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第二章 縮む距離

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ファーストキスが突然。
しかも、公な場所で訪れるとは思っておらずその顔を真っ赤にするとぷるぷると小刻みに震える。
傷つけたか。
あばずれという噂は根も葉もないとは思っていたが、ここまでウブな反応をされるとは思っていなかった。

「べ、紅がついてしまいました。申し訳ございません。こちらに」

本当は紅など付いていないのだが、杏は俯いたまま紅蓮の手を引っ張りテラスに向かう。
この国の国王に隣国の皇子の登場は国際問題になるので離脱したのではなく、杏がこの羞恥に耐えられなかったからだった。
「すまない」
テラスで詫びる紅蓮の瞳には嫌われたらどうしようという恐怖の色すら浮かんでいたのだが、杏が気付くことはない。

頭では分ってる。夜会の場は商売の場で、夫以外の男とダンスを踊ることは侯爵夫人として求められる社交ということもな」
辛そうに耳元で囁く夫に言うと深呼吸をして自らの顔の顔の赤さを引かせていく。

「普通の距離感で言ってください」
杏は少し紅蓮の肩を押すが、彼は離れない。周囲からは夫と仲睦まじくいちゃついているように見えるのだが、殺意さえも放ちながら言う夫は100%妻を口説いているのだ。
「普通の距離感がどんな物かは分からないが。俺には離れること等、不可能だ。杏とは常に密着していたい。杏のこの美しい姿形を誰にも見せたくない。世界は杏と俺だけで構成されていたらいいのに・・・。しかし、自重するとしよう。国が亡ぶようなことがあれば、杏は国王の孫。真っ先に捕まってばらして売られるだろう。まぁ、そうなったら世界の裏側に杏を抱っこして行くから起きる事はないし。俺が他国に願がえり、国を乗っ取り杏を妃として迎えることは決定事項であるがな」
紅蓮はどす黒い炎をだしながら怒り狂う。
会場の視線もありどうしたものかと杏は思っている時だった。
紅蓮はそんな杏に自身の胸を掴むと膝をついた。
「え!紅蓮?どうしたの?心臓発作?AED!紅蓮の持病は何?救急車っ!生きる国の要塞を殺したらタダじゃおかないわよ!」
杏は焦ると紅蓮はクスクス笑いながらあたふたする杏を引き寄せる。
「何?顔色はいいから紅蓮は死なないわよ。でも胸が苦しいの?」
杏は紅蓮の両頬を抑えて声をだしながら確認する。
「杏が俺を求め返してくれない事に対する恋煩いの苦しさと冷静に観察している杏に対して嫉妬している。僻地でたった2人で誰からも邪魔をされず暮らしたい」
「わ、私も紅蓮に恋くらいしてます」
驚かせないでよと杏は言うと、紅蓮はそんな杏の頭を撫ぜる。
「そうか、そうか。相思相愛か。ありがとう。嬉しい。しかし、俺の愛は重い。今すぐ杏を監禁して、幽閉してしまいたいほどに愛している。杏の吐いた息を全て袋に詰め、俺が吸いたい。杏の視界には俺以外を映してほしくはないと思っている。顔には出ないが心の中では相当、照れている」
紅蓮は杏の両手を取る。
「俺を見ろ」
「ここは・・・」
公式の場だ。テラスに移動したとはいえ、会場の誰もが杏と紅蓮を見ている。
「生い立ちを考えると愛を信じれない事を理解している。俺も浅はかに噂を信じ、酷い扱いをした。何年もかけて愛を証明する。だから、杏にはただ側にいて欲しい」
「酷い扱いなんて・・・されてないわ」
噂を信じるのであれば当然の反応であっただろうし、杏も鬼の公爵という噂を信じて妹を嫁がせなかったが。
こんなに優しい人であれば妹を嫁がせればよかったのかもしれない。
私はあのいもうとの幸せを奪ってしまった?

「・・・杏お姉様」
杏の妹の渚は実の姉の名前を心の中で今目の前で起こっていることが現実か否かを確かめるように小声で呟いた。
あんなに鬼と呼ばれ恐れられている公爵から優しくされているなんてどういう事?
お姉様は嫁いでサクサクっと戻ってくるんじゃなかったの?
持ち前の怖いもの知らずを発揮して、バチバチ公爵と戦うんじゃなかったの?
護衛に付けた佐藤達からもメイドの牧村達からも何の報告も入らず渚は自ら鬼頭家に潜入して姉の様子を見ようとしたが、メイドの試験には偽造書類だったためか落選。
夜は姉が酷い目に合ってはいないかと一睡もできずに夜が明けることも多かった。
にもかかわらず。
自身の夫になる予定だった男が姉を溺愛している様子を見て眉間に眉をひそめた。
そしてゆっくりとテラスに向かって歩き出す。

