一郎が弟の肩に手を乗せると、千晶はただまっすぐにうなずく。批判も憐みもない、ただ言葉だけを理解したという目。ここで根掘り葉掘り聞き出し、聞き出されたところでどうにもならないことだ。

「そういう所はまっすぐだね。そんなに感情的になると周囲に付け込るスキを与えちゃうんじゃないかしら? おばちゃん心配だわー」

 わざわざ口元に片手をやってオバちゃんな態度だが、わざとらしい程まったく似合っていない。弟はまたぷいと横を向く。

「そうだ、マカロンとシュークリームがあるの、直嗣さんはアレルギーとかあるかしら? 飲み物は何がいい?」
「アッサム、F&Mでいいよ」
「はいはい、おばちゃん美味しく煎れられるかな」

 書斎を出て行った千晶の遠回しな意味が分かった慎一郎が一人頷く。何か小細工する気だろう。あれだけ言った相手に飲み物を任せる直嗣にも笑いが込み上げる。

「なんなんですかあのひと、僕たちの名前には突っ込んでおいて親はスルーですか」
「模範的な家庭論が聞きたかったの?」

 珍しくぶつかってくる弟を兄はじっと見つめる。

「それは……、ずっと気にされたくなかったのに、軽蔑も同情もされたくなかったはずなのに、いざスルーされたらこんなはずじゃないと腹立たしく思ってしまって」

 弟も自身の感情を持て余したように、かぶりを振る。

「ああ、最初はそんなもんだよ。俺だってボンボン扱いが嫌だったのに、されなきゃ他物足りなかった。人のアイデンティティは肯定感より否定感で成り立ってるのかもしれないね」
「そう…なのかな」
「それより結果出たんだろ、お茶にしよう」

 兄は弟の背を押しダイニングへ向かう。
 
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