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第九章

初めての訪問(二)

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(……?)

 何も反応がなく、ルシアナは首を傾げる。
 もう一度、今度は強めにノックしてみる。
 それでも反応がなく、ルシアナは辺りを見回した。

(……もうお戻りになられたと報告を受けたけれど……)

 誰かに聞こうかと思ったものの、夜だからか周りに人気はない。
 少し迷ったすえ、ルシアナは取っ手を掴む。鍵はかかっていないようで、ルシアナは「失礼します」と一言断ってから、そっと扉を開けた。
 レオンハルトの寝室は、右側に暖炉と談話スペースがあり、左側にベッドやチェスト、カウチソファなどが置かれていた。暖炉を挟むようにしてある壁掛け照明と、ベッドの近くにある背の高い照明のみが室内を照らしており、中は薄暗い。橙色の照明はそれなりの明るさがあるはずなのに、光の届かない場所は闇が広がっているようにも見えた。

(壁紙が暗いせいかしら。黒……いえ、紺色だわ)

 暖炉のレンガが白いおかげで、部屋全体の印象が暗くなりすぎていない。
 この部屋の色味を見ると、大人っぽくてシックだと思っていた自分の寝室が、少し華やかにも思える。

(レオンハルト様は入浴中だったのね)

 隣室から漏れ聞こえるわずかな音に気付き、ルシアナは、ほっと息をつく。
 ワゴンを引きながらそろそろと室内に足を踏み入れると、音を立てないように扉を閉めた。
 談話スペースにあるテーブルの近くでワゴンを止め、テーブルの上に果物の入った器やグラスをセッティングしていく。ソファは二、三人掛けのものと一人掛けのものが向かい合っており、二、三人掛けのほうにグラスを並べた。
 並んだグラスを見ながら、向かい側ではなく隣に座れるようになったことに、改めて喜びを感じた。
 満足そうに微笑んだルシアナは、ダークブラウンの革張りのソファに座る。
 座った途端、どうにも気恥ずかしくなり、そわそわと体が揺れた。

(だめ。だめよ。最初は真面目なお話をするの。いえ、最初も何もないわ。とにかく真面目なお話を……けれど、約束をしたからキスはしたいわ……!)

 キスをするようになってから、レオンハルトは口付けのたびに特別なキスをしてくれた。そのせいか、いくら他の場所に口付けられても、特別なキスがないと物足りなくなってしまったのだ。
 キスをするようになってからそれほど日が経っていないというのに、すっかり躾られてしまったようだ、とルシアナは両頬に手を当てる。

(落ち着いて。深呼吸をするのよ)

 す、と息を吸い込んだところで、後ろでガチャリと扉の開く音がした。
 暖炉側の壁の奥に見えた扉が開いたのだろう。
 ルシアナは硬直したように、ぴたりと動きを止める。
 レオンハルトも固まっているのか、気配はあるのに動く様子がない。

(そうよね、入浴中に侵入されているとは思わないものね)

 外で待っていたほうがよかったかもしれない、と思いながら頬から手を退かすと、同じタイミングで扉の閉まる音が聞こえた。
 静かな足音を聞きながら、ルシアナもゆっくりと立ち上がる。ルシアナが振り返るタイミングと、足音が止まるタイミングも同じだった。
 レオンハルトは濃藍色のナイトガウンに身を包み、肩にはタオルが掛かっている。髪はまだ乾ききっていないようで、しっとりと濡れていた。
 ルシアナを見つめるシアンの瞳は、いつも通り静かだ。
 ルシアナはソファを避けてレオンハルトの傍まで行くと、両手を広げる。レオンハルトは表情を変えることなく、そうすることが当たり前だというように、ルシアナを抱き上げた。

