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「あの店で薬を売買したなんて嘘だろ。どういうつもりでそんな嘘…」
「行ったの! 大石先輩の店!」
小堺由美が身を乗り出して、柳田に顔を近づける。ヤニ臭さの混じった由美の口臭が鼻をかすめる。
柳田は由美を払って立ち上がった。
由美はクネクネと体を揺らし、終始ニヤついた笑みを浮かべている。
ぼさぼさの髪を束ね、こけた頬のせいか口角が上がる度に老婆のような皺が刻まれる。ふっくらした頬にえくぼができる愛嬌ある笑顔だったが、今は見る影もない。
「先輩、元気だった? 先輩の名前出したら行くんじゃないかなあと思ってた。より戻せた?」
「何、勝手なこと言ってるんだ。いい加減にしろ」
柳田は深い息を吐いて「後は頼む」と部下に言うと取調室のドアを開けた。
「昔はねえ、先輩のお父さんから買ったあ…むかーしむかーし…」
由美はキャハハハと取調室に狂気じみた笑い声を響かせた。
「お父さん、こっちだよ」
柳田は娘の慎香を眩しく眺めていた。
「お父さんは洋服のことは何もわからない。好きなの選ぶといいよ」
「ダメだよ。今年の誕生日はお父さんが選んだ服を着るって決めてるの」
「じゃあ、慎香がいくつか選んでくれたらその中からお父さんが選ぶよ」
慎香は「わかった、待ってて」と無邪気に笑うと店内を物色し始めた。
慎香がまだ幼い頃、母からDNA鑑定書を突き付けられた時、幼い今なら別れられるかもしれないと思った。
妻の清香と派手に喧嘩して、家を出て行こうとしたあの時、慎香が「おとしゃーん」と言って駆け寄り抱き着いて泣いた。
あの時、首にまとわりついた10本の小さな指が柳田の首に精一杯食い込み、今もその感触が残っていた。
ふいに昼間の由美の言葉がよみがえる。
「昔はねえ、先輩のお父さんから買ったあ…」
薬物中毒者の妄想だと聞き流していたが、あれが妄想でないとしたら…
同時に柳田の前でスマホに視線を落とした時の、戸惑い揺れる薫の瞳を思い出す。
「今はね… ちょっとね…」
薫が電話の向こうに小声で言っていた。今は店に来るなということか。だとしたら相手は?
「彼氏?」と訊いてまた瞳が揺れる。「そんなとこかな」とごまかしあらぬ方を見る。彼氏ではない…
最初に道を踏み外したのは由美だ。
由美は押収した薬物を持ち出し恋人に売らせ、一部は二人で使用した。
警察を首になり、薬物の入手先を探していた時、近寄ってきた男がいたとしたら。
薫が何でも話を聞いてくれる母親に、由美に裸にされたことを話していたとしたら、それを母親が父親に話したとしたら。
もし慎香が同じことをされたら…
「お父さん、私、3着選んだよ。この中から選んで」
「悪い、慎香。お父さん、行くところができた。一人で帰れるか」
「お父さん…」
慎香の目が潤む。
「あの… あのね… お母さんから聞いたの。私がお父さんの本当の子供じゃないって。お父さん、今度こそ本当に出ていくかもしれないって…」
柳田の身体に動揺が走った。
まさか、本当に慎香に話すなんて…
「あなたがあの男から何を聞いたか知らないけど、私はあの男とは結婚してから一度だって会ったりしてないから。一度だけ電話で、慎香の父親は自分かと訊かれて、アンタみたいなバカの子供なわけないだろうって怒鳴ってやった。それっきりよ」
目を赤くして気丈に言い張ったのはそこまでだった。
清香の目に涙が溢れて、その場に崩れ落ちる。
「仕方ないよね… 信じてもらえなくても仕方ないこと、私がしたんだから… 仕方ないよね…」
清香は絞り出すように何度もそう言いながら、子供のように声を上げて泣いた。
ひとしきり泣いた後、泣き腫らした目で柳田を真っすぐ見る。
「私、慎香に全部話す。許してくれるかどうかわからないけど、全部話す。土下座して謝る。これで母と娘の関係が壊れても自業自得だから…」
清香は再び泣き出しそうにゆがむ顔を必死で笑顔にして柳田を見た。
呆然と立ち尽くす柳田の前で、慎香の瞳から見る見る涙が溢れる。
「本当の子供じゃないんだよね… でもね… でも、私はお父さんの娘でいたいの。図々しいお願いだとわかってる。だけど、お父さんの娘でいさせてください。お願いします」
人目もはばからずに涙を流し、深々と頭を下げる。
柳田は慎香を起こして抱きしめた。
「当たり前だろう。お前は今までもこれからもずっとずっとお父さんの娘だよ。そんなこと当たり前じゃないか」
慎香がうんとうなずき、泣き顔を必死に笑顔にしようとしていた。
「お母さんにそっくりだな」と呟くと、慎香が何?と訊く。
「この赤いワンピースがいいな」
柳田は慎香が手にしていた1枚を指さした。
「お母さんと初めて会った日にこんな赤い服を着てた。お父さんもその時赤系のネクタイ締めててね。お母さんが『何だか合わせて来たみたいですね』って恥ずかしそうに言ったんだよ」
「わかった。誕生日には3人でリンクコーデしよう。それから、これ赤じゃないよ。マゼンタって言う色」
「マゼンタか。覚えておくよ」
「うん、それじゃ、お仕事頑張って」
柳田は慎香と別れ、薫の店へと向かった。
picrewのお遊びです。
慎香ちゃんイメージ。
素直な良い子です。
