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第五章
静かな夜(二)
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「わたくしも、よろしいでしょうか」
小さな声だったが、近くにあった彼の耳にはしっかりと届いていたようだ。
名残惜しそうに一度強く抱き締めたあと、レオンハルトはそっと体を離す。離して、ルシアナの顔を見たレオンハルトは、わずかに目を見開いた。
「……ルシアナ?」
優しい声に、ただでさえ熱い顔が、さらに熱を持つような感覚になる。
きっと、月明かりしかない中でも、赤く染まった頬が丸わかりだろう。そう思うと、余計恥ずかしくなる。
本当に言っても大丈夫だろうか。
不安で、レオンハルトのガウンの袖を掴んでしまう。
「どうした?」
ゆっくりでいいと示すように、穏やかな声色で問いかけるレオンハルトに、ままよ、と深く息を吸う。
「――口付けを、お願いしてもよろしいでしょうか」
目を逸らさずに、はっきりとそう告げれば、彼は目を見張り、喉を上下させた。
挙式で額に口付けてほしいと頼んだのはルシアナだった。
特に何か深い理由があったわけではなく、ただなんとなく、その場面を想像したら気恥ずかしいような気がして、口付けは額でもいいか尋ねた。レオンハルトはその理由を問うことも、何か気にした様子もなく頷き、誓いのキスは額へと落とされた。
だからこそ、レオンハルトには伝わっただろう。
ルシアナが、一体どこへの口付けを懇願しているのか。
(あ……)
レオンハルトの涼しげな瞳に、小さな熱が灯ったような気がした。レオンハルトはそっとルシアナの頬に手を添えると、親指の腹でその滑らかな肌を撫でる。
徐々に顔が近付いてきたものの、鼻先が触れる直前で、彼は動きを止めた。
「……違ったら殴ってくれ」
そう囁くように呟くと、薄い唇をルシアナのそれに合わせた。
たったそれだけのことなのに、これまで感じたことのない幸福が胸の奥に広がっていく。
(わたくしにとって、レオンハルト様は唯一の方だわ)
生涯、自分の夫はレオンハルトのみ。
その想いが、より一層強くなった。
少しして唇が離れたかと思うと、角度を変えて再び重ねられた。短いキスを何度か繰り返したのち、レオンハルトの顔は離れたが、彼は頬に添えていた手を退かすと、指の背でルシアナの下唇を押し上げた。
「口を開けて」
(……口を……?)
人に向けて口を開けるなど、はしたなくはないだろうか。
そう思ったものの、あまりにも真っ直ぐ見つめてくる視線に、ルシアナはおずおずと口を開く。羞恥もあり、開いた隙間はわずかだが、レオンハルトは目を細めると指を退かし、再び顔を近付けた。
果たして口を開く意味はあったのだろうか、と思ったが、その疑問は唇が重なった瞬間すぐに解消される。
「っ……!?」
ぬめりとしたものが口腔内に侵入し、思わず目を見開く。
(な、なに……)
硬直するルシアナとは対照的に、口の中に侵入したものが動きを止めることはなかった。
ルシアナの並びのいい歯列をなぞり、柔らかな頬の内側を撫で、驚きで奥へと引っ込んだ舌を絡めとられたところで、口の中にあるものがレオンハルトの舌であることを理解する。
「ふ、ン」
口の端から、意図せぬ声が漏れた。
訳もわからず、ただされるがまま、口腔内を蹂躙される。
呼吸もままならず、次第に頭がぼうっとしていった。
(っ息が……っ)
「ン、んん……っ」
ルシアナが苦しそうな声を漏らすと、余韻を残すように唇を吸って、レオンハルトが離れた。やっと満足に吸える酸素に、肩が上下する。
離れたレオンハルトの唇は、艶やかに濡れていた。
外気に触れた唇が少し冷たく、自分も同じように濡れていることがわかる。
「い、まのも、キス、ですか……?」
乱れた呼吸を整えながら、今言うべきはこれだっただろうか、という疑問が頭をよぎる。しかし、思考停止気味の脳ではこれ以外何を言えばいいのかわからない。
