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第29話 再びの春
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僕も姉も、秋のあの日にあったことについて話題にすることはなかった。
僕は中三、もしまだ高校に行っていたら姉は高三になっていた季節。僕たちはまた桜並木と屋台の行列に来ていた。
姉は片手で杖を突いていたものの、去年と同じ距離を何とか歩きとおしここまでたどり着いた。目覚ましい回復に僕は感嘆した。あれ以来姉は電動車いすに乗るのを拒み続けていた。また、リハビリもかねての散歩は姉の身体にとっても望ましいものだと医者も言う。
「ねえゆーくん」
「なに」
「今年もこれたね」
「うん」
「ありがと」
「僕は何もしてないよ」
「ううん、いっぱいしてくれた」
その言葉に僕はどきっとする。まさか秋に僕がやらかしそうになったことについて言ってるのか? でも姉の顔はいたずらっぽかったりからかったりする顔ではなかった。あの秋以来、時折見せるどこか切なげな顔だった。僕はこの顔が苦手だった。
「でも大したことしてないし」
僕の声は少し上ずっていたかもしれない。
「だとしても、ありがと」
姉はやはり切なげな表情をして僕に言う。僕の胸も切なくなる。
「うん」
あれから姉は少しずつ身体の動きが回復し始め、先生たちを驚愕させた。学会に発表するレベルの出来事だという。姉も懸命にリハビリに取り組み、少しずつだが散歩の距離も伸びていった。
「ねえゆーくん」
「なに」
「お腹減った」
「また?」
思わず呆れ声で僕は答える。
「バナナはおやつに入らないんだよー」
「ホントかよ」
最近姉の食欲も回復しつつあり、痩せっぽちだった姿にも少し変化が見られつつあった。
今度は相変わらずのわがままといたずらっぽさが混ざった声で姉がねだる。やっぱりこっちの方が姉らしくていい。
「だからー、チョコバナナ買ってーお兄ちゃーん」
「だからなんでお兄ちゃんなんだって。大声出すなよ恥ずかしいだろ」
今年はこういったことも想定していたので、去年よりは財布に余裕がある。僕はチョコバナナを二つ買ってきた。
またガードレールに腰かけて散り始めた桜を見ながら無言でチョコバナナを食べる。
「今年はメジロいないね」
「いるよ。声いっぱいするもん、見えないだけ」
僕は何も言わずに姉の髪についた桜の花びらを取る。照れくさそうな表情で姉はうつむいていた。降り注ぐ桜の花びらがあまりにも多くて取っても取ってもなくならない。
「きりがないや」
「きりがなくてもいいから全部取って」
いつ通りのわがままな声で姉が言う。
苦労して全部取ってやると少し顔を赤らめた姉が満面の笑みを浮かべた。それを見た僕の胸に何か鋭いものが刺さる。
「さっ、も、もう帰らないとな」
僕がそう言った瞬間、夕暮れに染まっていた辺りがぱあっと明るくなり花見客の間から歓声があがる。もちろん姉も嬉しそうな声をあげる。
「きれーい!」
たくさんの提灯に照らされた桜が薄桃色に川面と人々を照らし出す。僕も言葉を失う。僕は隣に寄り添う姉の存在を確かに感じながらその光景を眺めていた。
ふと僕の手がムズムズしてしようがないことに気づいた。
あれだ、握りたいんだ、姉の手を。
僕はそんな自分に苛立ち、頭を振ってジャケットのポケットに手を突っ込んだ。
それとほぼ同時にするっと冷たいものがポケットに入ってくる。
「あっ」
僕が変な声をあげてポケットを見ると姉が手を突っ込んでいた。冷たくて、でも前より少しふっくらした指が僕の指に絡んでくる。思わず姉の方を見ると、最近になって見せるようになったあの切なげな表情と、少し泣きそうな表情が入り混じった顔を見せていた。姉が僕にそっと身を寄せてつぶやく。
「これくらいなら、いいよね」
その甘い声が僕の脳天を突くと、僕は黙ってそっと姉の手を握り返した。
