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39.可愛い妖精

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「……ごめんよ、隣町って町があるんじゃないんだね」

「……んなもんねえだよ。ラハールの隣だべ」

アスドーラは適当に転移した。
正確に言えば、隣町という近隣の町があるのだと思い転移したわけだが、到着したのはトナリーという寂れた村だった。

「あん?誰だ」

人相の悪い男にがんをつけられ、アスドーラはすぐさま転移する。

「向こうだ」

今度は正しい町に転移したようだ。
ルーラルがアスドーラの手を引き、駆け出した。

町、というよりは村。
トナリーの村にどこか似た雰囲気があった。
小屋が点在していて、あちらこちらには畑があって、遠くの方に集落のようなものがある。

農道の突き当りに着くと、そこは集落の入口であった。

「んおお!ルーラルでねが」
「けーったんか?都会が嫌んなったか」

村民たちの声には耳を貸さず、とある家へと一目散に駆け込んだ。

「おっ母!」

奥の部屋を開け放ち、中に入ると大きめのベッドが一台。
その上ではぜえぜえと呼吸を荒くする女性が横たわっていた。

「おっ母!」

ルーラルは女性に縋りつき、愛情を貪るように抱きしめた。

てくてくとベッドのそばまで行き、アスドーラは女性の顔を覗き込んだ。

「……ん?」

女性の顔には酷い痘痕があった。
毒のせいかとも思ったが、テーブルに置かれた布や桶、そして瓶を見るに、もともとの持病らしい。

「頼むだよ。なんでもすっから、おっ母を助けてぐれだよッ!頼むだ!頼むだよッ!」

辺りを観察していたら、ルーラルは床に膝をつき何度も何度も頭を床に叩きつけた。

「どうしてあんなことしたの?」

アスドーラは、ルーラルの母を助けるつもりであった。
だが無条件とはいかない。
ノピーを殺しかけたステルコスに加担していたのだから、簡単に許す気にはなれなかった。

「……そ、それはコッホ先生が」

「ああ、今日のことはどうでもいいんだ。ノピーの件だよ」

「……」

黙りこくったルーラルは、唇を噛み締め懇願するようにアスドーラを見上げるばかりで、なかなか答えようとはしなかった。

「コッホ先生は、僕やジャックのような強い人を拐おうとしたんだ。だから君の任務は、僕と仲良くなって、あの場所に誘導できればそれでよかったんでしょ?
ならなんで、ステルコスにノピーを売ったの?
今回の件となんにも関係がないじゃない」

「……ステルコスの情報を引き出せって言われただよ。アイツは王族だべ、だから近づいてなんでもいいから情報をもって来いって言われたんだべ」

「ん?うん、それで?」

「でも翌日にはアスドーラに近づけって言われただよ。だけどもアイツ、独占欲が強えから……見たっぺ?髪をぶち切られるとこ」

「……ああ、ジャックが助けてたね」

「だがら、上手く離れねえといけねがった。でねえと退学にさせられるかもしれねがったんだ。だから……だがら」

「ノピーを生贄にしたんだねえ」

「まさか、あんなことになるとは思わねかったんだ」

「……ああ、だからか」

ふと思い出すのは、ノピーを治して寮の部屋に戻った時だ。
ボロボロにされていた教科書やカバンが、綺麗に元通りにされていた。
ルーラルが泣きながら直していたと、ジャックが教えてくれたっけ。

アスドーラは、ルーラルの話に納得した。
大方、筋が通っているし、その態度も良心の呵責によるものだと思う。

……これが人の狡猾さ。

脆いがゆえ、弱いがゆえの、生存戦略なのか?

