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40.選択
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もう冬も終わろうと言うのに細かい雪が横殴りに吹き付けてくる。そんな今夜も妙子さんが僕の部屋まで来てくれて温かい夜食を振る舞ってくれた。二人でちゃんぽんうどんを食べる。その間の妙子さんの眼差しも温かかった。
僕の部屋から妙子さんのアパートまで、僕が送っていく。短い道のりを二人で申し合わせたようにゆっくりと並んで歩みを進める。交わす言葉は少ない。だが言葉がなくとも僕たちは繋がっている。そんな気がしてこの静けさもなんだか心地がよかった。
妙子さんがそっと僕の腕に腕を絡ませてくる。僕は胸を高鳴らせつつも平静を装い、かつそのことには気づかないふりをして、胸に甘いものを感じる。
それからの僕たちはずっと無言で妙子さんのアパートを目指して歩いて行った。この道のりが永遠に続けばいいと僕は願う。
ぼくはそっと妙子さんの横顔を覗き見た。頬を赤らめ、満ち足りて穏やかなほほ笑みを浮かべていた。僕の視線に気づいたのか妙子さんがこちらを見る。僕は慌てて視線をそらした。
もう間もなく妙子さんのアパートに着く。そうしたらこの幸福な道行きも終わりだ。
「あの……」
僕の正面に立った妙子さんが口を開く。
「もしよかったら…… 私のうちに、寄って行かれませんか」
僕は妙子さんの顔を見る。妙子さんの眼は僕に何かをねだるような、そんな色をしていた。僕は絶句した。これはただの寄り道の誘いなどではない。そんな気がした。
何も言えない僕の目を正面から見据える妙子さんが熱っぽい目をしてぼそりと呟く。
「怖いんですか」
僕はまた言葉が出ない。心臓が高鳴って止まらない。ようやく僕はかすれ声で答えた。
「……怖い、です」
「ふふっ、実は私も…… 少しだけ……」
妙子さんは上気した顔で甘やかな声を発すると、今度は無言で僕に正面からしがみ付いてきた。その身体の感触に、僕は脳天に何かが突き刺さる様な衝撃を感じ眩暈を覚えた。
その時ふと気づく。僕たちの目の前20mほど先、街灯に照らされる一人の人影があった。安っぽい薄手のロングコート、ダークグリーンのやはり薄手のタートルネックセーターにデニムを身にまとい、オフホワイトの長いマフラーをゆるやかにはためかせた痩身の彼女。腰まであるストレートヘアをなびかせ、大きなハシバミ色の瞳、広い額、意志の強さを感じさせる少し太い眉、高くて尖った鼻とその周りには薄いそばかす。
間違いようもない。一目でわかる。藍だ。
藍は雪に吹かれながら全くの無表情でこちらを見ている。怒りも悲しみもうかがえない。妙子さんも気配を察し僕から身体を離して振り返る。妙子さんが何かを問うように僕の方を見ている。僕はそれに応えずにただ藍を凝視していた。心臓の鼓動がさらに高まる。冷汗が噴き出る。怖くて声も出せない。僕の一番恐れていたことが今現実のものとなってしまった。
「……」
「だれ、そいつ」
今シーズンの最低気温を遥かに下回る冷たさで藍の声が響く。熱湯だって一瞬で凍り付きそうだ。
「あ……」
恐怖に身がすくんだ僕は声を発する事さえできない。怯えた妙子さんがにきつく僕の腕にしがみ付いてくるのがわかった。
藍はゆっくりと僕らの方へ歩みを進める。その歩みは次第に速度を速め最後は全速力になる。僕は妙子さんを巻き込まないよう突き飛ばすのが精一杯だった。
藍はそのまま高く飛び上がって僕に蹴りを食らわせた。藍のドロップキックは僕の胸に命中する。衝撃を受けた瞬間に僕は言葉にならない声で叫んでいた。
気が付くと僕は小さなアパートの薄くて冷たい布団から飛び起きていた。荒い息をして全身が冷汗でびっしょりだ。前髪から冷たい汗が一滴したたり落ちる。外は真っ暗でスマホをを見ると4時27分だった。
なぜこんな夢を見たのだろう。ゆっくり頭を振る。なぜ? 理由なんてわかりきっている。僕は一体どうすればいいんだ。どうすれば誰も傷つけずに済むんだ。膝を立てて頭を抱える。二つある選択肢の中から選ぶしかないのなら、僕はどちらを選択すればいいのだろう。
ついこの前、僕はこのままでいたら両方から嫌われ蔑まれて終わるだろうと思った。だが、いっそのことどちらも選ばないという選択もありうるんじゃないだろうか。それが妙子さんも藍も、そして僕自身も苦しむ最も一番公平な選択とさえ思えてきた。
憂うつな思いを胸に僕は薄くて冷たい布団に横たわる。だがとてもじゃないが寝直せる気分じゃない。僕は寝っ転がったまま答えの出ない問いを悶々と問い続けていた。
しかし、僕が何も言わず何の選択もしなければ、二人とも僕以上に辛い目に遭うだろう。やはりそれは避けなくてはいけない。では一体僕はどちらを取りどちらを捨てればいいんだ。そうしてまた答えのない問いに行きついてしまう。
