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伊緒の初恋

第4話 機械仕掛けの乙女

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 今や全ての人の憧れである旧世界懐古様式。それを体現したかのごとき古びたモルタル建築の校舎。そんな公立鴎翼おうよく高校(※1)が島谷伊緒いおの学び舎だ。

 伊緒は、マルチグラス(※2)ムービー(※3)やダイレクトドラマ(※4)でよくみかける一目惚れというシチュエーションをどうしても信じる事が出来なかった。だって一目見ただけでその人の全部が一瞬で好きになるんでしょ? どうしてそんな事が出来るの? そんな魔法みたいな事あるわけがないじゃない。と、小さな頃から極めて懐疑的だった――実際にその魔法にかかってしまうまでは。
 しかも人生どころかこれからの世界にとてつもなく大きな影響を与える壮大な一目惚れを自らが経験するだなんて、当たり前の事だが予想だにしていなかった。

 そして伊緒は噂話に殆ど興味を示さない。さらに恋愛にも奥手どころか全く興味を抱いていなかった。
 どうかすると野暮ったい男子に見えかねない伊緒だったが、そんな彼女でも男女を問わず告白されたことは一度ならずあった。そしてそのたびに伊緒は大いに困惑した。彼氏やら彼女やら言う人とだらだらとただただ駄弁だべったり、お洒落な11街区(※5)を当てもなくうろつく、そんな行為に何の意味があるのか。そのようなことに時間を費やすのだったら友達とGボウル(※6)をしたり一人で機械や自転車をいじってたりした方が遥かに楽しく有意義だ。
 結局伊緒は告白されるたび、眉間に深いしわを寄せながらほぼ即答でお断りしていた。
 しかし、そんな年相応の青少年としての世事から大きく遠ざかっている彼女でも1年生の頃、母校にアンドロイドの生徒がいるという話は聞いてはいた。うわさ話にうとい伊緒の耳にも入っていたということは、それほどまでに校内では大きな話題となっていたということを意味している。しかし、これにも伊緒は全くと言っていいほど興味を持たなかった。アンドロイドがわざわざ学校に通うなんて不思議な話だな、程度の感想は抱いてはいたが、それっきりその噂話については忘れてしまった。

 高校2年生になって新学年新学期1日目。
 伊緒は新学年初日早々遅刻しそうになる。いや、ホームルームの開始時刻は確かに過ぎていたので時間的には明らかに遅刻だ。伊緒は半ばあきらめつつ、そっと音を立てないようにこそこそと後ろから教室内を覗きこむ。するとまだ教諭はいない。伊緒はこれ幸いにそそくさと自席に着いた。その際、背筋を伸ばして置物のように椅子に掛け、微動だにしない女子生徒の隣を通り過ぎた事に伊緒は気が付かなかった。
 学年初めてのホームルームは自己紹介だった。教諭の方針で1人1人がランダムに教壇に立って自己紹介をする。半分以上の生徒は少々面倒くさそうにしていたし、正直な話伊緒も少々面倒だった。
 グループを作ったりそこに入りたい人たちは、一生懸命自己PRをしたり他の生徒の自己紹介に耳を澄ますのかも知れないが、伊緒には全くと言っていいほどどうでもいい話だった。遊びたい友達と遊ぶ。話したい相手と話す。集団内での義理やら人間関係やらはとにかく苦手だ。そうして伊緒はいつも友達が少ない。その一方、伊緒の数少ない友達は裏表ない本当の友達と言えるものだった。
 これから来る自分の自己紹介を終わらせればものの数分でホームルームも終了。これで新学年の新学期初日も終わってやっと学校から解放される。帰りに由花や彩希たちとGボウルのスコアアタック(※7)をしにスポーツセンターに行こうか、いや久しぶりにボウリングやビリヤードにダーツもいいな、などとぼんやりと考える程度で完全に伊緒は弛緩していた。頬杖をついて退屈そうに他の人の自己紹介を眺める。実際ひどく退屈だ。パワーラッシュ(※8)やGボウルに興味のある生徒もいなさそうでなおさらだ。最近始まったばかりのドラマ「ルイス&ニック」に興味がありそうな生徒もいないし、意外な事に前のクラスと違ってボランティア登録している生徒もいない。退屈さが自乗三乗になる。伊緒は肘をついて机に半ば突っ伏しながら欠伸《あくび》をする。次第に色々な事がどうでも良くなって、眠くなってきた。

