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破れ鍋に綴じ蓋な二人
第70話 名前で呼んで
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「だからみんな学祭廻りの相手探しに躍起になってたなあ。特にカップルで廻りたい奴」
文化祭を一緒に廻ると二人は正式なカップルと周囲から認定されるのが母校での習わしだった。特に三年生の場合、卒業後の将来も約束された間柄になる、と生徒たちからは憧れのシチュエーションとされていた。
宮木はさりげなく言葉を続ける。そう、考えようによっては、この際訊いてみてもいいのかも知れない。あの頃から気になってた、ずっとずっと引きずってた事。今でも胸をちくちくと刺すあの事。そもそもが五十畑から話を持ち出してきたんだから構うことはないだろう。
「なってたなってた…… なってたなあ…… ふふっ」
五十畑は車外の遠くに視線をやりながら本当に懐かしそうに微笑む。まるで「あの事」なんて覚えていないようだ。
その五十畑の頭を斜め後ろから眺めながら宮木は逡巡した。もしかして五十畑はあの事を覚えてすらいないのではないか。もしそうなら、あの事を話してしまえば、宮木は少女期の思い出に執着する情けないアラサー女確定である。五十畑になんと言われるか。
「……」
二人そろって中途半端な笑顔のまま沈黙してしまう。道を急ぐ車のモーター音がやけに響く。宮木はそのモーター音に話せ話せとせかされている気がしてならなかった。しかし宮木からしてみればよく考えてみると今更話したところで何の意味のない話だ。
確かに高三のあの日が二人の今を変えていたかも知れない。しかしそれはもしもの話で絶対今の二人を変えていたわけではない。そもそもの話、それは起きることのなかった仮定の話だ。今更書き換える事の出来ない過去を掘り返してみたところで何の意味もない。そして今話したところで今から何かが変わるわけでもない。頭の中で意味のない考えがぐるぐると巡り巡っている。
しかしさっきからちくちくと、まるで小さな針が胸を刺すかのような痛みを消せるかもしれない。この痛みを止めたい。その心が衝動となってどんな理屈も軽く飛び越す。
「五十畑さ、あのさ、あの、なんであの時……」
色々と考えをめぐらすうち、つい口を突いて訊ねてしまった。だめだ、やっぱりどうしても気になる。何故五十畑はあの時。
「えっ?」
少し驚いたように小さな声が返ってくる。
「ああ、いや、いいや。馬鹿だなあたし」
しまった、とそう思った宮木は即座に訂正する。後悔の念が突風となって胸を吹き荒れる。ちっぽけな胸の痛みなんてあっという間に吹き飛んでしまった。ばかばかしい。本当にばかばかしい。あたしは本当にばかな女だ。まあばかは当たり前の事か。下らない話を振ってまた恥をかいた。つくづく馬鹿だ。
「ああ、いや、うー」
恥ずかしくて膝に肘をついて頭を抱える。それでも元気よく頭を上げ話を切り替えて話題は終わらせよう、と宮木は気を取り直した。
「あたしってほんと馬鹿、ははっ。そうそう、それで高三の時だとさ音楽祭の」
「私も」
ぽつりと小さい声で五十畑が答える。
「あん?」
ついとぼけた声が出てしまう宮木。五十畑の方を見ると彼女は俯いて表情は見えないものの、スカートの上に置かれた両手には少し力が入っている様だ。
「私も馬鹿だったのよ、きっと。それに臆病。おまけに意地っ張りで嘘つき」
自嘲気味に少しかすれた小声で話す五十畑。
「そか」
宮木も少し言葉に詰まり、ようやく一言だけ発する事が出来た。
「うん」
五十畑も言葉に詰まったのか、ただそれだけ口にする。
「色々あったんだな」
「うん。色々あった」
何かを懐かしむような沈黙が続くなか、宮木の中で何かが氷解していく感覚がする。五十畑の心と自分の心が繋がったようなそんな不思議な感覚が湧き上がる。
