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近すぎる婚約

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 握られた万年筆を持って、私は名前を書いた。嬉しそうに……でも泣いているレミリスに後押しされるように。いつか、その余裕面を泣かせてやると豪語したことがある……。けど、こんな形で泣かせることになるとは思わなかった。こんな……こんな形で泣かせたくはなかった。

「勘違いなされぬように。私が決めたことですから……。いいえ、私と貴方が決めたことです。次からは良き親友として……貴方の反逆に手を貸しましょう」

 「それと、私の差し上げた指輪は持っていてください。差し上げた物ですから、変に外された方が傷付きますから」と言って、涙を拭って余裕綽々の道化面に戻った。お日様が夜に向けて傾くような時間の日射しが入る部屋の中で、レミリスの道化顔に僅かに涙の後が日に照って皮肉なほどに美しい顔を際立たせた。その顔で、悪戯な顔で私の手を取り忠誠の誓いの言葉を述べた。よき配下として、よき親友として、忠誠を誓い貴方の傍に居ると……いつもの巫山戯た調子が消えたしっかりとした声で、レミリスは……。

「レミリス・ブライエは……リエル・メーカー・アンドール様に忠誠を誓います」

 念を押すように二回そう言った。道化顔だけど、どこか血の通うような笑顔だった。





  何度も何度もうろうろとしては、一回転したり跳ねてみたりなどと落ち着きのない様子を……グランドに晒していた。

「うーうー」

「大丈夫だって、行ける行ける。ほーらどうどう」

「僕を馬扱いしないで下さい! も~グランドは……」

 レミリスが、婚姻破棄を決めてリエル様の部屋に行くときに僕も呼び出されて……反対に婚約の書類を握らされて。レミリスの部屋に立たされたんだ。リエル様が直前で、やっぱりレミリスの方がいいと言ったらどうしよう。そうなったら、僕はサイ様とリエル様の良きお兄ちゃんとして居るにはどうしよう。ソレばかり考えてうろうろとしていた。さっきから、それをグランドがなだめてくれるけど……段々雑になって僕を馬扱いしてくるようになったんです。

 そわそわ、そわそわ、熊のようにレミリスのシアンの色が目立つ部屋を右往左往していると、やがてレミリスが入ってきた。その顔は……今までの覇気が消え失せた顔だった。レミリスは何も言わずに自分の部屋兼執務室に雪崩れ込み。らしくもなく、ソファーに身を投げ出して寝転び。

「カペルリットお前の勝ちだ。私は暫く寝たい気分ですのでとっとと婚約の書類を済ませてください」

「……はい。では、失礼しました!」

「おー頑張れー」

 気の抜けた返事で応援してくれるグランドに目もくれずに、僕は頭を下げてレミリスの部屋から出る。いま、今なんだ。いつ戦争が開始するかわからない今だからこそ……僕は伝えなきゃ行けないんだ。レミリスの部屋の扉を静かに閉めれば……。何かを蹴りつけるような大きな音が響いた。

 それに、驚いて肩を揺らすけれど……扉に背を向けてリエル様の部屋に急いだ。今はまだ、怪我ということで面会や書類の仕事が免除される今だからこそ……。今を逃したら落ち着いて聞いてくれる機会なんて、もう訪れないだろう。だから、僕は……リエル様の、サイ様の元へと急ぎ足で向かった。

いま を 逃したら いつ 戦争が起こるか わからないから







 日が本格的に落ちて、自然と魔法のランプが作動して、若干黄色がかった明かりが部屋を灯す時刻に。

「リエル様……僕です。カペルリットです」

 カペル君の声がした。返事をしてカペル君に入って貰うと……大事そうに抱きかかえられていた一枚の紙を持ったカペル君が緊張の面持ちで入ってきた。そうか、今を逃したら、私もカペル君もみんな何時死んでもおかしくない戦争が起こるかもしれないのか、そう、他人事のように認識した。カペル君をぼんやりと眺めれば、緊張の面持ちのまま、ゆっくりと私の元へと歩いて近づいてくる。

