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心の基板
第29話 シリルの計略
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開けっ広げで楽天的、おおらかで優しい性格の伊緒はシリルの母であるハルから次第に信頼を得ていった。伊緒はシリルの母を通してシリルを連れ出す許可をもらってはシリルと様々な所へ出掛けた。
あたかも矢木澤ミラという人間の高校生として青春を謳歌しているかのごときシリルの姿を見て、ハルはそこに今は亡き娘ミラの姿を重ね合わせ大いに心が慰められたのである。ハルの病状もゆっくりとであるが改善傾向にあった。
だが、父の反応は異なっていた。冷徹で酷薄な、氷のような声でシリルをなじる。
「私がお前を購入した本来の目的を忘れるな。お前はあれの為に動け、働け。人間の猿真似をして友達ごっこをさせる為に高い金を支払ったのではない。お前の脳機能はちゃんと動いているのか? 四年次メンテナンス前に機能テストしてやろうか」
シリルが伊緒と出かけるのを見るにつけ、このような言葉を氷の礫のようにぶつけてきた。その度シリルは自分自身の心を閉ざし、所有者に従順な機械として振る舞う他なかった。また、彼はシリルの動向をつぶさに追っているように思えて気味が悪い。シリルの様子じっとうかがっていることも少なくなかった。彼、所有者である父弦造が何を考えているのかシリルには見当もつかず、余計に不気味さが増すのであった。
そんな中、伊緒とシリルは頭をひねって作ったもっともらしい理由をつけてシリルの母の許しを貰い、父の目を盗むようにして二人で庁営プールに遊びに行く許可を貰った。伊緒のたっての希望で立てられた企画で、この実現に伊緒は有頂天である。
だが、シリルの心情はかなり違っていた。実はシリルの中では、いつの間にか水に対する強い苦手意識が生まれてしまっていたのだ。伊緒には黙っていたもののシリルは非常に気が重かった。
シリルは気が重くなる一方、伊緒の水着姿を想像すると、人間で言えば心拍数が著しく上がるのに似た感覚を得、ひどく興味をそそられた。それと同時に自分に向けられた伊緒のムラムラした下心にも勘づいていたので、出来ればその期待にも応えてあげたかった。
シリルの脳機能のWはそこまでWraithに浸食され、感情の人間化を、特に思春期の青少年としての精神性を急速に深めつつあった。
実のところ庁営プールの水ごときシリルにとっては全く脅威ではない。シリルの機種はAF-705。このAF-705は目や耳や口や鼻といった開口部に対してさえも三十気圧の水圧がかからない限り全く問題は生じない。にもかかわらず、シリルの心には、水への恐怖が拭い難いくこびりついてしまっていた。あたかも人間の「恐怖症」のように。
プール行きの前日、策を練ったシリルは意を決した表情でプールへ行く準備を始める。
そして夏休み直前の土曜日は真夏日で快晴。二人は各々の自宅から水田に囲まれた庁営プールへ向かった。
シリルより早く待ち合わせ場所のプールの受付前に着いていた伊緒は気もそぞろだった。遂に、遂にシリルとプールに入れる! と言う事はつまり…… と、伊緒は液体燃料エンジンが爆燃しそうなほど下心を燃やしつつ三十五分以上もシリルの到着を待ちわびていた。
しかし、トラムから降りて来たシリルを見た伊緒は、シリルのノースリーブワンピースに胸が締め付けられた、と同時に何やらとても嫌な予感を感じた。泳ぐにはあまりに不自然なものをシリルが持って来ていたからだ。
それは中くらいの大きさの重そうなキャリーバック二つ。これをガラガラと引きずって来たのだから伊緒でなくとも不審に思うだろう。
「お、おはようシリル…… その、それすごい大荷物だね…… いったい何が入ってるのかな」
不安いっぱいのかすれ声で尋ねる伊緒。
「ええ、こっちは水が体内へ浸潤するのを防ぐために着用する完全密閉のドライスーツ。それとこっちは緊急用のバッテリー。トラブルで電力が足りなくなったらいけないから」
この暑さでも涼しい顔のシリル。この計略に賭ける覚悟はできていたのでもうじたばたはしない。
一方で伊緒は明らかに落胆する。表情の曇り具合は学年最低記録を更新した時を遥かに凌駕する。
「え、ドライスーツ…… 完全密閉…… え……」
「そう。あらどうかしたの?」
ガラガラと大きな音を立てるキャリーバッグ二つを軽々と引きずり、受付窓口前まですたすたと歩みを進めるシリル。人間であれば「一休み」といった風に受付横の青い樹脂製ベンチへ腰かける。当然汗ひとつかいていない。そしてシリルの隣にすっかりうな垂れた伊緒がそっと座る。落胆をオーラにするとこんな色になるのか、そんな悲しい何かを全身から放っている。
伊緒はうな垂れたまま、じりじりと熱気を放つアスファルトを見つめ、生気を失った目で考える。完全密閉のドライスーツとなれば恐らく全身が覆われているに違いない。
あれだ。きっと全身タイツだ。そんな奴だ。
そうなれば伊緒にとってシリルをプールに誘った意味は殆どなくなってしまう。いや全くなくなってしまう。全くだ。
