早翔-HAYATO-

ひろり

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流言(2)

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 広い会議室には、いかにも重要な意思決定が為されてきたらしい、重厚感のあるマホガニーの大きな楕円形テーブルがあり、その周りには革張りの椅子が並んでいる。
 今のところ、向井とは仕事上の接点はなく、こんな部屋に呼び出して何の話があるのか、早翔はその意図を図り兼ねていた。

「この部屋の感想は? どう?」
 背後からいきなり声がする。
 驚いて振り返ると、化粧もヘアも派手さを控えた蘭子が、いつもより地味な色のスーツに身を包み、立っていた。
「蘭子さん…」
 言葉を失っている早翔に、蘭子がいつものいたずらっぽい視線を送る。
「滅多に入れない場所でしょ。後学のために見学するのもいいんじゃないかしら」

 早翔が深いため息を吐いて、蘭子と言いかけた言葉を止めて「黒田取締役…」と言い直す。
「やめてよ。役職で呼ばれるのは好きじゃない。いつか全員『さん』付けで呼び合う会社にするんだから」
「へえ…」
 ようやく早翔の顔に笑みが浮かぶ。
「役員フロアに大会議室、こんなわかりやすいヒエラルキーの最上位の場所を設置しておいて、呼び方だけ変えても意味あるのかなあ」
「生意気よ。ガキは黙っててください」

 ふざけた調子で言う蘭子に、早翔が呆れた笑顔を見せる。
「何、会社で呼び出してんの。ったくもう、佐野課長から不審な顔されたんだから」
「あら、これでも気を遣って向井に頼んだのよ。今度から直接私が呼びに行くわ」
 早翔の顔に焦りの色が浮かび、「冗談やめてよ」と顔をしかめると、蘭子が声を出して笑う。
「それでなくても、色々噂されてるのに。この上、蘭子さんとの関係まで噂されたら困るでしょ」
「別に構わないわよ。噂になってもいいじゃない」
 平然と答える蘭子とは対照的に、早翔がおろおろと困惑していく。

「何言ってんの。蘭子さんにも立場があるように私にも立場があるのに」
 蘭子がニヤリと片頬で笑う。
「オレ、だったのに、ワタシ…ねえ」
「そりゃ、TPOに合わせて一人称も変わるのは当然だろ… 当然です、黒田取締役」
 目を泳がせ慌てる早翔を満足そうに眺め、うふふと笑みを漏らすと、「悪くないわね」と呟くように言う。
 早翔は半ば呆れ、半ば腹立たしげにため息を吐く。
「茶化すなよ。ここはベッドの上じゃない。話がないなら戻るから」

「あるわよ。本題はこれから」
 蘭子の顔からサッと笑みが消え、真顔で言い放つ。
「アンタさあ、何のために会社に勤めてるの。非常勤だから付き合い悪いのは仕方ないとか周囲からは言われてるのに、若い女とはちゃっかりデートってどういうことよ」
 蘭子の顔が険しさを増している。
 早翔は蘭子から視線を逸らして、はあと息を漏らした。

 何日か前、以前の約束を果たすために、月島ゆかりをバーに連れて行った。ゆかりが自分から言いふらしたのか、二人で会社を出るところを見た誰かが広めたのか、ほんの数日で蘭子の耳に入っていることに、早翔は驚きを通り越して諦めの心境に陥り、無気力な笑いで取り繕う。

「デートじゃないよ。カクテルを御馳走して欲しいって言うから、バーに連れて行っただけだよ」
「世間ではそういうのをデートって言うのよ」
「デートと言うより、見識を広めた感覚だったけどね」
 蘭子が小バカにしたようにフンと鼻を鳴らし、「何、言ってんの」と口をゆがめる。
「実際、いつも会話する女性とは違う若いOLさんの話は新鮮だったし、色々と参考になったよ」
「何の参考よ。言い訳がましいったらないわ」
 蘭子は顔を背けて吐き捨てた。構わず、早翔が穏やかな口調で続ける。

「蘭子さんからもらったカクテルバイブル、名前とレシピが書いてある文字だけのプロ仕様だよね。月島さんと話してて、カラフルな写真やカクテル言葉、由来や物語なんかが載った、若い女性向けのカクテルバイブル書きたいなあと思ったよ」
 しばらく沈黙していた蘭子が、「いいわね、それ…」と呟くと、悪かった機嫌が吹っ飛んだような笑顔に変わる。
 早翔は心の内で「リカバリー成功」と呟き、勢いづく。

「蘭子さんと国内や海外の店に行って、撮りためた写真とか、聞いた話をまとめると面白いと思ってね。せっかく書き溜めた記録をちょっとした形にできないかなあと考えてる」
「今度の休み、空けておいて。知り合いの出版社に出すように言うから」
 一瞬で早翔の笑顔が固まった。

 いつかそんな本が出せたらと思ったことは確かだが、今はそんな余裕はない。だが、ここで正直に言えば、せっかく直った蘭子の機嫌がまた悪くなる。
「わかった。簡単な企画書を書いておくよ」
 強張った顔を隠すように、無理やり満面に笑みを湛える。
 早翔は笑顔で蘭子と別れ、エレベーターに乗って一人切りになると、疲れ切ったように深いため息を吐いた。

 それから一か月も経たず、ゆかりは再び総務部へ異動になり、代わりに総務部の女子の間で煙たがられていたらしい中年の女性社員が異動してきた。
「同年代の女は使いづらいわ…」
 佐野が早翔に、小声で愚痴をこぼす。
「月島さん、なんでまた異動になったんだか… 何かやらかしたの? 吉岡君、知らない?」
 早翔は引きつった笑顔で首を横に振った。
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