 ところが突然、一瞬にして眠気など吹っ飛ぶ。伊緒の目が寝ぼけ眼の半眼から突然驚きの眼へと見開かれる。教壇に登壇した生徒の姿を見て頭に胸に心臓に、ダイアモンド製の電磁杭を撃ち込まれたかのような衝撃が走る。

 伊緒が初めて見る女性形アンドロイド。細身の躯体(※9)にぴったり合わせたブレザーにブラウスとリボンタイ。ひざまであるチェックのスカート。長いストレートのわずかに栗色がかったツヤのある髪、折れてしまいそうな細腰、細く尖った小さな鼻、白くてきめの細かい肌。そして常磐ときわ色の虹彩にアンドロイド特有のチカチカと深紅と黄金のまたたきが絶えない瞳孔。
 伊緒は椅子に座りなおして美と清楚を絵にかいたような、いや立体化したようなその姿に呆然となる。鮮麗せんれいとはこのことなのか。これが星のきらめきなのか。その肌も髪も目も口や歯も耳も人間と全く同じどころか人間を遥かに超える美しさだった。人間と違うところは深紅と黄金に輝く瞳孔どうこうくらいのものだった。しかしそれすらも彼女、正確にはこの機械の美しさを引き立てている。伊緒は呆気あっけにとられたように口を開けたまま何も考えられない。胸の動悸が止まらない。ただただ目が離せない。瞬きする一瞬ももったいない。島谷伊緒が全く信奉していなかった魔法にかかった瞬間である。

 すると教壇の彼女が自己紹介を始めた。

「出席番号48番の矢木澤やぎさわシリルと申します。アンドロイドの身ではありますがオーナーの意向でこの学校のお許しを得て通学をさせていただいております。皆様のお役に立てるような事など全くないとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」

 実に機械的で感情と言うものを全く感じさせない言葉を発し、少女に見える機械はあたかも人間のように、だが実に機械的な動作で深々と礼をする。美しい長髪がふわっと揺れる。彼女、いやこの機体の姿には男女関わらず感歎のささやきが漏れたが、このアンドロイドはそれをシャットアウトしているかのように無表情で自席に戻る。
 伊緒の右斜め後ろに矢木澤シリルが席に掛けるまで惚けた表情を隠そうともせず目で追う。一瞬目が合うが険しい目つきを返されて伊緒はたじろいで目をらす。そのまま伊緒から視線を外したアンドロイドは、まさに機械の正確さで静かに、そして美しく椅子に腰かけると、あとは身じろぎもしない。
 シリルが自己紹介を終えると、伊緒も含めた3人が登壇しホームルームは終了した。伊緒は自分が何を話していたのか全く覚えていない。

 二年生最初のホームルームも終わり、先ほどまでずっと待ち望んでいたはずの放課後がやって来た。いつもなら喜び勇んで教室を飛び出す伊緒だが、今はもうそれどころではない。激しい胸の動悸がまだ止まらない。

 伊緒は勇気を振り絞ってシリルの背中まで小走りで駆け寄る。声をかけようと思ったが何か近寄りがたいものを感じなかなかその声が出せない。

「や、矢木澤さん」

 ようやくのことで少し震える声を吐き出す。まるで何かに怯えるかのように。

「はい。出席番号14番の島谷さんですね。どうなさいましたか」
 シリルが伊緒の方を向く。そのハンターグリーンの虹彩こうさいの奥でチカチカっと不規則に深紅と金色の瞳孔が輝く。そのさらに奥では小さなレンズの絞りがジーッと動く。それすら伊緒にとっては涙が出るほど美しい。伊緒がその小さい胸を震わす一方で、シリルには感情を思わせる素振りは微塵も感じられない。アンドロイドにも感情はあると聞いてはいたが、これは一体どういうことなのだろう。まるで無感情という感情をインプットされているかのようだ。その冷たい雰囲気に圧され、言葉をかけようにも取り付く島も感じさせないシリルの無機質で無感情で透明な視線に吸い込まれそうになる伊緒。辛うじてどうでもいい一言を呟くように口にした。

