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伊緒の初恋
第5話 フードコートの密約
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伊緒は恥ずかしい状況から助け出してくれた由花と彩希の2人とじゃれあいながら、近場のトロリーバスターミナルに併設されているフードコートでお茶をすることにした。
大きなテーブルを各々の荷物で占拠して、それぞれ安くてそれなりの味のドリンクを買ってくる。黄色くてぐらぐらする椅子に腰かける。
そして伊緒は2人に促されるまま、シリルに声をかけた理由について語った。2人は驚き呆れた。
「はあ? 一目惚れ? 矢木澤シリルに? そりゃ確かに事件っちゃ事件だけどさあ」
呆気にとられた表情の彩希。あまりにも現実離れした話に実感がわかない。
「え? え? ちょっと待って、アンドロイドでしょ、アンドロイドよね、あれ」
Sサイズのアイスコーヒーを片手に戸惑いを隠せない由花。伊緒の心情が呑み込めない。アンドロイドに恋をするなどという感覚が全く理解できずぽかんとした表情にも見える。
「いや、アンドロイドって言うかさ、あのアイドルみたいな名前ってどう?」
「いやいや、名前以前に人間じゃないしあれ」
「いやいやいや、美しいものに性別も人間もアンドロイドもなくてさ」
「いやいやいやいや、ハイパワーフレーム(※1)やスペースワーカー(※2)に恋する人なんていないし」
「あ、それはいる」
「え? ホントに?」
「あたし」
「あー、馬鹿がいたー」
2人で冗談めかして下手くそな掛け合い漫才のようなやり取りを続けるばかりで、どうも伊緒の気持ちや本気度を理解できていない様子が覗える。
「でも……それが、実はちょっと本気でさ、少しでも仲良くなれたらなあ、なんてほんとに思ってるんだ」
伊緒の目の前に置かれているのはフルーツフレーバーコーラ、しかもLLサイズ。伊緒が大好きなドリンクなのに、一切手も付けられず氷も解けて水っぽくなっている。それだけではない。あの伊緒が少し俯き加減でもじもじしているのだ。顔だって少し赤いかも知れない。赤くなってもじもじする伊緒なんて2人とも見た事がない。これはやはり一大事件なのは間違いないようだ。2人は一瞬顔を見合わせた。
「いや、結構マジなの伊緒?」
つとめていつも通りを通そうとしている彩希だが、怪訝そうな言葉だ。伊緒の心情が不思議で仕方ない、そんな顔だ。
「どうかしてるそんなの。おかしいって」
由花は右手にあるちゃんぽん麺売り場の方向にふいっとそっぽを向いて、伊緒とは目を合わせようとはしない。こんな由花も今まで見た事はない。ふくれっ面をする由花の顔には苛立ちのような表情も見え隠れしている。
「だよねぇ、相手、って言うかモノがなぁ…」
彩希は頭を振ってLLサイズのアイスレモンティーを汚い音を立てて吸う。
伊緒の最大の理解者である2人であっても、この伊緒の気持ちは肯定的に捉えられない。当然の事だ。アンドロイドは人間と全く同じ姿形だと言えども、結局のところただの機械に過ぎない。その機械に恋をする感覚を理解しろと言われても、一体誰に出来るだろう。
「わかってる、わかってるけど」
そんな2人を前にしてすっかりしょげ返る伊緒。2人とも気付かなかったが、伊緒にしては珍しくほんの少し目の端が潤んでいた。
「ど……どうにもならないのかな……やっぱり」
「そうね」
濡れたストローを咥えて振る由花はそっけなく答える。大事にしているピンクのカーディガンに水滴がぽつりぽつり零れるのを気にも留めない。いつも念入りに身なりを整えているのに台無しだ。半眼で少し目が冷たいようにも見える。
