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球技大会-取引

第14話 むしろ脅迫

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 五月の連休明け、球技大会ももう間もなく。鴎翼おうよく高校は全校生徒がかもし出す浮ついた雰囲気と興奮でいっぱいだった。

 三日間もかけて催される春の球技大会は、鴎翼高校において夏の音楽祭、秋の体育祭、初冬の文化祭をしのぐ最も重要な催しである。優勝チームや選手の栄誉を称えるプレートが、広大な体育館の壁に3年間も掲示され、掲示された選手は皆それに強い誇りを抱いていた。競技種目は旧世界クラシックスポーツに限られるが多岐に渡り、他校ではあまりみられないスカッシュやグランドゴルフや水球、ホッケー、ボッチャ、セパタクロー、ハイアライ、ラクロス、シックス・ア・サイド、ビリヤードまである。その中でもバレーボールはベースボール、バスケットボール、ハンドボールを抑えて花形中の花形であった。

 この時期の休み時間ともなると、互いのコンディションを確かめ合ったり、ぎりぎりまで作戦を練る戦士たちの姿がある。伊緒いおはハンドボールの選手として参加し、優勝が期待されていた。

 しかし昂揚こうようする選手たちの輪にシリルは入らない。彼女はどこのチームにも参加せず見学扱いとされていた。生徒たちのざわめきの中、一人座して身動き一つ取らないシリルを見るにつけ伊緒の気持ちは落ち着かず、後ろめたい気がしてならなかった。シリル自身は慣れたもので、これといった感傷は浮かんでこない。が、もしあるとすれば、アンドロイドという自身の立場への諦めだろう。シリルは伊緒さえいれば何の不満もなかったし、伊緒さえいれば誰よりも幸せだと感じていた。

 大会も翌日に控えた朝、花形であるバレーボールチームがアクシデントに見舞われる。バレーボール経験者を含む2人がインフルエンザに罹患。さらに一人がひどい捻挫になってしまったというのだ。
 バレーボールは2クラス混成の編成となっている。伊緒とシリルのいるG組と隣のH組で1チームを作る。1チームはスターティングメンバー6人、交代要員3人と大会規定で定められていた。これによってGH組は定数ぎりぎりでの戦いを強いられることになる。あまつさえH組の優秀なバレーボール経験者が故障で不参加となっていたのだから、これはあまりにも痛すぎるトラブルである。

 これにより、当初から優勝争いの一角と目されていたGH組は、一転して上位にいられるかどうかも危ぶまれる状態に陥ってしまった。リアルタイムで勝敗予想を立てているマスコミ研究会だけでなく、学内で蠢動しゅんどうするけちな闇ブックメーカー集団どもは順位予想に大いに頭を悩ませていることだろう。もっとも、一番頭を悩ませているのは、誰あろう当のバレーボールチームの面々であったのだが。


 朝のホームルーム後のクラス中がバレーボールの話題で浮足立っていた時、シリルにおそるおそる伝言をするクラスメイトがいたのに気づいたのは伊緒だけだった。この小さな、そしてあり得ない出来事に気付いた伊緒はさりげなくシリルに近づく。シリルは指向性スピーカーで伊緒に囁いた。

(H組の荻嶋おぎしまさんという人が私に会いたいんですって)
(あたしも一緒に行くよ)
 伊緒もできる限り小さい声で囁く。
(ありがとう、心強いわ)
 シリルは安心した表情を浮かべ小さく微笑んだ。

 昼休み、第二美術室前の校庭、つまり伊緒とシリルのいつもの場所で2人はH組の荻嶋希美代なる生徒を待つ。2人にとって全く面識のない名前なので不安が募った。

 2人が待つこと数分。渡り廊下の向こうからひょいっと背の小さい生徒が現れた。
 身長だけみると中学生でもおかしくない。中高生らしいナチュラルボブは手入れがいま一つ行き届かずぱさぱさで、大きな目と少し不機嫌そうな表情に威圧感がある。その大きな目をぎょろりと2人に向け、彼女はつかつかと2人に歩み寄りぴたっと立ち止まった。

 少し緊張しながらシリルと伊緒が同時に喋る。

「あなたが荻嶋さ――」
「あっ、あのHぐ――」

「矢木澤さん1人じゃ来れなかったわけ?」
 2人が言いかけた言葉を遮った彼女は、やや早口の非難がましい口調でシリルに言葉をぶつけてきた。

「私1人だけというわけにはい――」
「あたしは矢木澤さんの付き添――」

「ま、いいわ。私はH組の荻嶋希美代きみよ。矢木澤シリルさんと島谷伊緒さんでいいのよね。よろしく」

「よろしくお願いします」
「……よろしく」

 いちいち人の言葉を遮って一方的に喋る荻嶋希美代が伊緒には不快だった。学校でも1,2を争う有名人、いや有名アンドロイドのシリルならいざ知らず、伊緒の名前まで知っているのも意外で、なおさら伊緒の警戒心も強まる。少し苛立いらだった感情も露わに語気を強め、荻嶋希美代の用事について問うてみた。
「どういった要件ですか。あたしも矢木澤さんも忙しいんで」

