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第二幕 神輿が担がれる
哀れな少年と少女巫女と天才ロックシンガー
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*
これは、はるか遠い昔、表浦島で起こったこと。
表浦島の浜辺に、あまりに痩せて小さすぎる少年が立っていた。日に焼けていない肌は青白く、ただ浜をゆっくり歩いただけでその子供の息は上がっていた。
浜にいた子供たちに声をかけようとして、身体が弱い少年は咳をする。
少年と同じ年頃だが子供たちの方がずっと大きい。
彼等は浜に半ば打ち上げられかけている小さな白い生き物をつついていた。小さな少年の親指の先ほどしかない真っ白なウミウシ。
つついただけで死んでしまいそうなその小さな生き物が、病弱な彼からするとどうにも無視できないものに思われて、小さな少年は子供たちを止めた。止めたと言っても彼を気味わるがって、遊びに入れてくれない彼等だったのでただ離れただけだったが。
ニエといつも通り、嘲るような呼び名を落として去っていった。小さな少年は生命の灯が今にも吹き消えそうなほどか弱いウミウシを手にすくって――ふと思い立って浅瀬にウミウシを帰してやって、彼はふらふら華奢な身体で歩き出す。
彼の名前は浦倫太郎。しかしその名を彼は知らない。呼ばれたことがないからだった。浦家の嫡男が親の反対を押し切って結婚したは良いものの、母親が子供を置いて逃げてしまった。浦家にとって都合の悪い、島民の手前何処かへ捨てることもできない子供。その子供が倫太郎である。浦家を継ぐのは後妻の子と決まった以上、彼を浦家の子供と認めてはならない。そんな島の大人の取り決めのせいで、彼は乳母にも名前を呼ばれない。
だから、彼は自分の名前を「ニエ」なのだろうと思っていた。彼が仲良くしたい同年代の子供たちは彼を見て、変な笑みでそう言うから。大人の素振りを真似て呼ばれる呼び方。それがどういう意味なのか、幼くて悪意を知りもしない彼にはよくわからなかったけれど。
倫太郎はあまりに小さいウミウシが気に入って、木桶を持って来てそのまま連れて帰ることにした。話し相手もいない彼は寂しかったのだ。生き物を飼ったこともない小さな少年は餌のことなどに気を回せなかったが、不思議なことにそのウミウシは何も食べていないのに、小さくて弱々しいまま、しかし死んでしまいはしなかった。身体の弱い倫太郎は普通の子のように遊べない。倫太郎は白いウミウシに話しかけて、それを眺めて日々を過ごした。独りぼっちの彼はその小さな友達が大好きになった――その様は哀れでもあったが。
「とうさまとお話しすることができたんだ、よわくて舟にも乗れない僕もみんなの役に立てるんですって。わだつみの国にいくんだ、かあさまもそこにいるんだって。ねえ、どんなところかな、おまえもいくかい?おまえは友達だからいっしょに行こう」
そして、彼は何も知らないまま生贄となる。過去に例を見ないほどの不漁。飢えへの不安や不満が島民に溜まっており、島を統べる家として浦家はそれを晴らす必要があった。それに一番都合が良いのが倫太郎だった――漁に出ることも出来ぬまま短く生を終えると目に見えている子供。島にとって、浦家にとっていなくなっても困らない子供だった。
彼は海へ流される。蓋が閉まる小舟に乗せられて。ゆらゆら揺れる真っ暗な小舟の中で、小さな白いウミウシが入った木桶を抱えた幼い少年はぎゅっと身を縮めた。
怖くなって、蓋を開けようと手を伸ばして――開かなかった。驚いて混乱した彼は暴れて、小舟は反転して蓋の隙間から水が入って来る。生贄は海底へ少しずつ沈んでいく。
――苦しい、苦しい、助けて、誰か。
ぴくりと手が痙攣して小舟の中、倫太郎は藻掻く手を下ろした。彼は静かになった。やがて海底に沈んだ物言わぬ塊。その哀れなほどに華奢な身体の上、指の先ほどの小さな白いウミウシがへばりついていた。
*
側仕えのいのりにとって、つばきという若き島巫女は敬愛するべき主人だった。幼さを感じさせない振る舞いや、島を束ねるその決断力、芸にかける信念、島巫女としての誇り。彼女はつばきを島巫女という特別な存在として信じている。信仰していると言って良い。
