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六
彼とようやく… (2)
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私の恋愛経験は、はっきり言って豊富ではない。
直樹と別れた後、付き合った男性の数は三人。
そのうち、身体の関係を持った男性はゼロ。
私にとってセックスは大きな壁で、確たる精神的な結びつきが築かれ、相手に心を開けるという安心感がないと身体は委ねられない。
キュンキュン鳴る胸が、次第に緊張に変わっていく。
彼のマンションに滞在することには同意したけど、身体の関係を持ちたいわけではない――ということを伝えないと。
と思っているのに、言い出せない。
荷物を取りに巧のマンションに向かうタクシーの中で、私の口数が少なくなる。
そして、とうとう巧のマンションに到着する。
「住所に聞き覚えがあったけど、まさか俺のマンションの近くだったとはな」
そう言って彼が、タクシーから降り立つ。
「え、そうなの?」
「俺のマンションは一本向こうの通りにあるんだ。歩いて十分もかからない」
「すごい偶然。巧のマンションはよく来るから、今まで知らないうちにすれ違っていたかもね」
他愛なく言う私に、彼はどこか浮かない表情を見せる。
「すごい偶然でもない。単にチェリーホールディングの本社と俺の会社が近いからだ」
素っ気なく彼が言った。
巧の話題にはそれ以上触れず、カードキーで中に入り外廊下を歩いて、一階の巧の部屋に向かう。
鍵で玄関のドアを開けると、巧はまだ帰っていなかった。
「外で待つ」
彼は中に入ろうとせず、煙草をポケットから取り出す。
煙草、止められなかったんだ。
私は一人でクスッと笑い、靴を脱いで荷造りを始めた。
……と言っても、数少ない衣類と洗面用具、人形があるのみ。
ショッピングの際にもらった紙袋に入れるのに、ものの数分とかからなかった。
簡単に掃除機をかけ終わると、巧が帰ってきた。
靴を脱ぎ始めた巧に、まとめた荷物を持って速攻で駆け寄る。
「実は、今夜から藤原さんのマンションに滞在することになったの。藤原さんが外で待ってて紹介したいから、ちょっと会ってくれる?」
息継ぎもせず一気にまくし立てた。
「いいけど」
私の気迫に押されながら、巧が答える。
答えてから、ハッと気づいたのか、
「って、急な展開じゃん」
と突っ込みを入れた。
「う、うん。『君が他の男と暮らしているのが耐えられないんだ』って言われて……」
自分で彼の言葉を再現しておいて、ポッと照れる。
ピューと冷やかすように、巧が口笛を鳴らした。
「そう言えば、廊下で煙草吸ってる奴にガンつけられたな。そいつが藤原さん?」
「ガンって……とにかく、彼を呼んでくる」
「ちょっと待った」
ドアを開ける私を、巧が呼び止める。
カバンから小さな紙袋を取り出して、私に渡した。
「これは、俺からの餞別だ」
「えー、餞別なんていいのに。でも、ありがとう。もらってばかりで、なんか悪い――」
遠慮しながら紙袋を開けると、中の物を取り出した。
それは――
「勝負下着、まだ買ってないだろ?」
黒いレースがふんだんにあしらわれた、それはそれはセクシーなパンツとブラジャーだった。
「うちの人気の製品なんだ。会社にあったから、ちょうどいいと思って」
絶句する私に、巧が得意げに言う。
ここで、巧の会社について情報を付け足すと、巧の会社チェリーホールディングは下着会社だ。
しかも女性専用の。
下着を製品としてしか見ていないため、巧は女性の下着に対して世間の常識と感覚がずれている。
普通兄弟でも、妹なんかにセクシーな下着はプレゼントしない。
ということは――
「ありがとう。本当に助かる」
心からお礼をいう私も、世間の常識と感覚がずれている。
下着は一枚でも多い方がいい。
火事で下着を全て失った私は、有難くプレゼントを手に握り締めた。
それでもやっぱり真面目な場面で、セクシーな下着を握っているのは恥ずかしい。
速やかに下着を紙袋に押し込んだ。
「照れるなって。着心地の良さも考えてデザインされてるから、きっと違和感なく着れるよ」
「とにかく、藤原さんを待たせているから」
下着の話題から逃げるように、ドアを開けた。
途端に、私は藤原晃成と向き合っていた。
彼の目は鋭く私の手に掴まれた紙袋を見つめている、
私も紙袋に目線を落とすと、血の気を喪った。
事もあろうに、ブラジャーのフックが袋からはみ出していた。
ササッと神速で、袋ごと手提げ紙袋の奥深くに隠す。
まさか、巧との会話を聞かれたとか……?
