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王国崩壊編
163.フラグ
しおりを挟むユストゥスはエリーアスに睨みつけられても落ち着いた態度で見返していた。
だが私の手を握った手の平にじわりと汗がにじんでいるのがわかる。触れ合っているからこそわかるが、表面上は淡々としたものだった。
「で、どうするエリーアス。このまま引いて、負け犬に成り下がるか?」
ユストゥスの煽りに、エリーアスの瞼が神経質そうにぴくりと震えた。俯きがちだったせいで碧眼がほの暗く見える。感情に引きずられたエリーアスの魔力密度が、徐々に濃くなっていくのがわかった。
そっとディー先輩が息を詰める。もしエリーアスが魔力を暴走でもさせたら止めるつもりだろう。にしても……。
「性格悪いぞユストゥス、なにを焦っているのだ」
「はっ?」
ぺち、と空いていたユストゥスの頬を手で叩く。力は少しも込めていない。私が口を挟むと思ってなかったのか、ユストゥスが驚いて間抜けな顔をした。
体温が均一になるまで馴染んだ手を引き剥がし、エリーアスの目の前まで進んで膝を着く。
乱れた金髪にこけた頬。絶望を宿したような碧眼。ユストゥスを遮るように目の前に座った私まで睨まれる。
先ほどまでの明るさの気配は少しもない。だが目が離せない美しさがそこにあった。いくら汚れていてもその気高さは失わないような……ずくりと胸が疼いた。
「おいクンツ」
焦った様子のユストゥスに肩を捕まれた。それを無視して口を開く。
「私には話がよくわからん。だがカインザートは今も生きているし、貴殿の腹を貫くぐらい元気だ。それでなにか問題あるのか?」
私の正直な本音にエリーアスが目を見開いた。色を失った唇が戦慄くのが見える。私は振り返らず親指でユストゥスを示した。
「私の旦那様なんぞほらあの通り、いつの間にか獣人の耳と尻尾を失っていたが、十分元気で生きている。まあ魔族と言われるとつい殺したくはなるが、種族が変わる程度、大した問題ではなかろう」
「……」
「さあ何を呆けているのだ。立て」
私がエリーアスの両手を引きながら立ち上がれば、それにつられて目の前の男も立ち上がった。立ってもなぜだか反応の鈍いまま、私を凝視している。
それで私は少し考えてむんと、胸を張った。
「追いかけるなら今の内ではないのか?それと痴話げんかは、私の旦那様がいないところでやってくれ。くれぐれも、もう腹は刺されるなよ」
「……痴話げんか」
「違うのか?……貴殿はちょっと常識が薄いようだが、相手の服を脱がすような公序良俗に反することは、外ではしてはいけないのだぞ。露出プレイは禁止なのだ」
エリーアスがいつまでも呆けているから、ひそひそと耳元で囁いてやる。堂々と指摘してやっても良いのだが私とて良心があるからな。
「きみ……」
「うん?ああ、謝礼など不要だぞ。私は正しいことを教えたまでだ」
いやあ、良いことをすると気分がいいな!
私が低い鼻を高く伸ばしていると、にょきっと男の腕が伸びてきて私の頭を掴んだ。そして強引に引き寄せられてエリーアスの胸に顔をうずめることになる。
「んぶっ!?」
「クンツ……!やっぱり君って最高だ!!ああもう……愛してるよ!!」
筋肉質な硬い胸板だ。厚みはそこまでないが、衣服越しに良い筋肉が付いている感触を頬で味わう。ぎゅむっと抱き寄せられているからな。
身長差のせいで中腰を強要されている。堪らずまた両膝をつく羽目になった。
「ちょっ、放せ!」
言いながら軽く男の胸板を押す。エリーアスは貴族で魔力もあるようだが、私の本気で押したら肋骨を折りかねない。ユストゥスにはあまり働かない手加減をしているせいで、男を引き剥がせなかった。
「ああもうなんて愛しいんだろう君は……ありがとうクンツ。そうだね、僕もカインザート様も生きてるんだから、何も問題はないよね……っ」
「っ、……このっ、ユストゥ、ス……?」
騎士が他人を頼るのは良くない、良くないが息が苦しい。
私の奴隷の手を借りようと背後を見れば、片手を前に突き出したまま硬直したユストゥスの瞳から、だばだばと大量の涙があふれ落ちていた。
エッ????