しかし彼女は同時に案じている――それは先代島巫女が海神のもとへ行った日の夜のことだ。つばきの前に立ったいのりは彼女の前から下がろうとして、ふと気付いた。顔色は変わらない。いつものように威厳のある立ち姿――だがそれが、酷く寂しげに見える。先代島巫女は彼女の母親のようなものだ。いなくなれば寂しいという子供であれば当然の見方すら、島巫女である彼女には適用されない。
それがいのりには残酷なことのように思えて、彼女は下がることなく跪く。幼さを感じさせない彼女の側にありたかった。独りにさせたくなかったのだ……それが自分の我儘であれ。だから彼女は言ったのだ。
「貴女様が還る場所が海神の御前ならば、水底へと還られるその時まで。私は貴女様の最後の砦でありたいのです」
つばきの瞳がただ一度だけ揺れた。沈黙が部屋を満たし、そして――
「……良い。許そう。頭を垂れよ」
「はい」
涙が畳に落ちる音がした。嗚咽は聞こえない。泣いている身体の震えすら感じられない。いのりの仕えるその人はずっと幼いはずだった――しかし、どこまでも気高い島巫女だった。頭を畳に擦り付ける。彼女が隠した涙を見るつもりはなかった。いのりの方が泣いてしまいそうだった。
そうして、その時の約束の通り、彼女はいつもつばきの側にあった。島巫女として涙が許されないつばきの心の最後の砦として。そうして傍らにいてくれた彼女が、結婚した。苦労の多かった彼女がやっと得た幸福だ――だから、つばきはその笑みを――海の上で暮らす彼女の幸せを、捨てることなどできない。……たとえ茨の道であれ。
「で――どうすんだ」
つばきの話を聞き終えるか聞き終えないかのうちに、至は言った。至極当然のように、彼は結論を求める。実際の年齢ほど幼く見えていないが、年下に見える彼女への思いやりがないからではない。
全て報われない辛さを想像して口を噤むなど、彼ではあり得ない。彼女が逃げたいなら乗り掛かった舟で同行するもよし、慰められたいなら歌ってやれば良いし、決められないなら決めてやれば良い。自分にできることを最短経路で見極めたがるような――彼の性分による。
しかしつばきは至の想定を裏切って、胸を張った。
「――私は島巫女だ」
彼女は自分のあり方を貫くことを選んだ。海の上の島民の幸せを守るために、そして彼女自身の誇りを守るために。そうでなければ報われない。せめて鮮やかに散るのでなければ、あらゆるものが報われないのだ。
島にこの身を捧げ、化け物のもとへ。破滅を選ぶ愚かな選択であれ、彼女は至がたとえなんと言おうが変えるつもりはない。しかし、至は聞いているだけで気持ち良いくらいに快活に笑い飛ばした。そしてこの上なく楽しい何かを聞いたかのように、にやりと不敵に笑う。
島巫女の誇り高いあり方を賞賛するように、その背を強く押すように、耳に残るような力強い声で彼は言った。
「行って来いよ。海の神に捧げるなんて常人にはできねえ、最高の舞台へ」
「――止めぬのだな。感謝するぞ、とつくにの歌唄い」
「アーティストの至上の舞台を止めるほど野暮じゃない。俺は島巫女さんのあり方、嫌いじゃないぜ」
それは至の本心だった。彼女の強いあり方は生きていてそう出会えることのないものだ。まるで自分の同志を不意に見つけたような心持がしていた。つばきも微笑む。
「私もお前が気に入った。我らが社に招待してもてなすのも悪くなかろうと思ったほどだ。島巫女にここまで言わすのは至極光栄であろう。――もっとも男子禁制の聖地故、不可能だが。気持ちの話だ、許せよ」
「はは、そりゃ残念だ。海の底が退屈でならなくなったころに、こっちから行ってやるよ。存分に歌ってやる」
彼等の頭上高くそびえるように海神の居城がある。白く滑らかに輝く巨大な巻貝のようなそれには、頂へとまっすぐに伸びる階段のような段差が続いていた。見上げるほど大きな、けがれない真っ白な巻貝が青く薄暗い海底を照らす。幻のような情景。
海の色を背景にしたその輝きは竜宮城という形容が似合うほど美しく――だからこそ、ぞっとさせる。真珠のような輝きのその居城に住まうは神ではなく化け物だと知ってしまえば、この世のものとは思われない情景は不吉なばかり。つばきはただ静かに足を踏み出す。
