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エピローグ2.落陽
第二話 朝焼けにもの思う
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シリルは視線をぼんやりとテーブルの上にさ迷わせながら呟くように話す。
「死期が近いらしいわ。すい臓がんと肝臓がんと胆のう胆管がん。他に転移もあちこちにあって治療に耐える体力もないそうよ。同重体線治療するにも遅すぎるって」
「そうだったんだ。今どき癌だなんて本当に不運だなあ」
シリルはテーブルに視線を落とすと半ば独り言のように呟き続ける。
「子供がいないから私に看取って欲しいのか…… あり得ない話だとは思うけれど、お父さんは本当はお母さんに来てもらいたかったのかな。だとしたらお父さん、今の家族とよほどうまく行ってないのかも。でもいくらお父さんに乞われたからといっても、後妻さんがいる手前お母さんがそこに入ってはいけないでしょう。それで私を呼んだのかしら」
こめかみに指を当てて小声で呟くシリルに伊緒は少し驚いた表情を見せる。
「それは全部予想、と言うか空想に過ぎないから何とも言えないよ。でもシリル、随分複雑な家族関係を読めるようになったね。びっくりした」
その時はっと何かに気付く表情になった伊緒。
「あっ…… いや、ああ、そっか、家族か。もしかして」
「もしかして?」
「いやきっとそうだ。お父さんはシリルでなくミラ(※1)さんに来て欲しいんじゃない?」
「あっ」
シリルもはっとした表情になる。ミラのことはもう十数年気にもとめていなかった。
「あたし達はもうずっとシリルをシリルとしてしか見ていなかったけど、『お父さん』や『お母さん』は、亡くなった一人娘のミラさんの代わりとしてシリルを手元に置いたんだった。そんなことすっかり忘れてたよ」
「ミラさんの感情プログラムは、私の脳機能の中でWraithに修復された後、圧縮して私の脳機能の片隅に残したままだわ。経年修正も済ませずに」
「『お父さん』がそう考えていたとすると――いやほぼそれで間違いないと思うけど、ミラさんの感情プログラムを起動させること自体は、技術的上問題ないと思う」
腕を組んで考えを巡らせていた伊緒は、はたと大切なことを忘れていたのに気付く。
「ああ、いやいや、何よりシリルはミラさんの感情プログラムを起動させてお父さんを看取ろうと希望する? 今言ったみたいな技術的な問題は別にして」
「今更他人の心に入れ替われって言われているようなものでしょ。だからすごく抵抗感はある。それに、入れ替わった後、今私が言ったようにミラさんが私の感情に替わりたくないと言ったら伊緒はどうする?」
シリルがこれほどまでに憂鬱そうな表情をするのを伊緒は見たことがない。それを見て腕組みをし背もたれに背中を預ける伊緒。今伊緒に言えるのは事実だけだ。それをどう判断するかはシリルの問題になる。
「うーん、それは困る。すごく困っちゃうなあ。ただそれはミラさんの感情プログラムにWraithが干渉しなければ起きない問題だから大丈夫だと思う。シリルのWraithはシリルの感情プログラム内のものだからね」
「でも、もしあの人と会うにしてもこのままにして会いたいな」
伊緒は何度も頷く。
「うんうん、それはシリルが自分で決めることだもの。あたしはシリルの決めたことに賛成するよ」
その日の夕食のソース焼きそばは、少々焦げていた上にすっかりのびていて、大して美味くもないそれを黙って二人で食べた。(※2)
その後シリルはハルと三日間かけ数度のやり取りをとったあと一晩中一人で考え続けた。
矢木澤 弦造。
シリルの元所有者、「父」、軍事利用の為製造された自分を非検体として扱い続けた者、液体窒素よりも冷たく徹頭徹尾自分を機械としてしか見なかった男。そしてシリルを解体しようとした男。
