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彼とようやく… (2)

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 私の恋愛経験は、はっきり言って豊富ではない。
 直樹と別れた後、付き合った男性の数は三人。
 そのうち、身体の関係を持った男性はゼロ。
 私にとってセックスは大きな壁で、確たる精神的な結びつきが築かれ、相手に心を開けるという安心感がないと身体は委ねられない。

 キュンキュン鳴る胸が、次第に緊張に変わっていく。
 彼のマンションに滞在することには同意したけど、身体の関係を持ちたいわけではない――ということを伝えないと。
 と思っているのに、言い出せない。

 荷物を取りに巧のマンションに向かうタクシーの中で、私の口数が少なくなる。
 そして、とうとう巧のマンションに到着する。

「住所に聞き覚えがあったけど、まさか俺のマンションの近くだったとはな」

 そう言って彼が、タクシーから降り立つ。 

「え、そうなの?」

「俺のマンションは一本向こうの通りにあるんだ。歩いて十分もかからない」

「すごい偶然。巧のマンションはよく来るから、今まで知らないうちにすれ違っていたかもね」

 他愛なく言う私に、彼はどこか浮かない表情を見せる。

「すごい偶然でもない。単にチェリーホールディングの本社と俺の会社が近いからだ」

 素っ気なく彼が言った。
 巧の話題にはそれ以上触れず、カードキーで中に入り外廊下を歩いて、一階の巧の部屋に向かう。
 鍵で玄関のドアを開けると、巧はまだ帰っていなかった。

「外で待つ」

 彼は中に入ろうとせず、煙草をポケットから取り出す。
 煙草、止められなかったんだ。
 私は一人でクスッと笑い、靴を脱いで荷造りを始めた。

 ……と言っても、数少ない衣類と洗面用具、人形があるのみ。

 ショッピングの際にもらった紙袋に入れるのに、ものの数分とかからなかった。
 簡単に掃除機をかけ終わると、巧が帰ってきた。
 靴を脱ぎ始めた巧に、まとめた荷物を持って速攻で駆け寄る。

「実は、今夜から藤原さんのマンションに滞在することになったの。藤原さんが外で待ってて紹介したいから、ちょっと会ってくれる?」

 息継ぎもせず一気にまくし立てた。

「いいけど」

 私の気迫に押されながら、巧が答える。
 答えてから、ハッと気づいたのか、

「って、急な展開じゃん」

 と突っ込みを入れた。

「う、うん。『君が他の男と暮らしているのが耐えられないんだ』って言われて……」

 自分で彼の言葉を再現しておいて、ポッと照れる。
 ピューと冷やかすように、巧が口笛を鳴らした。

「そう言えば、廊下で煙草吸ってる奴にガンつけられたな。そいつが藤原さん?」

「ガンって……とにかく、彼を呼んでくる」

「ちょっと待った」

 ドアを開ける私を、巧が呼び止める。
 カバンから小さな紙袋を取り出して、私に渡した。

「これは、俺からの餞別だ」

「えー、餞別なんていいのに。でも、ありがとう。もらってばかりで、なんか悪い――」

 遠慮しながら紙袋を開けると、中の物を取り出した。
 それは――

「勝負下着、まだ買ってないだろ?」

 黒いレースがふんだんにあしらわれた、それはそれはセクシーなパンツとブラジャーだった。

「うちの人気の製品なんだ。会社にあったから、ちょうどいいと思って」

 絶句する私に、巧が得意げに言う。
 ここで、巧の会社について情報を付け足すと、巧の会社チェリーホールディングは下着会社だ。
 しかも女性専用の。
 下着を製品としてしか見ていないため、巧は女性の下着に対して世間の常識と感覚がずれている。
 普通兄弟でも、妹なんかにセクシーな下着はプレゼントしない。

 ということは――

「ありがとう。本当に助かる」

 心からお礼をいう私も、世間の常識と感覚がずれている。
 下着は一枚でも多い方がいい。

 火事で下着を全て失った私は、有難くプレゼントを手に握り締めた。
 それでもやっぱり真面目な場面で、セクシーな下着を握っているのは恥ずかしい。
 速やかに下着を紙袋に押し込んだ。

「照れるなって。着心地の良さも考えてデザインされてるから、きっと違和感なく着れるよ」

「とにかく、藤原さんを待たせているから」

 下着の話題から逃げるように、ドアを開けた。
 途端に、私は藤原晃成と向き合っていた。

 彼の目は鋭く私の手に掴まれた紙袋を見つめている、  
 私も紙袋に目線を落とすと、血の気を喪った。
 事もあろうに、ブラジャーのフックが袋からはみ出していた。
 ササッと神速で、袋ごと手提げ紙袋の奥深くに隠す。
 まさか、巧との会話を聞かれたとか……?

「佐倉です。七瀬がそちらにお世話になるそうで」

 入り口を塞ぐ私の肩に手を置きながら、背後から巧が彼にもう片方の手を差し出す。
 その瞬間、藤原晃成に腕を引き寄せられた。

「――藤原です」

 彼が私の肩を抱きながら、巧と握手する。
 もう何回目なのか分からない。彼にドキドキさせられたのは。

「か、彼のマンションが偶然すぐ近くらしいの」

 見せつけてしまったようで申し訳なく巧を見ると、巧は状況を面白がるように笑みを浮かべていた。

「このマンションから、一本通りを挟んだベーカリーの隣の――」 

「ああ、あのマンション。でも、あのマンションって……」

 私の肩を抱く藤原晃成の説明に、巧がいわくありげに何かを言いかける。

「それでも、いいってことか。ま、頑張れよ」

「何を?」

「もう遅い。そろそろ行こう」

 彼が腕時計をチェックして、私を促す。

「今まで泊めてくれてありがとう」

「いいって。またな」

 全てお見通しというように、巧が手を振る。
 彼に手を引かれ、私はその場を後にした。
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