偽りの星灯火(ほしともしび)

永倉圭夏

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エピローグ1.テロル

第二話 格闘

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 ほぼ最上階の九十二階は広大で、まるで展望台の様な社員食堂や加速仮眠寝台を備えた休憩所、娯楽スペースが置かれている。何の当てもない五十畑は何となく宮木がいそうな気がする社員食堂に入ろうとする。

 その途中の廊下、五メートルほど先の男子トイレからあの男性が出て来た。レオナルディの包みを持たずに。

 男性は五十畑の方を向いた。紙包みを持っていない事以外はこれと言って不審な事もなく、宮木がなぜこの男を追っているのか腑に落ちない。実際に怪しげな様子など微塵も感じられないこの男性が五十畑に近づいてきても五十畑は特に何も感じていなかった。

 だがもう目の前にこの男が近づいてあと数歩ですれ違うという瞬間、五十畑は気づいた。何故この男は社員証をつけていない? これがないとエレベーターホールやトイレのチェックポイントも通過できないのに。

 五十畑がこの男が普通でないとようやく気付いた瞬間、緊張が走る。五十畑が何かに気付いた事に気付いた男は忌々し気に小さな呻き声を上げる。鞄から小さな電磁ナイフを取り出し、不器用に五十畑に突き立てる素振りを見せた。ビッと青い電磁刃が空を切る音がする。

「ひっ!」

 そんなものをどうやって避ければいいか知りもしない五十畑は小さく叫んでうずくまるしかなかった。男はこれで五十畑を排除できたと安心したのか、そのまま走り去ってゆく。
 男はそのままエレベーターホールへと向かって走る。エレベーターで一階まで下りて逃げ去るつもりだろう。しかし男が五十畑と鉢合わせした場所から十メートルほど走り抜けた丁字路で、横道から現れた人影が男に思い切り体当たりを食らわす。完全に不意を突かれた男は広い廊下の壁に身体をしたたかに打ち付けられ床に転がされた。転倒したまま男が電磁ナイフを構えるより前に、宮木が足で男のナイフを蹴り飛ばす。見事ナイフは宮木の足元に転がった。宮木は警戒を解かずにゆっくりとそれを持って男に向ける。観念したのか男の動きが止まった。

 宮木は何事か男に言っているのだが、遠くてその声は聞こえない。だが五十畑でも口の動きが読めた言葉があった。

「統合安全保障局」
「実動保安隊」(※1)

 統合安全保障局の言葉を読み取った五十畑は血の気が引いた。
 冷酷無比で酸鼻を極める尋問、蛇のように狡猾で抜け目のない捜査、必要とあらば子供であろうと徹底的に容赦なく相手を叩きのめす戦闘術、どれをとってもあの宮木には程遠い。そもそもなぜ自分の勤務先が統合安全保障局の捜査対象に入っているのだろうか。そんな重大犯罪に手を染めているなどあり得るはずがない。
 だが、統合安全保障局の職員はいつの間にか人知れず社会の中に紛れ込んでいるとの噂も根強い。そう、友が、家族が、そして職場の同僚が、いつの間にか実動保安隊の諜報員になっているのかも知れないのだ。
 それを思い出した五十畑は全身が凍り付くような錯覚を覚えた。

 宮木が横を向く。五十畑に気付く。二人の視線が絡み合い緊張が走る。

 その時、よそ見をしていた宮木に男が掴みかかった。
 宮木が本当に統合安全保障局の実動保安隊なら格闘戦で男に勝ち目はない。おそらく男は宮木の言葉を信じなかったのだろう。
 一方で宮木が「普通の人」なら耐格差で宮木は明らかに不利だ。五十畑はまた思わず叫んでしまった。

