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怪盗アンドロイドはデータ(記憶)を盗む
羊の足と秘密
しおりを挟む「はん、よくやった、この俺が褒めてやろう、喜べ」
スマホを片手に持ったフィクサーは、此方に気付いて視線をよこした。アイリスの脚は縫い留められる。物音ひとつ立てなかったのにと、彼女は彼に睨むような視線を向けた。
黙殺して、フィクサーは電話の応対を続ける。
「レイ・レイ博士の一人娘、アイリス・レイを狙っていたのは「羊の足」の構成員だったんだな?」
アイリスは目を見開いて、思わず息を飲んだ。
犯罪組織「羊の足」。世界中のあらゆる犯罪組織と何らかの関りを持つと言われている、強大な犯罪組織。
ありとあらゆる凶悪犯罪、紛争の陰にはこの組織があるとさえ言われ、警察関係者や政府関係者などの一部の人間には恐ろしく名前が通った組織である。
世界的に著名な研究者であった父を持たなければ、彼女のような子供には縁のないはずの名前である。
アイリスの父、レイ博士は人間と見分けがつかないアンドロイドの研究をしていた。技術を狙う人間は数多くいたから、彼女は注意すべき名として「羊の足」を記憶している。
ならば、父はやはり「羊の足」に――
「ほお?よく一人で「羊の足」の構成員を相手にできたな。情報を仕入れ、なおかつ、倒した、と。あいつが博士の娘を連れて派手に逃走したせいで、警戒心を強めていた連中を」
痛いほど握りしめていたネックレスの石から手を離し、彼女はフィクサーを見つめる。相手が無視を決め込むのであれば、こちらも遠慮などする必要がない。
「電話の相手も仲間なのですね。アンドは何人仲間を持っているのですか?……貴方も含めて」
「こいつは俺のただの手駒だ……あいつとは無関係な」
煩わしそうな顔を隠しもせずに彼は言い放った。
当然ながら電話の向こうにも聞こえているはずである。しかし電話の向こうから反論や憤りが聞こえてくることはなかった。
妙な沈黙があった後、電話の相手が何か言い、フィクサーは盛大に顔を顰めた。
「あ?怪盗&に会いたい?まだそんな世迷い事を言ってんのか、却下だ。この俺に注文をつけるつもりか。お前の働きには感謝してやっただろ、この俺が、直々に。なあ――」
――裏切者。
フィクサーはまるで今日は良い天気だと言うかのような平淡な口ぶりで言った。沈黙が降りる。アイリスは彼の手にするスマホを見つめ、フィクサーは獲物に食らいつくように口角を歪め、スマホからは音がしない。
「気付かないとでも思ったか。「羊の足」の構成員数人に対して、一人で無傷で勝てるなんぞ、甘い計算をするわけねえだろうが。怪盗&を警戒している構成員が、警戒しないお前は何だったんだろうな、……裏切者の構成員さん?」
フィクサーは嘲るように目を細めた。
「俺が手にした情報は、お前を手駒として縛り付けて余りあるものだったはずなんだがねえ。それより高い値段で「羊の足」に買われたか」
馬鹿な、何故と喚く声がスマホから漏れる。彼はスマホを不快なものであるかのように遠ざけて、テーブルの上に置き見下ろした。
「生憎だが、俺の計画はすべて裏切りを推算してある。お前だけじゃねえよ、手駒はすべて裏切るものとして計算してある。そして、お前が裏切ったということは、別の奴にとっては、格好の出し抜くチャンスだ、せいぜい震えてろ、骨も残らねえよ」
吐き捨てて、相手の声を無視し、無情にも電話を切った。テーブルの上にスマホを置き、ふんぞり返る様に彼は椅子の背もたれに寄り掛かった。
アイリスはその前の椅子に静かに座って、小さな口を開く。
「裏切るものとして計算している事は、そんなに偉そうに言うようなことですか?ただ、貴方の性格が良くないから、裏切られるだけでしょう」
「はん、流石はあの博士の娘、恐れを知らねえとでも、言ってやろうか?組織が狙うような研究を続けた結果、「羊の足」に襲撃され、研究結果と命を奪い去られた博士のな」
目頭に力の入った彼女を気にも留めずに、フィクサーは鼻で嗤った。アイリスは心乱されることが腹立たしく、努めて静かに言う。
「父はやはり「羊の足」に襲撃されたのですね。市警察は子供の私には情報を伏せていました。一般人が知るべきことではないからかもしれませんが」
彼女はネックレスの石に触れ、強く拳を握った。フィクサーは関心の薄そうな顔で、テーブルクロスの皺を指でなぞる。