「あ、さ、さようなら…」
「さようなら」
 機械的に返答し機械的に振り返り機械的に歩行して教室を出るシリル。その後をそっと追って廊下で立ち尽くす伊緒。シリルは伊緒の事など意に介さずそのまますたすたと真っ直ぐ廊下を歩み去っていった。
 
 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 
 
「あーあ、伊緒とクラス別々でつまんないなあ」
「うちのクラスなんてほんともう担任からして最悪だし」

 伊緒にとって気の置けない数少ない友人の中でも、ことに気の置けない友人である彩希や由花。伊緒はその2人と連れ立ってGボウル場に来ていた。明らかな校則違反だが形骸化した校則を守るものはほとんどいない。彩希は伊緒とほぼ同じ背丈で赤っぽく染めた髪のショートヘア。由花は自慢の艶のある緑の黒髪を肩まで伸ばし伊緒より2センチ身長が低い。
 三人でチャレンジしたGボウルのスコアアタックの結果は珍しく伊緒が惨敗。スポーツ全般が大の苦手な由花にまで大差をつけられ、由花は喜ぶどころか伊緒を心配する始末だった。
 試合後は軽食コーナーで氷だらけのラージドリンクやしょっぱいだけのスナックを飲食しながらだべるのも3人の楽しみの1つだったが、伊緒はずっと心ここにあらず。シリルの事で頭が一杯だったからだ。
 由花がほとんど黙ったままの伊緒に声をかける。ずっと冴えない表情を崩さない伊緒。いつもの伊緒の姿からは程遠い。
「伊緒の様子だとあなたのG組もあんまりおもしろそうじゃなかったみたいね」
「うん……  いや、どうなんだろ」
 いつもの明るく快活な性格とは正反対に全く会話に気が乗らない様子の伊緒を2人は一瞬不思議に思う。彩希はいつもの明るい声で軽口を叩く。

「ねえねえ『ルイス&ニック』見てる奴もいなかった? 何となく見始めたんだけどさ、あれ面白いよね。先週の第8話なんてさ、『見えないところでもう事件は起きているんだぜ』なんて! カッコいいと思わない? あ、ね、あたし今ちょっと似てなかった? 似てなかった? ね?」
 少し声高におちゃらけて話す彩希。

「見てないから知らない」
「ちぇぇぇっ」
 由花のいかにもつまらなさそうな返事に唇を尖らす彩希。しかし伊緒は彩希のセリフに思い当たるものがあった。ぽつりと呟く。

「……ああ ……そっか……うん。確かに事件だ」

「なにが?」
「なんだって?」
 由花と彩希が同時に聞き返す。

「事件なんだ!」
 突然立ち上がった伊緒は走りながら二人に手を振る。
「ごめん今日はもう帰るね! また!」

 あっけにとられる2人は言葉も出ない。
「なんなんだあいつ一体……」
「さぁ……」

 呆れ顔の2人を置いて伊緒は振り向きもせずGボウル場から走り去っていった。
 
 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 
 
 翌日、新学期が始まって2日目の退屈な授業も終わって放課後。部活に行く者、帰宅する者、様々な生徒のざわめきが騒々しい。帰宅組の矢木澤シリルは正確さと美しさを兼ね備えた素早く効率的な動作で荷物をまとめ教室を出る。その機会をずっと待ち構えていた伊緒はシリルを追って教室を出てすぐの廊下で声をかける。

「矢木澤さん」

 学生鞄を右手に持って振り向く無表情のシリル。その表情だけで伊緒は少し気圧される。やはり感情のかけらも感じさせない。しかし、それでも伊緒はとにかく何とかこのアンドロイドと接点を持ちたかった。

「なんでしょうか」

 シリルの何もかも拒絶するかのような冷たい声が返ってくる。やはりこのアンドロイドには感情が無いとしか思えない。
 その音が外に漏れてしまいそうなほど伊緒の動悸が激しくなる。かばんを握る左手は白くなるほど力が入っている。小さく息を吸い込んで勇気を振り絞ると、ようやくのことで声が出せた。