 希美代は腕組みをして苦笑する。
「忙しい、ねぇ……」
 2人におもてを向けた希美代は苦笑を解くと、少し不機嫌な表情で話を切り出した。
「じゃあ、手短に用件を伝えるわね。私と取引して欲しいの」

「取引?」
 2人同時に声が出た。

 2人は希美代がほんの少しにやりと笑った気がした。
「そう。あなたに関わる――それとそちらの島谷さんにも関わるかしら――重要な秘密を洩らさない代わりに、あなたにやってもらいたことがあるの」

「!」
「それは一体どういう意味ですか?」
 色めき立って希美代をにらむ伊緒と違い、シリルはまだ平静を装うことが出来た。

「矢木澤さん。あなたバグってるんじゃないかしら? 
 ギクリとした2人はその場で身を固めた。その様子を見て確信を深める希美代。希美代はあの不機嫌な表情の陰で舌なめずりしているに違いない、2人にはそう思えて仕方なかった。

「誤魔化そうとしてもだめ。こう見えて私詳しいんだから。私ね、Kreuzsternクルツシュテン社(※1)の幹部技師トップの娘なんだから。小さい頃からアンドロイド技術に囲まれて育ったんだもの、たとえメーカーが違っててもすぐ分かるわ。それぐらいの事。」
 得意げな顔になった希美代は1人で続ける。

「それだけじゃない。矢木澤さん、あなたはこちらの島谷さんと交際している。しかもただの交際ではなくて、相当に親密な」
 希美代は伊緒を指差しながら「相当に」の部分に力を入れる。

「ぐっ……」
「……」
 怒りに目をいて歯噛みをする伊緒に対し、シリルは機械のような冷静さを失わないよう努めた。シリルは希美代にそう言われたからといって、はいそうですかと尻尾を出すつもりもない。この会話自体が罠かも知れないからである。一方お人よしで感情に任せて口走る癖のある伊緒は、つい本当の事を言ってしまいそうでシリルは怖かった。何かサインを送らないと何を言い出すかわからない。シリルは見事に平静を装ったまま希美代に背を向け伊緒の方を向く。伊緒のブレザーの肩をさりげない風に摘まむ。
「島谷さん、肩に糸くずが」
「え? あ、あれ? 気付かなかった」
「(落ち着いて。彼女には何も言わないで。それと簡単に信用してもだめ)」
 シリルは指向性声帯スピーカーで伊緒にこっそり囁く。
「え?」
「はい取れました」
「う、うん。ありがと」

 希美代はこの小芝居に気付いたのか、さっきよりは小さな苦笑いを浮かべた。シリルの工作は逆効果だったかも知れない。出荷されて以来初めて心の中で舌打ちをした。

「それで、私にやって欲しいこととは何でしょう?」
 シリルは希美代に刺すような常盤ときわ色の眼を向け、声帯スピーカーから感情のない声を発した。

◇◇◇◇◇◇

「なあんだ、バレーボールの試合に参加するだけだなんて何だか拍子抜けだね」

 希美代が去った後伊緒はようやくお弁当にありつけた。一事が万事楽天的な伊緒はすっかり緊張感を失くし、今なら希美代の失礼な態度も脅迫的な言動も笑って許せそうだった。一方でその隣に座るシリルは何ごとにも悲観的で、浮かない顔をしている。

「参加だけじゃなくて優勝することね。どういう魂胆なのか見当もつかないけれど」
「自分のチームを勝たせたい、って気持ちなんじゃないかなあ…… それに優勝なんて楽勝だよ! シリルならさ!」
 元気の出ないシリルを優しく小突いて元気づけようとする伊緒。

「そんな簡単なものじゃないと思うわ」
 五月晴れの青空を眺めてため息を吐き、困ったような笑顔を浮かべるシリル。

「それに勝ったとして、彼女が約束を守る保証なんてどこにもないじゃない」
「えっ」
「私たちアンドロイドならいざ知らず、そいうものでしょ、人間って」

 空に目を向けたまま寂しそうに呟くシリル。そんな事を言われると伊緒は何だか悲しくなってしまうが、それでもあのいやらしい荻嶋希美代が取引を守るかどうかは、やはり疑わしかった。
「そ、そんな事はないよ! そんな事は…… ないと思う…… いや、思いたい……」
「ええ、私もそう思いたいわ」
 抑揚のない声で伊緒に答えると、シリルはしばらく黙って空を眺めていた。


▼用語
※1 Kreuzsternクルツシュテン社:
 Kreuzsternとはドイツ語で十字星の意。荻嶋希美代の父が幹部技師のトップとして勤務している。販売実績業界第一位。
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