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不穏な空気

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「アンネッタ嬢、次は家へ招待したします。」
「僕の家にも来ていただきたい。」
「私の家に是非」
「俺の家にも」


 アンネッタは、たくさんの男性から声を掛けられるようになり、次の約束をと言われる事が増えた。


「申し訳ありません、私の一存ではお答え出来かねます…お義父さまへお聞きいただけたらと思いますわ。」


 その度にアンネッタは困ったように眉を下げ、上目遣いでそう告げる。トマーゾからそう言うように教えられていたのだ。そうすればアンネッタは特にそれ以上追求される事もないし、トマーゾは相手と繋がりを持つことができるからだ。


 髪色からか、はたまた困った時には頬を染めて俯くからか、アンネッタはいつしか、〝手に入らない桃色の果実〟と囁かれるようになる。


 アンネッタは、あれからもたくさんの年上の男性と会い、実の無い話を当たり障りない返事を返す事でこなしていった。
 それは大変ではあったが、アンネッタは苦に思っていなかった。今まで着たこともない、キラキラとしたオーダーメイドのドレスを身につけさせてくれたり、輝く石が付いているネックレスやイヤリングを準備されるからだ。


「うふふ、すごーい!こんなにフワフワとして可愛いドレス、いいのかしら?」

「綺麗なイヤリングねぇ…!」

「輝いてるわ!」


 その度に、アンネッタはウキウキとした気分になった。
 実の無い会話も、煌びやかな衣装や宝飾品を身につけていればそれほど苦にならなかった。アンネッタは、男性と会話をする度に新しいドレスを準備してもらえるから嬉しくてしょうがなかったのだ。
 女将と大将の店にいた時は、下着こそ買ってもらったが、服はほとんど常連客から譲り受けたものだった。それが、自分専用のものでそれもかなり上質なものを準備してもらえるようになるなんて夢のようで嬉しかったのだ。




 それから半年ほど経った頃。
 とうとうアンネッタは、国の高位貴族が集まるガーデンパーティーに呼ばれる事となった。男爵という低位貴族の身分で、出席出来るのは余程の功績が無いといけなかったのだが、アンネッタに会いたい地位の高い者が強引にねじ込んだようで、アンネッタもさすがに失敗しないかとヒヤヒヤしたが、なんの問題もなかった。アンネッタが会場に姿を現せば、アンネッタと話をしたいと願う男性達がアンネッタを囲み、何かと世話を焼いてくれるからだ。

 だが、アンネッタに寄って来るのは全て男性で、女性陣からは遠巻きに厳しい視線を送られていた。話し掛けられる事といえば、用を足しに行った時に『調子に乗ってんじゃないわよ!』『可愛いからって、人の男を取らないでよね!』と罵声を言われるのみ。もしくは、わざと体をぶつけてくる者もいた。


 《痛っ…もう、なんなのよ。手を洗う場所は広いのに、どうして皆私にぶつかってくるの?ヒールの高い靴を履いているから、フラフラしちゃうのかしら?》


 しかしまぁ、アンネッタにとったら名前も知らない年上の女性達で、あまり興味も無かった。
 この時にはもう男性陣は挨拶のように毎回、会えばアンネッタに可愛い素敵だ美しいなどと言ってくるため、自分が可愛いのは当たり前で当然なのだと思っていた。だから、女性達は自分に嫉妬しているのだと思っていたし、そんなに実害は無かった為気にする事も面倒だと無視をする。


