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ナザルカラクの悲痛な誓い

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 私の妻から産まれたのなら、私の娘でもある……言われなくともそれはわかっている。理解している。娘を憎むのも怨むものお門違いだということも……理解はしている。だけど、許すことができなかった。どうしても、許せなかった。痛かったろう、苦しかったろう、憎いだろう、無理矢理犯された妻を思えば……許すことができなかった。お門違いだと言えども、僕の正義はほとほと枯れ果ててしまった……だから、彼女を悪とも善とも区別できないままに、中途半端に向き合って互いを傷付ける。独善と呼ばれるようなさっぱりとした物では無い、この心にあるのは中途半端な……許せない自身の嫌悪だけだった。

「ご無事であること願うのみです」

「……このタダの騎士団長が、申します。正義の宰相と名高い貴方が何故そのような迷いに憂いた顔をなさるのですか?」

 無事であるのを祈りながら、騎士団長と酒を酌み交わしていた。全てを見たくない聞きたくないと思う弱くなった僕の精一杯の抵抗をエヴァ王国に隠れ住んでからというもの一緒に付き合ってくれる騎士団長ガルベラストに、リエル様が捕まって救出されたというお話を聞いて、無事であることをと事務的に言ったはずなのにこの男には憂いて見えたようだ。じっとりとした目でガルベラストを見れば、真剣な顔で僕の目を射貫いた。

「ナザルカラク様、貴方様は憎しみを称えながらも、親愛の混ざった複雑な目をなされる。このガルベラストが宜しければ聞きます。ですから、余り酒に溺れることなきよう……」

「もし、僕の妻が強姦されて出来たのがリエル・メーカー・アンドールだと言ったらわかるか! この複雑な気持ちをッッッ!」

 本当に僕は酒を……ワインを飲み過ぎてしまったらしい。激高した僕は叩き付けるようにガルベラスト殿に怒鳴りつけた。僕の妻が強姦されて、その言葉でガルベラスト殿は髭の奥の口元をこれでもかと歪めた。気持ちはある程度は察してくれるだろう、彼は愛妻家で有名だからだ……それが歪な形で息子に伝染するほどに。僕は机を自身の手で叩いた。振動で揺れる何本目かのワイン瓶とワイングラスが不安定な音を出す。それに釣られてボトボトと言うつもりのないことをガルベラストに吐いてしまった。

「リエル様に恨みをぶつけるのは間違っているというのは理解している、産まれは目を背けたい物だか、僕の大事な娘だということは理解している……。頭じゃ理解しているのに……心が付いて行かないんだ。ゆる、せないんだよ。

どれだけ僕の妻は苦しんだのだろう、そう思えば感情はわかりやすく身近な者に向いて……。
僕の大切な娘だ、どんなことでも宰相としてやってやる、絶対に裏切らず……たとえ妻に殺せと言われてもリエル様に剣を向けないと言う誓いは何度も立てた……けど、どうしても憎いんだ……憎いんだよ。
妻が苦しんでると思えば……どうしても愛しい娘だと理解しているのに、どうしようもなく憎いんだ……」

 愛しい娘なのに憎くてしょうが無い、けど愛しいから何があっても裏切らない、なんでもする。そう誓いを立てては憎しみで心が荒んで、日々リエル様の接し方が無礼になっているのは僕が一番わかっている。

「……憎いか、俺も心ある人です。同じ状況になればおそらくは俺もリエル様を怨んでしまうでしょう、それでリエル様に恨みを向けるのは違うとわかっていながら、許せない自分をさらに呪うことでしょう。

ナザルカラク様、貴方はよく頑張っています。少しだけで良いのです、時間を掛けてリエル様に向き合って見ませんか? 私も微弱ながらお手伝いします」

「けれど、僕は」

「リエル様とカペルリット様をご覧なさい。今更といって突っぱねる方々では無いでしょう。安心して下さい、仮にそうでも、俺が全身全霊をもって地に這いつくばってお許しを請いましょう。
そのくらいの覚悟は持ち合わせております。
せっかく出来た酒飲みの友が泣いているのですから、手を差し伸べぬ訳がありません」