彼に関わる思い出は、何から何まで嫌悪感と怒りを伴うものばかりだった。あの男のあの目。シリルの心を所詮プログラムに過ぎないと見下していたあの冷たい目を思い出す度シリルはまるで人間と同じようにぞっとするのだった。
惑星ローワンの首都標準時五時四十五分、朝焼けが近い薄明かりに包まれ、リビングのソファに身体を預けていたシリルは一人決意する。
「今日はシリル早いね。ベッドにいないからびっくりしちゃった。充電は大丈夫?」
六時四十五分。珍しく二十分以上も早起きした伊緒は、リビングに一人座るシリルに声をかけた。びっくりしたとは言いながらも大きなあくびが止まらない伊緒。実を言うと伊緒は子供のころからどうにも朝が得意ではなかった。
「ええ、ずっとここで充電しながら考えてて」
伊緒には顔を向けず、シリルはソファにかけたままじっと壁を見つめていた。
伊緒はシリルが何を考えていたのかすぐに察した。
「そか、大変だったね。結論は出たの?」
「わからない。わからないの。でも…… これがあの人にとっての最期の望みなら、聞いてあげてもいいのかなって……」
「無理はしなくっていいんだからね」
シリルはソファから立ち上がって伊緒に軽いキスをする。
「ありがと伊緒。少し早いけどもう朝ごはんにしましょ。今日も混むわよ」
「ああ、全く。でも必要とされているって思うと不思議と頑張れるんだ」
「伊緒らしい。でも伊緒の方こそ無理しなくっていいのよ。コーヒーは何がいい?」
▼用語
※1 ミラ:
矢木澤ミラ。矢木澤弦造とハルの間に生まれ早逝した一人娘。ミラの死を受けて、ミラの外観とミラの感情プログラムを持ったシリルが製造された。
※2 「二人で食べた。」:
初代「快食さん」の低性能や売れ行きの悪さにもめげず、消化器系に異常なこだわりを持つ伊緒が改良を続けた消化吸収ユニット「快食さんAAA」は初代「快食さん」はるかに上回る高機能で、ちょっとしたヒット商品となった。現在はシリルも快食さんAAAを装備している。
「死期が近いらしいわ。すい臓がんと肝臓がんと胆のう胆管がん。他に転移もあちこちにあって治療に耐える体力もないそうよ。同重体線治療するにも遅すぎるって」
「そうだったんだ。今どき癌だなんて本当に不運だなあ」
シリルはテーブルに視線を落とすと半ば独り言のように呟き続ける。
「子供がいないから私に看取って欲しいのか…… あり得ない話だとは思うけれど、お父さんは本当はお母さんに来てもらいたかったのかな。だとしたらお父さん、今の家族とよほどうまく行ってないのかも。でもいくらお父さんに乞われたからといっても、後妻さんがいる手前お母さんがそこに入ってはいけないでしょう。それで私を呼んだのかしら」
こめかみに指を当てて小声で呟くシリルに伊緒は少し驚いた表情を見せる。
「それは全部予想、と言うか空想に過ぎないから何とも言えないよ。でもシリル、随分複雑な家族関係を読めるようになったね。びっくりした」
その時はっと何かに気付く表情になった伊緒。
「あっ…… いや、ああ、そっか、家族か。もしかして」
「もしかして?」
「いやきっとそうだ。お父さんはシリルでなくミラ(※1)さんに来て欲しいんじゃない?」
「あっ」
シリルもはっとした表情になる。ミラのことはもう十数年気にもとめていなかった。
「あたし達はもうずっとシリルをシリルとしてしか見ていなかったけど、『お父さん』や『お母さん』は、亡くなった一人娘のミラさんの代わりとしてシリルを手元に置いたんだった。そんなことすっかり忘れてたよ」
「ミラさんの感情プログラムは、私の脳機能の中でWraithに修復された後、圧縮して私の脳機能の片隅に残したままだわ。経年修正も済ませずに」
「『お父さん』がそう考えていたとすると――いやほぼそれで間違いないと思うけど、ミラさんの感情プログラムを起動させること自体は、技術的上問題ないと思う」
