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四章 邪教
十九.神隠し再び
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梅雨に入り、じとじととした雨が降り続いていた。
今日も小雨が降る中、総二郎はお志津と二人、居酒屋『みの屋』の二階にいた。
「旦那、こういう蒸し暑い日には、冷たいざる蕎麦が一番ですね」
「そうだなあ。鰻なんかもいいな」
「おっ、鰻もいいですねえ。たっぷり精をつけて……えへへ……」
勝手に顔を赤くして恥じらうお志津に、総二郎は苦笑いをする。
「こら、何を考えてるんだ」
「何って、ナニでやんすよ。もう、旦那ったら、全部言わせねえでくださいよ」
普段は真面目にお役目を務めるお志津だが、こうして二人きりの時には甘えてしまう。
あれから何度も可愛がられて、すっかり味をしめてしまい、こうしてあけすけに誘いをかけるようになっていた。
「ふふ、まあ、それはまたじっくりと、な……」
「はぁい、旦那」
総二郎は最後の一口を啜り、茶を飲みながら真面目な顔になる。
「ところで、例の鬼火、何か掴めたか?」
「それなんですがね……」
お志津も表情を改め、居住まいを正した。
「お梅ちゃんの一件以来、江戸市中に同じような事件があったか調べてみたんです。そうしたら、今月になって四件、届け出があったそうで」
「ふむ、それはお梅のような若い娘か」
「へい。十八から二十二くらいの、若い娘ばかりです」
お志津の報告に、総二郎は顔を曇らせる。
「状況としては、どのような」
「大店の娘や、町家の娘、どれも、一人で出掛けたところを狙われたようです」
「お梅のときと同じか」
「へい。手口も同じようなもので、人通りの少ないところを見計らって拐かしているようです。何しろ目撃した者が見つからず、まるで神隠しに遭ったように消えてしまうんだそうで」
「神隠しか……。やはり、鬼火の手の者が絡んでいる可能性は高いな」
「はい。あの一件のとき、助け出した娘たちに聞いたところ、山へ菜を取りに行ったり、使いで一人で出たところを拐われた者ばかりでした。しかも、どの娘も、あらかじめ目をつけられてたようなんです」
腰に指した扇子を開き、ひらひらと扇ぎながら総二郎は話を聞いている。
「どの娘も、その村で一番の器量良しばかりで。決まって、拐われた前日には、村によそ者が入り込んでたと思われる証言もありやす」
「江戸市中の娘も、同じようなものかな」
「へい。いずれも、器量良しで評判の娘ばかりです。神隠しに遭ったという娘の家で聞いてみましたが、やはり怪しい者がうろついていたという話がありました。中には長屋で一人暮らしの娘もおりまして、長く留守にしているから様子がおかしいと近隣の者が届けてきた例もあります」
「なるほど。若くて美人の娘が狙われていると。手口は同じだな」
パタンと扇子を閉じ、総二郎はお志津を見つめる。
「そうなってくると、お前たちのことが心配だな」
「へ? あっしですか?」
「うむ。お志津は俺と行動を共にしていることが多いが、お香はそうではない。器量良しという点ではお前たち二人も充分に当てはまるし、長屋も二人暮らしであるからな」
「そ、そんな、器量良しだなんて……へへっ。まあ、あっしはこんななりをしてますが、お香は一人でいることが多いですからねえ」
顔を赤くして照れながらも、お志津は妹のことが心配になってきたようだ。
「うむ。事件が落ち着くまで、八丁堀の役宅か、深川の別宅に越してきてはどうだ」
「いいんですかい? そうしていただけると、あっしも安心です。お香と相談して、早速」
「お前たちだけでも保護しておかねばな。役宅なら信兵衛や雪がおるし、別宅には葉月が詰めておる。おかしな目に遭うこともあるまい」
「はい。是非ともお願いいたします」
お志津は、総二郎に向かって頭を下げた。
「今日、お香は時雨のところへ行っているはずだな」
「はい、三日に一度の手習いの日です」
「では、様子見がてら、その話をいたすとするか」
「分かりやした。お供させていただきます」
連れ立って表に出た二人の前に、奇妙な一団が通りかかった。
編笠を目深に被り、修験者のような装束を身につけている。
金色の鈴がつけられた錫杖を地面に突き立てながら、念仏のようなものを唱えて歩いていた。
列の中程に、朱塗りの輿を担いだ者がおり、その上には真っ白い髑髏が飾られている。
「なんだ、あれは」
「うわっ、ありゃ、荼吉尼宗ですぜ」
「はて、聞いたことは無いが」
「荼枳尼天を祀っている、怪しい宗教です。ここ最近、ああして通りを練り歩き、念仏を唱えて回ってるとか。布施を求めるわけではなく、ただ教義を書いた紙を配って歩くだけなんですが、あの髑髏が不気味で、江戸市中ではあまり良い目で見られていないようです」
「はてさて、面妖な者たちじゃな……」
荼吉尼宗の一団は、通りを歩きながら、商家や町家に入り込み、黒く墨で塗られた紙を手渡していた。
お志津に命じてその紙を取り寄せてみると、黒塗りの和紙に赤字の一文が書かれている。
『衆生和合を以て、一切の災厄を断たんとするものなり』
お志津はそれを見て、ぶるりと身を震わせた。
「なんか、薄気味悪いですね」
「そうだな……。荼枳尼天は稲荷にも祀られる神だが、その昔、それを祀った邪教の類いがあったとも聞く。妙なことにならねばよいが」