アイリスは広い部屋とはいえ、同じ部屋の奥のキッチンに見えるアンドの背を見て、声を小さくした。
「……貴方が手駒をつくるのは、アンドも裏切ると思って計算しているからですか?」
「いいや?」と眉を上げて、彼は気だるげに息を吐いた。それ以上語ることはなく、黙した。
「フィクサーさん!朝ご飯です!人間は僕とは違ってちゃんと食べないとダメなんですよ」
沈黙を破り捨てるような声に、アイリスの目はキッチンの方から向かって来た彼の方を向く。
「朝……?もう昼過ぎではないの?」と呟いたアイリスに、アンドは何が楽しいのかニコニコ笑う。
「フィクサーさんは朝起きてこないんですよ、だからお昼に朝ご飯なんです!」
思い返せば深夜ここに連れられてきたときも起きていたようだから、夜型の人間なのかもしれない。アイリスはぼんやりと二人を眺めた。
フィクサーは楽し気なアンドの様子など、どこ吹く風で並べられた料理に手を伸ばしている。
料理本の表紙を飾りそうな風景なのは、アンドによるレシピ本の再現だからなのかもしれない。
バターで照り輝くブリオッシュのフレンチトースト、こんがり焼けたベーコンが添えられた半熟の目玉焼き。砂糖もミルクも入っていない珈琲が黒い水面のように揺れる。
数時間前に彼女に出された料理と寸分違わない。
「がらくた」
地を這うような声に、アンドはびくりと肩を揺らした。料理には手を付けていないフィクサーを見て、アンドははっと目を見開いた。
「あ!……あれ?おかしいな、間違えるはずないんですけど。ごめんなさい、フィクサーさん」
脚を組んだフィクサーは返答せずに、並べ終えたばかりの料理が下げられるのを、王様であるかのように眺めている。
アイリスは口を開こうとしかけて、奥のキッチンからあれえと素っ頓狂な声が聞こえたため、椅子から立ちあがった。オープンキッチンの中の冷蔵庫を覗き込んでしきりに首を捻っているアンドに声をかける。
「アンド、どうしたのです?」
「アイリス!見て見て、おかしいんです、僕、余らせちゃってるみたいで」
「余る……ああ、食材がですか。それがどうしてそんなに驚くことな――」
「僕は余らせないように作ったはずなんですよ!おかしい!どうしよう!バグかなあ、フィクサーさんに診てもらわないと」
窮屈そうに丸めた背中は岩のようであるのに、表情は春の嵐のように転じている。
アイリスの背丈ほどの小ささに、縮むように身を屈めていた。頭がアイリスの目線のすぐ近くにある。彼の頭に手を伸ばしかけて、結局彼女は止めた。慌てている彼を余計な混乱に陥れかねない。
「私がいたから間違えたのですよ、きっと。貴方はいつもフィクサーの分しか作らないのでしょう?人数が普段と違ったから、おかしなことじゃない」
「そうですけど……そうなのかな」
飲み込むように一つ頷いて、大騒ぎを忘れたように笑う。ぽんと大きな手を打った。
「アイリス、お昼ご飯は食べませんか?人間の消化器官からするとお腹がすく頃なのでは?」
「ごめんなさいね、私、あまり沢山食べられないの。朝に美味しいご飯を頂いたから、それで十分です」
「……そうですか」
肩を落とした彼に、アイリスは苦笑する。
「どうしてそんなにがっかりしているのですか?」
「家族は皆でご飯を食べるんだと聞きました。僕は食事を必要としないから、フィクサーさんとご飯は食べられない。だから、フィクサーさんと一緒に食べる人がいないんです。一緒に食べるのはきっと素敵でしょう?」
アンドは変わらず心底素晴らしいものであると言いたげに、楽しそうに笑う。
「貴方はフィクサーが大好きなのね」
思わず口をついた質問は愚問だったかと、彼女は目を逸らしかけ、彼が黙っていることに目を瞬いた。彼のことだから、眩いほどの顔で頷きそうだと思っていたのに。
「……アンド?」
アンドは口を開きかけ、キッチンの向こうのテーブルを見つめた。そこにはもう人影はない。騒いでいるうちに食事を取ることなく、自室に戻ってしまったようだった。
「……僕は」
隣に立った彼は小さなアイリスを見下ろして、口を開く。
「僕は、悪いことをしたんです。フィクサーさんに、とても悪いことをしたんです。僕は彼を――」
――攫ってきてしまった。
彼は何にも知らないんです。僕が彼の記憶を盗って、変えてしまったから。
――記憶を書き換えてしまったから。
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