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三章 暗躍
十六.鬼火
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日が暮れる頃、総二郎は深川に戻ってきていた。
お志津は奉行所に向かわせ、引き続き情報を集めさせている。
深川八幡宮の門前町に差し掛かると、ちょうどお梅が店じまいの支度をしていた。
「あら、総二郎様。お志津さんは一緒じゃないのですか?」
「ああ、一足先に奉行所へ行かせておる」
「そうですか。お役目、いつもお疲れ様でございます」
縁台をしまったお梅が、ふと思い出したように両手を合わせた。
「そういえば、昼間、千春様がいらっしゃってたんですよ」
「千春殿が?」
「ええ、ちょうど、総二郎様たちがいらした頃ですね。お二人が出られてから、すぐに後を追ったように見えたのですが……」
「なんだと……、我らの後を?」
「はっ……はい……」
相手がどのような手練であっても、つけられていたなら気づくはずだ。
きっと、話を盗み聞きして、別方向から四谷に向かったのかもしれない。
総二郎は瞬時にそう考えると、元来た道を駆け出した。
夜が更け、江戸は静けさに包まれている。
四谷にある旗本古谷家の下屋敷、そこだけは妙な活気に溢れていた。
表門は閉じているが、裏の小路にある木戸の周りに、柄の悪い人相の男が辺りに目を光らせている。
そこへ、笠を被った若侍が姿を見せた。風森千春である。
「御免、賭場はこちらですか」
「おっと、お侍様、滅多なことは言わねえでくだせえ。黙ってお入りになればよろしいので」
「すまぬ。少々入り用でな」
「へへへっ、そりゃどうも。お侍様、さてはコレですな」
男は小指を立てて、下卑た笑いを浮かべる。
千春は鷹揚に頷き、袂から小銭を出して男に握らせる。
「おっと、こんなにいいんですかい?」
「うむ。実は博打は初めてでな。簡単に教えてもらえぬだろうか」
「なんとまあ、教えたところで当てられるかは分かりやせんが……」
気前のいい相手だと思ったのか、男はホクホク顔で鉄火場の決まり事を千春に伝えた。
「なるほどな。一か八か、やってみることにしよう」
「へへっ、お侍様に運が向くことを祈っておりやすぜ」
さらに追加で小銭をもらった男は、揉み手をしながら千春を見送った。
「丁方ないか、半方ないか……。コマが揃いやした」
白布の敷かれた盆茣蓙の上に木札が並べられている。
晒に下帯姿、肩から背にかけて彫り物を入れた壺振りが、客たちをじろりと見回す。
「勝負! 二・六の丁!」
出目を見て、喜びの声を上げる者、頭を抱える者、様々である。
千春も教えられた通りコマを買い求め、博打に参加したが、負けもせず、勝ちもせずといった状態で時が過ぎていった。
「五・六の半!」
賭場では丁半博打が続いている。
千春は一度席を立ち、様子を見る振りをしながら、脇の小部屋に入る。
そこでは、小休止をとる客のために、茶や酒、いなり寿司が並べられていた。
「お侍様、どうでやすか?」
近寄ってきたのは、表にいた男だった。
他の者と見張りを交代し、小腹を満たしに来たようだ。
いなり寿司を頬張りながら、ちびちびと盃を傾ける。
「いやあ、難しいものだな。さっぱりだ」
「へへ……なかなかそう上手くはいかねえでやんすね」
「そうだなぁ」
千春はいつも以上に晒をきつく巻き、声の調子も変えている。
そのため、男は千春が女だとは全く気がついていないようだ。
そこへ、大柄な男が裏から入ってきて、壁に背をつけて座り込んだ。
腰には脇差、手には大刀を握っている。
「これはどうも。笹月先生」
「うむ……」
千春は興味を盆に移している振りをしながら、緊張に身を強張らせた。
名前を言われるまでもなく、笹津恒九郎であろうことは瞬時に察せられた。
それほどまで、尋常ではない殺気を身に纏っている。
総二郎の剣気とは全く異質の、血生臭さを感じさせた。
「お侍様、どうされるんで?」
「うむ? ああ、もう懐がなあ……」
「あぁ、そうでしたか。災難でしたなあ」
見張りの男がいたのは幸いであった。
雑談をしながら、慎重に恒九郎の気配を探ることができた。
「お、これは……鬼火の親分」
男が慌てて姿勢を正し、深々と頭を下げる。
奥から出てきた、海老茶色の羽織を来た男に挨拶をしていた。
穏やかな顔をした、裕福そうな商家の主といった風体である。
ただ、その目は細く歪められ、油断ない光を湛えている。
「ああ、そのままそのまま。ご苦労さまだね」
鬼火と呼ばれた男は、鷹揚に挨拶をし、笹月に耳打ちをした。
「今日は品川に……」
千春はそれを密かに聞きながら、見張りの男に話しかけた。
「どうやら、今日は日が悪かったようだ。また今度お邪魔することにしよう」
「お侍様、今度はツケばいいでやんすね」
「そうだな、今日はありがとう」
千春はそっと立ち上がり、緊張を気取られぬようにしながら外に出る。
そして、表通りの並木に身を隠し、じっとその時を待った。
しばらくすると、鬼火が提灯を片手に出てきた。
