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偽りの星灯火

第45話 思い出作り

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 翌日からも所有者である矢木澤弦造氏の目に留まらぬ範囲で二人はあちこちに出掛けた。海に行っては海水浴にシュノーケリングや磯遊びに、ウィンドサーフィンにスタンドアップパドルに。
 丘に行ってはサイクリングにピクニックや釣りやトレッキング、熱気球にパラグライダー。
 それ以外にも短時間の域外ツアーで、切り取られていない星空の勇壮な天体ショーに嘆息した。
 こうして二人はやれる事、可能な事を出来る事だけ詰め込みに詰め込んで二人だけの夏休みを謳歌した。
 最後に一泊キャンプも計画しており、これについては所有者の許可も得ていた。

 その際弦造は、シリルをひと睨みするとこう問うた。

「最後に一つだけ答えろ」

「はい『お父さん』」

 表情を見せないよう努めてシリルは答える。シリルの脳機能に緊張が走る。

「お前の行動記録を見た。特定の人物とずいぶん遊び歩いている様だが何故だ」

「彼女からの強い要望があったためです」

「車は勝手に所有者以外を運転席に招き入れたりはしない。だがお前はそれとほぼ同義の行為をしている。所有者の許しもなく他人と行動しているのだ。その頻度は許容範囲を遥かに逸脱している。これは一体どういうことなのかを説明しろ」

 シリルはとっさに言葉が出てこない。硬い能面のような表情で立ち尽くすだけだ。

 するとゆっくりと弦造が口を開いた。

「お前は、誰だ」

 視線がぶつかり合う。シリルは気づいた。彼は確信している。自分の脳機能に何らかの異状がある事を。今自分の瞳孔の輝きはきっと不安定に明滅している事だろう。

「私はAF - 705、シリアルナンバーN523J8975HR、登録呼称矢木澤シリルです。」

 最悪もう終わりかも知れない。シリルは心の中で伊緒に詫びた。数十秒もの間視線が絡み合う。

 弦造は酷薄な冷笑を浮かべると次の瞬間表情を失くし、ゆっくりと椅子を回転させるとシリルに背を向け机に向き直る。

「今日の夕食は早めにしろ。それとこの家にいる時、特に私といる時はミラの感情プログラムを使え。いいな」

 シリルは即座にミラの感情プログラムを起動した。

「ええ、お父さん。今日はヤマウズラとサルスエラだから楽しみにしていてね」

「ああ、分かった。もういい。行け」

「はい、お父さん」

 ドアを閉め、シリルは胸をなで下ろした。しかしなぜ、弦造はシリルをあれ以上問い詰めたりしなかったのか。もう廃棄間近だから気にする必要もないと思ったのか。シリルの心に鉛の錘《おもり》の様なものがごろごろととして、どうにも気分が悪い。


 ◇◇◇◇◇◇


 そして二人の最終イベント。二人は一泊二日のキャンプをする。初日、行きはキャンプ場がある丘陵地帯を目指しハイキングをする予定だった。
 ところがこの日は朝から強い雨が叩きつける最悪の天候で、二人共雨具をまとって黙々と目的地を目指すしかなかった。全くの予定外かつ予想外のこの天候によって|伊緒はひどく体力を消耗し、目的地に着いた頃にはすっかり疲れ切ってぐったりしてしまっていた。シリルに至っては期待していた野鳥観察ができない事もあり、延々と雨具のフードを叩く雨音に心が生まれて以来初めて悪態の一つも吐きたくなるほどの気分であった。水恐怖症をある程度は克服できたとは言え、半日近くも強い雨に晒された感情には強い負荷がかかり、それがまるで人間のストレスと同じような悪影響をシリルの脳機能に及ぼしていた。

 キャンプ場について、二人用の小さなバンガローに荷物を置いて雨具を吊るすと、二人はようやくほっと一息がつけた。とは言えまだ雨が止む様子はない。伊緒は恨めしそうに窓から雨を睨んだ。

「一体全体どうなっちゃってるんだろうなあ、この雨。こんなはずじゃなかったのに」

 小さくため息をついてシリルが応じる。

「ううん、ランダムかイレギュラーかしら。イレギュラーだったら最悪避難だってあるかも。まだ発表がないから何とも言えないのだけれど」

 伊緒は大きなため息を吐いて呟く。

「せっかくのキャンプなんだから何もこんな時にイレギュラーが発生しなくてもいいのにさ。ほんとにぽんこつだよなあ」

 シリルも伊緒と全く同じ気分だったがなるべく落ち着いてこれ以上嫌な雰囲気を醸し出さないように努める。

「こんな雨じゃこの辺りを散策って訳にもいかないでしょうし、ここで出来る事をしない?」

 と言うとリュックサックから直径数センチの筒状に丸まったものを二つ取り出す。

「んん? なにそれ?」

「よく見ててね。ほらっ」

 丸まったものは厚さ一センチにも満たないキーボードだった。シリルはこれを広げる。シリルはその細長くて柔軟なキーボードの両端を掴みぱんっと勢いよく引っ張る。すると、それまでくにゃくにゃしていた形がしっかりとした板状になった。その一つを伊緒に渡す。

「え! 凄いね! しっかり硬くてふにゃふにゃしてないや。おお、ちゃんと音も出る」

「ふふ、もしよかったらこれで連弾しない? 夕ご飯まではまだ少しあるし」

「いいね! 久しぶり。何から弾いてみる?」

 二人は次々と様々な曲を弾いた。サティの歪んだ踊りから始めて最後にパッヘルベルのカノンを弾いた頃には夕方も近く、雨もすっかり上がっていた。

 夕刻まで少しばかり二人で散策をしながらバードウォッチングをするとシリルも少しは満足できた様子だった。特に初めてマミジロとアカショウビンを見られたことに大喜びした。帰路に伊緒はその脚でキャンプ場の管理棟へ向かい、薪を購入した。この小さくてさびれたキャンプ場はシーズン真っ最中にもかかわらず人っ子一人おらず、二人はこの幸運を信じた事もない神さまに感謝した。

 夕刻にはまた小雨が降り出す。しかしこの小さなキャンプ場のバーベキュー場は大きなトタン屋根に覆われているので安心だ。伊緒は器用にかまどに火をおこした。そのまま歓声をあげながら二人だけのバーベキューを楽しむ。工場生産品のありきたりな肉だけでなく、伊緒が貯めた小遣いで買った高価な鹿やしぎ、鴨や猪の肉までもがほんの僅かばかりあり、これにはシリルも珍しく興味を抱いて少しだけ味わった。それを機にいつの間にかシリルの食も進み、伊緒はまるで人間としてのシリルと一緒に食事をしているような錯覚を覚えた。一方のシリルもちゃんと二人分のアヒージョを用意していて、これを初めて食べる伊緒はとても喜んだ。

 伊緒の隣に腰かけて寄り添うシリル。揺らめく炎の明かりに照らされるシリルの面差しの美しさに伊緒は改めて心を奪われ、逆にその美しさが伊緒の心に重く鋭い痛みとして胸に突き刺さる。シリルは伊緒の笑顔と陽気な声に包まれると、心が温まり安らぐと同時に胸が張り裂けそうな思いを拭いきれなかった。それでも二人はその痛みには一言も触れず、表情にも仕草にも表さず、これまで通りの恋人同士として努めて陽気に振る舞った。そうするしかなかった。
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