「ふふ……」

 ルシアナは小さく笑うと、肩にあるタオルを取ってレオンハルトの髪に当てる。

「おかえりなさいませ、レオンハルト様」
「ああ。ただいま」

 レオンハルトは、ふっと目尻を下げると首を伸ばす。レオンハルトの髪の水気を取っていたルシアナは、手を止めると顔を近付け唇を重ねる。するとすかさず、舌が唇を割って入ってきた。

「ン……」

 先ほどまで風呂で温まっていたからか、レオンハルトの舌も、吐かれる息も、とても熱い。
 ずっとこうしたかったとでもいうように、レオンハルトはルシアナの口腔中を舐め上げ、舌を深く絡ませる。ねっとりと舌同士が絡み合い、流れた唾液を飲み込むようにレオンハルトの喉が上下した。

「ん、ふ」

 ぢゅ、ぢゅ、と舌を吸われ、甘い痺れが腰に溜まっていく。
 これ以上はだめだと思ったルシアナは、レオンハルトの肩を押し顔を離す。

「ルシアナ……」

 先ほどまで涼しげだった瞳には熱が灯り、彼はそのままルシアナの首元に顔をうずめると口付けを繰り返す。

「あ、ま、お待ちください……! お話したいことが……っ」

 かりっと鎖骨に歯を引っかけられ、びくりと体が跳ねる。レオンハルトはゆっくり顔を上げると、ルシアナの顎に口付けた。

「わかった」

 レオンハルトはあっさり引き下がると、ルシアナをソファに下ろし、その隣に座った。
 あまりにもすんなり解放され、安堵とともに残念な気持ちにもなる。
 ちらりと窺えば、彼はタオルで髪を拭きながら、空いた手で酒のボトルを手に取っていた。

「王太子妃殿下に勧められたものだな。……余計なことをしたか?」
「いえ、まさか! あのときは助かりましたわ。改めて、ありがとうございました」
「……そうか」

 どこか安堵したように息を吐いたレオンハルトに、ルシアナは身を寄せると、その顔を覗き込む。

「わたくしが発泡性のものが苦手だと、何故ご存じだったのですか?」
「刺激物が苦手そうだというのは、共に食事をしていて気付いた。そのあと、マトス夫人やエーリクにも確認を取ったからな」

 ルシアナを見下ろしたレオンハルトは、触れるだけのキスを唇にする。

「……貴女の前にもグラスがあるが、これを注いでいいのか?」
「ええと……味は気になるのですが、一杯は飲めないと思うので、一口分だけ――ン」

 言い終わる前に、唇を啄まれる。レオンハルトは、それから数度唇を食むように口付けると、顔を離しボトルを開けた。
 ルシアナはぼんやりと、グラスに酒が注がれていく様子を眺める。
 王城のバルコニーにいたときは、レオンハルトだけ好きに口付けられるのが羨ましかった。自分だってレオンハルトに口付けたい、と思ったはずだった。

(なのに、いざこうなってみると、レオンハルト様からのキスでいっぱいいっぱいになってしまうわ。……タイミングも、わからないし)

 レオンハルトが次にこちらを見たタイミングでしてみようか、と考えていると、彼はルシアナのグラスに酒を注ぐことなく、自分のグラスに入った酒を口に含む。そしてそのままルシアナに目を向けると、顎を掴んで上を向かせた。
 え、と思ったのも束の間、彼は唇を重ねると、薄く開いたルシアナの口内に何かをゆっくり流し込んだ。

(――!)

 鼻から抜ける桃の風味に、それが酒であることを理解する。
 レオンハルトから流し込まれたものは、口の中でパチパチと弾けるあの感覚がほとんどなく、甘い桃の風味だけが喉を通って落ちていった。
 与えられたものを全部飲み込むと、レオンハルトは舌を入れ、ルシアナのそれを舐めた。緩く舌を絡ませ、すぐに口を離す。

「どうだ? 味はわかったか?」

 目を細めて尋ねるレオンハルトに、ルシアナはただ頬を染め、無言で頷いた。
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