同族に対する態度としては、不適格だ。
人間は人間、エルフはエルフ、獣人は獣人を同族として守り共に発展していくべきなのに。
互いに足を引っ張り合い、口減らしの如く命を奪う事が、果たして同族への仕打ちなのか。

……均衡か。

アスドーラは、思い出す。
均衡という言葉を、コッホが使う以前に聞いていたことを。

「ステルコスの情報を引き出してどうするつもりだったのかな?僕たちはどこに拐われるはずだったの?」

半ば確信していた推測であった。
ルーラルの口から裏付けが得られれば良し、得られずとも獣人たちが転移に使用した刻印術を探れば分かることだ。

「直接は聞いでねえけんど、先生はミッテン統一連合の出身だで、たぶん、スパイだど思うだ」

推測通り、国であった。
同族で殴り合う要因だ。

別に同族同士で殺し合ったって構わない。というのが本音だ。
もしも人が、殺し合いを望む生物ならば、それが本来の姿ならば隠す必要はない。
でも違う。
彼らは理知的で優しく、博愛の心を持つ生物だ。

それだと言うのにどうして同族に、その心を向けないのか。
どうして同族にすら、その心を向けないのか。

向けられないのか。

同族に限らず他族に対してもである。
亜人を差別する根本は、嗜虐性ではない別のところにあるのだと思う。
嗜好がそうさせるのではなくて、もっと何か、本能的な忌避ではないだろうか。

同族嫌悪と他族忌避には、差別と深い関わりがあるような気がしてならない。

そして本当にくだらない。

どんな理由であれ、安楽から遠ざかる人の愚かさに腹が立つ。

もっと自由でもっと楽しく生きていたらいいのに。

本当にくだらないんだよ。
いい加減に、くだらない。

「ア、アスドーラ、様。お願いしますだ。おっ母を――」

頭を下げるルーラルの声でハッとした。

「ああごめん。毒って魔法で治せるの?」

「弱えんなら。でも強えのは薬じゃなきゃ無理だぁ」

「病院か。この辺にある?」

「ここにはねえだよ。ラハールの教会が一番近えだ」

教会と聞いて、アスドーラは首をかしげる。

「病院だよ?教会じゃなくて病院」

「……病院は、ムリだ。あすこは、貴族か金持ちの行くとこだべ。オラたち庶民は教会で治してもらうだよ」

「またか」

「えっ?」

「分かった行こう」

「あっ!ちょっと待つだよ」

ルーラルはそう言って床に這いつくばった。
全身をくねくねさせてベッドの下へ潜り込むと、何度か頭を打ち付けながらも、アスドーラのもとへと戻ってきた。

頭にはホコリを被り、ゴホゴホと咳き込む彼女の手には、高そうな革袋が握りしめられていた。
アスドーラが持っている、路銀の入った革袋にそっくりで、大きさはそのふたまわりほど小さい。