「なあ」
「うん?」
「今日もかぐら行くか!」
いつも通りの宮木の口調に戻りいつも通りの呆れ声で返答する五十畑
「は? 今から? ここから? それに今日水曜日じゃない。宮木の呑みはブレーキが壊れてるんだもの。あんたまた二日酔いで出勤したいの? Mなの? ドMなの?」
「そんな気分なんだよ。きっとあたしん中のWraithがそうしろって言ってんの。五十…………由花と飲めってさ」
「!」
勢いに任せて思い切って言ってしまった。高二の頃には一人欠けてしまったが、高三のあの日以前のように笑ってじゃれあう関係に戻りたかった。そんな甘えを今の五十畑なら呆れ顔をしながらも苦笑いをして許してくれそうな気がした。
しかし五十畑は息を呑んで宮木を見、そのままさっきより深く俯いた。宮木の甘い予想に反して長くて重い沈黙が流れる。五十畑は膝の上のスカートの裾を握る手の力は指が白くなるほどのきつくなっている。ようやく五十畑の口から出た言葉は先ほどと同じ少しかすれた小声だったが、先ほどと同じでないのは非難の響きがあることだ。
「やめてよ、なんでいきなり名前で呼ぶのよ…… よしてよ今更……」
想いもよらない五十畑の反応と言葉だった。それに宮木はぎょっとした。そのすぐ後にハッとして胸に衝撃が走る。もしかして自分と五十畑では相手に求めていた親しさの重さが違ったのか。十二年前のことをよくよく考えてみればそうなのだが、今まで考えたこともなかった。宮木は急速に五十畑に対する想いが変化しつつあるのを胸の内で感じ始めていた。先ほどとは違う甘い痛みが宮木の胸に刺さる。宮木は五十畑との今現在の繋がりのもっと向こう側を確かめてみたくなった。
「嫌?」
長い沈黙。
「……嫌、じゃない」
俯いた頭が少しばかり面を上げる。横顔は髪に隠れて見えない。
「じゃ、由花もあたしのこと名前で呼んでよ」
多分ここが分水嶺。あるいは壁。あるいは境界線。ここで取り返しがつかなくなるかどうかが決まる。わかってはいても宮木はむしろその先に行ってみたい気持ちが止まらなかった。
文化祭を一緒に廻ると二人は正式なカップルと周囲から認定されるのが母校での習わしだった。特に三年生の場合、卒業後の将来も約束された間柄になる、と生徒たちからは憧れのシチュエーションとされていた。
宮木はさりげなく言葉を続ける。そう、考えようによっては、この際訊いてみてもいいのかも知れない。あの頃から気になってた、ずっとずっと引きずってた事。今でも胸をちくちくと刺すあの事。そもそもが五十畑から話を持ち出してきたんだから構うことはないだろう。
「なってたなってた…… なってたなあ…… ふふっ」
五十畑は車外の遠くに視線をやりながら本当に懐かしそうに微笑む。まるで「あの事」なんて覚えていないようだ。
その五十畑の頭を斜め後ろから眺めながら宮木は逡巡した。もしかして五十畑はあの事を覚えてすらいないのではないか。もしそうなら、あの事を話してしまえば、宮木は少女期の思い出に執着する情けないアラサー女確定である。五十畑になんと言われるか。
「……」
二人そろって中途半端な笑顔のまま沈黙してしまう。道を急ぐ車のモーター音がやけに響く。宮木はそのモーター音に話せ話せとせかされている気がしてならなかった。しかし宮木からしてみればよく考えてみると今更話したところで何の意味のない話だ。
確かに高三のあの日が二人の今を変えていたかも知れない。しかしそれはもしもの話で絶対今の二人を変えていたわけではない。そもそもの話、それは起きることのなかった仮定の話だ。今更書き換える事の出来ない過去を掘り返してみたところで何の意味もない。そして今話したところで今から何かが変わるわけでもない。頭の中で意味のない考えがぐるぐると巡り巡っている。
しかしさっきからちくちくと、まるで小さな針が胸を刺すかのような痛みを消せるかもしれない。この痛みを止めたい。その心が衝動となってどんな理屈も軽く飛び越す。