少しよれたブレザーとブラウスの彩希は、スカート丈が校則違反すれすれに短い。それにも拘らず膝の上に片足のくるぶしを乗せていて、冴えない表情を崩さない。LLサイズのカップにほんの少し残った薄いアイスレモンティーと、カップに半分以上詰め込まれた氷をザクザク乱暴に突く。彩希はカップの氷を突きながらそこに目線を落とし、伊緒にあまり気持ちのこもらない提案をする。
「うん、でもまあ、やってみたら? 何度も声をかけてれば反応あるかもしれないしさ」
「無理よ。プログラミングされてる通りにしか動かないんだから。それにあれは、絶対鉄面皮の感情プログラム(※3)で構成されてるって。しかも冷血漢」
テーブルに上半身を突っ伏して不機嫌そうな顔の由花の言う事はもっともだ。アンドロイドはプログラムに則った反応しかしない。だから同じ言葉で何度話しかけても返ってくる反応は同じだ。
「てつめんぴ?」
それよりも彩希は自分の語彙力に問題があるようで由花に尋ねる。
「あー、わかんないならいいの」
「ちぇ」
由花の冷たい答えにつまらなさそうな顔をしてまたカップの氷突きに専念する彩希。由花は彩希にはとかく冷たい言動が多い
「でも、あたしやってみる。今んとこそんな方法しかなくてさ。もう少し頑張ってみたい。納得いくまで頑張ってみたいんだ」
また少し話が脱線しかけた彩希と由花に改めて自分の気持ちを伝える。
「明日も絶対断られるだろうし、そしたらまた周りがうるさいって。いいの?」
彩希が伊緒を気遣うような表情を見せる。アンドロイドに恋をするだなんて非常識も甚だしいが、それでも伊緒が傷つくのは絶対に嫌だ。
「あんな輩言わせとけばいいじゃない! でも私、そんな事して伊緒が辛いんじゃないかと思って、そう思ったらさ……」
テーブルに突っ伏したまま少し泣きそうな顔で手を伸ばし伊緒の手を握る由花
「そうだよね…… 由花の言う通り心配。ほんと大丈夫?」
彩希も珍しく由花に賛同する。
「え、ああ、うん。別に人に笑われるのは恥ずかしくないけど…… いや、恥ずかしいし悔しいけど我慢できる。ただ矢木澤さんに迷惑をかけたり嫌な思いをさせちゃいけないとは思ってるんだけど……」
「はぁぁ、いやだから、アンドロイドにはそんなの関係ないんだからさあ」
「そこじゃないの私たちが言ってるのは、もうっ!」
彩希が呆れて身をのけぞらし、由花は思わずかっとなって椅子をガタッと後ろに倒しながら勢いよく立ち上がる。
「あ、ああ、ごめん。心配してくれてありがとうね2人とも。でもほんとあたしは大丈夫だから。うん。ありがとう。ホント大丈夫だから」
沈黙が流れる。由花は黙って椅子を戻して座り直すがぶすっとした表情のまま。今度は左側のたい焼きコーナーの方を向いてしまう。彩希は読めない表情でカップの氷を突くばかり。フードコートの子供たちや同年代の中高生の歓声と館内放送、それに加え別フロアのビリヤード場やボーリング場の賑やかでやけに楽しそうな騒めきが入り混じって聞こえてくる。今の3人にはそれがやけに耳につく。
ほぼ水と氷しかなくなったLLサイズの紅茶をストローで勢いよく吸い上げる彩希。その汚い音が沈黙を破る。そして気乗りのしない口調で重たい口を開いた。
「あのさ、ちょっとしたアイディアなんだけどね、ま、アイディアってほどのもんじゃないかな」
「え? 何? どんな?」
ぱっと顔を輝かせて身を乗り出す伊緒。この際お調子者の彩希の助言でもいいから何か打つ手が欲しかった。
「彩希、変な入れ知恵しないでよね」
由花はそっぽを向いた顔を元に戻したものの、両腕をテーブルに預け、そこに顎を乗せて不機嫌そうな表情を崩していない。彩希は由花に構わず気乗りのしない顔のまま話を続けた。
「別に矢木澤の許しを貰って一緒に帰る必要なくない?」
もうストローを吸っても吸ってもカスカスとした音しか出ないまま話を続ける彩希。テーブルには彩希の開けたガムシロップの容器が5つも転がっている。
「ん?」
「ついてくの。矢木澤シリルの後を、あるいはその周りを」
「ああ! ……でも嫌がられないかな?」