「か、金だ。これの半分、持っててけれ。足りなきゃ働いて返すだよ」

「……」

一気に何かが弾けた気がした。
ぷくぷくと沸き立つ溶岩が飛び散ったような、そんな事後感が、たまらなく絶望に似ていた。

「いらないよそんなの」

「えっ、いや、た、頼むだよッ!ちゃんと、オラ働いて返すだ!体だって売れば金になるだよ。ステルコスからも……王族からも、お墨付きもらっただ!だから――」

「僕に触れるな」

アスドーラは、得も言われぬ虚無にいた。
彼女が悪いわけではない。
彼女は何も悪くない。

むしろ立派に生きている。
母を助けるためあらゆる手を尽くそうとした結果が、今だ。

彼女に非があるとすれば、アスドーラの友に手を出そうとしたこと。手を出したこと。それだけだ。
それすらももう、怒ってはいない。

だから、やり場のない怒りの処理に困り、彼女へと向けてしまった。

「……ッ!ず、ずまねえだよ、勘弁してけれ、アスドーラ様」

アスドーラの拳がミシリと音を立てた。
痛みでどうにかなるのなら、もう一度あの溶岩に身を浸してもいい。
そう思えるほど、悔しくて仕方なかった。

人をここまで貶める人の所業が、悔しかった。

「行こう」

「え?」

転移したのはラハールの教会でも、ラハールの高級病院でもない。

「っひゃああっ!あああ、アスドーラ様!?」

ノース王国王城の会議室であった。

「エリーゼ。この人毒を盛られたみたいだから治してあげて」

「……か、畏まりました。え?毒!?なんの毒です?」

「分かんないよ。とにかく治して」

「はいッ!衛兵!」

机の上に横たわる女性を、騎士たちが丁重に運んでいく。
あたりを見回すと、見たことのない服装の見たことのない顔がちらほら座っており、目が点になっている。

それは仕方のないことだ。

なんせ、只今は国家間の会談中だったのだ。
そこへ突然現れた、謎の少年。
しかも机の上に。

「……ど、どなたですかな?陛下」

顔を引き攣らせて尋ねたのは、机を挟んでエリーゼの真向かいに座っていた男だった。
ピシッとしわのない詰め襟のジャケットと、金色の装飾品が、この中でもかなりの高位者であると示している。

「あ、はい!このお方は、その、ちょっとお待ちください!」

エリーゼはアスドーラの腕を引っ張り、机から引きずり下ろすと、耳元で囁く。

「色々とありまして我々はその、アスドーラ様に臣従したいのです。ですからドラゴンであると、伝えてもよろしいですか?」

突拍子もない提案だった。
寝耳に水とはこのことで、アスドーラには一切知らされていなかった、国家臣従という大きな決断は、密かに進められていたらしく、他国に根回しをするほど本気であった。

だが、そうだとしても今は間が悪かった。

「それでどうするの?他の国を侵略するの?僕の力を使ってさ、亜人とか人間を殺すの?」

「ま、まさかそんなことは。我々は亜人と共に世界の――」

「君たち全員殺したって構わないんだよ。世界から、人を消したって構わないんだよ。
どうせまた、君たちと同じような生物は生まれるんだ。
君たちみたいな出来損ないとは違って、今度はきっと、より良い世界を望む生物が生まれると思うんだ」

「……私はただ、アスドーラ様の」

「気安く触らないでよ」

アスドーラは、腕を振り払った。
シンとした会議室を見回し、これが本来あるべき姿なのだと思った。

畏怖の念でアスドーラを見る、その眼差しこそ正しい。
お前たちは弱いんだ。
たまたま生まれ、そして繁栄しただけ。
それなのにどうして、くだらないことに人生を費やすのだ。

それが望みなら、今みたく恐れながら下を向いて生きていればいい。
コッホに操られていた獣人たちのように、鈍感に漫然と言われたことだけしていればいいさ。

「この子は娘だ。あの女性と一緒のとこにいさせてあげて」

「……畏まりました」

ルーラルを会議室に残し、アスドーラは学校の広場へと帰った。
そこには既に、たくさんの騎士がいて、獣人たちを拘束したり死体を運んでいる最中だった。

「アスドーラ貴様、どこへ行っていた」

騎士と話し込んでいたザクソンは、転移してきたアスドーラを見つけるやいなや、いつもの陰気な視線で全身を見回した。

「怪我はないのか?必要なら救護室で――」

「ノピーたちは教室ですか?」

「ああ。ジャックたちも心配ない」

「そうですか」

アスドーラは、ズルズルと引きずられる鳥人のもとへ、吸い寄せられるように近づいた。
魔力酔いでまともに動けないようだが、意識ははっきりしているらしく、アスドーラを認めるや目を見開いて顔を逸らした。

「この人はどうなるんです?」

鳥人の脇を抱える騎士たちは、アスドーラに対して怪訝な表情を浮かべつつも答えた。

「取り調べをしてから裁判だ」

「操られていただけですよ?」

「分かっている。奴隷刻印の形跡があったからな。だが実行犯はコイツらだ。無罪放免とはいかん」

……言葉にならない。

もう言葉にするのも億劫なほど不条理に感じた。

こんなに悔しいのに、この人はなんにも分かってない。

鳥人は諦めたように引きずられる、騎士は当たり前のように罪人として彼を連行する。

そういうものなのだろう。
人の決めたルールは、そういうもの。

でも、とても悔しい。
エリーゼに言った通り、いっそのこと僕が世界を作り変えたっていい。

だって全部、間違ってるんだから。

握りしめた拳が震えていた。
何度骨が折れたか分からない。
皮膚が裂け肉を圧迫し、何度血を滲ませたか分からない。
そのたびに体は再生する。

だってドラゴンだから。

獣人とは違うんだ。
殺してしまった獣人とは違う。

殺したことを悔いてはいない。
人の命よりも、友だちのことが大切だから、それだけは悔いていないけれど、やっぱりムカつく。

きっと彼らは悔しいだろう。
悔しかったろう。
やはり不条理だ。

ふと肩に手が乗せられた。
何故か思い出したのは、入学してすぐに能力測定をしたときのことだ。
そう言えば、コッホが肩に手を乗せて褒めてくれた。
違和感を感じたけれど嬉しかったかのを覚えている。