僕たちは手を握りあいながらずっとライトアップされた散り始めの夜桜を眺めていた。
僕は中三、もしまだ高校に行っていたら姉は高三になっていた季節。僕たちはまた桜並木と屋台の行列に来ていた。
姉は片手で杖を突いていたものの、去年と同じ距離を何とか歩きとおしここまでたどり着いた。目覚ましい回復に僕は感嘆した。あれ以来姉は電動車いすに乗るのを拒み続けていた。また、リハビリもかねての散歩は姉の身体にとっても望ましいものだと医者も言う。
「ねえゆーくん」
「なに」
「今年もこれたね」
「うん」
「ありがと」
「僕は何もしてないよ」
「ううん、いっぱいしてくれた」
その言葉に僕はどきっとする。まさか秋に僕がやらかしそうになったことについて言ってるのか? でも姉の顔はいたずらっぽかったりからかったりする顔ではなかった。あの秋以来、時折見せるどこか切なげな顔だった。僕はこの顔が苦手だった。
「でも大したことしてないし」
僕の声は少し上ずっていたかもしれない。
「だとしても、ありがと」
姉はやはり切なげな表情をして僕に言う。僕の胸も切なくなる。
「うん」
あれから姉は少しずつ身体の動きが回復し始め、先生たちを驚愕させた。学会に発表するレベルの出来事だという。姉も懸命にリハビリに取り組み、少しずつだが散歩の距離も伸びていった。
「ねえゆーくん」
「なに」
「お腹減った」
「また?」
思わず呆れ声で僕は答える。
「バナナはおやつに入らないんだよー」
「ホントかよ」
最近姉の食欲も回復しつつあり、痩せっぽちだった姿にも少し変化が見られつつあった。
今度は相変わらずのわがままといたずらっぽさが混ざった声で姉がねだる。やっぱりこっちの方が姉らしくていい。
「だからー、チョコバナナ買ってーお兄ちゃーん」
「だからなんでお兄ちゃんなんだって。大声出すなよ恥ずかしいだろ」
今年はこういったことも想定していたので、去年よりは財布に余裕がある。僕はチョコバナナを二つ買ってきた。
またガードレールに腰かけて散り始めた桜を見ながら無言でチョコバナナを食べる。
「今年はメジロいないね」
「いるよ。声いっぱいするもん、見えないだけ」
僕は何も言わずに姉の髪についた桜の花びらを取る。照れくさそうな表情で姉はうつむいていた。降り注ぐ桜の花びらがあまりにも多くて取っても取ってもなくならない。
「きりがないや」
「きりがなくてもいいから全部取って」
いつ通りのわがままな声で姉が言う。
苦労して全部取ってやると少し顔を赤らめた姉が満面の笑みを浮かべた。それを見た僕の胸に何か鋭いものが刺さる。
「さっ、も、もう帰らないとな」
僕がそう言った瞬間、夕暮れに染まっていた辺りがぱあっと明るくなり花見客の間から歓声があがる。もちろん姉も嬉しそうな声をあげる。
「きれーい!」
たくさんの提灯に照らされた桜が薄桃色に川面と人々を照らし出す。僕も言葉を失う。僕は隣に寄り添う姉の存在を確かに感じながらその光景を眺めていた。
ふと僕の手がムズムズしてしようがないことに気づいた。
あれだ、握りたいんだ、姉の手を。
僕はそんな自分に苛立ち、頭を振ってジャケットのポケットに手を突っ込んだ。
それとほぼ同時にするっと冷たいものがポケットに入ってくる。
「あっ」
僕が変な声をあげてポケットを見ると姉が手を突っ込んでいた。冷たくて、でも前より少しふっくらした指が僕の指に絡んでくる。思わず姉の方を見ると、最近になって見せるようになったあの切なげな表情と、少し泣きそうな表情が入り混じった顔を見せていた。姉が僕にそっと身を寄せてつぶやく。
「これくらいなら、いいよね」
その甘い声が僕の脳天を突くと、僕は黙ってそっと姉の手を握り返した。
僕たちは手を握りあいながらずっとライトアップされた散り始めの夜桜を眺めていた。
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