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第十一章

精霊と契約者、のそのとき(二)

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「――ルシアナッ!」

 彼女の体がぐらりと前へ倒れ込んだのを見て、急いでルシアナの元に駆け寄ろうとする。しかし、ずっと寝ていた体はそれに反応できず、半端に動いた体はベッドに手をついただけで、今からベッドを降りてもとても間に合いそうにない。

「ルシアナさん!」

 ルシアナの後を追って来ていたらしいユーディットの叫び声を聞きながら、自分の無能さに心の中で悪態をついていると、突然彼女の体が炎の渦に包まれた。
 ルシアナに手を伸ばそうとしたユーディットをディートリヒが引き寄せ、背後に隠したのを視界の端で捉えながら、レオンハルトはふっと肩の力を抜く。もう少しで床についてしまいそうだった彼女の体は炎の渦によって宙に浮き、うつ伏せだった姿勢が仰向けに変わる。
 炎の渦が治まり始めると、仰向けになったルシアナを横抱きするように人の姿が現れた。

「……ベル様」

 安堵の息を漏らしながら、あまり見慣れない大人の姿をしたベルの名を呼べば、ベルは小さく鼻を鳴らした。
 宙に浮いたまま近付いたベルは、ベッドに手をついたままのレオンハルトを見下ろすと顎をしゃくる。

「……え、――あ」

 一拍置いてベルの行動の意味を察したレオンハルトは、急いで上体を戻すと自分の横を空けるように上掛けを捲る。
 しかし、ベルは不満そうに眉を寄せるだけでルシアナを下ろす素振りを見せない。
 違っただろうか、と思っていると、ベルは深い溜息を漏らし「エーリク」と近くに控えていたエーリクの名を呼んだ。それだけで通じたのか、エーリクはベルに対し頭を下げるとレオンハルトに一歩近付いた。

「失礼いたします、旦那様」
「……ああ」

 よく理解できないまま頷くと、エーリクはレオンハルトの下半身を覆っていた上掛けをさっと剥がす。それが正解だったのか、ベルは再び動き出すと、ルシアナをレオンハルトの上に横向きに座らせた。
 足の上のわずかな重みに、反射的にその体を抱き締めていた。

「……右腕と喉を怪我してる。気を付けて触れ」

 はっとベルを見れば、彼女は、ふん、と鼻を鳴らし姿を消す。
 火の粉のような赤い光の粒が煌めいている空中を見つめながら、“あの日”ルシアナの右腕から血が出ていたことを思い出したレオンハルトは、素早く腕の力を抜き、自分と彼女の間に挟まっている右手を取る。

(怪我……魔法薬を使わなかったのか? 何故――)

「おーい。取り込み中のとこ悪いが、すぐ帰るからもう少し近くでお前の顔を見てもいいか?」

 遠くから聞こえた間の抜けた、そして馴染み深い声に、レオンハルトはそちらへと目を向ける。ターコイズグリーンの瞳を細めたテオバルドに、レオンハルトはルシアナの手を握る指先にわずかに力を入れると、背筋を伸ばし大きく頷いた。

「……ああ。むしろ立たせたままですまない。エーリク――」
「いい、いい。本当に顔だけ見るつもりだったんだ。愛しい妻の寝顔をよその男に長く晒すのも嫌だろうし、本当にすぐ帰る」

 テオバルドは片手を挙げながら室内に入ると、素早くルシアナの顔が見えない背中側に回り、レオンハルトの顔を覗き込む。

「ふむ……ルシアナ殿には先ほどちらっと会っただけだが、お前のほうが顔色が良さそうだな?」

 ルシアナを起こさないよう気を遣っているのか、声を潜めながら言われた言葉に、レオンハルトは腕の中のルシアナを見下ろす。
 確かに、いつも艶やかだった彼女の肌はややかさつき、目の下には隈が縁取っている。ふわりとした髪も、いつもより水気がなくパサついていた。
 普段はしっとりと濡れている唇に指先で触れれば、乾いた皮膚の感触が伝わって来る。

(……ルシアナ)

 まじまじと見てみれば、ルシアナはすっかり疲弊し、やつれてしまっている。その様子に思わず眉根を寄せれば、テオバルドが眉間を軽くつついた。

「お前が暗い顔してどうする。俺も詳しいことは聞いてないが、ルシアナ殿がぐったりしてるのはお前が寝込んでたからだろ? 具合が悪いなら隠すべきじゃないが、ルシアナ殿のことを想うなら、お前は明るく振る舞っとけ。具合が悪いわけじゃないならな。不調は隠すなよ。まぁ、騎士団の団長であるレオンハルトなら、不調を隠すことがどれほど悪手かわかってるだろうが」

 テオバルドはうんうんと頷きながら、いつも通り一人で喋り続ける。

「そうそう、後々になって気になるかもしれないから先に言っておくが、お前が昏睡状態だったことを知ってるのは、シルバキエ公爵家の使用人と伯父上、伯母上、それから当時この邸にいたコニーと、セザールという魔法術師、あとは俺とヘレナと父上、母上だけだ。早めに休暇取ってたのが功を奏したな。一応、お前に関する情報や噂を探らせてるが、今回のことに関するものはなかったから安心していい」
「……そうか」
「まぁ、詳しいことはあとで伯父上たちに聞くといい。寝てるレオンハルトを見舞いに来たのに、思いがけず言葉を交わせてよかった。ルシアナ殿にも伝えたが、二人が全快したらヘレナと四人でまたお茶を飲もう。また連絡する。じゃあな。あ、見送りはいいですから」

 口を挟む隙もなくまくし立てたテオバルドは、ディートリヒたちを手で制すとさっさと扉のほうへと向かう。その背中に「テオ」と声を掛けると、テオバルドは振り返り首を傾げた。

「ありがとう」
「おう」

 にっと歯を見せて笑ったテオバルドは、片手を挙げ部屋を出て行った。
 エーリクに目配せすれば、彼は軽く頭を下げ、すぐにテオバルドを追っていく。

(気を遣わせたな。……休暇に入る前に何か礼をしなければ)

 腕の中でわずかに身じろいだルシアナの頭に口付けながら、冷静な思考を取り戻させてくれたテオバルドに、心の中でもう一度感謝した。
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