「佐倉です。七瀬がそちらにお世話になるそうで」
入り口を塞ぐ私の肩に手を置きながら、背後から巧が彼にもう片方の手を差し出す。
その瞬間、藤原晃成に腕を引き寄せられた。
「――藤原です」
彼が私の肩を抱きながら、巧と握手する。
もう何回目なのか分からない。彼にドキドキさせられたのは。
「か、彼のマンションが偶然すぐ近くらしいの」
見せつけてしまったようで申し訳なく巧を見ると、巧は状況を面白がるように笑みを浮かべていた。
「このマンションから、一本通りを挟んだベーカリーの隣の――」
「ああ、あのマンション。でも、あのマンションって……」
私の肩を抱く藤原晃成の説明に、巧がいわくありげに何かを言いかける。
「それでも、いいってことか。ま、頑張れよ」
「何を?」
「もう遅い。そろそろ行こう」
彼が腕時計をチェックして、私を促す。
「今まで泊めてくれてありがとう」
「いいって。またな」
全てお見通しというように、巧が手を振る。
彼に手を引かれ、私はその場を後にした。
直樹と別れた後、付き合った男性の数は三人。
そのうち、身体の関係を持った男性はゼロ。
私にとってセックスは大きな壁で、確たる精神的な結びつきが築かれ、相手に心を開けるという安心感がないと身体は委ねられない。
キュンキュン鳴る胸が、次第に緊張に変わっていく。
彼のマンションに滞在することには同意したけど、身体の関係を持ちたいわけではない――ということを伝えないと。
と思っているのに、言い出せない。
荷物を取りに巧のマンションに向かうタクシーの中で、私の口数が少なくなる。
そして、とうとう巧のマンションに到着する。
「住所に聞き覚えがあったけど、まさか俺のマンションの近くだったとはな」
そう言って彼が、タクシーから降り立つ。
「え、そうなの?」
「俺のマンションは一本向こうの通りにあるんだ。歩いて十分もかからない」
「すごい偶然。巧のマンションはよく来るから、今まで知らないうちにすれ違っていたかもね」
他愛なく言う私に、彼はどこか浮かない表情を見せる。
「すごい偶然でもない。単にチェリーホールディングの本社と俺の会社が近いからだ」
素っ気なく彼が言った。
巧の話題にはそれ以上触れず、カードキーで中に入り外廊下を歩いて、一階の巧の部屋に向かう。
鍵で玄関のドアを開けると、巧はまだ帰っていなかった。
「外で待つ」
彼は中に入ろうとせず、煙草をポケットから取り出す。
煙草、止められなかったんだ。
私は一人でクスッと笑い、靴を脱いで荷造りを始めた。
……と言っても、数少ない衣類と洗面用具、人形があるのみ。
ショッピングの際にもらった紙袋に入れるのに、ものの数分とかからなかった。
簡単に掃除機をかけ終わると、巧が帰ってきた。
靴を脱ぎ始めた巧に、まとめた荷物を持って速攻で駆け寄る。
「実は、今夜から藤原さんのマンションに滞在することになったの。藤原さんが外で待ってて紹介したいから、ちょっと会ってくれる?」
息継ぎもせず一気にまくし立てた。
「いいけど」
私の気迫に押されながら、巧が答える。
答えてから、ハッと気づいたのか、
「って、急な展開じゃん」
と突っ込みを入れた。
「う、うん。『君が他の男と暮らしているのが耐えられないんだ』って言われて……」
自分で彼の言葉を再現しておいて、ポッと照れる。
ピューと冷やかすように、巧が口笛を鳴らした。
「そう言えば、廊下で煙草吸ってる奴にガンつけられたな。そいつが藤原さん?」
「ガンって……とにかく、彼を呼んでくる」
「ちょっと待った」
ドアを開ける私を、巧が呼び止める。
カバンから小さな紙袋を取り出して、私に渡した。
「これは、俺からの餞別だ」
「えー、餞別なんていいのに。でも、ありがとう。もらってばかりで、なんか悪い――」
遠慮しながら紙袋を開けると、中の物を取り出した。
それは――
「勝負下着、まだ買ってないだろ?」
黒いレースがふんだんにあしらわれた、それはそれはセクシーなパンツとブラジャーだった。
「うちの人気の製品なんだ。会社にあったから、ちょうどいいと思って」
絶句する私に、巧が得意げに言う。
ここで、巧の会社について情報を付け足すと、巧の会社チェリーホールディングは下着会社だ。
しかも女性専用の。
下着を製品としてしか見ていないため、巧は女性の下着に対して世間の常識と感覚がずれている。
普通兄弟でも、妹なんかにセクシーな下着はプレゼントしない。
ということは――
「ありがとう。本当に助かる」
心からお礼をいう私も、世間の常識と感覚がずれている。
下着は一枚でも多い方がいい。
火事で下着を全て失った私は、有難くプレゼントを手に握り締めた。
それでもやっぱり真面目な場面で、セクシーな下着を握っているのは恥ずかしい。
速やかに下着を紙袋に押し込んだ。
「照れるなって。着心地の良さも考えてデザインされてるから、きっと違和感なく着れるよ」
「とにかく、藤原さんを待たせているから」
下着の話題から逃げるように、ドアを開けた。
途端に、私は藤原晃成と向き合っていた。
彼の目は鋭く私の手に掴まれた紙袋を見つめている、
私も紙袋に目線を落とすと、血の気を喪った。
事もあろうに、ブラジャーのフックが袋からはみ出していた。
ササッと神速で、袋ごと手提げ紙袋の奥深くに隠す。
まさか、巧との会話を聞かれたとか……?
「佐倉です。七瀬がそちらにお世話になるそうで」
入り口を塞ぐ私の肩に手を置きながら、背後から巧が彼にもう片方の手を差し出す。
その瞬間、藤原晃成に腕を引き寄せられた。
「――藤原です」
彼が私の肩を抱きながら、巧と握手する。
もう何回目なのか分からない。彼にドキドキさせられたのは。
「か、彼のマンションが偶然すぐ近くらしいの」
見せつけてしまったようで申し訳なく巧を見ると、巧は状況を面白がるように笑みを浮かべていた。
「このマンションから、一本通りを挟んだベーカリーの隣の――」
「ああ、あのマンション。でも、あのマンションって……」
私の肩を抱く藤原晃成の説明に、巧がいわくありげに何かを言いかける。
「それでも、いいってことか。ま、頑張れよ」
「何を?」
「もう遅い。そろそろ行こう」
彼が腕時計をチェックして、私を促す。
「今まで泊めてくれてありがとう」
「いいって。またな」
全てお見通しというように、巧が手を振る。
彼に手を引かれ、私はその場を後にした。
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