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引っ越し

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 九月半ばになり、ようやく涼しくなってきたこの頃。
 幸せなはずなのに、ため息をつくことが多くなった。

 藤原晃成との結婚の話は進んでいない。
 それというのも常務とマダムを納得させため、藤原晃成は私の友人ということになったからだ。
 普通はあんな場面で、友人であっても恋人の前で彼女を連れ出したりしない。
 しつこく追求しようとするマダムを、巧と藤原晃成は仲の良い友人を演じ、何も支障がないことを見せつけて切り抜けたそうだ。
 つまり、表向き私と巧が恋人で、真の婚約者である藤原晃成が私と友人関係という、おかしなことになった。
 そのため、藤原晃成の会社インテネクサスと日本MF信託銀行が提携したプロジェクトが軌道に乗るまで、婚約を公にするのは保留になった。

 そして、この件を機に、私は色々と考え込むことが多くなった。
 彼との関係、結婚や巧との関係など色々。

 立ち止まって考えてみると、過去半年、私は成り行きに流されるままここまできた。
 火事の被害に遭ってから、彼に請われるまま同居し、プロポーズされ婚約し……
 彼と結婚したい。その気持ちは、今も変わらない。
 ただ彼との結婚を考える度に、落ち着かない感覚を覚える。
 それはまるで、高所恐怖症のような、確かな土台に立ってない感覚と同じで――

 そう感じるのは、やっぱり交際0日で同棲を始めたから?
 立て続けに起こった不運に流されるように、同棲を始め、私は今も彼に依存している。
 そんな中、私は彼と婚約した。
 じっくり温めることなく、急激に進展した彼との関係に不安を覚えているのは確かだ。
 だから彼との将来にいまいち自信が持てないのかもしれない。
 最近、そう結論づけることが多くなった。

 少し肌寒い秋の風が吹く、ある晩のことだった。

「……以前話したアパートだけど、やっぱり引っ越そうと思うの。ワンルームマンションは、二人で住むには限界があるし」

 いつものように屋上で、彼とワインを飲んでいた私は切り出した。

「だったら、新居にするマンションを探して、一緒に移り住むか?」

 彼が理に適った提案をする。
 彼と新居を探す……
 結婚するのだから、普通はそうなる。でも――

「否定的に捉えて欲しくないんだけど……」

 私は改まったように、彼の腕を解いて体を起こす。

「晃成と出会ってから、成り行きに任せてここまできたという感じがするの。失業して、火事に遭った所為で、晃成に依存することになって…… それには感謝しているんだけど、結婚も延びたことだから、これを機会にもう一度一人暮らしに戻って、地に足をつけたいの」

 急に結婚に進むことに不安を感じたこと、その不安を解消するために一人になってみたいことを、聞こえ良く言ってみた。

「ダメだ」

 彼がキッパリ言う。
 いつもと違う威圧的な彼の態度に、ちょっとたじろいだ。

「そんな大ごとのように考えないで? 二駅先のアパートに引っ越すだけなんだから、会おうと思えば、いつでも会えるし」

 彼が私に答えず、立ち上がる。
 フェンスまで歩くと、私を振り返った。

「こっちに来ないか? もう怖くないんだろ?」

 私は迷った。
 高所恐怖症は治りつつあると言っても、彼が私に触れているとき限定のようなものだし、一人の時高所は避けている。
 今、彼と離れてソファーに座っているだけでも、心許ないのに。
 首を振る私を、彼が迎えに来る。

「晃成に触れてないとダメみたい」

 弱音を吐く私に、彼は何だか嬉しそうだ。
 私の手を繋いで、フェンスまで導く。

「君に夜景をもっと見せたかったんだ」

 フェンスから下を覗いて体が硬直する私を、彼が背後から抱きしめる。
 肌寒い風に当てられる中で、彼の体温が私に安心感を与えた。

「綺麗……」

 遥か下の地面にキラめく光に、生まれて初めて心から感動する。
 でも、話をはぐらかされたような……と思っていると、

「――君は平気なのか?」 

 と彼が聞く。

「何を?」

 高所恐怖症のことを言っているのではないと思い、彼を見上げた。

「こんな事を毎晩できなくても?」

  こんな事って何? と聞く間もなく、彼が私の唇を塞いだ。
 キスを毎晩できなくてもってこと? と質問の意味を考える私の思考を、彼のキスが邪魔をする。 
 やがてキスをねだるように、私の腕が彼に絡まった。
 長い長いキスの後、彼が唇を離す。

「君と暮らすようになってからだ。仕事を終えて帰るのが楽しみになったのは。以前は帰るのも面倒になって、会社で仮眠を取ることが多かった」

 彼が珍しく本音を語り出す。
 私は意表を突かれ、彼を見つめた。
 婚約までしているけど、まだ付き合いが短いせいか、お互い本心を表に出すことを避けている気がしていた。

「毎晩、君と過ごす甘いひとときや君を抱きしめながら眠る心地良さ……それら全て味わったら、離せなくなるのは当然だろ」

 彼の語尾が強まる。
 彼が言ったことを後悔したように、顔を背けた。

 あたかも全身が痺れた。
 こんなにも彼に思われていたなんて――
 彼が完敗したように、ため息をつく。

「しかし……無理に引き止めても、後々尾を引くだけだ。結婚するまで、別々に暮らしてもいい」

 彼が私の意思を尊重してくれている。引き止めたいにも関わらず。
 ジンとした熱い感情が込み上げて来る。
 でも、私はその熱い感情を伝える術を知らなかったし、彼の思いにどう甘えたらいいかも分からなかった。

「ありがとう……」

 彼の胸にコツンと頭を埋める。
 私の口から出た声は、思ったよりぎこちなかった。 

「ただ条件がある」

 私を優しく抱擁する彼が、鋭く釘を刺す。

「俺以外の男を入れないこと。もちろん、君の親友もだ」
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