 やがて、私の目の前まで来ると一枚の紙を差し出した。思った通りに婚約の書類だった。サインをしなきゃと、ペンを取ろうと毛布を蹴り上げようとしたときに、両手をがっしりと掴まれた。

「え、あの書類」

「その前にッ! 僕の思いを言わせてください!!!」

 がっしりと掴まれた表紙に婚約の書類が私の手を離れて、遠くの地面のへと滑るように逃げていった。突然の事に驚きながらも、やっとこさ書類の事を言ったら。その前にカペル君の思いを聞いて欲しいと言われた。断る理由もないし……私も聞きたかった。カペル君の思いを……。私は、祈るように私の手を掴んで「言わせてくれ」と強い翡翠の瞳で訴えかけるカペル君に、ゆっくりと縦に首を振った。そして、肩の力を抜くように、カペル君は数度深呼吸をすると話し始めた。

「僕は、リエル様に拾われる前は鞭に撃たれ。何度も、何度も劣悪な環境に働かせられていました。そんな中で、リエル様の御前に出された時は……。自分はむごたらしく死ぬのか、はたまた沈黙の氷姫と歌われるように、放置されて餓死で死ぬのかと思って居ました。

 けど、実際に拾われて……あんな汚らしい恰好の僕の背中を支えて。惜しみなく知識と労働力を僕に注いで、僕は僕の道へ進めるようにと、見返りなく全てを与えて立たせてくれた。それは今でも感謝しています。今でも。あの日から……リエル様が【絶対に、こんな惨い世界を変えてみせるから……ごめんね】と言って下さったときから、僕はリエル様をお慕いしています。僕らは兄妹です。妖精族はしませんが人族の常識だと、暗黙の禁忌ですから……。だから、拒絶されるくらいなら黙っていようと、何度も何度も迷っていました。

 僕は、禁忌を反故するほどの覚悟を持っていなかったから。そんなときにレミリス様が僕に勝負を持ち込んできたんです。

【私がリエル様と添い遂げれば、必ず……私はリエル様を不幸にするでしょう。幸せを求めれば仮で済ますべきなのですが、相反する気持ちは、そんなことは知らないと叫んで、お構いなしに私欲のままにリエル様を不幸へと誘ってしまうでしょう。だから、カペルリット様。いえ、カペルリット、妹を不幸にしないために賭けをしないか?】

 結果は、結局リエル様……サイ様を謀るのは忍びなくて自分でばらしてしまいましたが。

 けど、覚悟は出来ていたんです。もし、禁忌を犯しても……。他人から疎まれようとも……。明日互いに死ぬ身だとしても。僕の思いは僕の思ったよりも大きくなっていました。どんなことがあろうとも僕はサイ様を幸せにしたいと思ったのです。

僕は……。僕はたとえ父に嫌われようとも。母に殺されようとも……。サイ様、貴方を守りたい。

僕は……僕は全てを敵に回しても、たとえ僕の思いが禁忌、悪だとしても、僕は貴方が好きです。愛して居ます。

これから、戦争の始まり……。いつ終わるともしれない悲しく苦しい戦いの中でも……。共に永遠に添い遂げると誓います。

リエル様、サイ様、僕と……結婚を前提とした婚約を」

 私はその言葉を飲み込むように、カペル君に口を合わせた。カペル君はこんな時でもまっすぐに私にぶつかってその好意を告げてくる。唾液の架け橋を架けながら離れてみれば……。艶めく腰にまで届く翡翠の髪は左に流され、あんなに女の子っぽいけど、どこかクールな顔立ちはシュッとして……男らしくも冷静沈着なイメージを思わせる顔。けど、実際の心は太陽のように温かい人。本当に、本当に、こんな私達を受け入れて好いてくれるのかと感極まって私は涙を流しながら、口づけてしまった。

 そして、瞬きをして涙を落として……私はカペル君に言った。

「カペル君」



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