 今更遅い、その言葉が呪縛のように絡みついて今の今までずるずると引きずっては、最初は笑い合えたのに今はめっきりソレも無くなった。今更の呪縛に絡みつかれている僕を助け出すように、俯く僕に無骨な傷だらけの手が差し伸べられた。手を辿るようにガルベラスト殿を見ると髭も生えて皺もくっきりと浮かべて笑っていた。記憶の中のガルベラスト殿は確か少年だったのに、そうか、いつの間にか妻をもってこうして僕に手を差し伸べてくれるまで成長してくれたのか……。

 その事実に僕は涙を流して差し伸べてくれる手に自分の手を重ねて握手をした。もう少し、今は憎くて憎くてしょうが無いけれど、いつか、いつか向き合えるように僕も前を向かねば僕は正義の宰相と言われていたのだ、迷いは早く捨てて、独善と呼ばれようとも自身の道を信じる僕に変わらねば。息子の為にリエル様の為に……愛しい妻のために。

僕は絶対に迷わぬようにしなければ、妻も息子も娘も助ける。絶対に……僕は。

「ありがとう、そのときはよろしくお願いするよ」

「ええ」

 少年の時と変わらぬ笑みをしてから、そろそろと退場していくガルベラスト殿。人間は本当に我々よりも早く成長して、そして早く去って行く、こうして酒を酌み交わせるのはあと何度になることやらと笑って握り閉めた手の平を見て笑た。

 そして、ソファーに背を預けて目を瞑れば思い浮かぶ悲痛なカペルリットの顔……見た目だけは僕ににて、性格は正反対の僕の大事な息子。

【どうして、我が君を見てくれないんですか! 僕のお母さんを犯したのはアンドール国王でリエル様ではないことをなんでわからないんですか! 分からず屋ッ!!】

 リエル様がクルクラフトに言ってから何度目かわからない喧嘩をした。あれから随分親子関係は悪くなったなと思いながら、目を開けて空っぽのボトルの山を見れば、それはそうかとため息をついて、自分で片付けようとソファーから立ち上がって少しよろけた。

「現実を見ずに酒に溺れる父親なんて、それは嫌だよ。僕もそう思う」

 僕が僕のような父親だったら殴り飛ばしてでも現実を見ろと怒鳴った事であろう。自分も年老いて落ちて思考が近視になったものだと笑いながら、ボトルをメイドが片付けやすいように並べ、つまみの類は勿体ないから口に放り込んで咀嚼した。あまり行儀の良いことではないが、妻と息子が攫われる前は庶民としての暮らしを一年だけ楽しんでいたのだから思うところはない。

 まぁ、すぐに僕がナザルカラクだと知れるやいなや、すぐに城に連行されて召し上げられ短い庶民生活だったがそれなりに楽しかった。またあのように自分の口も拭けない子供だったカペルの口を拭いて笑い合うような……暖かな暮らしをしたい……。

【我が君、我が君~!!! 我が君は凄いんですよ今は見つからないけど、奴隷の僕でも……】

「どうやって取り下げようか」

 僕は予め、息子が安全に暮らせぬのなら裏切ると初期の頃にくだらない啖呵を切ったせいで、余計にこじれて今が在る。流石に早々に撤回すれば二人に変な誤解をされかねない。

「将を得るなら馬を射よ。ならばこうするか」

 今一度息子を習って僕も素直に行動してみようと思い立ちながら瓶を規則正しく並べた。コツコツとした音を立てながらこうしようああしようと、考え続けた。


 こうして大真面目に湾曲した仲直り作戦を組まれていることなどクルクラフトに居るリエル・メーカー・アンドールは知るよしもなかった。

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