「『たまたま帰り道で会ったから話しかけた』ってことにすればそうそうは追い返さないんじゃない? ま、最悪『もう話しかけないで下さい』って言われちゃうかもだけど。あとはまあ感情プログラムが気に入ってくれそうな言動を探すのがいいのかな。色々話しかけてさ。その辺は良く分かんないから自己責任で好きにして」
表情にぱっと光が差し込む伊緒。その恋する少女の顔立ちに彩希も由花も胸が苦しくなる。
「なるほど。それいいかも! さすが彩希! 早速明日試してみる! さっきの放課後と言い本当にありがとう! よし、ちょっと作戦練らなくちゃ。今日はお先にっ、またねっ!」
伊緒は勢いよく立ち上がり、勢いよく駆け出して風のように去っていく。フードコートの出入り口で勢いよく2人に手を振るとそのまま消えて行ってしまった。
2人は沈黙で伊緒を見送る。両手を後頭部で組んだ姿勢のまま椅子に腰かけ渋面で黙り込む彩希。さっきからテーブルに突っ伏して腕に顎を乗せたままそっぽを向いている由花のローファーが彩希の足を蹴とばす。
「なに」
彩希の表情は曇っている。
「あんたってホントお人よし。」
そう言って彩希を横目でぎろりと睨んだ由花は彩希以上に不機嫌な表情だ。目も声も氷のように冷たい。
「知ってる」
ぼんやりと天井を眺める彩希。大きな換気扇が3つゆっくり回っている。逆回転しているのが一つあるが壊れているのだろうか。
「どうすんのよ…… あれとうまくいっちゃったら」
テーブルに肘をついて氷も半分以上溶けたSサイズのカップをストローでしゃくしゃくと突く由花。
「そんなわきゃないでしょ。相手はアンドロイドなんだし」
「そうなっちゃうバグがあるって聞いたことがある…」
カップに視線を注いだまま無表情な由花が呟くと彩希も一瞬表情が硬くなる。
「マジかよ」
「もしそうなっちゃったらどうするのよ…… どうするのさ……」
不安いっぱいの表情をした由花の目からみるみる涙が溢れ出す。両腕をテーブルに預けて組み、そこに顔を埋めてそっと泣き始める。
「そしたら、そしたらあたしら2人して伊緒に振られちゃうんだよ。アンドロイドにとられちゃうんだよ。アンドロイドなんかに! そしたらもうあんたのせいなんだからねっ!」
また彩希を蹴る。さっきよりかなり強い。
「ああもう泣かないでよ。それならそれで仕方ないじゃん。伊緒があたし達のどっちをとろうが、全然関係ない奴とくっつこうが、泣き言も恨み言も文句も愚痴も言いこなしって決めたじゃない、ここで。このフードコートで」
彩希は両腕をホールドアップの状態にしたまま由花を見下ろしている。その姿勢のままなだめるような口調で2人だけの密約を確認させる。
中2の頃だったか、伊緒に恋していた2人はここで「抜け駆けなし」「恨み言なし」の誓いを立てていたのだ。
伊緒の突拍子もない恋にも頭が痛いが、今の彩希にとって喫緊の問題は、自分の60°右方向で突っ伏して泣き始めた由花の扱いだ。普段は気の強い由花も、こと伊緒の事となるととかく泣き虫で彩希としては扱いに困る。ライバルなので放っておけばいいのだが、彩希は由花に泣かれるとなんだか居心地が悪くなる。ライバルなのに。
「だからさ、今回だってそう。泣き言も恨み言も文句も言わない言わない。なっ」
彩希が眉根を寄せた表情で由花をなだめると、泣いていた由花は突っ伏したまま鼻をすするとぞっとする声を発する。
「あいつだけは、矢木澤だけは別。人間ならまだしもアンドロイドだなんてありえない。ありえないんだから、絶対。許せない」
顔を伏せているので表情は見えないが、由花の声は液体メタン(※4)のようだ。彩希も初めて聞く空恐ろしい声。こんな声なんだもの、きっと今の由花は氷のような目をしているに違いない。きっと矢木澤シリルを躊躇なく玄能(※5)で破壊してしまえるだろう。
由花の声にやや気圧される彩希。由花の言う事は至極当然の正論だし充分理解できる、がそれでもほんの一瞬だけ彩希は悲しくなる。