「――じゃあな、誇り高い島巫女さん」
白と赤の巫女装束の凛とした背にただそれだけ言って至はギターを背負った背を向けた。彼は彼女を案じない。彼女が覚悟を持って決めた選択を、せっかちな天才は決して軽んじたりしなかった。
そうして、彼等は別れ――二度と会うことはない。奇妙な縁でほんの短い間を共にした、時代も立場も何もかも異なる二人の道中はここで終わったのだった。
つばきは長く天まで続くかのような階段を上がる。白が青や緑の光を帯びて輝き、真珠のように艶めく階段。一歩一歩を踏みしめるように彼女は進む。舞う時のように目が惹かれるような迷いなく洗練された足さばき。置いてきた島の人々への想いも、これから捨て去る自己の幸せも、運命への恐れも、島を脅かした化け物への憤りも全て強く踏む足に込めて捨てていく。
そうして永遠のように感じられるその苦行を終え、彼女は頂に辿り着いた。息を吸い、彼女は高らかに名乗りを上げる。
「我が名は五百雀つばき。第十四代島巫女である。海神の御前にこの身を捧げに参りました。私が磨き上げた至上の舞をとくとご覧あれ!……――な」
どのような醜悪な化け物が待っていようと怯まないと気を張っていた彼女は唖然とした。島を守るため海神ということにされていた化け物は、彼女がこれまで見たウミウシよりもずっと強大で、身の毛がよだつほど醜悪で、恐ろしい化け物であるのだとばかり思っていた。当然のように、彼女はそう思い込んでいたのである。――しかし、弾けるような元気な声。
「島巫女のお姉さん、はじめまして!ボクはニエ。今日からトモダチだよ!」
そこにいたのは痩せぎすな顔色が良くない小さな少年だった。見るからに弱者で――一目見ただけでその成長状態の悪さが哀れにすら感じるほどの幼い子供。激しい敵意を持つことで島を守る決意を固くしようとしていた彼女は、出鼻をくじかれたように立ち竦んでいる。つばきの決死の覚悟も、得体の知れない恐怖も、理不尽な運命への怒りも
――彼女の負の感情を何も知らない顔で、ニエは無邪気に微笑んだ。
これは、はるか遠い昔、表浦島で起こったこと。
表浦島の浜辺に、あまりに痩せて小さすぎる少年が立っていた。日に焼けていない肌は青白く、ただ浜をゆっくり歩いただけでその子供の息は上がっていた。
浜にいた子供たちに声をかけようとして、身体が弱い少年は咳をする。
少年と同じ年頃だが子供たちの方がずっと大きい。
彼等は浜に半ば打ち上げられかけている小さな白い生き物をつついていた。小さな少年の親指の先ほどしかない真っ白なウミウシ。
つついただけで死んでしまいそうなその小さな生き物が、病弱な彼からするとどうにも無視できないものに思われて、小さな少年は子供たちを止めた。止めたと言っても彼を気味わるがって、遊びに入れてくれない彼等だったのでただ離れただけだったが。
ニエといつも通り、嘲るような呼び名を落として去っていった。小さな少年は生命の灯が今にも吹き消えそうなほどか弱いウミウシを手にすくって――ふと思い立って浅瀬にウミウシを帰してやって、彼はふらふら華奢な身体で歩き出す。
彼の名前は浦倫太郎。しかしその名を彼は知らない。呼ばれたことがないからだった。浦家の嫡男が親の反対を押し切って結婚したは良いものの、母親が子供を置いて逃げてしまった。浦家にとって都合の悪い、島民の手前何処かへ捨てることもできない子供。その子供が倫太郎である。浦家を継ぐのは後妻の子と決まった以上、彼を浦家の子供と認めてはならない。そんな島の大人の取り決めのせいで、彼は乳母にも名前を呼ばれない。
だから、彼は自分の名前を「ニエ」なのだろうと思っていた。彼が仲良くしたい同年代の子供たちは彼を見て、変な笑みでそう言うから。大人の素振りを真似て呼ばれる呼び方。それがどういう意味なのか、幼くて悪意を知りもしない彼にはよくわからなかったけれど。
