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第1章 土佐の以蔵

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「ただいまー。おとう、おかあ、啓吉」
「ああ、以蔵かね。お帰り。もうすぐ夕餉の準備が……」


 かまどの火を調節していた里江は、玄関を見て目を見開いた。思わず竹筒から吹き込む息を止める。
 彼女は驚いたのだ。息子の前に立つ人物に。


「突然邪魔をして申し訳ない。私は武市半平太と申す者……」


 里江の表情を見て、半平太はすこし申し訳なさそうに名を名乗った。


「たけち……? 瑞山様ですか……?」


 里江はゆっくりと立ち上がり、息子と半平太を見比べる。半平太はええ、と答えて柔らかな笑顔を見せる。


「里江、どういたがじゃ? ……!? 武市先生!?」


 里江の様子を不思議に思った義平も家先まで出てきて仰天する。
 そして、半平太の横で小さくなっている以蔵を見て、義平はさっと顔を青くした。


「もしかして、以蔵が何か失礼を致か……」
「申し訳ありません、以蔵はいい子なのですがちょっとやんちゃなところがあり…」


 里江と義平は並んでぺこぺこと頭を下げ始める。そうなるのが当然だろう。普通、自分より身分が上の者が家に尋ねてくるという状況は、雇い主が使用人の家へたずねたり、親戚同士、そうでなければ何か無礼を働いた場合のときだけだ。

 以蔵の家は武市家の使用人でもなければ親戚同士でもなかった。そのような状況で、以蔵が半平太と家に一緒に帰って来たということは、以蔵が半平太に対し何かをやらかした、と考えるのが自然の思考だった。

 ひたすら頭を下げ続ける両親と、余計に小さくなる以蔵。半平太が以蔵の家にいきなり行けばこうなることは半分予想はついていたが、それでも半平太は恥ずかしいような申し訳ないような気持ちになる。

 半平太は頭を下げ続ける里江と義平の誤解を解こうと、胸の前で手を横に振る。


「いえいえっ! そんなことは全然ないです! 以蔵君には私が無理を言ってうちに来ていただいて……。以蔵君は何も悪いことはしていませんっ!」


 半平太が逆に頭を下げると、以蔵の両親はぽかんとした表情で彼を見つめた。


「では、どうされたのですか? こんな貧しい家にようなんぞないでしょうに……」


 義平が腰を低くしたまま言う。半平太は何か言葉を探しているようで曖昧な笑顔を浮かべていた。

 その様子を、以蔵は横目で見つめ、そして思った。

 さっき道場では皆に囲まれて浮かれてしまったが、本来こんな方と並んで歩くことなど身の程違いなのだ。
 自分は貧しい身。加えて町で忌み嫌われる者。
 心に残った少しの温かみが一気に冷える。
 やはり、この話は断るべきだ。腕を褒められても、たとえ自分が強くても。
 この方と道場の皆の評判を落とすことになりかねない。

 以蔵はそう思い、半平太に向かって思いを口にしようとした、その時。


「以蔵君を、うちの道場に通わせていただけませんか」


 半平太が義平と里江に向かってはっきりといったのだ。
 その瞳は真剣で、以蔵は涙が出そうになった。義平と里江も信じられないという顔で半平太の顔を見ている。
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