「ごきげんよう。お久しぶりでございます」
声を掛けると杏は聞きなれた声に振り向いた。
「ごきげんよう」
妹の登場に慌てて火照っていた顔を一瞬で冷静になり納めると、杏はにこやかに微笑みかけた。
「今、お邪魔じゃないかしら?」
「邪魔じゃないわ。どうしたの?」
渚は穏やかな姉に微笑み返しながら、邪魔だと言わんばかりに渚を睨みつける紅蓮に渚は3歩下がるが引かない。

「誰だ。お前」
俺が睨めば大抵の女は逃げていくというのにも関わらず。
この場に踏みとどまるとは中々、肝の座った女だ。女でなければ俺の部下に勧誘するところだが、戦場には度胸も腕力も必要だ。
問いかけられた渚は目を少しだけぱちぱちさせる。
誰だお前ですって?
「酷いですわ。お義兄様ったら。妻になるかもしれかった女の名前も顔も覚えていらっしゃらなかったなんて、とても傷ついてしまいますわ」
”妻になるかもしれなかった女”
杏はそんな渚に心が締め付けられそうだった。
大切な妹の幸せになる可能性を奪うなんて、なんて酷い姉なの。

「あぁ。貴様が杏の妹か。ふっ」
紅蓮は鼻で笑うと下げず無用に渚を見る。
「なぜ、鼻でお笑いに?何か面白い事を私は申しましたか?」
「上品ぶった顔は好みではない。発達していない体系にも魅力を感じない。短い手足はそそられない。甘くない体臭にも引き寄せられない。特に・・・」
冷ややかに言う紅蓮の口を杏は両手で押さえた。
「渚の顔も体系も手足も私の好みです。旦那様は私の体臭の味なんて知らないでしょう!」
これ以上、紅蓮に話させてなるものか。
妹を批判するなんて許せないと口をふさいだのだが。
ぺろり。
「ひゃっ」
紅蓮は杏の手を舐めるので手をはなすと杏は一歩下がる。
「甘い」
感想を淡々と述べる紅蓮に杏はその手を舐めるが、何の味もしない。
「無味無臭だし。何を触ったかも分からない手よ。き、汚いわよ」
杏はどんな状況であったとしても汚い所などないと否定をしようとするが、渚が杏を引っ張り引き寄せるので紅蓮は殺気を放った。
俺の大切なものを取るなんて、切り捨ててやろうか。
そう思いながら紅蓮は杏を取り返そうとするのだが、杏が渚に対してすまなさそうな顔をするのでその言葉を飲み込んだ。
見上げられた渚の瞳には安堵の色が浮かんでいたのだ。
「お姉様はお義兄様からとても愛されているようですね。お幸せに」
渚は杏の耳元で渚は囁くとその場で一礼をする。
「お邪魔致しました」
紅蓮は邪魔ものが去ったと言わんばかりにその腕の中に杏を閉じ込めようとするのだが・・・。
「渚。もう少しお話をしましょう」
杏が渚の後を追うので、その手を引っ込めた。
手に入らなければ、力づくでとつくづく思うのだが。
そんな事をすれば杏が悲しむので、紅蓮は行動には未だかつて実行できていないのである。
「私も鬼の公爵と名高いあの方が・・・。あ、溺愛夫あんなひとだとは思わなかったの」
知っていたら渚を嫁がせたのよと言おうとするが、ついさっき紅蓮が渚の容姿を真向否定したのでそれ以上は言わない。
「国の英雄の妻なんて、とても気分がいいでしょう?」
渚は言うと杏は違うわっと渚の腕を掴む。
「私は奪う気なんて・・・。渚?」
目の前で大粒の涙を嬉しそうに溜める妹に杏は言葉を切り、心配そうに妹を見る。

「これで、私は心置きなく。恋人の元に嫁げるわ」

「え?」
「お姉様もお会いしたことのある方よ。お姉様の高等部の同級生で、子爵なんだけれどとても優しくて良い方なの」
「ムデカ商会のご子息?」
「さすがお姉様。夢出歌修むでかおさむ様」
渚はそう言うと、テラスからこちらを見ている紅蓮を見る。
「お姉様が鬼の公爵に酷い扱いをされているのに。私だけが幸せになるなんて、許されない事だと思って。私がお姉様の代わりに生涯独身を貫こうと思っていたのだけれどその必要は無さそうで安心しましたわ」
「心配ありがとう。けれど、私は常に自分が幸せになる選択をしているから心配いらないわ」
渚はそう言うと紅蓮に会釈をして歩き出した。

ムデカ商会。

表向きは慈善活動もしているが、黒い噂がないわけでもない。
どこの会社にも汚い部分は多少なりとはあるが・・・。こないだ、従業員の大規模ストライキがあったとかなかったとか。
調べてみる必要があるわね。
杏は渚を見送りながら心の中で考え込んだ。
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