倫太郎はあまりに小さいウミウシが気に入って、木桶を持って来てそのまま連れて帰ることにした。話し相手もいない彼は寂しかったのだ。生き物を飼ったこともない小さな少年は餌のことなどに気を回せなかったが、不思議なことにそのウミウシは何も食べていないのに、小さくて弱々しいまま、しかし死んでしまいはしなかった。身体の弱い倫太郎は普通の子のように遊べない。倫太郎は白いウミウシに話しかけて、それを眺めて日々を過ごした。独りぼっちの彼はその小さな友達が大好きになった――その様は哀れでもあったが。
「とうさまとお話しすることができたんだ、よわくて舟にも乗れない僕もみんなの役に立てるんですって。わだつみの国にいくんだ、かあさまもそこにいるんだって。ねえ、どんなところかな、おまえもいくかい?おまえは友達だからいっしょに行こう」
そして、彼は何も知らないまま生贄となる。過去に例を見ないほどの不漁。飢えへの不安や不満が島民に溜まっており、島を統べる家として浦家はそれを晴らす必要があった。それに一番都合が良いのが倫太郎だった――漁に出ることも出来ぬまま短く生を終えると目に見えている子供。島にとって、浦家にとっていなくなっても困らない子供だった。
彼は海へ流される。蓋が閉まる小舟に乗せられて。ゆらゆら揺れる真っ暗な小舟の中で、小さな白いウミウシが入った木桶を抱えた幼い少年はぎゅっと身を縮めた。
怖くなって、蓋を開けようと手を伸ばして――開かなかった。驚いて混乱した彼は暴れて、小舟は反転して蓋の隙間から水が入って来る。生贄は海底へ少しずつ沈んでいく。
――苦しい、苦しい、助けて、誰か。
ぴくりと手が痙攣して小舟の中、倫太郎は藻掻く手を下ろした。彼は静かになった。やがて海底に沈んだ物言わぬ塊。その哀れなほどに華奢な身体の上、指の先ほどの小さな白いウミウシがへばりついていた。
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側仕えのいのりにとって、つばきという若き島巫女は敬愛するべき主人だった。幼さを感じさせない振る舞いや、島を束ねるその決断力、芸にかける信念、島巫女としての誇り。彼女はつばきを島巫女という特別な存在として信じている。信仰していると言って良い。
しかし彼女は同時に案じている――それは先代島巫女が海神のもとへ行った日の夜のことだ。つばきの前に立ったいのりは彼女の前から下がろうとして、ふと気付いた。顔色は変わらない。いつものように威厳のある立ち姿――だがそれが、酷く寂しげに見える。先代島巫女は彼女の母親のようなものだ。いなくなれば寂しいという子供であれば当然の見方すら、島巫女である彼女には適用されない。
それがいのりには残酷なことのように思えて、彼女は下がることなく跪く。幼さを感じさせない彼女の側にありたかった。独りにさせたくなかったのだ……それが自分の我儘であれ。だから彼女は言ったのだ。
「貴女様が還る場所が海神の御前ならば、水底へと還られるその時まで。私は貴女様の最後の砦でありたいのです」
つばきの瞳がただ一度だけ揺れた。沈黙が部屋を満たし、そして――
「……良い。許そう。頭を垂れよ」
「はい」
涙が畳に落ちる音がした。嗚咽は聞こえない。泣いている身体の震えすら感じられない。いのりの仕えるその人はずっと幼いはずだった――しかし、どこまでも気高い島巫女だった。頭を畳に擦り付ける。彼女が隠した涙を見るつもりはなかった。いのりの方が泣いてしまいそうだった。
そうして、その時の約束の通り、彼女はいつもつばきの側にあった。島巫女として涙が許されないつばきの心の最後の砦として。そうして傍らにいてくれた彼女が、結婚した。苦労の多かった彼女がやっと得た幸福だ――だから、つばきはその笑みを――海の上で暮らす彼女の幸せを、捨てることなどできない。……たとえ茨の道であれ。
「で――どうすんだ」
つばきの話を聞き終えるか聞き終えないかのうちに、至は言った。至極当然のように、彼は結論を求める。実際の年齢ほど幼く見えていないが、年下に見える彼女への思いやりがないからではない。
全て報われない辛さを想像して口を噤むなど、彼ではあり得ない。彼女が逃げたいなら乗り掛かった舟で同行するもよし、慰められたいなら歌ってやれば良いし、決められないなら決めてやれば良い。自分にできることを最短経路で見極めたがるような――彼の性分による。