「ディ、ディーせんぱ……?」
次に頼るべき相手!とディー先輩に助けを求めようとしたが、なぜかディー先輩はぺたんと両膝頭をくっつけて尻を足先で囲むようなあひる座りのまま、両手で顔を覆っていた。
細い肩が震え……えっ、泣いてらっしゃる……???
そして戸惑いを隠せないまま前を見れば、エリーアスも私の頭部を抱きしめて笑いながら泣いていた。
「ええ……」
正直、ドン引きである。
私はなにか変なこと言ったか?普通のことだろう。カインザートが元気いっぱい生きてるのは紛れのない事実だ。
……いや、もしかしたら、なにか重篤な病気でも持ってたのか?とても元気だったぞあの男。病弱気味なら人の腹貫くのはやめておくべきだろう。
「みんなね、嬉しいんだよ」
私が解せぬ顔をしていたせいか、イェオリが苦笑した。他はもう私を抱きしめたままのエリーアス含め、誰も動かない。
しかしそのイェオリも少し声が湿っている。瞬きが多いのは涙を散らしているからだろうか。
「君が、普段名誉の死を求めるリンデンベルガーの騎士が、生存……未来を口にしたんだもの、泣けるよね」
「そんなものか?」
「そんなものだよ」
イェオリが肩を竦める。
背後でゆらりとユストゥスが動いた。
「んぐっ」
ようやくエリーアスを剥がしてくれる気になったのかと思いきや、背後からユストゥスが抱き着いてきた。待て待て待て!苦し……っ。
「そうだ、生きてさえいれば、いくらでも会えるんだ……だから、クンツ。……ずっと」
ユストゥスの言葉は、後半嗚咽混じりで何を言ったかわからなかった。
たん、たん、と軽く聞こえる音はおそらく私の鎧に落ちるユストゥスの涙。そう思うと二人の男に挟まれたまま、身動き取れなくなってしまう。
これは、どうしたらよいのか……。
「ふ……ほらほら二人とも、クンツくんが困ってるよ。さあディーも、そんなに泣いたら目が溶けてしまう」
イェオリの苦笑交じりのとりなしで、ようやく皆ぎこちなく動き始めた。
頭を強く拘束していた腕が緩み、背後でもユストゥスが身体を起こす。
「やっぱさあ、ユストゥス。全部終わったらクンツと一緒に僕に飼われる気ない?」
飼われる!?
唐突に発せられた言葉にぎょっとしてしまう。しかしその返答にも私は言葉を失った。
「ねーよ。ことが済んだら、俺らは獣群連邦行って挙式すんだから」
「は、きょ、挙式???」
初耳なんだが???
私が愕然とユストゥスを見上げていると、男は目尻の涙を拭い、ずずっと鼻を啜った。
「ベール、俺に編んでくれるって言ったろ。あれ故郷じゃプロポーズの言葉だから。……式は何度やったっていいからな……」
「けどリンデンベルガーの騎士は、国を出るのは……ああ、それもヒュギルとか言う魔族がどうにかするのか……」
「そ。それもこれもぜーんぶ片付いたらだ!」
「挙式ということは……挙式……?けっこん………いや、確かにそんな話もしたような……」
えと、えと……あれ、今まで何の話をしていたんだったか……。
拘束が解かれて自由になったが、投げられた言葉の衝撃に頭が追い付かない。確かもっと考えなくてはいけない話があったはずなのだが。
「あーあ、なんか僕も気が抜けちゃった」
イェオリからハンカチを受け取って、頬を拭っていたディー先輩が大きく息を吐く。立ち上がったディー先輩は少しばかりいじけたように唇を尖らせて、イェオリに寄り掛かりながら自らの奴隷を見上げた。
イェオリはといえば、相好を崩してディー先輩の肩を抱いてこめかみにキスを落としている。
「けどさ、イェオリにユストゥス。僕への説明が終わってないよ。国民への被害はどうなるの?さっきの勢いでカインザートが魔法を使ったら、貴族はともかく平民は無事では済まないと思うんだけど」
私が衝撃から抜けられぬまま頭の中でごーんごーんと鐘を鳴らしていたが、ディー先輩の言葉にハッとした。
「そうだぞ、王都で問題が起こるなら私は皆を避難させねば……!」
がばっと立ち上がった私の目の前で、ユストゥスとイェオリが意味深に視線を交わす。イェオリが何か促す仕草をすると、軽く息を吐いたユストゥスが頭を掻いた。