「行ったの! 大石先輩の店!」
小堺由美が身を乗り出して、柳田に顔を近づける。ヤニ臭さの混じった由美の口臭が鼻をかすめる。
柳田は由美を払って立ち上がった。
由美はクネクネと体を揺らし、終始ニヤついた笑みを浮かべている。
ぼさぼさの髪を束ね、こけた頬のせいか口角が上がる度に老婆のような皺が刻まれる。ふっくらした頬にえくぼができる愛嬌ある笑顔だったが、今は見る影もない。
「先輩、元気だった? 先輩の名前出したら行くんじゃないかなあと思ってた。より戻せた?」
「何、勝手なこと言ってるんだ。いい加減にしろ」
柳田は深い息を吐いて「後は頼む」と部下に言うと取調室のドアを開けた。
「昔はねえ、先輩のお父さんから買ったあ…むかーしむかーし…」
由美はキャハハハと取調室に狂気じみた笑い声を響かせた。
「お父さん、こっちだよ」
柳田は娘の慎香を眩しく眺めていた。
「お父さんは洋服のことは何もわからない。好きなの選ぶといいよ」
「ダメだよ。今年の誕生日はお父さんが選んだ服を着るって決めてるの」
「じゃあ、慎香がいくつか選んでくれたらその中からお父さんが選ぶよ」
慎香は「わかった、待ってて」と無邪気に笑うと店内を物色し始めた。
慎香がまだ幼い頃、母からDNA鑑定書を突き付けられた時、幼い今なら別れられるかもしれないと思った。
妻の清香と派手に喧嘩して、家を出て行こうとしたあの時、慎香が「おとしゃーん」と言って駆け寄り抱き着いて泣いた。
あの時、首にまとわりついた10本の小さな指が柳田の首に精一杯食い込み、今もその感触が残っていた。
ふいに昼間の由美の言葉がよみがえる。
「昔はねえ、先輩のお父さんから買ったあ…」
薬物中毒者の妄想だと聞き流していたが、あれが妄想でないとしたら…
同時に柳田の前でスマホに視線を落とした時の、戸惑い揺れる薫の瞳を思い出す。
「今はね… ちょっとね…」
薫が電話の向こうに小声で言っていた。今は店に来るなということか。だとしたら相手は?
「彼氏?」と訊いてまた瞳が揺れる。「そんなとこかな」とごまかしあらぬ方を見る。彼氏ではない…
最初に道を踏み外したのは由美だ。
由美は押収した薬物を持ち出し恋人に売らせ、一部は二人で使用した。
警察を首になり、薬物の入手先を探していた時、近寄ってきた男がいたとしたら。
薫が何でも話を聞いてくれる母親に、由美に裸にされたことを話していたとしたら、それを母親が父親に話したとしたら。
もし慎香が同じことをされたら…
「お父さん、私、3着選んだよ。この中から選んで」
「悪い、慎香。お父さん、行くところができた。一人で帰れるか」
「お父さん…」
慎香の目が潤む。
「あの… あのね… お母さんから聞いたの。私がお父さんの本当の子供じゃないって。お父さん、今度こそ本当に出ていくかもしれないって…」
柳田の身体に動揺が走った。
まさか、本当に慎香に話すなんて…
「あなたがあの男から何を聞いたか知らないけど、私はあの男とは結婚してから一度だって会ったりしてないから。一度だけ電話で、慎香の父親は自分かと訊かれて、アンタみたいなバカの子供なわけないだろうって怒鳴ってやった。それっきりよ」
目を赤くして気丈に言い張ったのはそこまでだった。
清香の目に涙が溢れて、その場に崩れ落ちる。
「仕方ないよね… 信じてもらえなくても仕方ないこと、私がしたんだから… 仕方ないよね…」
清香は絞り出すように何度もそう言いながら、子供のように声を上げて泣いた。
ひとしきり泣いた後、泣き腫らした目で柳田を真っすぐ見る。
「私、慎香に全部話す。許してくれるかどうかわからないけど、全部話す。土下座して謝る。これで母と娘の関係が壊れても自業自得だから…」
清香は再び泣き出しそうにゆがむ顔を必死で笑顔にして柳田を見た。
呆然と立ち尽くす柳田の前で、慎香の瞳から見る見る涙が溢れる。
「本当の子供じゃないんだよね… でもね… でも、私はお父さんの娘でいたいの。図々しいお願いだとわかってる。だけど、お父さんの娘でいさせてください。お願いします」
人目もはばからずに涙を流し、深々と頭を下げる。
柳田は慎香を起こして抱きしめた。
「当たり前だろう。お前は今までもこれからもずっとずっとお父さんの娘だよ。そんなこと当たり前じゃないか」
慎香がうんとうなずき、泣き顔を必死に笑顔にしようとしていた。
「お母さんにそっくりだな」と呟くと、慎香が何?と訊く。
「この赤いワンピースがいいな」
柳田は慎香が手にしていた1枚を指さした。
「お母さんと初めて会った日にこんな赤い服を着てた。お父さんもその時赤系のネクタイ締めててね。お母さんが『何だか合わせて来たみたいですね』って恥ずかしそうに言ったんだよ」
「わかった。誕生日には3人でリンクコーデしよう。それから、これ赤じゃないよ。マゼンタって言う色」
「マゼンタか。覚えておくよ」
「うん、それじゃ、お仕事頑張って」
柳田は慎香と別れ、薫の店へと向かった。
picrewのお遊びです。
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素直な良い子です。
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