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第六章

姉妹の時間、のそのころ(四)

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 まるで永遠にも感じるほどの一瞬の静寂ののち、目の前の人物は口角を徐々に上げ、何かを堪えるようにひくひくと頬を震わせた。

「……だからお前には言いたくなかったんだ」
「ふっふ――んんっ、いや、悪い。別に、っふ……お前が可愛い新妻に骨抜きにされてるのを見て愉しんでるわけじゃなくてだな……っクク、ただ……はー、人間らしくなってきて嬉しいという気持ちが、少し変な感じで溢れ出ただけだ」

 漏れる笑いを隠すつもりがあるのかないのか、両手で頬をこねるテオバルドを見ながら、レオンハルトはわずかに眉を寄せた。

「……以前、父にも似たようなことを言われた。『人らしくなった』と。お前たちの言う“人らしい”とはなんだ」
「別にそのままの意味だけどなー。俺も、おそらく伯父上も」

 テオバルドは頬をこねるのをやめると、にやりと目を細め、テーブルに肘をついた。

「俺はさ。人間っていうのは、己の感情を抑えて、理性的に思考し行動できる生き物だと思ってる。だが、その一方で、己の感情に従って、ときに愚かな行動をしてしまう生き物だとも思ってる。十年前の戦争とか、昨夜のブリギッテ・クレンベラーとかな」
「……俺の行動はそんなに愚かなことだったか?」
「違う違う! 大事なのはさ、“感情”っていう部分だ。理性的に思考し行動できたとしても、実際にははらわたが煮えくり返ってることもあるし、自分の感情だけで物事を決めていいなら理性的な考えなんて全部蹴散らしてやりたいと思うこともある。そういう、抑えなければ暴発してしまいそうな“感情”を持ってるのが、人間なんじゃないかって話」

 何を言っているのか理解できない、という表情を浮かべるレオンハルトに、テオバルドは眉尻を下げながら息を吐く。

「お前に感情がなかった、とまでは言わないが、お前はあまり物事に興味がなかっただろう。好き嫌いで何かを判断することはないし、お前はいつだって、その時、その場に最適な言動をする。もちろん、それに俺も周りも助けられてるし感謝もしてるが、心配をしてこなかったわけじゃない」

(……心配、か)

 確かに、テオバルドは幼いころから何かとレオンハルトを気にかけていた。テオバルドが自分を気遣ってくれていることは知っていたが、それはテオバルドの気質からくるものだと、それ以上深くは考えて来なかった。

(……なるほど、人らしい、か)

 こういった、他者の感情や想いについて気付くことができるのも、“人らしい”ということなのだろう。これまで他者の気持ちを軽んじたことは一度もないつもりだが、周りからは情のない人間のように見えたこともあったかもしれない。
 これまで生きてきた二十六年を思い返すように一人考え込んでいると、「だからさ」とテオバルドが明るい声を出した。

「俺はお前がルシアナ殿のことを考えて、彼女のことを想って行動をしてる姿を見ると嬉しくなる。お前も、感情を伴うほどの大切なものができたんだって」

 穏やかに細められた、きらきらと煌めくターコイズグリーンの瞳を真正面から向けられ、レオンハルトはわずかに眉を下げた。

「テオには……いろいろと気苦労をかけたな」
「ははっ、いい、いい。それ以上に俺が迷惑をかけてるからな!」

 からっと笑うテオバルドに小さな笑みを返すと、レオンハルトは視線を下げる。ブローチの下にある、かすかに皺の付いた紙を見ると、ゆっくり息を吐き出した。

「……ブリギッテ・クレンベラーについてだが、トゥルエノ側から何かしらの要請がないのなら、父の領地にある北の果ての修道院に入れようと思う」
「ずいぶんと寛大な処置だな? ルシアナ殿に最初に謗言を吐いた男は、舌を切り落としたり何なりしたのに」
「いや、舌は切る。あと喉と目も焼こう」
「……それでも寛大じゃないか? 処刑されてもおかしくはないくらいの罪ではあるぞ」
「彼女に関するめでたい出来事を血で汚したくない。無論、トゥルエノ側が処刑を望むのであれば……来年の王都の社交界が開幕する前に執行しよう」

 上体を起こし、椅子に深く座り直したテオバルドは、顎を撫でながら首を傾げる。

「ルシアナ殿が望んだ場合は?」
「今年の社交が終わったらすぐに執行する」
「ふむ……なるほどな。わかった。トゥルエノ側から言及があったら、それとなくお前の意向は伝えておく」
「ああ、頼む」

 テオバルドは、再び魔石の表面を右に二回撫でると、ブローチを内ポケットにしまう。

「これで、お前の用事はすべて終わったのか?」
「いやいや、正直こっからが本番だ」

 まだ何かテオバルドと話すことがあっただろうか、とここ最近のことを思い返していたレオンハルトは「ああ」と小さく漏らす。

「狩猟大会準備の視察か? 東地区は確認が終わってるから、今すぐにでも――」

 立ち上がろうとしたレオンハルトの腕を、テーブル越しに素早く掴む。

「レオンハルトは、俺がそんな真面目な人間だと思うのか?」
「……いつもやるべきことはきちんとやってるだろう」

(視察、ではなさそうだな)

 大人しく再び腰を下ろせば、テオバルドは手を離す。テーブルに乗り出したままのテオバルドは、一瞬幕舎の入り口に目を向けると声を潜めた。

「お前、子どものことはどうするつもりだ?」
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