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セカンドバージン

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 焼肉事件から一ヶ月半。

 その間起こったことを手短に言うと、まず二次面接には受からなかった。
 そして、私はまだ彼のマンションに身を置き、巧とも今まで通りの付き合いが続いている。
 巧は焼肉屋では対立したのにも関わらず、藤原晃成が取った態度に寛容だ。自分も元カノ達に私との関係を疑われたから、きっと藤原晃成に理解があるのだろう。

 変わったことと言えば、夏になってリクルートスーツが容赦なく暑苦しくなったこと、藤原晃成が仕事の合間を縫って、私を食事に誘ったり、週末にデートにも出かけるようになったことだ。
 高所恐怖症トレーニングと称した、屋上でのデートも続けていて――
 明日、お盆で帰省するという真夏の夜のことだった。

「高所恐怖症トレーニングをしよう」

 帰宅して、シャツとハーフパンツというラフな服に着替えた彼が、ワインとワイングラス二つを抱え、私を屋上に誘う。
 高所恐怖症トレーニング=イチャつく、だ。
 つまり、「イチャつこう」と彼に堂々と誘われているわけで……
 意味深に、彼の口の端が上がる。
 自分でも分かるくらい顔が赤くなった。
 表情を見られないように、プイッと横を向く私に、彼が声を立てて笑う。
 私から読みかけの本を取り上げると、腕を引っ張ってソファーから立ち上らせた。

 フワッとタバコの匂いに混じって、彼の香りがする。
 妙な緊張感が身体に広がった。
 先日は、彼に胸を触られた。今夜は何をされるのだろう?

 回数を重ねるごとに、際どさを増している。
 胸に感じた彼の手を思い出す度に、胸の鼓動が早まって――
 この胸の鼓動は何だろう? 期待感? それとも……
 私の手を引く、彼の手を見つめた。

「何を考えてる?」

 エレベーターの前で立ち止まる彼に、私は顔を上げる。

「別に何も?」

 白々しく答えたけれど、いやらしいことを考えていたことが、顔に漏れていたのかもしれない。
 彼が吟味するように、私をじっと見つめる。
 彼の指が私の顎を上に向け、彼の顔が近付いてきた、

「まだ屋上じゃな――」 

 黙らせるように、彼の唇が私の唇に触れたとき。

 そのタイミングで、チーンと音がしてエレベーターの扉が開き、私と彼は即座に離れた。
 ワンルームマンションなのに、どこから出てきたのか大学生の団体がゾロゾロと降りてくる。
 喋りながら、時間をかけてノロノロと。
 大学生の団体がようやく降りて、私と彼がエレベーターに乗り、彼が最上階のボタンを押すと、「乗りますっ」とこれまた大学生っぽいカップルが駆け込んでくる。

 キスを寸止めされ、まだその熱が疼く私は、延々とお預けにされるもどかしさにため息をついた。
 大学生のカップルが屋上の手前でようやく降りる。
 超スローモーションで扉が完全に閉まるのも待たず、彼が私を抱き寄せて唇を奪った。

「やっと続きができた」

 激しいキスの合間に、彼が悩ましげに囁く。
 ほどなくして、屋上についたことを知らせるチーンという音に、私の気が逸れた。

「まだだ」

 ドアが開いたのに、彼がさらにキスを深める。
 高さを感じさせる外の雑音が耳に入り、ギュッと目を閉じた時――
 瞼にそっとキスをすると、彼は目を閉じたままの私の腰に手を回して、エレベーターを出た。
 屋上のドアを開けると、夏の香りを運ぶ風に包まれる。
 うっすらと目を開けると、いつものベンチとテーブルは消えていて、代わりに座り心地の良さそうな茶色の屋外ソファーとコーヒーテーブルが置かれていた。

「買い換えたんだ」

 ワインとグラスをテーブルに置くと、固まって立ち尽くす私の手を引いて、彼の横に座らせる。

「そんな勝手なこと、許されるの?」

 布っぽいのに、冷んやりして気持ちいいソファーの素材を手で撫でた。
 リゾートホテルみたいで楽しめるけど、彼はまるで屋上を私物化している。
 赤ワインを注いで、彼が私にワインを渡す。

「言ってなかったか? 俺がこのマンションのオーナーなんだ」

「あ、それで……そうだったんだ」と 他の人間が入ってこない屋上に、今更ながら納得した。

 元彼が御曹司でなくて、親友が大企業の跡取りじゃなかったら、彼のハイスペックさに怖気付いているところだった、と冷静に思う。

「この屋上から見える夜景が気に入って、購入したんだ」

 彼はまるで高い買い物らしくない言い方をする。
 恐る恐る点々と光る夜景を見ると、思ったより動じない自分に気づいた。
 不純な動機で始めたトレーニングだけど、効果はあるらしい。
 彼にしがみつかずに、ワインも飲めるようになったし。

「そう言えば、SF小説を読んでいたな。ああいうのは、よく読むのか?」

 私の肩近くの背もたれに腕を回しながら、彼が聞いた。

「たまに、巧に勧められて」

 答えた途端、私は後悔した。
 巧の名前を出すのじゃなかった。
 彼の表情が固くなり、彼の腕が離れる。

「……へえ」

 間があった後、彼が返事をした。
 焼肉事件の後、暗黙了解のように、私と彼は巧のことを話さない。
 話すと、巧に会うなと言われそうなのが、怖い。
 巧の元カノとの経験から、彼の理解を得るのが容易ではないのは、十分分かっている。
 彼が考え事をするように、無言で遠くを眺めていた。
 落ち着かない私の胸が、さらにざわめいた。

「何を考えてるの?」

 おどけて聞いてみた。
 彼が読めない表情で、私を見つめる。

「……君を閉じ込められたら、どんなにいいかって」

 闇を秘める彼の目に、私の身体がゾクッとした。

「……なんてな」

 自嘲するような笑みで、彼が付け加える。
 真顔に戻ると、私の頰にそっと触れた。
 優しく始まったキスが、熱を帯びていく。
 彼の唇が貪欲に私の唇を貪った。
 それでも足りずに、彼が邪魔なワイングラスを私の手から取り上げる。
 テーブルに置くと、私の身体を彼の身体に押し付けた。

 Tシャツの中に入ってくる彼の手――
 一気に緊張感が高まり、私の意識が彼の手に集中する。
 この前は、胸を服の上から触られ、驚いてビクッと反応した私に、彼はそれ以上のことはしなかった。

 でも今夜は――ブラジャーに触れるギリギリのラインで、彼の手が止まる。
 唇が離れ、髪が少し乱れた彼が、私の瞳を見つめた。
 乞うように――

 ジワっと奥底が熱くなる。
 思いのまま触られ、彼に溺れたい衝動に駆られた。

 でも――何か胸のつかえのようなものが、その衝動を抑える。
 こんなに求められているのに、初めてでもないのに、拒む私はどこかおかしいのだろうか?

「もう……戻ろっか」

 押しのけるように、彼の胸に手を置いた。
 私の素の声が、その場を冷めさせる。
 彼が私から離れ、辛そうなため息を漏らした。

「ごめん……」

「いや……」

 彼が髪をかき上げる。
 立ち上がると、私に手を貸した。

「一服するから、先に戻ってくれないか」

 エレベーターまで私を送ると、彼がポケットからタバコを取り出す。
 ドアが閉まり始めると、私に背を向け、屋上に戻って行った。

 その夜、彼は遅くまで戻ってこなかった。
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