 《だって、男性陣の顔と名前がなかなか一致しないのだもの。会話も、よくわからない話で、ついていけないわ。けれども全く知らない顔も出来ないし。》


 アンネッタは、ボロが出ないように気を張る事に忙しかったので、女性陣の相手なんてするだけ無駄だと達観していた。


 《私の仕事は、いろんな人と顔を繋ぐ事だとお義父さまが言われていたもの。こんなにいい生活をさせてもらっているのだもの、報いないといけないものね。》




 しかし、アンネッタが初めて参加した王宮のガーデンパーティーで、とうとう事件が起きてしまった。

 この国の第二王子であるコジーモは、十七歳で、同じ年齢であるマンゾーニ公爵家の長女ロザリンダと婚約していた。だがコジーモが、アンネッタの傍へ割り込むように近寄った。それだけならいいのだが、コジーモはアンネッタの周りを取り囲んでいる者達を蹴散らすような大きな声を出してしまったのだ。


「おい、お前達!俺様は今からその者と話をするから、お前達は席を外してくれ!」


 今まで、アンネッタの傍につきまとうようにいた男性陣は、〝手に入らない桃色の果実〟である〝皆のアンネッタ〟というように独り占めをしている訳では無かった。このような、ガーデンパーティーなどの公の場では、男性陣はアンネッタの周りを二重三重で取り囲み、少しでもアンネッタの近くにいようと陣取りはするが、アンネッタの前でかっこ悪い姿を見せたい訳ではなく、スマートな、年上の男という紳士なイメージを崩さないように皆取り繕っていた。


 そんな均衡を崩してしまうなんてと、周りにいた男達は顔を見合わせる。権力者である第二王子に言われたら、そうしなければいけないとは分かるがそうしたらアンネッタがどうなるだろうと皆一様に考え、その中で一番格上でコジーモより年上の、第二王子の婚約者とはまた別の公爵家令息のペンドリ=ディオニージが口を開く。


「コジーモ様、いきなりそんな事を言えばアンネッタを怖がらせてしまいます。僕達は少しだけ下がりますが、近くには居させて下さいませんか?」

「ふん!そんな調子のいい事言って!
俺は今日初めてアンネッタに会ったんだぞ!お前達は今まで話した事があるのだろう?俺に譲るのが筋というものだろうが!!」


 アンネッタは、そこにいる誰よりも背が小さい。だが、コジーモがそう語気を強めて言うものだから、体をビクリと振るわせ、一歩二歩と後ろに下がった。それを見た周りの男性陣は『これは守らなければ!!』と一斉にコジーモから離れさせようと自分達が一歩進み出る。が、それが気に入らなかったコジーモはますます声を荒げる。


「おい!俺様の言うことが聞けないのか!!だったら、お前達皆、処罰の対象とするぞ!!!」


 そう言われれば、さすがに皆、どうするべきか顔を見合わせる。

 と、か細い声が後ろから聞こえ、一斉にそちらを見やると、体を振るわせながら健気に呟くのはアンネッタであった。


「み、皆さん…ありがとうございます……わ、私、お話させて頂きますわ。けれども、あの…あ、あちらでもよ、よろしいでしょうか……?」


 ズキューン!!


 と心を打ち抜かれたのは誰なのか。
鼻を押さえて上を向く者が数人。鼻を押さえて下を向いてしまい、ぽたぽたと赤い染みを地面に描かせる者もいた。


「お、おう…そ、うだな。アンネッタ、良いぞ。あっちの椅子に座ろう。旨い菓子もあるからな、よしよし行こうか。」


 と、アンネッタの肩を掴んで進もうとしたその時。


「ちょっと、コジーモ様!!」


 大きな声が掛かる。掛けたのは、第二王子の婚約者でマンゾー二公爵家の娘ロザリンダ。
 その声に皆が振り返ると、高いヒールの靴を履いているのにズンズンと音が響いてきそうな程足音を立てて近寄って来た。
 それに、皆は自然と一歩下がり道をあけると、コジーモとロザリンダが対峙するように向かい合う。さながら、火花を散らせながらコジーモを睨みつけている。
 その隙に、アンネッタはゆっくりと気づかれないようにコジーモから距離を置いた。