供はおらず、真っ直ぐ品川方面に歩いていく。
千春は少し距離を置いて、静かに後をつけていった。
お志津は奉行所に向かわせ、引き続き情報を集めさせている。
深川八幡宮の門前町に差し掛かると、ちょうどお梅が店じまいの支度をしていた。
「あら、総二郎様。お志津さんは一緒じゃないのですか?」
「ああ、一足先に奉行所へ行かせておる」
「そうですか。お役目、いつもお疲れ様でございます」
縁台をしまったお梅が、ふと思い出したように両手を合わせた。
「そういえば、昼間、千春様がいらっしゃってたんですよ」
「千春殿が?」
「ええ、ちょうど、総二郎様たちがいらした頃ですね。お二人が出られてから、すぐに後を追ったように見えたのですが……」
「なんだと……、我らの後を?」
「はっ……はい……」
相手がどのような手練であっても、つけられていたなら気づくはずだ。
きっと、話を盗み聞きして、別方向から四谷に向かったのかもしれない。
総二郎は瞬時にそう考えると、元来た道を駆け出した。
夜が更け、江戸は静けさに包まれている。
四谷にある旗本古谷家の下屋敷、そこだけは妙な活気に溢れていた。
表門は閉じているが、裏の小路にある木戸の周りに、柄の悪い人相の男が辺りに目を光らせている。
そこへ、笠を被った若侍が姿を見せた。風森千春である。
「御免、賭場はこちらですか」
「おっと、お侍様、滅多なことは言わねえでくだせえ。黙ってお入りになればよろしいので」
「すまぬ。少々入り用でな」
「へへへっ、そりゃどうも。お侍様、さてはコレですな」
男は小指を立てて、下卑た笑いを浮かべる。
千春は鷹揚に頷き、袂から小銭を出して男に握らせる。
「おっと、こんなにいいんですかい?」
「うむ。実は博打は初めてでな。簡単に教えてもらえぬだろうか」
「なんとまあ、教えたところで当てられるかは分かりやせんが……」
気前のいい相手だと思ったのか、男はホクホク顔で鉄火場の決まり事を千春に伝えた。
「なるほどな。一か八か、やってみることにしよう」
「へへっ、お侍様に運が向くことを祈っておりやすぜ」
さらに追加で小銭をもらった男は、揉み手をしながら千春を見送った。
「丁方ないか、半方ないか……。コマが揃いやした」
白布の敷かれた盆茣蓙の上に木札が並べられている。
晒に下帯姿、肩から背にかけて彫り物を入れた壺振りが、客たちをじろりと見回す。
「勝負! 二・六の丁!」
出目を見て、喜びの声を上げる者、頭を抱える者、様々である。
千春も教えられた通りコマを買い求め、博打に参加したが、負けもせず、勝ちもせずといった状態で時が過ぎていった。
「五・六の半!」
賭場では丁半博打が続いている。
千春は一度席を立ち、様子を見る振りをしながら、脇の小部屋に入る。
そこでは、小休止をとる客のために、茶や酒、いなり寿司が並べられていた。
「お侍様、どうでやすか?」
近寄ってきたのは、表にいた男だった。
他の者と見張りを交代し、小腹を満たしに来たようだ。
いなり寿司を頬張りながら、ちびちびと盃を傾ける。
「いやあ、難しいものだな。さっぱりだ」
「へへ……なかなかそう上手くはいかねえでやんすね」
「そうだなぁ」
千春はいつも以上に晒をきつく巻き、声の調子も変えている。
そのため、男は千春が女だとは全く気がついていないようだ。
そこへ、大柄な男が裏から入ってきて、壁に背をつけて座り込んだ。
腰には脇差、手には大刀を握っている。
「これはどうも。笹月先生」
「うむ……」
千春は興味を盆に移している振りをしながら、緊張に身を強張らせた。
名前を言われるまでもなく、笹津恒九郎であろうことは瞬時に察せられた。
それほどまで、尋常ではない殺気を身に纏っている。
総二郎の剣気とは全く異質の、血生臭さを感じさせた。
「お侍様、どうされるんで?」
「うむ? ああ、もう懐がなあ……」
「あぁ、そうでしたか。災難でしたなあ」
見張りの男がいたのは幸いであった。
雑談をしながら、慎重に恒九郎の気配を探ることができた。
「お、これは……鬼火の親分」
男が慌てて姿勢を正し、深々と頭を下げる。
奥から出てきた、海老茶色の羽織を来た男に挨拶をしていた。
穏やかな顔をした、裕福そうな商家の主といった風体である。
ただ、その目は細く歪められ、油断ない光を湛えている。
「ああ、そのままそのまま。ご苦労さまだね」
鬼火と呼ばれた男は、鷹揚に挨拶をし、笹月に耳打ちをした。
「今日は品川に……」
千春はそれを密かに聞きながら、見張りの男に話しかけた。
「どうやら、今日は日が悪かったようだ。また今度お邪魔することにしよう」
「お侍様、今度はツケばいいでやんすね」
「そうだな、今日はありがとう」
千春はそっと立ち上がり、緊張を気取られぬようにしながら外に出る。
そして、表通りの並木に身を隠し、じっとその時を待った。
しばらくすると、鬼火が提灯を片手に出てきた。
供はおらず、真っ直ぐ品川方面に歩いていく。
千春は少し距離を置いて、静かに後をつけていった。
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