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第十一章

レオンハルトの精霊(一)

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 ふわり、ふわりと優しく頭を撫でられる感覚に、ルシアナの意識は徐々に浮上する。

(……なにかしら……とても、あんしんする……)

 薄っすらと目を開け、ぼんやりと光る間接照明を眺めていると、頭を撫でていた手が頬に滑り落ちた。

「……起きたか?」

 上から降り注いだ温かな声に、ルシアナは落ちそうになった瞼を上げ、ゆっくり視線を動かす。
 薄暗い室内で、橙色の照明に照らされたシアンの瞳が優しく煌めいた。

「気分は悪くないか? ルシアナ」

 頬を撫でた指先が髪を梳き、柔らかな声が自分の名前を呼ぶ。
 ヘッドボードに寄りかかっていたレオンハルトは、自身の足に寄り添うように寝ているルシアナの頭を撫でながら、もう一方の手に持っていた書類をベッドの上に置いた。

「ゆっくり眠れたか? 先ほど陽が沈んだばかりだから、夕食までもう少し寝ていても……」

 途中で言葉を止めたレオンハルトは、眉尻を下げると、ルシアナの目元を撫でた。

「ルシアナ……」

 気遣わしげに名前を呼んだレオンハルトに、ルシアナはこぼれる涙を拭うことなく腕を伸ばし、震える手でレオンハルトの頬に触れる。
 ずっと冷たかったさらりとした頬からは確かな体温が伝わってきた。

(レオンハルトさま……?)

 ルシアナはぼたぼたと大粒の涙をこぼしながら震える体を起こし、両手でペタペタとレオンハルトに触れる。レオンハルトが本当に目覚めたのだということを確かめるように手を這わせていたものの、もしかしたら都合のいい夢かもしれない、と確信が持てず、ルシアナは思い切り自分の頬を打った。

「ルシアナ!」

 大人しくされるがままになっていたレオンハルトは、突然のルシアナの奇行に慌てて手首を掴むと、もう一方の手を顎に当て、上を向かせた。

「なんてことを……! 貴女は怪我を負っていて、体が弱ってるんだぞ!?」

 悲痛そうに顔を歪めたレオンハルトは、ルシアナの腕から力が抜けたのを確認すると手首を放し、両手でルシアナの頬を包んだ。

(……きもちいい……)

 打たれたことで熱くなった頬に、少し冷たいレオンハルトの手が触れ、ひんやりとして気持ちがよかった。

(これは、ゆめでは、ないわ……おうたいしでんかが、いらっしゃって……レオンハルトさまがめざめたと、しらせをうけて……)

 どんどん強くなっていくひりひりとした肌の痛みに、夢心地でぼんやりとしていた意識が徐々にはっきりとしていく。

(……レオンハルトさま)

 どこか怒りを滲ませた眼差しで自分を見つめるレオンハルトを、ルシアナはじっと見つめ返す。
 頬を包む彼の手はかすかに震えていて、口は言葉を探すように、開いては閉じを繰り返していた。
 ルシアナは、そんなレオンハルトを静かに見つめながら、自ら打ったほうの頬をレオンハルトの手にすり寄せる。それにびくりと肩を揺らしたレオンハルトは、何かを押し殺すように深く息を吐き出すと、ぐっと顔を寄せた。

「……頼むから、自分を痛めつけたり、苦しめたりするようなことはやめてくれ。今後二度とこんなことはするな。……いいな?」

 怒りだけではない、悲しみも含んだ鋭い眼差しに、レオンハルトを傷付けてしまっただろうか、とルシアナは眉尻を下げる。
 それをどう受け取ったのか、レオンハルトは、はっとしたように目を見開くと、頬から手を退かし、ルシアナを優しく抱き締めた。

「すまない、貴女に怒ったわけじゃ……いや、まったく怒っていないわけではないが、ただ貴女の身を案じただけで……」

 一度言葉を区切ったレオンハルトは、小さく「くそ」と漏らすと、抱き締める腕に力を込めた。

「うまく……自分の感情が処理できてないんだ。貴女を心配しているのに……心配しているからこそ、自ら頬を打った貴女に怒りが湧いて……腹が立って仕方がない。なんでそんなことをするんだと、俺が何よりも愛して大事にしているルシアナを傷付けるなど、貴女自身でも許せないと……そう思ってしまって……」

 ルシアナに怒りを感じてしまっている自分にさらに怒りが湧いてくる、と小さく漏らしたレオンハルトに、ルシアナはその体を抱き締め返す。

(怒ってくれていいと……自分の行動が軽率だったと伝えたいのに……)

 もし目の前でレオンハルトが同じ行動を取ったとしたら。自ら頬を打つようなことをしたとしたら。当然、ルシアナだって怒ったことだろう。「なんでそんなことをしたんだ」と詰め寄ったに違いない。

(レオンハルト様。レオンハルト様は悪くありませんわ。わたくしが考えなしだったのです。わたくしを想って抱いた怒りなら、わたくしに全部ぶつけてくださいまし……と、話せたらすぐに伝えるのに……)

 ルシアナは軽くレオンハルトの背中を叩くと、体を引く。意図が伝わったのか体を離したレオンハルトに、ルシアナは微笑を向けると「構いません」と口だけ動かした。
 伝わらなくてもいいと思ったが、なんとなく、レオンハルトには伝わるような気がした。
 しかし、レオンハルトはルシアナが何を言ったのかよりも、その行動自体に思うところがあったようで、深刻そうに眉間の皺を深め、そっと喉に触れた。

「本当に……いや、その前に頬だな。何か冷やすものを――」
「必要ない」

 突如聞こえた声に、レオンハルトは素早くルシアナを抱き寄せると周囲に視線を走らせた。が、声の主が誰だったのかはすぐにわかったようで、レオンハルトの腕の力はすぐに弱まる。
 その一方で、ルシアナは体を強張らせながら、レオンハルトのシャツを掴んだ。

(ベル……)

 あの日のことは、ベルが悪いわけではない。
 故意でやったわけではないし、ベルに非はない。
 そう理解しつつも、どうしてもレオンハルトが倒れた瞬間のことが頭をよぎり、体に力が入ってしまう。
 目敏いベルは、ルシアナの緊張と警戒に気付いたようだったが、特にそれに言及することなく、後ろを振り返った。

「ほら、さっさと出てこい」

 誰もいない空間に向かって声を掛けたベルに、ルシアナは一拍置いて、あ、と口を開ける。
 景色が一瞬歪み、水面のように揺れたかと思うと、その歪みは徐々に大きくなり、何かを形作っていった。

(あの方が、レオンハルト様の……)

 本来の姿である、大人の姿で立つベルの斜め後ろに、ベルとほとんど背丈の変わらない青年が姿を現した。

「……こんにちは、レオンハルト。それから初めまして、ルシアナ」

 澄んだ湖面のように美しい青い瞳を細めながら、青年は遠慮がちに微笑んだ。
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