「ま、まあな、あたしも…… 実はそう思うわ」
ガツンっ! とテーブルの支柱を手入れのいい焦げ茶のローファーで思い切り蹴る由花。
「何考えてんのよっ全くっ! 伊緒はっ! 伊緒はっ! アンドロイドなんて、アンドロイドだなんてっ! おかしいんじゃないのっ! うぅ…… うえぇぇぇ……」
テーブルの支柱をローファーで何度も何度も蹴り続ける。蹴りながら泣き声も次第に大きくなっていく。
「だからそんな大声で泣かないでってもう…… あたしが泣かしてるみたいじゃんか。それに…… 由花に泣かれるのってなんか苦手なんだ……」
困り果てた彩希は、なんとか由花をなだめようとあまり話したくない事まで話さざるを得ない。
「でもさ、でもね、由花、聞いてよ。こう言うのもなんだけどさ、例えどんな事があっても伊緒を信じてやりたいのあたしは。一番に考えたいんだ、あいつの心を」
いつになく真面目な顔の彩希。
「彩希……」
そのいつになく真面目な彩希の声に驚いて面を上げる由花。由花の顔は伊緒の為に覚えたナチュラルメイクが崩れかけている。
「伊緒の思った通りにやらせてやりたいんだ。もしそこで伊緒が倒れるようなことがあったら2人で抱え起こしてやろうよ。そしたら点数も稼げるし一石二鳥じゃん、ね」
最後は少しおどけてみせる彩希。
彩希の癖になんだかちょっと、ちょっとだけいい事をきれいな顔とカッコいい声で言うもんだから由花は苦笑する。こいつもやっぱり伊緒の事大好きなんだろうな、と思う。ほんの少しだけいいやつ、恋敵なのに。
「……彩希 ……あんたやっぱりどうしようもなくお人よし」
苦笑いしながらまた彩希の脚を蹴る。ずっと優しく。
「へっへー、まあそれほどでもないってばさー」
「97%褒めてないからね」
「ち」
しかし由花の心の不安定さはなかなか治らない。一時は良くなってもまた同じことを考えては悔しくて悔しくて涙が止まらなくなる。矢木澤が許せない。矢木澤を破壊したい。伊緒が機械と結ばれるだなんて気持ち悪い。吐きそう。そんな思いが由花の頭の中をぐるぐる駆け巡っていた。そしてまたテーブルに突っ伏してさめざめと泣き出すのだ。かれこれもう30分近くそれを繰り返していた。
「ん、少し楽になった。伊緒の気持ちのことなんだもん、私たちじゃどうにもならないよね。少し落ち着いた。落ち着いたけど…… 伊緒が、伊緒がアンドロイドにと、取られ、っちゃうなんて考えっ、たら…… やっぱり私」
「あー、もう全然落ち着いてないじゃん。ホントあたしだっていいかげん泣きたいって」
彩希も伊緒がシリルに奪われてしまうんじゃないかという不安に加え、由花をなだめたり慰めたりする疲れが重なって少しばかりうんざりし始めている。
「じゃ一緒に泣いててよ……」
テーブルに突っ伏した由花が不機嫌そうにぼそりと呟く。
「うっさい、もう泣いてるし」
彩希も涙を堪えたふて腐れ顔で不機嫌そうに呟いてはまた天井を見上げた。
▼用語
※1 ハイパワーフレーム:
人体の外側から装着する作業支援用筋力補助フレーム。腰と肩腕を補助するものから、ほぼ全身をフレームで覆うものまで、用途に応じ形状は様々。
※2 スペースワーカー:
外部からの入力で作業をする作業ロボット。主に域外作業や域内土木作業に用いられる。芋虫型から蜘蛛型、二足歩行型まで多様性に富む。
※3 感情プログラム:
アンドロイドの脳機能に収められた人間に似せた表情や言動を取らせるためのプログラム。驚くほど人間そっくりな受け答えをすることができるが、それも限度があり、人間の心の多様性や複雑さには及ばない。ここ10年ほど前から感情プログラムに心が生まれるバグが出始めていると、まことしやかな噂が流れている。メーカーによっては人格モジュールと称するところもある。
※4 液体メタン:
メタン(分子式CH4)は常温常圧下では無味無臭の気体。融点は-183℃。この温度になるとメタンは液体になる。旧世界太陽系の第六惑星である土星の衛星タイタンでは液体メタンが雨となり川や海となって循環している。