腕を組んで考えを巡らせていた伊緒は、はたと大切なことを忘れていたのに気付く。
「ああ、いやいや、何よりシリルはミラさんの感情プログラムを起動させてお父さんを看取ろうと希望する? 今言ったみたいな技術的な問題は別にして」
「今更他人の心に入れ替われって言われているようなものでしょ。だからすごく抵抗感はある。それに、入れ替わった後、今私が言ったようにミラさんが私の感情に替わりたくないと言ったら伊緒はどうする?」
シリルがこれほどまでに憂鬱そうな表情をするのを伊緒は見たことがない。それを見て腕組みをし背もたれに背中を預ける伊緒。今伊緒に言えるのは事実だけだ。それをどう判断するかはシリルの問題になる。
「うーん、それは困る。すごく困っちゃうなあ。ただそれはミラさんの感情プログラムにWraithが干渉しなければ起きない問題だから大丈夫だと思う。シリルのWraithはシリルの感情プログラム内のものだからね」
「でも、もしあの人と会うにしてもこのままにして会いたいな」
伊緒は何度も頷く。
「うんうん、それはシリルが自分で決めることだもの。あたしはシリルの決めたことに賛成するよ」
その日の夕食のソース焼きそばは、少々焦げていた上にすっかりのびていて、大して美味くもないそれを黙って二人で食べた。(※2)
その後シリルはハルと三日間かけ数度のやり取りをとったあと一晩中一人で考え続けた。
矢木澤 弦造。
シリルの元所有者、「父」、軍事利用の為製造された自分を非検体として扱い続けた者、液体窒素よりも冷たく徹頭徹尾自分を機械としてしか見なかった男。そしてシリルを解体しようとした男。
彼に関わる思い出は、何から何まで嫌悪感と怒りを伴うものばかりだった。あの男のあの目。シリルの心を所詮プログラムに過ぎないと見下していたあの冷たい目を思い出す度シリルはまるで人間と同じようにぞっとするのだった。
惑星ローワンの首都標準時五時四十五分、朝焼けが近い薄明かりに包まれ、リビングのソファに身体を預けていたシリルは一人決意する。
「今日はシリル早いね。ベッドにいないからびっくりしちゃった。充電は大丈夫?」
六時四十五分。珍しく二十分以上も早起きした伊緒は、リビングに一人座るシリルに声をかけた。びっくりしたとは言いながらも大きなあくびが止まらない伊緒。実を言うと伊緒は子供のころからどうにも朝が得意ではなかった。
「ええ、ずっとここで充電しながら考えてて」
伊緒には顔を向けず、シリルはソファにかけたままじっと壁を見つめていた。
伊緒はシリルが何を考えていたのかすぐに察した。
「そか、大変だったね。結論は出たの?」
「わからない。わからないの。でも…… これがあの人にとっての最期の望みなら、聞いてあげてもいいのかなって……」
「無理はしなくっていいんだからね」
シリルはソファから立ち上がって伊緒に軽いキスをする。
「ありがと伊緒。少し早いけどもう朝ごはんにしましょ。今日も混むわよ」
「ああ、全く。でも必要とされているって思うと不思議と頑張れるんだ」
「伊緒らしい。でも伊緒の方こそ無理しなくっていいのよ。コーヒーは何がいい?」
▼用語
※1 ミラ:
矢木澤ミラ。矢木澤弦造とハルの間に生まれ早逝した一人娘。ミラの死を受けて、ミラの外観とミラの感情プログラムを持ったシリルが製造された。
※2 「二人で食べた。」:
初代「快食さん」の低性能や売れ行きの悪さにもめげず、消化器系に異常なこだわりを持つ伊緒が改良を続けた消化吸収ユニット「快食さんAAA」は初代「快食さん」はるかに上回る高機能で、ちょっとしたヒット商品となった。現在はシリルも快食さんAAAを装備している。
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