とても嬉しかったのに。
あの時からもう、拉致の準備を始めていたということだ。

「アスドーラ」

ぐちゃぐちゃにした、コッホが許せない。
何食わぬ顔で、人を人でなくす魔法が許せない。
人を愛せない人が許せないし、優しさを忘れた人が許せない。
虐げられた人が悲しむのも許せない。

こんなに世界が腐っていたなんて、思いたくない。

絶望に浸っていたアスドーラの拳を、優しい魔力が包みこんだ。
とても洗練された、神秘に近い魔法であった。
温かくそして、穏やかなそれは傷を癒やす。

「アスドーラ」

振り返ってみると、ザクソンは目線を合わせるように膝をついた。

「私はかつて、お前と同じ魔力に触れたことがある。名はボルカと言っていた」

「……なんの話です?」

「黙って聞け。彼は竜神ドラコデウスという冒険者パーティのリーダーをしていてな。世界でも有名な冒険者だ。一度会いに行くといい」

「会いに行ったらどうなるんですか?意味が分からないですよ先生」

「はあ。分からんやつだなお前は。ボルカだボルカ。ボルケーノドラゴンだ」

「……えっ!?」

ザクソンの口から、ドラゴンという言葉が出るとは思わず、ましてやボルケーノドラゴンまで。
青天の霹靂であった。
まさか、ドラゴンだと知られながら人の世界で生きていたとは。
あのボルケーノドラゴンが。

「彼は素性を明かし、南域を守護し続ける英雄だ。だから一度会いに行け。きっと、助けになってくれるだろう」

「……あの、もしかして」

「なんだ」

「僕が、その――」

「十中八九アースドラゴンだろうな。私の魔力を防ぎ切り、コッホや獣人を退け、転移までやってのけるのだ。しかも、ボルカと同じ魔力とくれば、バカでもできる推理だ」

「だったらなんで」

「敬えと?バカを言うな。お前は生徒で私は教師だ。その立場が崩れることはない」

「いえ違います。どうして治したんです?治るって分かりますよね?」

「バカな質問をするな。震える生徒をひとりにする教師がこの世のどこにいる。そんな者は、お前が許しても私が許さん」

……。

人の世界は混沌としている。

世界創生のドラゴンでさえも、頭を抱えるほどに。

けれどやっぱり、諦めきれない。
世界が腐っているとは、思いたくない。

「……ふむ、妖精だ」

「え?」

世界を創る魔力は、精霊を生み、属性へと分化しそして生物の魔力となる。

アスドーラにとっては、とても小さな魔力であった。
全力の魔力は瘴気となり人を傷つけてしまう。
でもみんなを助けるためには、使い慣れた魔法が必要だった。
だからほんの少し魔力を使った。

それですら、精霊が生まれる。
だからこそ、精霊が生まれるのだ。

「妖精のキスは、幸運の前触れとも言うな。まあ、ただの迷信だ。教科書には載っていないからテストでは書けば減点だぞ」

友を救い、不条理に気づき、そして世界に嫌気が差しても、妖精はキスをくれた。

先生が優しさをくれた。
ノピーが安心させてくれた。

思い返せば、楽しいことばかりだった。

そんな世界を、本当に憎むことができるだろうか。





――――作者より――――
最後までお読みいただき、ありがとうごさいます。
作者の励みになりますので、♡いいね、コメント、☆お気に入り、をいただけるとありがたいです!
お手数だとは思いますが、何卒よろしくお願いします!
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