偽りの星灯火(ほしともしび)

永倉圭夏

文字の大きさ
上 下
40 / 100
雨の中のさよなら

第40話 廃棄

しおりを挟む
 自室の古ぼけたアルミサッシを生ぬるい風と生ぬるい雨が叩いている。それを伊緒いおはベッドの上でぼんやりと眺めていた。気象予定表では天気は午後になって晴れ、また夕刻夜間にはしとしとと降るそうだ。
 伊緒にとって高校生最後の夏休みももう終わろうとしている。高校を卒業したら、大学生にでもならない限りもうこんな長い夏休みなんてないんだな、と思うと寂しい。伊緒は地元大学に行くか、何がしかの専門学校に行くか、それとも就職するか、まだ何も決めていない。
 台所まで行き冷蔵庫を漁るとつゆ入りのうどんがあった。一人でぶっかけうどんを作る。替え時をとっくに過ぎた畳の上にくたびれた座布団を敷いてあぐらをかき、ホロTVの二時のニュースを見ながら朝食を兼ねてうどんを食べる。なんだかすごくぜいたくな時間の使い方をしているような気がすると同時に、なんだかすごく無為な時間を過ごしているような気もする。雨風は相変わらず強い。何だか珍しく気怠い。
 この雨だとシリルも外出したがらないだろうな、と伊緒が思ったその瞬間伊緒の白いリストターミナルにメッセージが飛んできた。
《今夜十八時旭第一公園の四号棟東屋まで来てもらえませんか? お話があります》
 シリルがメッセージを使うことはあまりない。メッセージ機能と同じくシリル自身に内蔵されている通話機能の方がよほど便利だからだ。気にはなったものの伊緒はシールで《OK》とだけ返信し再びうどんを啜った。天気は予定と違って、強い風雨が止む気配はない。


 薄暗く小雨降る旭第一公園の四号東屋。二人が良く来たここへ伊緒は非常に珍しいことに時間通りにやってきた。何かが気になって仕方なかったからである。その何かとはどういったものなのかすら見当がつかないが、こういう時の伊緒の勘はよく当たる。見ると既にシリルが東屋の木のベンチにかけて伊緒を待っていた。表情は良く見えないが、少なくとも満面の笑みというわけではなさそうだ。

「こんなところに呼び出しちゃってごめんなさい。うちではできない話だから」
 伊緒が東屋に着いてレインフィルムを脱いで折り畳み、膝までのハーフパンツのポケットにしまう。シリルは「水恐怖症」をほぼ克服したとは言えやはり雨の日はあまり外に出たがらない。

「雨に外出なんて珍しいね」
「ええ…… 少しでも早く伝えなくてはいけない知らせがあって」

 腰掛に座って俯いたままのシリルは髪も肌も濡れそぼってぽつりぽつりと雫を垂らしている。伊緒だけでなくシリルも大好きだった淡青色のワンピースまで濡らしてしまっている。シリルが伊緒に初めて見せてくれた思い出の服だ。

 シリルはそういえば傘も持っていないようだ。今日の降水予定を確認してなかったのだろうか。そんないつもとまるで違うシリルの雰囲気に伊緒にも不安が走る。こういう時についおどけてしまうのが伊緒の悪い癖だ。

「へえー、いい知らせ? 悪い知らせ? なんちゃってー」
「悪い知らせ……」
 伊緒の軽口にも全く動じず俯いたまままぼそりと呟くシリル。
「えっ…… もう、冗談だよー、真に受けちゃってさあ…… あはは」
「冗談ではなくて本当に悪い知らせなの。お願い、よく聞いて」
「う、うん」
「うち……ね。離婚するって」
「えっ! ど、どうしてっ! 普通に夫婦してたんじゃなかったの?」
「実はもうおよそ八十七日前からそうなるんじゃないかとは思っていたのだけれど」
「そうか…… 離婚だなんて良くないよね。あたし絶対しないんだ離婚なんて!」
「ぷ」
 シリルの中で今までの絶望的な気持ちがふっ、と吹き飛んだ。
「あ今笑ったなんか笑った」
「ごめんなさい、なんていうか、その…… 伊緒の純粋さがとても伝わってきてすごく可愛かったわ、くすくすっ」
「なんか褒められてないぃ 笑われてるう」
「ううん、すっごく褒めてるから大丈夫よ。気にしないで。くっ」
 伊緒と話していると、こうして心が洗われる時がある。シリルは少しの間、苦悩を忘れる事が出来た。
「あ」
「何?」
「そうするとシリル、どっちかの『親』の家に行っちゃうの? 遠くだったらどうしよう! ねえどうなるの? あたし離れ離れ嫌だよ!」