レオンハルトが目を瞬かせたのを見て、やはりおかしなことを言っただろうか、と思ったが、彼はすぐにその口元に緩い弧を描いた。
「ああ。恋人や夫婦などが交わす、特別なキスだ」
「とくべつ……」
ルシアナの知るキスは、軽く唇を触れさせるものだけだった。家族がよくしてくれた、額や頬への親愛の口付け。口同士の経験はなかったが、それもただ唇を合わせるだけだと思っていた。
(口へのキスは特別な相手とだけ、と言われてきたけれど、こういうことが理由だったのね……)
いまだ呆けているルシアナの唇に、レオンハルトの指が触れる。その指先が想像以上に熱く、どくり、と心臓が脈打った。
先ほどは何が起きているのかわからず、状況を何一つ理解できなかったが、冷静に思い返してみればすごいことをしてしまったのではないだろうか。
(特別な、キス……)
レオンハルトの言葉を反芻し、体の芯から熱が込み上げてくるようだった。
彼のガウンを掴む手が、わずかに湿っていくのがわかる。きゅ、と口を閉じれば、思いがけずレオンハルトの指の腹も巻き込んでしまった。
彼は短く息を吐き、腰に回した腕に力を入れて、再び顔を近付けた。しかし鼻先が触れる直前で動きを止め、それ以上は動こうとしない。
許しがなければこれ以上はしない。
そう言っているようだった。
(そんな目で、見ているのに)
許してほしいと。もう一度させてほしいと。
いつも静かな湖面のような瞳を波立たせているのに。
「――レオンハルト様」
名前を呼んだことで、レオンハルトの指が解放される。彼はその指先で、形をなぞるようにルシアナの唇を撫でた。
「もう一度、特別なキスをしてください」
言い終わるや否や、レオンハルトは指を退かし口付けた。
小さな声だったが、近くにあった彼の耳にはしっかりと届いていたようだ。
名残惜しそうに一度強く抱き締めたあと、レオンハルトはそっと体を離す。離して、ルシアナの顔を見たレオンハルトは、わずかに目を見開いた。
「……ルシアナ?」
優しい声に、ただでさえ熱い顔が、さらに熱を持つような感覚になる。
きっと、月明かりしかない中でも、赤く染まった頬が丸わかりだろう。そう思うと、余計恥ずかしくなる。
本当に言っても大丈夫だろうか。
不安で、レオンハルトのガウンの袖を掴んでしまう。
「どうした?」
ゆっくりでいいと示すように、穏やかな声色で問いかけるレオンハルトに、ままよ、と深く息を吸う。
「――口付けを、お願いしてもよろしいでしょうか」
目を逸らさずに、はっきりとそう告げれば、彼は目を見張り、喉を上下させた。
挙式で額に口付けてほしいと頼んだのはルシアナだった。
特に何か深い理由があったわけではなく、ただなんとなく、その場面を想像したら気恥ずかしいような気がして、口付けは額でもいいか尋ねた。レオンハルトはその理由を問うことも、何か気にした様子もなく頷き、誓いのキスは額へと落とされた。
だからこそ、レオンハルトには伝わっただろう。
ルシアナが、一体どこへの口付けを懇願しているのか。
(あ……)
レオンハルトの涼しげな瞳に、小さな熱が灯ったような気がした。レオンハルトはそっとルシアナの頬に手を添えると、親指の腹でその滑らかな肌を撫でる。
徐々に顔が近付いてきたものの、鼻先が触れる直前で、彼は動きを止めた。
「……違ったら殴ってくれ」
そう囁くように呟くと、薄い唇をルシアナのそれに合わせた。
たったそれだけのことなのに、これまで感じたことのない幸福が胸の奥に広がっていく。
(わたくしにとって、レオンハルト様は唯一の方だわ)
生涯、自分の夫はレオンハルトのみ。
その想いが、より一層強くなった。
少しして唇が離れたかと思うと、角度を変えて再び重ねられた。短いキスを何度か繰り返したのち、レオンハルトの顔は離れたが、彼は頬に添えていた手を退かすと、指の背でルシアナの下唇を押し上げた。
「口を開けて」
(……口を……?)