「五十畑さ、あのさ、あの、なんであの時……」
色々と考えをめぐらすうち、つい口を突いて訊ねてしまった。だめだ、やっぱりどうしても気になる。何故五十畑はあの時。
「えっ?」
少し驚いたように小さな声が返ってくる。
「ああ、いや、いいや。馬鹿だなあたし」
しまった、とそう思った宮木は即座に訂正する。後悔の念が突風となって胸を吹き荒れる。ちっぽけな胸の痛みなんてあっという間に吹き飛んでしまった。ばかばかしい。本当にばかばかしい。あたしは本当にばかな女だ。まあばかは当たり前の事か。下らない話を振ってまた恥をかいた。つくづく馬鹿だ。
「ああ、いや、うー」
恥ずかしくて膝に肘をついて頭を抱える。それでも元気よく頭を上げ話を切り替えて話題は終わらせよう、と宮木は気を取り直した。
「あたしってほんと馬鹿、ははっ。そうそう、それで高三の時だとさ音楽祭の」
「私も」
ぽつりと小さい声で五十畑が答える。
「あん?」
ついとぼけた声が出てしまう宮木。五十畑の方を見ると彼女は俯いて表情は見えないものの、スカートの上に置かれた両手には少し力が入っている様だ。
「私も馬鹿だったのよ、きっと。それに臆病。おまけに意地っ張りで嘘つき」
自嘲気味に少しかすれた小声で話す五十畑。
「そか」
宮木も少し言葉に詰まり、ようやく一言だけ発する事が出来た。
「うん」
五十畑も言葉に詰まったのか、ただそれだけ口にする。
「色々あったんだな」
「うん。色々あった」
何かを懐かしむような沈黙が続くなか、宮木の中で何かが氷解していく感覚がする。五十畑の心と自分の心が繋がったようなそんな不思議な感覚が湧き上がる。
「なあ」
「うん?」
「今日もかぐら行くか!」
いつも通りの宮木の口調に戻りいつも通りの呆れ声で返答する五十畑
「は? 今から? ここから? それに今日水曜日じゃない。宮木の呑みはブレーキが壊れてるんだもの。あんたまた二日酔いで出勤したいの? Mなの? ドMなの?」
「そんな気分なんだよ。きっとあたしん中のWraithがそうしろって言ってんの。五十…………由花と飲めってさ」
「!」
勢いに任せて思い切って言ってしまった。高二の頃には一人欠けてしまったが、高三のあの日以前のように笑ってじゃれあう関係に戻りたかった。そんな甘えを今の五十畑なら呆れ顔をしながらも苦笑いをして許してくれそうな気がした。
しかし五十畑は息を呑んで宮木を見、そのままさっきより深く俯いた。宮木の甘い予想に反して長くて重い沈黙が流れる。五十畑は膝の上のスカートの裾を握る手の力は指が白くなるほどのきつくなっている。ようやく五十畑の口から出た言葉は先ほどと同じ少しかすれた小声だったが、先ほどと同じでないのは非難の響きがあることだ。
「やめてよ、なんでいきなり名前で呼ぶのよ…… よしてよ今更……」
想いもよらない五十畑の反応と言葉だった。それに宮木はぎょっとした。そのすぐ後にハッとして胸に衝撃が走る。もしかして自分と五十畑では相手に求めていた親しさの重さが違ったのか。十二年前のことをよくよく考えてみればそうなのだが、今まで考えたこともなかった。宮木は急速に五十畑に対する想いが変化しつつあるのを胸の内で感じ始めていた。先ほどとは違う甘い痛みが宮木の胸に刺さる。宮木は五十畑との今現在の繋がりのもっと向こう側を確かめてみたくなった。
「嫌?」
長い沈黙。
「……嫌、じゃない」
俯いた頭が少しばかり面を上げる。横顔は髪に隠れて見えない。
「じゃ、由花もあたしのこと名前で呼んでよ」
多分ここが分水嶺。あるいは壁。あるいは境界線。ここで取り返しがつかなくなるかどうかが決まる。わかってはいても宮木はむしろその先に行ってみたい気持ちが止まらなかった。
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