※5 玄能:
大型の金づち。鑿を叩いたり物を壊したるするのに用いる。
大きなテーブルを各々の荷物で占拠して、それぞれ安くてそれなりの味のドリンクを買ってくる。黄色くてぐらぐらする椅子に腰かける。
そして伊緒は2人に促されるまま、シリルに声をかけた理由について語った。2人は驚き呆れた。
「はあ? 一目惚れ? 矢木澤シリルに? そりゃ確かに事件っちゃ事件だけどさあ」
呆気にとられた表情の彩希。あまりにも現実離れした話に実感がわかない。
「え? え? ちょっと待って、アンドロイドでしょ、アンドロイドよね、あれ」
Sサイズのアイスコーヒーを片手に戸惑いを隠せない由花。伊緒の心情が呑み込めない。アンドロイドに恋をするなどという感覚が全く理解できずぽかんとした表情にも見える。
「いや、アンドロイドって言うかさ、あのアイドルみたいな名前ってどう?」
「いやいや、名前以前に人間じゃないしあれ」
「いやいやいや、美しいものに性別も人間もアンドロイドもなくてさ」
「いやいやいやいや、ハイパワーフレーム(※1)やスペースワーカー(※2)に恋する人なんていないし」
「あ、それはいる」
「え? ホントに?」
「あたし」
「あー、馬鹿がいたー」
2人で冗談めかして下手くそな掛け合い漫才のようなやり取りを続けるばかりで、どうも伊緒の気持ちや本気度を理解できていない様子が覗える。
「でも……それが、実はちょっと本気でさ、少しでも仲良くなれたらなあ、なんてほんとに思ってるんだ」
伊緒の目の前に置かれているのはフルーツフレーバーコーラ、しかもLLサイズ。伊緒が大好きなドリンクなのに、一切手も付けられず氷も解けて水っぽくなっている。それだけではない。あの伊緒が少し俯き加減でもじもじしているのだ。顔だって少し赤いかも知れない。赤くなってもじもじする伊緒なんて2人とも見た事がない。これはやはり一大事件なのは間違いないようだ。2人は一瞬顔を見合わせた。
「いや、結構マジなの伊緒?」
つとめていつも通りを通そうとしている彩希だが、怪訝そうな言葉だ。伊緒の心情が不思議で仕方ない、そんな顔だ。
「どうかしてるそんなの。おかしいって」
由花は右手にあるちゃんぽん麺売り場の方向にふいっとそっぽを向いて、伊緒とは目を合わせようとはしない。こんな由花も今まで見た事はない。ふくれっ面をする由花の顔には苛立ちのような表情も見え隠れしている。
「だよねぇ、相手、って言うかモノがなぁ…」
彩希は頭を振ってLLサイズのアイスレモンティーを汚い音を立てて吸う。
伊緒の最大の理解者である2人であっても、この伊緒の気持ちは肯定的に捉えられない。当然の事だ。アンドロイドは人間と全く同じ姿形だと言えども、結局のところただの機械に過ぎない。その機械に恋をする感覚を理解しろと言われても、一体誰に出来るだろう。
「わかってる、わかってるけど」
そんな2人を前にしてすっかりしょげ返る伊緒。2人とも気付かなかったが、伊緒にしては珍しくほんの少し目の端が潤んでいた。
「ど……どうにもならないのかな……やっぱり」
「そうね」
濡れたストローを咥えて振る由花はそっけなく答える。大事にしているピンクのカーディガンに水滴がぽつりぽつり零れるのを気にも留めない。いつも念入りに身なりを整えているのに台無しだ。半眼で少し目が冷たいようにも見える。
少しよれたブレザーとブラウスの彩希は、スカート丈が校則違反すれすれに短い。それにも拘らず膝の上に片足のくるぶしを乗せていて、冴えない表情を崩さない。LLサイズのカップにほんの少し残った薄いアイスレモンティーと、カップに半分以上詰め込まれた氷をザクザク乱暴に突く。彩希はカップの氷を突きながらそこに目線を落とし、伊緒にあまり気持ちのこもらない提案をする。
「うん、でもまあ、やってみたら? 何度も声をかけてれば反応あるかもしれないしさ」