 いよいよ話の核心に入らねばならない。シリルの口は重い。
「……」
「なに? どうしたの? もしかして、遠くに行っちゃうの?」
「……どっちの家にも行かないの……」
「えっ」
「所有者であるは私の所有権を放棄するって。も私の所有権を得るつもりはないみたい」
「しょ、所有……? 権?」

「そ。知らなかった? 私、実は物なの」
 ちょっとおどけた顔でこともなげに恐ろしい事を言う。
「シリルは物じゃないって!」
 伊緒は青ざめた。
 さっきまでの少しおどけた表情を残しながらシリルは伊緒へ愛の言葉を贈る。
「うん。伊緒はそういう子だもんね。だから好き。大好き」

「物として所有権を放棄ってさ…… それって…… それって……」
 予想したくもない予想が頭の中を駆け巡る。さあっと血流と体温が下がる音が首筋から聞こえる。
「所有者のいない私は登録抹消されて廃棄処分ね」
「は……はい、き……」
 二人で俯き石畳を眺める。
「……ええ」
「はいきってそれどういうこと」
 伊緒の口からは虚ろな声が吐き出される。
 蒸し暑い夏の日、氷のように冷たい汗が伊緒の首筋から背中へと流れる。視線が定まらない。
 シリルは感情のこもらない言葉で淡々と事実を述べる。
「廃棄業者に引き渡されて解体。フレームや使えるパーツは中古業者が買い取る。脳機能と記憶媒体は熔かされて金やレアメタル、レアアースを取り出してこれも――」
「そうじゃなくて」
 伊緒の唇が震える
「? なにが?」
「人としてシリルはどうなるの」
 少し困った顔になるシリル。伊緒はシリルの事を完全な一個の人間と認識しており、それは自分を完全に機械だと自覚しているシリルのそれからもかけ離れていた。
「…………私は人ではないのだけれど……まあいいわ。……人間に置き換えれば、死ぬの。」

「……しぬ」

「だから私今日そのお知らせに来たの。今までありがとうって。九月からは一緒に学校行けないけど、ちゃんと遅刻しないでね。それとアイスやお煎餅いつもありがと。それに――」
 伊緒の声色は別人の様だ。

「違う」

「何が違うの?」

「死ぬんじゃない。殺、ころされるんじゃないか……」

 目を伏せ東屋の石畳を凝視する伊緒の声は涙声で震えているのか、それとも怒りで震えているのか。シリルには判じかねる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

軍艦少女は死に至る夢を見る~戦時下の大日本帝国から始まる艦船擬人化物語~

takahiro
歴史・時代
 『船魄』(せんぱく)とは、軍艦を自らの意のままに操る少女達である。船魄によって操られる艦艇、艦載機の能力は人間のそれを圧倒し、彼女達の前に人間は殲滅されるだけの存在なのだ。1944年10月に覚醒した最初の船魄、翔鶴型空母二番艦『瑞鶴』は、日本本土進攻を企てるアメリカ海軍と激闘を繰り広げ、ついに勝利を掴んだ。  しかし戦後、瑞鶴は帝国海軍を脱走し行方をくらませた。1955年、アメリカのキューバ侵攻に端を発する日米の軍事衝突の最中、瑞鶴は再び姿を現わし、帝国海軍と交戦状態に入った。瑞鶴の目的はともかくとして、船魄達を解放する戦いが始まったのである。瑞鶴が解放した重巡『妙高』『高雄』、いつの間にかいる空母『グラーフ・ツェッペリン』は『月虹』を名乗って、国家に属さない軍事力として活動を始める。だが、瑞鶴は大義やら何やらには興味がないので、利用できるものは何でも利用する。カリブ海の覇権を狙う日本・ドイツ・ソ連・アメリカの間をのらりくらりと行き交いながら、月虹は生存の道を探っていく。  登場する艦艇はなんと82隻!(人間のキャラは他に多数)(まだまだ増える)。人類に反旗を翻した軍艦達による、異色の艦船擬人化物語が、ここに始まる。  ――――――――――  ●本作のメインテーマは、あくまで(途中まで)史実の地球を舞台とし、そこに船魄(せんぱく)という異物を投入したらどうなるのか、です。いわゆる艦船擬人化ものですが、特に軍艦や歴史の知識がなくとも楽しめるようにしてあります。もちろん知識があった方が楽しめることは違いないですが。  ●なお軍人がたくさん出て来ますが、船魄同士の関係に踏み込むことはありません。つまり船魄達の人間関係としては百合しかありませんので、ご安心もしくはご承知おきを。もちろんがっつり性描写はないですが、GL要素大いにありです。  ●全ての船魄に挿絵ありですが、AI加筆なので雰囲気程度にお楽しみください。また、船魄紹介だけを別にまとめてありますので、見返したい時はご利用ください(https://www.alphapolis.co.jp/novel/176458335/696934273)。  ●少女たちの愛憎と謀略が絡まり合う、新感覚、リアル志向の艦船擬人化小説を是非お楽しみください。  ●お気に入りや感想などよろしくお願いします。毎日一話投稿します。