人に向けて口を開けるなど、はしたなくはないだろうか。
そう思ったものの、あまりにも真っ直ぐ見つめてくる視線に、ルシアナはおずおずと口を開く。羞恥もあり、開いた隙間はわずかだが、レオンハルトは目を細めると指を退かし、再び顔を近付けた。
果たして口を開く意味はあったのだろうか、と思ったが、その疑問は唇が重なった瞬間すぐに解消される。
「っ……!?」
ぬめりとしたものが口腔内に侵入し、思わず目を見開く。
(な、なに……)
硬直するルシアナとは対照的に、口の中に侵入したものが動きを止めることはなかった。
ルシアナの並びのいい歯列をなぞり、柔らかな頬の内側を撫で、驚きで奥へと引っ込んだ舌を絡めとられたところで、口の中にあるものがレオンハルトの舌であることを理解する。
「ふ、ン」
口の端から、意図せぬ声が漏れた。
訳もわからず、ただされるがまま、口腔内を蹂躙される。
呼吸もままならず、次第に頭がぼうっとしていった。
(っ息が……っ)
「ン、んん……っ」
ルシアナが苦しそうな声を漏らすと、余韻を残すように唇を吸って、レオンハルトが離れた。やっと満足に吸える酸素に、肩が上下する。
離れたレオンハルトの唇は、艶やかに濡れていた。
外気に触れた唇が少し冷たく、自分も同じように濡れていることがわかる。
「い、まのも、キス、ですか……?」
乱れた呼吸を整えながら、今言うべきはこれだっただろうか、という疑問が頭をよぎる。しかし、思考停止気味の脳ではこれ以外何を言えばいいのかわからない。
レオンハルトが目を瞬かせたのを見て、やはりおかしなことを言っただろうか、と思ったが、彼はすぐにその口元に緩い弧を描いた。
「ああ。恋人や夫婦などが交わす、特別なキスだ」
「とくべつ……」
ルシアナの知るキスは、軽く唇を触れさせるものだけだった。家族がよくしてくれた、額や頬への親愛の口付け。口同士の経験はなかったが、それもただ唇を合わせるだけだと思っていた。
(口へのキスは特別な相手とだけ、と言われてきたけれど、こういうことが理由だったのね……)
いまだ呆けているルシアナの唇に、レオンハルトの指が触れる。その指先が想像以上に熱く、どくり、と心臓が脈打った。
先ほどは何が起きているのかわからず、状況を何一つ理解できなかったが、冷静に思い返してみればすごいことをしてしまったのではないだろうか。
(特別な、キス……)
レオンハルトの言葉を反芻し、体の芯から熱が込み上げてくるようだった。
彼のガウンを掴む手が、わずかに湿っていくのがわかる。きゅ、と口を閉じれば、思いがけずレオンハルトの指の腹も巻き込んでしまった。
彼は短く息を吐き、腰に回した腕に力を入れて、再び顔を近付けた。しかし鼻先が触れる直前で動きを止め、それ以上は動こうとしない。
許しがなければこれ以上はしない。
そう言っているようだった。
(そんな目で、見ているのに)
許してほしいと。もう一度させてほしいと。
いつも静かな湖面のような瞳を波立たせているのに。
「――レオンハルト様」
名前を呼んだことで、レオンハルトの指が解放される。彼はその指先で、形をなぞるようにルシアナの唇を撫でた。
「もう一度、特別なキスをしてください」
言い終わるや否や、レオンハルトは指を退かし口付けた。
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