「無理よ。プログラミングされてる通りにしか動かないんだから。それにあれは、絶対鉄面皮の感情プログラム(※3)で構成されてるって。しかも冷血漢」
テーブルに上半身を突っ伏して不機嫌そうな顔の由花の言う事はもっともだ。アンドロイドはプログラムに則った反応しかしない。だから同じ言葉で何度話しかけても返ってくる反応は同じだ。
「てつめんぴ?」
それよりも彩希は自分の語彙力に問題があるようで由花に尋ねる。
「あー、わかんないならいいの」
「ちぇ」
由花の冷たい答えにつまらなさそうな顔をしてまたカップの氷突きに専念する彩希。由花は彩希にはとかく冷たい言動が多い
「でも、あたしやってみる。今んとこそんな方法しかなくてさ。もう少し頑張ってみたい。納得いくまで頑張ってみたいんだ」
また少し話が脱線しかけた彩希と由花に改めて自分の気持ちを伝える。
「明日も絶対断られるだろうし、そしたらまた周りがうるさいって。いいの?」
彩希が伊緒を気遣うような表情を見せる。アンドロイドに恋をするだなんて非常識も甚だしいが、それでも伊緒が傷つくのは絶対に嫌だ。
「あんな輩言わせとけばいいじゃない! でも私、そんな事して伊緒が辛いんじゃないかと思って、そう思ったらさ……」
テーブルに突っ伏したまま少し泣きそうな顔で手を伸ばし伊緒の手を握る由花
「そうだよね…… 由花の言う通り心配。ほんと大丈夫?」
彩希も珍しく由花に賛同する。
「え、ああ、うん。別に人に笑われるのは恥ずかしくないけど…… いや、恥ずかしいし悔しいけど我慢できる。ただ矢木澤さんに迷惑をかけたり嫌な思いをさせちゃいけないとは思ってるんだけど……」
「はぁぁ、いやだから、アンドロイドにはそんなの関係ないんだからさあ」
「そこじゃないの私たちが言ってるのは、もうっ!」
彩希が呆れて身をのけぞらし、由花は思わずかっとなって椅子をガタッと後ろに倒しながら勢いよく立ち上がる。
「あ、ああ、ごめん。心配してくれてありがとうね2人とも。でもほんとあたしは大丈夫だから。うん。ありがとう。ホント大丈夫だから」
沈黙が流れる。由花は黙って椅子を戻して座り直すがぶすっとした表情のまま。今度は左側のたい焼きコーナーの方を向いてしまう。彩希は読めない表情でカップの氷を突くばかり。フードコートの子供たちや同年代の中高生の歓声と館内放送、それに加え別フロアのビリヤード場やボーリング場の賑やかでやけに楽しそうな騒めきが入り混じって聞こえてくる。今の3人にはそれがやけに耳につく。
ほぼ水と氷しかなくなったLLサイズの紅茶をストローで勢いよく吸い上げる彩希。その汚い音が沈黙を破る。そして気乗りのしない口調で重たい口を開いた。
「あのさ、ちょっとしたアイディアなんだけどね、ま、アイディアってほどのもんじゃないかな」
「え? 何? どんな?」
ぱっと顔を輝かせて身を乗り出す伊緒。この際お調子者の彩希の助言でもいいから何か打つ手が欲しかった。
「彩希、変な入れ知恵しないでよね」
由花はそっぽを向いた顔を元に戻したものの、両腕をテーブルに預け、そこに顎を乗せて不機嫌そうな表情を崩していない。彩希は由花に構わず気乗りのしない顔のまま話を続けた。
「別に矢木澤の許しを貰って一緒に帰る必要なくない?」
もうストローを吸っても吸ってもカスカスとした音しか出ないまま話を続ける彩希。テーブルには彩希の開けたガムシロップの容器が5つも転がっている。
「ん?」
「ついてくの。矢木澤シリルの後を、あるいはその周りを」
「ああ! ……でも嫌がられないかな?」
「『たまたま帰り道で会ったから話しかけた』ってことにすればそうそうは追い返さないんじゃない? ま、最悪『もう話しかけないで下さい』って言われちゃうかもだけど。あとはまあ感情プログラムが気に入ってくれそうな言動を探すのがいいのかな。色々話しかけてさ。その辺は良く分かんないから自己責任で好きにして」