「何をやられているのかしら?そんな小娘相手に!」

「おま…今日は来るのが面倒だとか言っていなかったか!?」

「そうだったかしら!?そんな事どうでもよろしいですわよね!?それよりも!何をこんな皆様の前でなされようとしていたのかしら!?」

「あーあ!全く!!
いつもいつもロザリンダは煩いな!お前には関係無いだろう!!」

「まぁ!関係無いとは聞き捨てなりませんわ!だいたい…」


 大きな声でギャンギャンと言い争うものだから、とうとうこの国で一番権力のある人物にまで聞こえてしまったようで、コジーモとロザリンダの声をかき消すほどの大きな声が掛かる。


「何をしとるのだ!!」

「何よ!?」
「何だよ!?」


 二人は同時にそう言って声の方を振り返ると、途端に血相を変えた。それもそのはず、国王であったからだ。


「あ、え、えっと国王陛下…」
「え?あ、父上…」


「騒がしいにも程がある!前々からお前達はであるが、今日はさすがに酷いぞ!!
…痴話喧嘩ならこんな場所ではなく、二人の時にするがいい。
だが、お前達はいずれ夫婦となるのだ。そろそろ落ち着くべきではないか?」


 幼い頃より婚約者であったとはいえ、二人の仲はあまり良くなかった。コジーモは自分の気持ちに正直で常に自分の思ったように事が進まないとわめき散らすのだ。そんないつまでも幼子のようなコジーモを、叱りつけるのがロザリンダである。
 このような大勢の人たちが集まる場で騒ぐのも日常茶飯事。たいていはロザリンダが叱りつけると売り言葉に買い言葉となってしまうので、そうなった時には諫めるのはコジーモの目付役として傍にいる側近達の役目であったのだが、今日はさすがに収める間もなく国王がやって来たのだ。


「皆、騒がせて済まなかったな。コジーモ、ロザリンダ、二人は部屋に行くんだ。」


 そう言って、国王陛下の後ろをついてきていた護衛騎士に目配せをする。と、彼らはコジーモとロザリンダの腕を掴み連れて行こうとする。しかしそこで、コジーモは諦めきれないと声を荒げた。


「じゃ、じゃあアンネッタ、お前も来い!!共に話そうではないか!」


 誰もが、そこで言う言葉か?と思った。国王陛下が部屋に行けと言ったのは、暗にここから出て行けという意味で、謹慎の意味もあるのに、コジーモは自分の気持ちに真っ直ぐ、アンネッタと話せる機会を無駄にしたくないと思ったのだ。


「…アンネッタ?」


 国王もそれに口を開けば、コジーモは許可が出たと勘違いをしたのか顔を綻ばせて尚も言葉を繋ぐ。


「はい、父上。そこにいるでしょう?
ほら、桃色の髪の。あぁ、小さいから男たちに隠れて見えないかもしれません。
とっても可愛いと評判なんです!」

「まだ言ってるの?コジーモ様!」

「…とりあえず、二人は早く部屋に行くんだ!」


 慌てて護衛騎士は、騒ぐコジーモとロザリンダを引っ張るように連れて行く。


「…アンネッタとやら、君もこちらへ来てくれるかな?話を聞かせて欲しい。」


 それにはさすがに皆、驚き顔を見合わし、またディオニージが声を上げた。


「恐れながら、陛下。アンネッタは全くの被害者でございます。それはここにいる誰もが、証人となる事でしょう。」

「ディオニージ、そうか。それでも、騒ぎを起こしたのは出鱈目でもないであろう?」

「いえ、騒ぎを起こしたのはアンネッタではございません。」

「…わしに逆らうと申すか?ディオニージでも、それではさすがに許せんぞ?」

「逆らうとはとんでもありません!事実を言ったまででございます!」

「ふん…まぁよいわ。
アンネッタ、来なさい。」


 そう名指しをされれば、せっかく男たちの間に身を潜めていたアンネッタも姿を現す。
 国王陛下に声を掛けられるとは思ってもいなかったアンネッタは、どうなるのだろうかと下を向き、俯きながら国王陛下のあとをついて行った。
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