「調べてた限り、ここ一カ月程度の間で王都民はだいぶ王都から流出してる。嗅覚鋭い商人どもはともかく、職人や他のやつら、事情はみんな様々だが移動にみんな疑問を持ってない。おそらく魔力による思考干渉なんだろうな。でもって残りの平民についてはヒュギルに保護してもらえるよう話を付けた」
「へえ……イェオリ殺そうといたことといい、傍若無人で魔族らしい魔族だと思ったけど、随分と人間に好意的なんだね」
エリーアスがぎょっとした表情でディー先輩を見つめる。「そんなことあったの……?」と小さく呟いて、考え込むように黙り込んでしまった。
ユストゥスが眉間に皺を寄せたまま首を横に振る。
「いや?人間が死ねば、リンデンベルガーの騎士であるクンツが受け入れなくて苦しむからな。俺の尽力って言うより、全部クンツのためだ」
「ん?」
「どういうこと?」
ユストゥスは半目になりつつ、ふっと息を吐いた。
「俺のお嫁様は、みーーーーーんなに愛されんだよッ!ヒュギルもそれはそれはもう、クンツを全てひっくるめて愛してて、メンタル保護に躍起な上、別段人間保護程度は苦でもないらしくてよ……くそっ。マジあいつら次元が違いすぎる……だからクンツ。今王都でクーデターが起こってるけど、破壊されんのは王宮ぐらいだから。だから、大丈夫だからな。な?」
「お、おう。お前がそういうなら、私はそれを信じよう」
相変わらずごしゅ……ヒュギルには、好意と嫌悪感が交じり合った感情がある。だがヒュギルのことを考えていても頭痛も起きないし、なによりユストゥスの様子では敵対するべき相手ではなさそうだ。
個人的には……なんだろう、ただ単にピーマンのような苦手な相手ということなのかもしれない。
「ってことで、状況が動くまで俺たちはここでこのまま待機だ」
「クーデターが始まってしまったら、任務どころではないしね」
奴隷二人がにっこり笑顔だ。……だが随分胡散臭いぞ、お前ら。
私が思ったことと同じように感じたのか、ディー先輩もエリーアスも言葉通りに受け取らない。ディー先輩が畳みかけた。
「でも、それってカインザートがクーデターを成功させたら、の話でしょ?もし負けたら?」
「カインザートのクーデター自体は間違いなく成功する。そのためにカインザートは魔族になったんだから」
「ユストゥス……君、まだなんか隠してるだろう」
エリーアスが低い声を出した。名指しされたユストゥスは片眉を上げる。それから肩を竦めた。半目になってへっと鼻で笑う。なにやら随分と腹立たしい表情だな。
「隠してることが多すぎて、なにを指してるかわかんねえな」
「その口ぶりだと話す気はなさそうじゃないか」
「魔族様方は俺の都合は考慮しちゃくれねえんだよ。あと正直推測でこうだろうなっていうところに、俺らが生き残るために右往左往してるだけだ」
「でも、クンツのためになることはするって?」
皆の視線が私に集まった。ユストゥスだけはすぐに下に眼差しが落ちる。ぎゅっと拳を握ったのが見えた。
「しないと、クンツがもたないから。ヒュギルがしたいことに、どうしてもクンツが心身ともに正常である必要があるんだ。……抜け道がありそうなところを、そういう意味では配慮してくれてる、な」
ふむ?きっと私よりユストゥスやごしゅ、ヒュギルの方が私の状態をよく理解しているのだろう。
リンデンベルガーの騎士は大抵は先に身体を壊すが、しばらく経つと精神の方が駄目になる。他人に反応しなくなるのだ。そうなったら、終わりだ。
私は自分ではそう悪くないつもりだ。四聖隊にいる兄弟のように動けないような怪我もしていない。
だが随分記憶を失っている感覚はある。それが私には悪影響なのだろう。
しかし今日のユストゥスは良く喋る。いつも私には何かと聞かれないようにしていたのに、もう隠し立てはしないつもりなのだろうか。
「なるほど?つまり私がポンコツなために、ヒュギルはこれ以上にポンコツにならないようにしてくれていて、それが国民の役に立っているということだな!」
役に立つ私は偉いな!
