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第四章

結婚前夜(一)

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 社交界のシーズン開幕を告げる最初のパーティー以降、ルシアナは王城で開かれるパーティーにはすべて出席した。またそれ以外にも、ユーディットの助言を得ながら、参加すべき各家門のパーティーにも頻繁に顔を出した。
 エスコートが必要なものはレオンハルトと共に。そうでないものは、ユーディットやディートリヒと共に参加した。
 パーティーに出席しない日もあったが、そういう日は結婚式の装飾品を選んだり、仮縫いのドレスを試着したり、招待者の確認などを行った。

(本当に、あっという間の数ヵ月だったわ)

 ルシアナは、書庫にあるソファに座りながら、窓の外へ目を向ける。まだ低い位置にある月はとても大きく、手で触れられそうな気さえした。

「もう明日は式だっていうのに、レオンハルトはまだ帰って来ないのか?」

 目の前に突然姿を現したベルに、ルシアナは柔らかな笑みを向ける。

「お忙しいのよ。わたくしに付き合って、昼も夜も多くのパーティーに出席してくださったもの」
「あいつがルシーのエスコートをするのは当然だろ」

 ベルは、ふんっと鼻を鳴らすと、ルシアナの隣に座った。

「ここ一週間はずっと家だけど、少しは休めたか?」
「うん。個人的には、もっとギリギリまで顔を出してもよかったくらいだわ」
「……あんな、笑顔の裏で相手を罵り探り合うような場に居続けたら、よくないものを引き寄せてしまうかもしれないぞ。せっかくの祝いの場にそんなものは相応しくないから、この一週間ルシーが家にいてくれてよかったよ」
「あら、ベルがいるのにそんな心配はいらないわ」

 口元に手を当て、くすくすと笑うと、ベルが大きく肩を竦めた。

「それとこれとは別問題だ」

 まったく、と言いながら、ベルはその大きな瞳でじっとルシアナを見つめた。

「どうかした?」
「いや……」

 ベルはソファから降りると、ルシアナの前に立つ。足元から炎がとぐろを巻くようにベルを包んだかと思えば、六、七歳くらいだったベルの姿が、背の高い大人の女性へと変化した。
 膝くらいまである赤い髪に、鋭い赤い瞳。
 ベルという精霊の、本来の姿だ。

「……久しぶりに見たわ。その姿」
「私もこの姿になったのは久しぶりだ」

 自身の姿を確認するように、手を開いたり閉じたりしながら、ベルはルシアナを見下ろす。
 一瞬、横へ視線を逸らしたものの、すぐにルシアナへと戻すと、彼女の髪を一房手に取った。

「ルシアナ。我が愛しき人の子よ。いつでもそなたを見守り、いつまでもそなたの幸せを願っている者がいることを、決して忘れるな。そなたの新たな人生を、そなたを愛し守護する精霊ベルが祝福しよう」

 手に取った髪の毛にベルが口付けると、心臓がドクンと大きく脈打った。

(ベルのマナだわ……)

 ルシアナは胸を抑えながら、体中に温かいものが広がっていくのを感じる。

「寝て起きたら、きっとすっきりしているだろう」

 ふっと目を細めて笑うベルに、ルシアナは一度口を開いたもののすぐに閉じ、ソファから立ち上がった。薄手のガウンを手で摘まむと、深く腰を落とし頭を下げる。

「ベル様のご温情に感謝申し上げます」

 数秒経ってから、そっと姿勢を元に戻せば、ベルがおかしそうに眉間に皺を作っていた。

「変な感じだな」
「変な感じね」

 顔を寄せ合いながら、二人してくすくすと笑っていると、書庫の扉がノックされた。

(何故、書庫なのにノック?)

 不思議がるルシアナとは対照的に、頭上でベルは深い溜息をつく。

「遅い」

 なにが、と問うより早く扉が開き、ノックをした人物が姿を現す。

「ルシ――」

 一歩、入りかけて、レオンハルトは動きを止める。その視線はベルへと注がれていた。

(ああ、レオンハルト様はこの姿を見るのが初めてだものね)

「あの――」
「ルシーのこと傷付けたり泣かせたりしたら許さないからな」

 ルシアナが説明する前にそう言うと、ベルは姿を消した。
 驚いたように固まったままのレオンハルトに、ルシアナは小さく苦笑を漏らす。

「ええと……おかえりなさいませ、レオンハルト様」

 ルシアナの呼びかけに、レオンハルトははっとしたようにわずかに肩を震わせると、ゆっくり動き出した。

「……ただいま帰りました」

 ゆっくり扉を閉めながら、レオンハルトは何かを探すように、左右へ頭を動かす。

「先ほどの方はもしかして……」
「ベルですわ。普段は子どもの姿をとっていますが、本来の姿は、先ほどレオンハルト様がご覧になられたものなのです」
「……そうでしたか」

 レオンハルトは静かに頷いたが、よほど衝撃だったのか、どこか呆然としている。

(わたくしもベルが子どもの姿になったときは驚いたわ)

 当時のことを思い出し、小さく笑ったルシアナだったが、すぐに「ところで」と首を傾げた。

「わたくしに何かご用でしたか?」

(聞き間違いでなければ、わたくしの名前を呼びかけていたような気がするのだけれど)

 ルシアナの問いかけに、レオンハルトははっとし、焦点をルシアナに定めた。

「その……四ヵ月前、一番最初の社交パーティーでお話したことについてなのですが」

 デビュタントボールを開いていない理由。

(それについてタウンハウスに戻ってからお話しする、と言ったのに、お互いまとまった時間がとれなくて今日まで来てしまったのよね)

 大体の原因は、ほとんどのパーティーに顔を出していたルシアナだが、ルシアナが空いている日はレオンハルトに用があったりするなど、なかなか時間を合わせられなかった。

(まだ寝るには早い時間だし、結婚をする前にすべてをお伝えしておくべきよね)

 自分も話したい、と伝えようと口を開きかけたルシアナだが、それを制止するようにレオンハルトが手を挙げ、もう片方の手で顔を覆った。

「いえ、申し訳ありません。明日は朝早くから準備があるというのに……」
「いいえ。わたくしもレオンハルト様にお話ししたいと思っていたのです。もしレオンハルト様にお時間があるのなら、お話しさせていただいてもよろしいですか?」

 レオンハルトは、目元を覆っていた手を口元まで移動すると、窺うようにルシアナを見つめた。合った視線に、ルシアナは微笑を返す。
 レオンハルトは挙げていた手と口元を覆っていた手を下ろすと、ゆっくりと首肯した。

「はい。ありがとうございます」
「こちらこそ、お時間を作っていただきありがとうございます」

 そう言って笑うルシアナを見て、レオンハルトはわずかに口元に力を入れたものの、すぐに短く息を吐くと、取っ手に手を掛けた。

「よろしければ、サロンでお話ししませんか? ハーブティーを準備してもらったので」

(まあ)

 レオンハルトからティータイムの誘いを受けるのは初めてだった。
 ルシアナは満面の笑みを浮かべながら、レオンハルトに近付く。

「はい、是非」

 そう頷けば、レオンハルトはどこか安堵したように、わずかに目尻を下げた。
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