ボソボソと念仏を唱えながら去っていく集団を後ろに、総二郎とお志津は深川へと向かった。
今日も小雨が降る中、総二郎はお志津と二人、居酒屋『みの屋』の二階にいた。
「旦那、こういう蒸し暑い日には、冷たいざる蕎麦が一番ですね」
「そうだなあ。鰻なんかもいいな」
「おっ、鰻もいいですねえ。たっぷり精をつけて……えへへ……」
勝手に顔を赤くして恥じらうお志津に、総二郎は苦笑いをする。
「こら、何を考えてるんだ」
「何って、ナニでやんすよ。もう、旦那ったら、全部言わせねえでくださいよ」
普段は真面目にお役目を務めるお志津だが、こうして二人きりの時には甘えてしまう。
あれから何度も可愛がられて、すっかり味をしめてしまい、こうしてあけすけに誘いをかけるようになっていた。
「ふふ、まあ、それはまたじっくりと、な……」
「はぁい、旦那」
総二郎は最後の一口を啜り、茶を飲みながら真面目な顔になる。
「ところで、例の鬼火、何か掴めたか?」
「それなんですがね……」
お志津も表情を改め、居住まいを正した。
「お梅ちゃんの一件以来、江戸市中に同じような事件があったか調べてみたんです。そうしたら、今月になって四件、届け出があったそうで」
「ふむ、それはお梅のような若い娘か」
「へい。十八から二十二くらいの、若い娘ばかりです」
お志津の報告に、総二郎は顔を曇らせる。
「状況としては、どのような」
「大店の娘や、町家の娘、どれも、一人で出掛けたところを狙われたようです」
「お梅のときと同じか」
「へい。手口も同じようなもので、人通りの少ないところを見計らって拐かしているようです。何しろ目撃した者が見つからず、まるで神隠しに遭ったように消えてしまうんだそうで」
「神隠しか……。やはり、鬼火の手の者が絡んでいる可能性は高いな」
「はい。あの一件のとき、助け出した娘たちに聞いたところ、山へ菜を取りに行ったり、使いで一人で出たところを拐われた者ばかりでした。しかも、どの娘も、あらかじめ目をつけられてたようなんです」
腰に指した扇子を開き、ひらひらと扇ぎながら総二郎は話を聞いている。
「どの娘も、その村で一番の器量良しばかりで。決まって、拐われた前日には、村によそ者が入り込んでたと思われる証言もありやす」
「江戸市中の娘も、同じようなものかな」
「へい。いずれも、器量良しで評判の娘ばかりです。神隠しに遭ったという娘の家で聞いてみましたが、やはり怪しい者がうろついていたという話がありました。中には長屋で一人暮らしの娘もおりまして、長く留守にしているから様子がおかしいと近隣の者が届けてきた例もあります」
「なるほど。若くて美人の娘が狙われていると。手口は同じだな」
パタンと扇子を閉じ、総二郎はお志津を見つめる。
「そうなってくると、お前たちのことが心配だな」
「へ? あっしですか?」
「うむ。お志津は俺と行動を共にしていることが多いが、お香はそうではない。器量良しという点ではお前たち二人も充分に当てはまるし、長屋も二人暮らしであるからな」
「そ、そんな、器量良しだなんて……へへっ。まあ、あっしはこんななりをしてますが、お香は一人でいることが多いですからねえ」
顔を赤くして照れながらも、お志津は妹のことが心配になってきたようだ。
「うむ。事件が落ち着くまで、八丁堀の役宅か、深川の別宅に越してきてはどうだ」
「いいんですかい? そうしていただけると、あっしも安心です。お香と相談して、早速」
「お前たちだけでも保護しておかねばな。役宅なら信兵衛や雪がおるし、別宅には葉月が詰めておる。おかしな目に遭うこともあるまい」
「はい。是非ともお願いいたします」
お志津は、総二郎に向かって頭を下げた。
「今日、お香は時雨のところへ行っているはずだな」
「はい、三日に一度の手習いの日です」
「では、様子見がてら、その話をいたすとするか」
「分かりやした。お供させていただきます」
連れ立って表に出た二人の前に、奇妙な一団が通りかかった。
編笠を目深に被り、修験者のような装束を身につけている。
金色の鈴がつけられた錫杖を地面に突き立てながら、念仏のようなものを唱えて歩いていた。
列の中程に、朱塗りの輿を担いだ者がおり、その上には真っ白い髑髏が飾られている。
「なんだ、あれは」
「うわっ、ありゃ、荼吉尼宗ですぜ」
「はて、聞いたことは無いが」
「荼枳尼天を祀っている、怪しい宗教です。ここ最近、ああして通りを練り歩き、念仏を唱えて回ってるとか。布施を求めるわけではなく、ただ教義を書いた紙を配って歩くだけなんですが、あの髑髏が不気味で、江戸市中ではあまり良い目で見られていないようです」
「はてさて、面妖な者たちじゃな……」
荼吉尼宗の一団は、通りを歩きながら、商家や町家に入り込み、黒く墨で塗られた紙を手渡していた。
お志津に命じてその紙を取り寄せてみると、黒塗りの和紙に赤字の一文が書かれている。
『衆生和合を以て、一切の災厄を断たんとするものなり』
お志津はそれを見て、ぶるりと身を震わせた。
「なんか、薄気味悪いですね」
「そうだな……。荼枳尼天は稲荷にも祀られる神だが、その昔、それを祀った邪教の類いがあったとも聞く。妙なことにならねばよいが」
ボソボソと念仏を唱えながら去っていく集団を後ろに、総二郎とお志津は深川へと向かった。
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