表情にぱっと光が差し込む伊緒。その恋する少女の顔立ちに彩希も由花も胸が苦しくなる。
「なるほど。それいいかも! さすが彩希! 早速明日試してみる! さっきの放課後と言い本当にありがとう! よし、ちょっと作戦練らなくちゃ。今日はお先にっ、またねっ!」
伊緒は勢いよく立ち上がり、勢いよく駆け出して風のように去っていく。フードコートの出入り口で勢いよく2人に手を振るとそのまま消えて行ってしまった。
2人は沈黙で伊緒を見送る。両手を後頭部で組んだ姿勢のまま椅子に腰かけ渋面で黙り込む彩希。さっきからテーブルに突っ伏して腕に顎を乗せたままそっぽを向いている由花のローファーが彩希の足を蹴とばす。
「なに」
彩希の表情は曇っている。
「あんたってホントお人よし。」
そう言って彩希を横目でぎろりと睨んだ由花は彩希以上に不機嫌な表情だ。目も声も氷のように冷たい。
「知ってる」
ぼんやりと天井を眺める彩希。大きな換気扇が3つゆっくり回っている。逆回転しているのが一つあるが壊れているのだろうか。
「どうすんのよ…… あれとうまくいっちゃったら」
テーブルに肘をついて氷も半分以上溶けたSサイズのカップをストローでしゃくしゃくと突く由花。
「そんなわきゃないでしょ。相手はアンドロイドなんだし」
「そうなっちゃうバグがあるって聞いたことがある…」
カップに視線を注いだまま無表情な由花が呟くと彩希も一瞬表情が硬くなる。
「マジかよ」
「もしそうなっちゃったらどうするのよ…… どうするのさ……」
不安いっぱいの表情をした由花の目からみるみる涙が溢れ出す。両腕をテーブルに預けて組み、そこに顔を埋めてそっと泣き始める。
「そしたら、そしたらあたしら2人して伊緒に振られちゃうんだよ。アンドロイドにとられちゃうんだよ。アンドロイドなんかに! そしたらもうあんたのせいなんだからねっ!」
また彩希を蹴る。さっきよりかなり強い。
「ああもう泣かないでよ。それならそれで仕方ないじゃん。伊緒があたし達のどっちをとろうが、全然関係ない奴とくっつこうが、泣き言も恨み言も文句も愚痴も言いこなしって決めたじゃない、ここで。このフードコートで」
彩希は両腕をホールドアップの状態にしたまま由花を見下ろしている。その姿勢のままなだめるような口調で2人だけの密約を確認させる。
中2の頃だったか、伊緒に恋していた2人はここで「抜け駆けなし」「恨み言なし」の誓いを立てていたのだ。
伊緒の突拍子もない恋にも頭が痛いが、今の彩希にとって喫緊の問題は、自分の60°右方向で突っ伏して泣き始めた由花の扱いだ。普段は気の強い由花も、こと伊緒の事となるととかく泣き虫で彩希としては扱いに困る。ライバルなので放っておけばいいのだが、彩希は由花に泣かれるとなんだか居心地が悪くなる。ライバルなのに。
「だからさ、今回だってそう。泣き言も恨み言も文句も言わない言わない。なっ」
彩希が眉根を寄せた表情で由花をなだめると、泣いていた由花は突っ伏したまま鼻をすするとぞっとする声を発する。
「あいつだけは、矢木澤だけは別。人間ならまだしもアンドロイドだなんてありえない。ありえないんだから、絶対。許せない」
顔を伏せているので表情は見えないが、由花の声は液体メタン(※4)のようだ。彩希も初めて聞く空恐ろしい声。こんな声なんだもの、きっと今の由花は氷のような目をしているに違いない。きっと矢木澤シリルを躊躇なく玄能(※5)で破壊してしまえるだろう。
由花の声にやや気圧される彩希。由花の言う事は至極当然の正論だし充分理解できる、がそれでもほんの一瞬だけ彩希は悲しくなる。
「ま、まあな、あたしも…… 実はそう思うわ」
ガツンっ! とテーブルの支柱を手入れのいい焦げ茶のローファーで思い切り蹴る由花。
「何考えてんのよっ全くっ! 伊緒はっ! 伊緒はっ! アンドロイドなんて、アンドロイドだなんてっ! おかしいんじゃないのっ! うぅ…… うえぇぇぇ……」