自画自賛しているが、不思議なことに誰も賛同してくれない。ユストゥスぐらいは褒めてくれてもいいだろうに、沈痛な面持ちだ。
「クンツ……」
「言っただろうユストゥス、私が今生きているのだから何も問題はないだろう」
両手を伸ばして頭をわしゃわしゃと撫でてやる。うーん……獣耳がないと物足りないな!多少ごわついた髪の毛と違って、ふっさふさの耳は手触りが良かったのに。
「そうだね、最善を尽くすだけか……僕はカインザート様を追いかけるよ。ここで見失ったら二度と会えなそうだからね」
「僕はどうしよう。正直待機って言われても……せっかく戦えるのに」
ディー先輩は不満そうだ。わかるぞ。私もさらに役に立ちたいし、何なら戦って剣を振るいたいし魔族は倒したい。
……ユストゥスが悲しむから、踏み込み方は注意しよう。私は旦那様思いの良いお嫁様だな!
「くふふ」
にやにや悦に入っていると、ユストゥスが頭を撫でてくれた。優しい触り方だった。ぐりぐりユストゥスの手に頭を押し付けていると、ドクンッと身体が跳ねた。
「う?」
「クンツ?」
バチッと強い静電気のようなものが私の身体を走り、それに押しのけられたようにユストゥスが弾かれた。ぶわりと拡散して消えていったのは、間違いなくヒュギルの魔力だった。
ん?私はヒュギルの魔力を纏っていたのか?いったいなぜ?
疑問に首を捻るが、それどころではなかった。
なぜか私の身体が光っている。
「なん」
「危ないユストゥス!」
エリーアスがユストゥスの肩を掴んで私から引き剥がすように引いた。その動作に咄嗟にユストゥスを追いかけるよう足を踏み出してしまう。その私の足元に、私を中心にした魔法陣が浮かび上がり、そして動く私に合わせて動いた。
「な!?」
思わず足を引く。だがユストゥスは私に手を伸ばしたままで。
ぶっと嫌な音が響いた瞬間、周囲の景色が一変した。目の前に、いや、私を囲むように透明のガラスがある。円柱のそれに阻まれて私はその場から動けなかった。透明なガラスの外側には同じような円柱の柱が規則正しく等間隔に並んでいるのが見える。
「なんだここは……あっ!」
周囲を見回し、身じろぎをした瞬間に何かを蹴って、私はそれを掴んだ。動悸が激しくなる。鮮血を吹き出すそれを拾い、私は顔を青ざめた。
それはユストゥスの手だった。手首の少し後ろから綺麗に切り取られた状態で、よく見ればガラスにはまるでそこに分断したユストゥスの腕が生えたと言わんばかりに血が付き、重力に従い床に垂れている。
あのとき急に足元に出てきた魔法陣は、転移魔法陣だ。
普通、転移魔法陣は、陣に入っている人にしか作用しない。手を差し入れても全身が入りきらなければ転移しないはずなのだ。
なのに、あの魔法陣は空間ごと私をこの筒の中に収容した。
「ゆ、ユス……ユストゥス……ッ」
身体の震えが止まらない。目に勝手に涙が浮かぶ。
呼吸すらおぼつかなくなりそうで、私は喘ぐように口を大きく開けた。
こんなに血が出ては、あいつが危な……いや、でも私の目の前で舌を切り取ったりもしたぞあいつ。
それに手ならすぐに止血すれば命にかかわるような怪我じゃない。大怪我で重傷だが、でも死なない。だから、大丈夫、大丈夫だ……。
必死に自分に言い聞かせる。ユストゥスの腕を抱きかかえたまま深呼吸を繰り返していると、少しずつ周囲を気にする余裕が出てきた。等間隔に並んだガラス筒のいくつかに、変化がある。
人がどこからともなく現れて、その筒の中に入っているのだ。ほとんどが鎧を着ていて、不思議そうにしている者や、怪我をしたのかガラスに寄り掛かってぐったりしている者もいる。
「……きょうだい、か……?」
よくよく見れば、私と同じ系統の顔たちの者ばかりだ。金茶髪に量産型の安い鎧、そして眠たげな眼差し。年齢は若い者は成人したてで、歳を重ねていても30代と思しき者たちだ。状況を理解できずに呆けたままの者、ガラス筒を叩いたり体当たりして出ようとしている者もいる。
私たちが集められている。
唐突にそう思った。
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