しかしつばきは至の想定を裏切って、胸を張った。
「――私は島巫女だ」
彼女は自分のあり方を貫くことを選んだ。海の上の島民の幸せを守るために、そして彼女自身の誇りを守るために。そうでなければ報われない。せめて鮮やかに散るのでなければ、あらゆるものが報われないのだ。
島にこの身を捧げ、化け物のもとへ。破滅を選ぶ愚かな選択であれ、彼女は至がたとえなんと言おうが変えるつもりはない。しかし、至は聞いているだけで気持ち良いくらいに快活に笑い飛ばした。そしてこの上なく楽しい何かを聞いたかのように、にやりと不敵に笑う。
島巫女の誇り高いあり方を賞賛するように、その背を強く押すように、耳に残るような力強い声で彼は言った。
「行って来いよ。海の神に捧げるなんて常人にはできねえ、最高の舞台へ」
「――止めぬのだな。感謝するぞ、とつくにの歌唄い」
「アーティストの至上の舞台を止めるほど野暮じゃない。俺は島巫女さんのあり方、嫌いじゃないぜ」
それは至の本心だった。彼女の強いあり方は生きていてそう出会えることのないものだ。まるで自分の同志を不意に見つけたような心持がしていた。つばきも微笑む。
「私もお前が気に入った。我らが社に招待してもてなすのも悪くなかろうと思ったほどだ。島巫女にここまで言わすのは至極光栄であろう。――もっとも男子禁制の聖地故、不可能だが。気持ちの話だ、許せよ」
「はは、そりゃ残念だ。海の底が退屈でならなくなったころに、こっちから行ってやるよ。存分に歌ってやる」
彼等の頭上高くそびえるように海神の居城がある。白く滑らかに輝く巨大な巻貝のようなそれには、頂へとまっすぐに伸びる階段のような段差が続いていた。見上げるほど大きな、けがれない真っ白な巻貝が青く薄暗い海底を照らす。幻のような情景。
海の色を背景にしたその輝きは竜宮城という形容が似合うほど美しく――だからこそ、ぞっとさせる。真珠のような輝きのその居城に住まうは神ではなく化け物だと知ってしまえば、この世のものとは思われない情景は不吉なばかり。つばきはただ静かに足を踏み出す。
「――じゃあな、誇り高い島巫女さん」
白と赤の巫女装束の凛とした背にただそれだけ言って至はギターを背負った背を向けた。彼は彼女を案じない。彼女が覚悟を持って決めた選択を、せっかちな天才は決して軽んじたりしなかった。
そうして、彼等は別れ――二度と会うことはない。奇妙な縁でほんの短い間を共にした、時代も立場も何もかも異なる二人の道中はここで終わったのだった。
つばきは長く天まで続くかのような階段を上がる。白が青や緑の光を帯びて輝き、真珠のように艶めく階段。一歩一歩を踏みしめるように彼女は進む。舞う時のように目が惹かれるような迷いなく洗練された足さばき。置いてきた島の人々への想いも、これから捨て去る自己の幸せも、運命への恐れも、島を脅かした化け物への憤りも全て強く踏む足に込めて捨てていく。
そうして永遠のように感じられるその苦行を終え、彼女は頂に辿り着いた。息を吸い、彼女は高らかに名乗りを上げる。
「我が名は五百雀つばき。第十四代島巫女である。海神の御前にこの身を捧げに参りました。私が磨き上げた至上の舞をとくとご覧あれ!……――な」
どのような醜悪な化け物が待っていようと怯まないと気を張っていた彼女は唖然とした。島を守るため海神ということにされていた化け物は、彼女がこれまで見たウミウシよりもずっと強大で、身の毛がよだつほど醜悪で、恐ろしい化け物であるのだとばかり思っていた。当然のように、彼女はそう思い込んでいたのである。――しかし、弾けるような元気な声。
「島巫女のお姉さん、はじめまして!ボクはニエ。今日からトモダチだよ!」
そこにいたのは痩せぎすな顔色が良くない小さな少年だった。見るからに弱者で――一目見ただけでその成長状態の悪さが哀れにすら感じるほどの幼い子供。激しい敵意を持つことで島を守る決意を固くしようとしていた彼女は、出鼻をくじかれたように立ち竦んでいる。つばきの決死の覚悟も、得体の知れない恐怖も、理不尽な運命への怒りも
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