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第十一章

レオンハルトの精霊(二)

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 透き通った海のように鮮やかな青い髪はさざ波のように緩く波打ち、ところどころに若葉のような明るい黄緑色の毛が混じっている。

(……あら? 瞳も……)

 先ほどは青一色に思えた瞳も、よく見れば若葉色が混じり揺らめいていた。
 精霊の髪と瞳は同色の単色だと言われているが、複数属性ともなると違うのだろうか、と考えたところで、青い精霊は勢いよく頭を下げた。

「――ごめん! レオンハルトもルシアナも、本当にごめんなさい!」

(え……)

 精霊が頭を下げて謝ったこと、しかも契約者でもない自分にまで謝罪の言葉があったことに、ルシアナは目を丸くする。
 レオンハルトも、いまいち状況を理解しきれていないのか微動だにしない。
 しん、と静まり返るなか、静寂を破ったのはベルの盛大な溜息だ。

「謝るのは後にしろ。先にルシーを治せ」
「あっ、そうだね、そうだ。……いいかな、ルシアナ、レオンハルト」

 頭を上げ、窺うようにこちらを見つめる精霊に、おずおずとオンハルトを見上げる。
 レオンハルトは固まったまま精霊を凝視しており、ルシアナは思わず掴んでいたシャツを軽く引いた。
 それにはっとしたように自分を見たレオンハルトは、一度深く息を吐きすとルシアナを抱く腕に力を込め、精霊へ視線を戻す。

「治……るのですか?」
「! う、うん! あっ、もっと気楽に話していいからね! レオンハルトはおれの愛し子なんだから!」

 精霊はぱっと顔を輝かせると、両手を合わせ、そっと離した。彼の両手の間には水の塊が浮かび、彼がさっと指を振れば、それは一瞬でルシアナの目の前までやって来る。大きさはルシアナの拳ぐらいで、量としてはグラスの半分ほどだろうか。

(まさか……)

「……ルシアナなら、きっと知ってるよね。水の精霊が治癒の能力を持っていることを」

 精霊の言葉に、ルシアナは目を丸くする。

(ベルとの会話からもしかして、とは思ったけれど……契約者でもないわたくしを治してくださるの?)

 戸惑いつつ、はい、と答えられない代わりに首肯を返せば、彼はほっとしたように息を吐き出した。

「よかった。じゃあ、その水を飲んで。そうすれば、喉の傷も、腕の傷も、頬の腫れも引くから。あ、全部ちゃんと飲んでね! それが全快する量だから!」

(なんて……ありがたいことかしら)

 正式なお礼はあとで言おうと心に決め彼に目礼すると、目の前に浮かぶ水に手を伸ばす。両手を受け皿のようにして触れても水はその形を崩すことなく、ふよふよとした不思議な感触が伝わって来た。

「……ルシアナ」

 もうすぐ口を付ける、という直前で、レオンハルトがルシアナの腕を優しく掴んだ。視線を彼へ向ければ、心配と期待を不安が入り混じった眼差しを自分に向けている。

(大丈夫ですわ、レオンハルト様)

 ルシアナはレオンハルトに微笑を向けると、水の塊に口を付け、それを少しずつ飲み込んでいく。
 じわり、と体の奥深くに沁みていくものを感じながら水の塊をすべて飲み込むと、髪の毛の先や爪の先まで水が巡ったような、全身に水を纏い、体中が潤ったような感覚に包まれた。

「ルシアナ……?」
「――!」

 身を包む感覚にしばし呆けていたルシアナは、レオンハルトの呼びかけで我に返ると、心配そうに自分を見下ろすシアンの瞳を見つめる。

「れおん、はると、さま」

 声を発したのが久しぶりなせいか、思ったより舌足らずな感じになってしまったが、直接レオンハルトの名前を口にできたことが嬉しくて、ルシアナは満面の笑みを浮かべてレオンハルトに抱き着いた。

(レオンハルト様、やっと――)

「あー、ルシー。喜んでるところ邪魔して悪いが、先に人間の医者に診てもらえ。精霊が治したんだから問題はないと思うが」

 遠慮がちに聞こえた声にはっとベルを見れば、彼女は赤い瞳を細めて微笑んだ。

「私とこいつは一旦戻るから、落ち着いたらまた顔を合わせよう」
「えっ、おれはもう少しレオンハルトと――」
「戻るんだ」

 ベルに凄まれた精霊は、体を縮こまらせると、ちらりとレオンハルトへ目を向けた。

「落ち着いたら……おれのこと呼んでくれる……?」
「……ああ。必ず」

 しっかり頷いたレオンハルトに精霊は破顔すると、すっと姿を消す。それに続いてベルも姿を消そうとしたのを見て、ルシアナは反射的に「べる」と声を掛けていた。
 呼びかけて何を言おうとしたのか、自分でもわからない。なんだ、と問われても、答える言葉などない。それをベルもわかっていたのか、彼女はルシアナを見ると、ほとんど消えかけていた口元に笑み浮かべ、「またね」とだけ告げて姿を消した。

(ベル……)

 こうしてレオンハルトが目覚めた今、ベルに対して最初に抱く感情は“申し訳なさ”だった。レオンハルトが昏睡した原因であることに対し、飲み下せない感情があることは間違いない。しかし、結果としてレオンハルトは無事で、ベルの行動はルシアナへの愛ゆえだったのだ。

(一歩間違えれば……何か一つでもズレていれば最悪な結果になっていたわ。あのときの悲しみと絶望は、今でも鮮明に思い出せる。けれど……)

 ベルと過ごした十年以上の時間が、情が、もういいだろう、と訴えかけていた。
 レオンハルトの命に別状はなく、こうして無事目覚めたのに対し、いつまであのときのことを引きずっているのだ、と。
 ベルは変わらずルシアナのことを愛し、想っているのに、その愛情と優しさに甘えてはいないか、と。
 ベルを許しきれていないことに、どうしようもないほど申し訳ない気持ちになった。

(でも……、けれど……、だって……)

「……ルシアナ」

 出口の見えない感情の渦に飲み込まれていたルシアナは、自分を呼ぶ優しい声に、はっとレオンハルトを見つめる。
 目が合うと、レオンハルトは目尻を下げ、赤みの引いた頬を撫でた。

「いろいろあって……正直俺も混乱しているが、ベル様がおっしゃっていた通り、まずは貴女の状態を診てもらう」

 な? と微笑むレオンハルトに、ぐるぐると渦巻き、もつれるように絡まっていた思考と感情が、ゆるりと解けるのを感じた。

(そう……そうね。まずは一つずつ、ちゃんと向き合わなくてはいけないわ。冷静に、少しずつ。わたくしの感情と……ベルと)

 ルシアナは自分を落ち着けるように一つ深呼吸をすると、レオンハルトの言葉に同意するように首肯した。
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