「……いや、ああ、そ、その、もしよかったら一緒に帰りたいなあ、って。帰宅ルートは知らないけどもし矢――」

「お断りします」

 伊緒が全て言い終わる前に冷ややかな声でぴしゃりと言下に断るシリル。くるりと機械の正確さで膝までのスカートを優雅にはためかせながら、きれいに百八十度反転しすたすたと廊下を歩み去っていく。
 下校途中で生徒の多い今、この光景は多くの目に晒されていた。周囲がざわつく。

「お、あのアンドロイド声かけられたのか」
「マジか、クラス替え2日目だぜ」
「モテるねー」
「美人に作り過ぎたんだよなあ」
「英雄現る」
「何、誰かナンパした? あれに? ウケる 」
「アンドロイドに?」
「キッツいなー」
「美人ってもなあ、人間ならいいんだけどさあ」
「誰よ誰誰? そのイタイ奴」
「えー、G組の島谷じゃね、あそこの」
「ありえねー」
「うわかわいそー」

 シリルの余りにもつれない仕打ちだけでもショックだったのに、それに加えて聞こえてくる周りの冷笑的な反応に呆然とその場で立ち尽くす伊緒。冷たい汗が顔を伝う。
 すると後ろから大きな声が聞こえると同時に両肩を掴まれてガクガクと揺すられる。

「伊緒ー、お前何してたんだこらー!」
 彩希の声高な冷やかしの声だった。

「面白い話なら混ぜてよね!」
 正面には由花が回り込んで来てハグしてくる。

「うひゃひゃ、やめろよ、お前らやめろー!」
 この二人がじゃれついてきた騒ぎでいつの間にか衆人の興も削がれ、伊緒もこれ以上恥ずかしい目に合わずに済んだ。


▼用語
※1 公立鴎翼おうよく高校:
7街区から10街区までを学区とする庁立高校の一つ。各組25~28名で、各学年10~12クラスで構成されており、近在の高校としては特筆すべき生徒数。
春の球技大会、夏の体育祭、秋の文化祭、冬の音楽祭があるが球技大会、中でもバレーボールが最も注目される。

※2 マルチグラス:
眼鏡の形をした端末。智、山、モダン、つるなどに様々な機能や操作ボタンがついている。これ一つでネットに繋いだり、通話したり、メッセージを送受信したり、VRゲームをしたり、映画を見たり、撮影や録画をしたり、と様々な用途に使える。リモコンで操作できる機種もある。

※3 マルチグラスムービー
マルチグラスで見るVRムービー

※4 ダイレクトドラマ:
外部から直接五感に働きかけることで視聴するドラマや映画。平均的なマルチグラスでは観られない。

※5 街区
ここでは所得や社会的地位に応じて居住可能なが厳密に定められている。10以上の街区は一般的に高級住宅街とされる。伊緒の住まいは7街区。12街区は大企業要職、ちなみに13街区は「殿上人」、つまり政財界の要人が住まう。10~12街区には小奇麗な観光施設も多く、デートコースの定番。ごく簡単な手続きを取ればほとんどの人とアンドロイドが入れる。10街区だけは許可なく出入りが可能。13街区に入るには厳しい審査が必要(住人の許可がある場合はその限りではない)。

※6 Gボウル
最も人気のある球技。高重力もしくは低重力下で複数のボールを使ってプレイする。男子リーグが人気の主流。あえて旧世界スポーツに例えるならバスケットボールが最も近い、と言えなくもない。

※7 スコアアタック
Gボウルのペナルティ・チャレンジを真似て一般向けに生まれた競技。2~6名のプレイヤーがタイムアップまでどれだけゴールできるか競う。普通重力操作はしない。

※8 パワーラッシュ
ボールを奪ったプレイヤーが相手プレイヤーの妨害を排除またはかいくぐり、制限時間内にゴールを目指す。大抵の場合ゴールできるプレイヤーはいないため、最も長い距離を走行したプレイヤーが勝利する。女子リーグの方が圧倒的に人気が高い。
あえて旧世界スポーツに例えるとするなら個人競技としてのローラーゲームと言えるかも知れない。

※9 躯体:
アンドロイドのフレームと駆動部といった基礎的な構成を指す場合だけでなく、アンドロイドの身体全体を指したり、その形状の外見などを総合して指す場合とがある。

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