 が、宮木は男と数秒揉み合った後、男の腹に数発膝蹴りを入れる。哀れ男はあえなくくの字に折れて悶絶していた。

「ふう」

 電磁ナイフを畳むと、TVドラマよろしく手をはたいてため息を吐く宮木。身をよじる男を見下ろし、してやったりの得意げな表情だ。

「…………」

 五十畑は声が出ない。少し震えてさえいる。それなのに何なんだこの女は飄々とした顔で颯爽と……五十畑の思考は混乱していた。

「さ、早く、一階に降りよう。こいつを連れて。急いで警備に連絡しなくちゃ」

「いだだだだだだ」

 男の腕をじ上げて立ち上がらせ、事もなげに話す宮木。その言わんとすることが五十畑には分からない。

「警備? この男を引き渡すの?」

 宮木と男と五十畑はエレベーターホールに向かう。

「いや。レオナルディの包み。あれきっと爆弾だから」

 五十畑は息を呑む。一方の宮木は平然としている。

「違う?」

 宮木は無表情でねじ上げていた男の腕を更にきつくねじ上げた。

「い、いたたたたっ。……そ、そうだ」

「どんな?」

「緊急時の隔壁突破用の――」

「おー、ちょっと古そうだけどいわゆるアトルキア(※2)? あの大きさだと十階層分は吹っ飛んじゃいそうだね」

「えっ! 十階?」

「いいかお前ら、アンドロイド生産なんてことはもう止めるんだ! あれは人類に破滅をもたらす! 我々はかねてから――いてててっ」

「あー、おじさん。そういう話あたしたちはいいから。警察の人に言って」

 興味なさそうに男の腕を捩じ上げる宮木はエレベーターに男を押し込むと自分も乗り込んだ。慌てて五十畑もそれを追う。

 三人がエレベーターで降下する間、宮木の指示で総合携帯端末を使って五十畑は警備に事情を伝える。エレベーターが一階に到着して扉が開くと、怒号を上げる十人以上の警備員に男は取り押さえられ三人揃ってもみくちゃになりながらも男は玄関の外まで連行されていった。

 それを追うように五十畑と宮木もビルの外に避難すると、これもまた五十畑には大げさすぎるように思える数の警察車両が到着した。様々な器具を装備した何十人もの爆発物処理班が全力疾走で次々にエレベーターに飛び込んでいく。

 社員は全員避難したが二人は警察に連れていかれ事情聴取を受ける。何があったのか事細かに、しかも何度も同じことを聞かれ二人ともすっかり消耗してしまった。結局爆発物は爆発前に無事処理されたと聞いて二人は安堵した。

 完全に夜時刻になっていたのにも関わらず、二人は警察の事情聴取のあと本社に呼ばれ、またもや事情を説明する羽目になった。警察ほどではないとは言っても、疲れ切った上にまた同じ話をするのは本当に疲れる。
 さらに二人は各々報告書を書く羽目になった。仕事以外に書類を書くなどうんざりするもの以外の何ものではなく、二人とも思わず天を仰いだ。

 二人がようやく自由の身になったのは夜中の二時過ぎてからのことだった。

 さすがの宮木も飲もうなどという気力もなく、背中を丸め疲れ切って二人はそれぞれ帰路についた。五十畑はシャワーを浴びたのも束の間、そのまま眠りこけてしまう。

「よく考えたらこれって大殊勲じゃない? ボーナス出るよきっと! 出たらまた飲もうぜ(徳利の絵)」

 深い眠りについて宮木のメッセージにも気付かない五十畑であった。


▼用語
※1 統合安全保障局 実動保安隊
 Integrated Security Bureau Operating Guard Corps (ISBOGC) 複数世界に跨る治安組織。
 その名前は知られているものの規模や組織の詳細、具体的な活動内容などは一切公表されていない。噂でしかその存在と活動が語られていないためになおさら人々の恐怖の的となっている。
 その噂としては、苦痛と恐怖を駆使し、人権への配慮が一切ない尋問や拷問、狡猾で卑劣な捜査、子供であろうと躊躇なく殺害する残忍さ、などが主に挙げられている。
 ただ、このような噂をわざと流布することによって、反社会勢力や犯罪者のみならず市民の全てに統合安全保障局を恐れさせ、治安維持の一助としているのではないかとする向きもある。

※2 アトルキア
 主に惑星や域外での作業用として近年開発された爆薬。高威力で簡単に暴発しないため重宝がられている。粘土のように自由に形を変えられるという利点もある。
 あらゆる面において優れているため犯罪やテロに使われる事もあって、その取り扱いには厳しい制約がかけられている。
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