これでは売店のブルーハワイもアイスもカレーもラーメンもフランクフルトも焼きそばもたこ焼きもたい焼きもアメリカンドックもクリームソーダも彼女を慰めてはくれないだろう。全く慰めてはくれないだろう。
あたかも矢木澤ミラという人間の高校生として青春を謳歌しているかのごときシリルの姿を見て、ハルはそこに今は亡き娘ミラの姿を重ね合わせ大いに心が慰められたのである。ハルの病状もゆっくりとであるが改善傾向にあった。
だが、父の反応は異なっていた。冷徹で酷薄な、氷のような声でシリルをなじる。
「私がお前を購入した本来の目的を忘れるな。お前はあれの為に動け、働け。人間の猿真似をして友達ごっこをさせる為に高い金を支払ったのではない。お前の脳機能はちゃんと動いているのか? 四年次メンテナンス前に機能テストしてやろうか」
シリルが伊緒と出かけるのを見るにつけ、このような言葉を氷の礫のようにぶつけてきた。その度シリルは自分自身の心を閉ざし、所有者に従順な機械として振る舞う他なかった。また、彼はシリルの動向をつぶさに追っているように思えて気味が悪い。シリルの様子じっとうかがっていることも少なくなかった。彼、所有者である父弦造が何を考えているのかシリルには見当もつかず、余計に不気味さが増すのであった。
そんな中、伊緒とシリルは頭をひねって作ったもっともらしい理由をつけてシリルの母の許しを貰い、父の目を盗むようにして二人で庁営プールに遊びに行く許可を貰った。伊緒のたっての希望で立てられた企画で、この実現に伊緒は有頂天である。
だが、シリルの心情はかなり違っていた。実はシリルの中では、いつの間にか水に対する強い苦手意識が生まれてしまっていたのだ。伊緒には黙っていたもののシリルは非常に気が重かった。
シリルは気が重くなる一方、伊緒の水着姿を想像すると、人間で言えば心拍数が著しく上がるのに似た感覚を得、ひどく興味をそそられた。それと同時に自分に向けられた伊緒のムラムラした下心にも勘づいていたので、出来ればその期待にも応えてあげたかった。
シリルの脳機能のWはそこまでWraithに浸食され、感情の人間化を、特に思春期の青少年としての精神性を急速に深めつつあった。
実のところ庁営プールの水ごときシリルにとっては全く脅威ではない。シリルの機種はAF-705。このAF-705は目や耳や口や鼻といった開口部に対してさえも三十気圧の水圧がかからない限り全く問題は生じない。にもかかわらず、シリルの心には、水への恐怖が拭い難いくこびりついてしまっていた。あたかも人間の「恐怖症」のように。
プール行きの前日、策を練ったシリルは意を決した表情でプールへ行く準備を始める。
そして夏休み直前の土曜日は真夏日で快晴。二人は各々の自宅から水田に囲まれた庁営プールへ向かった。
シリルより早く待ち合わせ場所のプールの受付前に着いていた伊緒は気もそぞろだった。遂に、遂にシリルとプールに入れる! と言う事はつまり…… と、伊緒は液体燃料エンジンが爆燃しそうなほど下心を燃やしつつ三十五分以上もシリルの到着を待ちわびていた。
しかし、トラムから降りて来たシリルを見た伊緒は、シリルのノースリーブワンピースに胸が締め付けられた、と同時に何やらとても嫌な予感を感じた。泳ぐにはあまりに不自然なものをシリルが持って来ていたからだ。
それは中くらいの大きさの重そうなキャリーバック二つ。これをガラガラと引きずって来たのだから伊緒でなくとも不審に思うだろう。
「お、おはようシリル…… その、それすごい大荷物だね…… いったい何が入ってるのかな」
不安いっぱいのかすれ声で尋ねる伊緒。
「ええ、こっちは水が体内へ浸潤するのを防ぐために着用する完全密閉のドライスーツ。それとこっちは緊急用のバッテリー。トラブルで電力が足りなくなったらいけないから」
この暑さでも涼しい顔のシリル。この計略に賭ける覚悟はできていたのでもうじたばたはしない。
一方で伊緒は明らかに落胆する。表情の曇り具合は学年最低記録を更新した時を遥かに凌駕する。
「え、ドライスーツ…… 完全密閉…… え……」
「そう。あらどうかしたの?」
ガラガラと大きな音を立てるキャリーバッグ二つを軽々と引きずり、受付窓口前まですたすたと歩みを進めるシリル。人間であれば「一休み」といった風に受付横の青い樹脂製ベンチへ腰かける。当然汗ひとつかいていない。そしてシリルの隣にすっかりうな垂れた伊緒がそっと座る。落胆をオーラにするとこんな色になるのか、そんな悲しい何かを全身から放っている。
伊緒はうな垂れたまま、じりじりと熱気を放つアスファルトを見つめ、生気を失った目で考える。完全密閉のドライスーツとなれば恐らく全身が覆われているに違いない。
あれだ。きっと全身タイツだ。そんな奴だ。
そうなれば伊緒にとってシリルをプールに誘った意味は殆どなくなってしまう。いや全くなくなってしまう。全くだ。
これでは売店のブルーハワイもアイスもカレーもラーメンもフランクフルトも焼きそばもたこ焼きもたい焼きもアメリカンドックもクリームソーダも彼女を慰めてはくれないだろう。全く慰めてはくれないだろう。
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