上 下
176 / 218
第十章

報告(二)

しおりを挟む
「ブロムベルク公爵家の令嬢と他二名の伯爵家の令嬢は、貴女に直接暴言吐いたわけでも、何か危害を加えたわけでもないから、こちらから何かを要求するようなことはしてない。が、ブロムベルク公爵家は北西部の男爵家に娘を嫁に出したそうだ」
「……そうですか」

 同じ貴族とは言え、公爵家と男爵家では大きな身分差がある。レオンハルトの妻の座を望んでいた彼女にとっては、これ以上ないほどの屈辱ではないだろうか。

(狩猟大会でも、最後のパーティーでもお見かけしなかったから、もしかしたら謹慎処分を受けているのかも、と思っていたけれど……)

 そこまで考えて、ルシアナは、はっとしたようにレオンハルトから体を離す。レオンハルトの厚い胸板に手を置きながら、彼を見上げた。

「北西部というのは、もしや……」
「ああ。十年前、北方を戦場と化した元凶の国、旧シュリシモ王国があった場所だ」
「旧シュリシモ王国に住む者たちは、その土地から生涯出ることが許されないと聞きましたが」
「現状はそうだな。だが、いつまでも続けていては、いずれそれが新たな禍根となる。だからいずれはその禁則もなくなるだろう。……男爵夫人となったあの者が生きている間に撤廃されるかはわからないが」

 自身に縋るルシアナの手を取り、腰に回した腕に力を込めながら、レオンハルトはルシアナの目尻に優しい口付けを落とした。

「貴女が気にするようなことではない。下の者が間違った行いをしていたら、それを諭すのが上に立つ者の役目だ。それを怠った時点で、同情の余地はない」
「……ええ、その通りですわ」

 ルシアナは短く息を吐くと、自分の手を取るレオンハルトの手の甲に頬をすり寄せた。

「レーブライン伯爵令嬢とデデキント伯爵令嬢もあの日以降お姿を見ていませんが、お二人も似たようなことに?」
「ああ。それぞれ地方の貴族の後妻に入ったと聞いた。中央に出てくるような家門ではないそうだから、あの者たちと会うことももうないだろう」

 すり寄って来たルシアナの頬に手を添えたレオンハルトは、親指の腹でふっくらとした唇を撫でた。

「今更だが……あのときは、貴女を矢面に立たせるようなことをしてすまなかった。事実ではないし、将来的なことを考えたら、最初にいろいろとあぶり出しておくほうがいいと思ったんだ」

 後悔の滲む眼差しを向けられ、ルシアナは温かな笑みをレオンハルトに返す。

「先ほど話しづらそうにしていたのは、そのことを気にしてですか?」
「それもあるが、あの者たちの名を貴女の耳に入れたくなかった。……社交の場で、貴女を扱き下ろすようなことを散々言っていただろう。そして、貴女もそれを聞いていた。そのことを思い出してほしくなかった」

 するりと頬を撫で、そのままルシアナの髪の毛を一房手に取って口付けたレオンハルトに、ルシアナは、ぱち、ぱち、と瞬きを繰り返す。

(確かに……いろいろ言われていたけれど……)

「わたくしは気にしていませんわ。レオンハルト様もおっしゃっていた通り事実ではありませんし……」

 ふと、ガーデンパーティーで彼女たちが言っていた言葉が思い出された。

『あのような様子で妻としての役割を果たせるのかどうか』
『愛らしさは武器になりますが、あれでは男性もその気にはなれませんわ』
『夫婦となる以上、女として夫を悦ばせられなくては』
『日々の癒しにはよろしいのでは? 幼子を見ていると、心が温かくなるでしょう?』

(そういえば、そんなこともあったわ)

 これらを言われた当時はレオンハルトとこんな風に愛し合う仲になるとは思っておらず、気にも留めていなかった。そのせいか、どれが誰の言葉だったのか、もはや思い出せない。

「ルシアナ? どうした?」

 途中で言葉を止めたからか、レオンハルトが心配そうにルシアナを窺った。
 ルシアナは、じっとレオンハルトを見つめると、彼の手中から逃れ、彼の足を跨いで向かい合うように座った。
 驚いたように目を見張るレオンハルトの首に腕を回しながら、ルシアナは小首を傾げる。

「レオンハルト様。わたくしは妻として、レオンハルト様を悦ばせることができていますか?」
「貴女の存在自体が、俺にとっては至上の喜びだが……」

 ルシアナを抱き締めながら、不思議そうにするレオンハルトに、これは話が噛み合っていないな、とルシアナは笑みを漏らし、緩く頭を横に振った。

「言い方を変えますわ。レオンハルト様は、わたくしの体で満足されていますか?」
「――は?」

 一瞬、ぽかんとしたレオンハルトだったが、すぐにその目を鋭く細め、抱き締める腕に力を込めた。

「あいつらに何を言われた」

 低い声で怒りを滾らせ、今にも噛み付きそうな勢いのレオンハルトに、ルシアナは穏やかな微笑を湛えると、人差し指を彼の口元に当てた。

「言われたことはどうでもいいのです。レオンハルト様がどう思っていらっしゃるのか、わたくしが気になるのは、そこだけですわ」

 レオンハルトがよくやるように、指の腹で彼の薄い唇を撫でる。
 すると、レオンハルトはその手を掴み、指先に軽く口付けながら、射貫くようにルシアナを見つめた。

「俺は身も心も貴女に溺れている。貴女だけが俺に熱を与え、喜びを与える」

 レオンハルトは指を絡めながら手を握ると、鼻先が触れ合うほど顔を近付けた。

「……昨日散々抱かれておいて、俺が満たされていないと、本気で思ってるのか?」

 射竦めるような視線に、ルシアナは柔らかな笑みを浮かべると、レオンハルトの唇に軽く口付けた。

「いいえ、レオンハルト様。決して。決してそのようなこと思いませんわ」

 納得しているのか、していないのか、レオンハルトは眉を寄せながら、ルシアナの唇を食む。ときに舐め、軽く噛み、薄く口を開けたところですかさず舌を侵入させる。

「ぅん、ん……っ」

 自身の気持ちを刻み付けるように激しく口内をねぶるレオンハルトに、ルシアナはただ大人しくそれを受け入れる。
 互いの唾液を交換するように舌を擦り付け合いながら、ルシアナは心の中で小さく笑んだ。

(……やっぱり、彼女たちが言ったことは、何も事実ではなかったわ)

 ただ真っ直ぐ自分を愛し求めてくれる愛しい人の熱を感じながら、ルシアナはそっと目を閉じた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?

すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。 一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。 「俺とデートしない?」 「僕と一緒にいようよ。」 「俺だけがお前を守れる。」 (なんでそんなことを私にばっかり言うの!?) そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。 「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」 「・・・・へ!?」 『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。 ※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。 ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら

夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。  それは極度の面食いということ。  そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。 「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ! だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」  朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい? 「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」  あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?  それをわたしにつける??  じょ、冗談ですよね──!?!?

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...