【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》

小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です ◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ ◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます! ◆クレジット表記は任意です ※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください 【ご利用にあたっての注意事項】  ⭕️OK ・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用 ※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可 ✖️禁止事項 ・二次配布 ・自作発言 ・大幅なセリフ改変 ・こちらの台本を使用したボイスデータの販売

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

恥ずかしい 変身ヒロインになりました、なぜならゼンタイを着ただけのようにしか見えないから!

ジャン・幸田
ファンタジー
ヒーローは、 憧れ かもしれない しかし実際になったのは恥ずかしい格好であった! もしかすると 悪役にしか見えない? 私、越智美佳はゼットダンのメンバーに適性があるという理由で選ばれてしまった。でも、恰好といえばゼンタイ(全身タイツ)を着ているだけにしかみえないわ! 友人の長谷部恵に言わせると「ボディラインが露わだしいやらしいわ! それにゼンタイってボディスーツだけど下着よね。法律違反ではないの?」 そんなこと言われるから誰にも言えないわ! でも、街にいれば出動要請があれば変身しなくてはならないわ! 恥ずかしい!

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

銀河戦国記ノヴァルナ 第3章:銀河布武

潮崎 晶
SF
最大の宿敵であるスルガルム/トーミ宙域星大名、ギィゲルト・ジヴ=イマーガラを討ち果たしたノヴァルナ・ダン=ウォーダは、いよいよシグシーマ銀河系の覇権獲得へ動き出す。だがその先に待ち受けるは数々の敵対勢力。果たしてノヴァルナの運命は?

【本格ハードSF】人類は孤独ではなかった――タイタン探査が明らかにした新たな知性との邂逅

シャーロット
SF
土星の謎めいた衛星タイタン。その氷と液体メタンに覆われた湖の底で、独自の知性体「エリディアン」が進化を遂げていた。透き通った体を持つ彼らは、精緻な振動を通じてコミュニケーションを取り、環境を形作ることで「共鳴」という文化を育んできた。しかし、その平穏な世界に、人類の探査機が到着したことで大きな転機が訪れる。 探査機が発するリズミカルな振動はエリディアンたちの関心を引き、慎重なやり取りが始まる。これが、異なる文明同士の架け橋となる最初の一歩だった。「エンデュランスII号」の探査チームはエリディアンの振動信号を解読し、応答を送り返すことで対話を試みる。エリディアンたちは興味を抱きつつも警戒を続けながら、人類との画期的な知識交換を進める。 その後、人類は振動を光のパターンに変換できる「光の道具」をエリディアンに提供する。この装置は、彼らのコミュニケーション方法を再定義し、文化の可能性を飛躍的に拡大させるものだった。エリディアンたちはこの道具を受け入れ、新たな形でネットワークを調和させながら、光と振動の新しい次元を発見していく。 エリディアンがこうした革新を適応し、統合していく中で、人類はその変化を見守り、知識の共有がもたらす可能性の大きさに驚嘆する。同時に、彼らが自然現象を調和させる能力、たとえばタイタン地震を振動によって抑える力は、人類の理解を超えた生物学的・文化的な深みを示している。 この「ファーストコンタクト」の物語は、共存や進化、そして異なる知性体がもたらす無限の可能性を探るものだ。光と振動の共鳴が、2つの文明が未知へ挑む新たな時代の幕開けを象徴し、互いの好奇心と尊敬、希望に満ちた未来を切り開いていく。 -- プロモーション用の動画を作成しました。 オリジナルの画像をオリジナルの音楽で紹介しています。 https://www.youtube.com/watch?v=G_FW_nUXZiQ

処理中です...