僕は途方に暮れ布団の中で丸くなるしかなかった。
◆次回
41.妙子の想い・奏輔の迷い
2022年5月11日 21:00 公開予定
僕の部屋から妙子さんのアパートまで、僕が送っていく。短い道のりを二人で申し合わせたようにゆっくりと並んで歩みを進める。交わす言葉は少ない。だが言葉がなくとも僕たちは繋がっている。そんな気がしてこの静けさもなんだか心地がよかった。
妙子さんがそっと僕の腕に腕を絡ませてくる。僕は胸を高鳴らせつつも平静を装い、かつそのことには気づかないふりをして、胸に甘いものを感じる。
それからの僕たちはずっと無言で妙子さんのアパートを目指して歩いて行った。この道のりが永遠に続けばいいと僕は願う。
ぼくはそっと妙子さんの横顔を覗き見た。頬を赤らめ、満ち足りて穏やかなほほ笑みを浮かべていた。僕の視線に気づいたのか妙子さんがこちらを見る。僕は慌てて視線をそらした。
もう間もなく妙子さんのアパートに着く。そうしたらこの幸福な道行きも終わりだ。
「あの……」
僕の正面に立った妙子さんが口を開く。
「もしよかったら…… 私のうちに、寄って行かれませんか」
僕は妙子さんの顔を見る。妙子さんの眼は僕に何かをねだるような、そんな色をしていた。僕は絶句した。これはただの寄り道の誘いなどではない。そんな気がした。
何も言えない僕の目を正面から見据える妙子さんが熱っぽい目をしてぼそりと呟く。
「怖いんですか」
僕はまた言葉が出ない。心臓が高鳴って止まらない。ようやく僕はかすれ声で答えた。
「……怖い、です」
「ふふっ、実は私も…… 少しだけ……」
妙子さんは上気した顔で甘やかな声を発すると、今度は無言で僕に正面からしがみ付いてきた。その身体の感触に、僕は脳天に何かが突き刺さる様な衝撃を感じ眩暈を覚えた。
その時ふと気づく。僕たちの目の前20mほど先、街灯に照らされる一人の人影があった。安っぽい薄手のロングコート、ダークグリーンのやはり薄手のタートルネックセーターにデニムを身にまとい、オフホワイトの長いマフラーをゆるやかにはためかせた痩身の彼女。腰まであるストレートヘアをなびかせ、大きなハシバミ色の瞳、広い額、意志の強さを感じさせる少し太い眉、高くて尖った鼻とその周りには薄いそばかす。
間違いようもない。一目でわかる。藍だ。
藍は雪に吹かれながら全くの無表情でこちらを見ている。怒りも悲しみもうかがえない。妙子さんも気配を察し僕から身体を離して振り返る。妙子さんが何かを問うように僕の方を見ている。僕はそれに応えずにただ藍を凝視していた。心臓の鼓動がさらに高まる。冷汗が噴き出る。怖くて声も出せない。僕の一番恐れていたことが今現実のものとなってしまった。
「……」
「だれ、そいつ」
今シーズンの最低気温を遥かに下回る冷たさで藍の声が響く。熱湯だって一瞬で凍り付きそうだ。
「あ……」
恐怖に身がすくんだ僕は声を発する事さえできない。怯えた妙子さんがにきつく僕の腕にしがみ付いてくるのがわかった。
藍はゆっくりと僕らの方へ歩みを進める。その歩みは次第に速度を速め最後は全速力になる。僕は妙子さんを巻き込まないよう突き飛ばすのが精一杯だった。
藍はそのまま高く飛び上がって僕に蹴りを食らわせた。藍のドロップキックは僕の胸に命中する。衝撃を受けた瞬間に僕は言葉にならない声で叫んでいた。
気が付くと僕は小さなアパートの薄くて冷たい布団から飛び起きていた。荒い息をして全身が冷汗でびっしょりだ。前髪から冷たい汗が一滴したたり落ちる。外は真っ暗でスマホをを見ると4時27分だった。
なぜこんな夢を見たのだろう。ゆっくり頭を振る。なぜ? 理由なんてわかりきっている。僕は一体どうすればいいんだ。どうすれば誰も傷つけずに済むんだ。膝を立てて頭を抱える。二つある選択肢の中から選ぶしかないのなら、僕はどちらを選択すればいいのだろう。
ついこの前、僕はこのままでいたら両方から嫌われ蔑まれて終わるだろうと思った。だが、いっそのことどちらも選ばないという選択もありうるんじゃないだろうか。それが妙子さんも藍も、そして僕自身も苦しむ最も一番公平な選択とさえ思えてきた。
憂うつな思いを胸に僕は薄くて冷たい布団に横たわる。だがとてもじゃないが寝直せる気分じゃない。僕は寝っ転がったまま答えの出ない問いを悶々と問い続けていた。
しかし、僕が何も言わず何の選択もしなければ、二人とも僕以上に辛い目に遭うだろう。やはりそれは避けなくてはいけない。では一体僕はどちらを取りどちらを捨てればいいんだ。そうしてまた答えのない問いに行きついてしまう。
僕は途方に暮れ布団の中で丸くなるしかなかった。
◆次回
41.妙子の想い・奏輔の迷い
2022年5月11日 21:00 公開予定
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