テーブルの支柱をローファーで何度も何度も蹴り続ける。蹴りながら泣き声も次第に大きくなっていく。
「だからそんな大声で泣かないでってもう…… あたしが泣かしてるみたいじゃんか。それに…… 由花に泣かれるのってなんか苦手なんだ……」
困り果てた彩希は、なんとか由花をなだめようとあまり話したくない事まで話さざるを得ない。
「でもさ、でもね、由花、聞いてよ。こう言うのもなんだけどさ、例えどんな事があっても伊緒を信じてやりたいのあたしは。一番に考えたいんだ、あいつの心を」
いつになく真面目な顔の彩希。
「彩希……」
そのいつになく真面目な彩希の声に驚いて面を上げる由花。由花の顔は伊緒の為に覚えたナチュラルメイクが崩れかけている。
「伊緒の思った通りにやらせてやりたいんだ。もしそこで伊緒が倒れるようなことがあったら2人で抱え起こしてやろうよ。そしたら点数も稼げるし一石二鳥じゃん、ね」
最後は少しおどけてみせる彩希。
彩希の癖になんだかちょっと、ちょっとだけいい事をきれいな顔とカッコいい声で言うもんだから由花は苦笑する。こいつもやっぱり伊緒の事大好きなんだろうな、と思う。ほんの少しだけいいやつ、恋敵なのに。
「……彩希 ……あんたやっぱりどうしようもなくお人よし」
苦笑いしながらまた彩希の脚を蹴る。ずっと優しく。
「へっへー、まあそれほどでもないってばさー」
「97%褒めてないからね」
「ち」
しかし由花の心の不安定さはなかなか治らない。一時は良くなってもまた同じことを考えては悔しくて悔しくて涙が止まらなくなる。矢木澤が許せない。矢木澤を破壊したい。伊緒が機械と結ばれるだなんて気持ち悪い。吐きそう。そんな思いが由花の頭の中をぐるぐる駆け巡っていた。そしてまたテーブルに突っ伏してさめざめと泣き出すのだ。かれこれもう30分近くそれを繰り返していた。
「ん、少し楽になった。伊緒の気持ちのことなんだもん、私たちじゃどうにもならないよね。少し落ち着いた。落ち着いたけど…… 伊緒が、伊緒がアンドロイドにと、取られ、っちゃうなんて考えっ、たら…… やっぱり私」
「あー、もう全然落ち着いてないじゃん。ホントあたしだっていいかげん泣きたいって」
彩希も伊緒がシリルに奪われてしまうんじゃないかという不安に加え、由花をなだめたり慰めたりする疲れが重なって少しばかりうんざりし始めている。
「じゃ一緒に泣いててよ……」
テーブルに突っ伏した由花が不機嫌そうにぼそりと呟く。
「うっさい、もう泣いてるし」
彩希も涙を堪えたふて腐れ顔で不機嫌そうに呟いてはまた天井を見上げた。
▼用語
※1 ハイパワーフレーム:
人体の外側から装着する作業支援用筋力補助フレーム。腰と肩腕を補助するものから、ほぼ全身をフレームで覆うものまで、用途に応じ形状は様々。
※2 スペースワーカー:
外部からの入力で作業をする作業ロボット。主に域外作業や域内土木作業に用いられる。芋虫型から蜘蛛型、二足歩行型まで多様性に富む。
※3 感情プログラム:
アンドロイドの脳機能に収められた人間に似せた表情や言動を取らせるためのプログラム。驚くほど人間そっくりな受け答えをすることができるが、それも限度があり、人間の心の多様性や複雑さには及ばない。ここ10年ほど前から感情プログラムに心が生まれるバグが出始めていると、まことしやかな噂が流れている。メーカーによっては人格モジュールと称するところもある。
※4 液体メタン:
メタン(分子式CH4)は常温常圧下では無味無臭の気体。融点は-183℃。この温度になるとメタンは液体になる。旧世界太陽系の第六惑星である土星の衛星タイタンでは液体メタンが雨となり川や海となって循環している。
※5 玄能:
大型の金づち。鑿を叩いたり物を壊したるするのに用いる。
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